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2008年 08月 04日
断章4
どちらがいいことなのかよくわからないが、タリバンを排除した格好で、新生アフガニスタンはスタートした。
2001年12月のボン合意により、暫定政権の発足→緊急ロヤジルガの開催→移行政権の設立→
憲法制定ロヤジルガ→正式政権の発足というような流れで、新しい国家樹立の道へ向けて歩き始めた。
カルザイ大統領を中心として、ナジブラー政権崩壊後、アフガン国内を混沌に陥れた
北部同盟の軍閥を政府の重要なポストに招きいれ、タリバンを掃討する覚悟でもって、
アフガニスタンは歩き始めたのだ。

そこには妥協点はない。
元々、タリバンがアフガニスタンのほぼ全土を掌握していたとしても、パシュトゥン人のアイデンティティーを
接着剤にして強力な団結力を持っていたとしても、そんなことは関係なく、ビンラディンをかくまっていた
悪者なのだとして、徹底的にやっつける方向で歩き始めたのだ。

当初、アフガニスタン中央政府を安定させる為だとして、
国軍の整備はアメリカ、
警察の強化はドイツ、
DDRは日本、
司法改革はイタリア、
麻薬対策はイギリス、
という役割を先進国間で割り振った。
DDRではムジャヒディン軍閥を中心に武装解除を行い、それによって生まれるpower vacuumは、
アフガン国軍とアフガン警察が埋めるという計画で話しは進んでいたのだ。

この計画が上手くいかなかったのは、軍と警察の整備が遅れているからだという意見がある。
しかし、この計画が例え上手くいったとしても、先進国からの支援によってのみ存在し得ている
アフガニスタン中央政府によって抑圧されたタリバンや反政府勢力の恨みや抑圧の感情
というのは、何処へ行ってしまうのだろうか?無理やり押し込められたという感情は、世代を超えて
民族の歴史として受け継がれていき、終わりのない抵抗を生み出すだけではないのだろうか?
そうだとしたら、アフガニスタンは完全に終わりの見えない泥沼に入り込んでしまったことになりはしないだろうか。

もちろん、だからタリバンをincludeした形で政権を作っていればよかったのだ、という結論を導くつもりはない。
もう既に、現代世界において幅広く「良い」と信じられるイデオロギーでもって、最初の第一歩は踏み出されてしまったのだ。
それは、ある集団から見れば「悪い」ことかもしれないし、ある集団から見れば外部者の押し付けに過ぎないかもしれない。
しかし、僕らは、その既に始められてしまったことの肩の上で、事態を改善していけるように努めなければ
ならないのではないかと思う。それが具体的にどういう方策でなのかはまだわからない。
どのような立場であっても、完全に中立、完全に相対的であることはないと思う。
でも、何が良い方向なのかということを、現実と理想の間で追い求めていかなければいけないと思う。

僕が赴任したのが2005年11月で、赴任してから1ヵ月後に32年ぶりという国会が開かれた。
あの時から、正式政権が発足して新生アフガニスタンはスタートしたのであった。
破綻か再生か、そんな簡単な二元論で語れるとは思わない。
ただ、アフガニスタンの事を自分自身の姿と重ね合わせながら、ずっと見ていたい。
・・・結論は持ち越しみたいだ。

by aokikenta | 2008-08-04 03:05 | 日記(イスラマバード)


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