2008年 06月 25日
プロローグ それは、僕に「絶望」を予感させた。 西の空では、雷光がディスコテックの照明のように断続的な光の明滅を繰り返し、 横から殴りつける強い風と、雨が降る日特有の匂いが辺りを覆っていた。 ひょっとしたら、ラホール行きのバスは運行キャンセルになるかもしれないな。 それが、僕がその朝、玄関を出て最初に思った事だった。 そんな事態に陥ると僕は大変に困るのである。 そうだ、僕はこの旅行を楽しみにしていたのだ。 ラワルピンディ探索2回、イスラマバード探索1回を経て、 とてもいい流れでパキスタンという国を楽しんでいたので、このまま ラホール旅行につなげて行きたいという気持ちがあった。 それに、平日の運動不足から来る体全体の倦怠感が拭えなかった。 倦怠感。 イスラマバードでは、それなりに大きい家、三食ご飯を作ってくれるクック、 身の回りの世話をしてくれるハウスキーパーに囲まれて、不自由のない生活をしていた。 しかし、体の底から沸き出てくるエキサイトメントを感じる事ができず、 不完全燃焼を抜けられないでいた。 今回のラホール旅行は、僕にとっては、まるで停滞ムードを切り裂く 中村俊輔のフリーキックのように、倦怠感という目の前の暗闇を引き裂く ブレイクスルー的役割を担うはずであった。 だから、僕は、その日の朝の天気を見て、ひょっとしたらバスが キャンセルになるかもしれないと思って、絶望を予感したのである。 しかし、バスは僕の最初の予想に反して、スケジュール通り運行した。 おかげで、念願だったラホール旅行を実現することができた。 今週は、片道300キロあるラホールまでバス日帰り旅行だ! ↑イスラマバード-ラホールの位置関係図。 ラホール日帰り旅行 パキスタンを見て回りたいとずっと思っていた。イスラマバード近郊の主要な街は時間をかけて、大分見て回ることができたので、距離的には遠い場所にあるラホールやカラチやクエッタ等の大都市や、北部の山脈地帯を訪れたいと言う気持ちが、ずっと自分の中で燻っていた。僕は、ラホールに行きたいと思った。以前、ラホールの夜明けという文章を書いたが、成田からイスラマバードへ向かう時のトランジットで目にした暗闇に浮かぶライトアップされたラホール・フォートが、瞼に焼き付いて離れなかった。それは大袈裟な表現ではない。どこかパキスタン国内旅行をしよう、と思うたびに、ラホール・フォートの雄大な姿が僕の心を占領した。だから、僕はスケジュールの関係から1泊も出来ない日帰り旅行しかできないけど、ラホールに行こうと躊躇なく思った。そして、金曜日の朝、事務所件住居を出発してラワルピンディへ向かった。 Daewooという韓国の財閥が、パキスタンでかなり質の高いバスサービスを提供している。そのバス停がラワルピンディにある。僕は、以前、仕事でペシャワールに行った時にそのバスを利用したことがあったので、それを思い出して、今回の旅行でも使う事にした。前日に、朝6時発のラホール行きバスを予約したので、その日は、朝4時半に起床、5時にマルカスでタクシーを拾って(バザールの中心地に行くと、家に帰らないで車の中で寝ているタクシーが数台あった)、ラワルピンディへ向かった。家を出た時点で、空が曇っているし、雷が遠くで鳴っているしで、嫌な予感がしていたが、案の定、タクシーに乗るやいなや土砂降りになった。雨季という表現が適当なのかどうかはわからないが、パキスタンでは6月の後半になってから、早朝に雨がワッと降って、気温が下がるようになった。むしろ5月の方が暑かったくらいに感じるのは僕だけだろうか。 雨でフロントガラスを打ち付けられ、川のようになった道路をタクシーでかき分けながら、なんとかラワルピンディのDaewoo Bus Terminalへ着いた(タクシーのドライバーの発音を聞くと、「ダイウ・バス」というよりも「デーオー・バス」と聞こえる)。予約していたチケットの支払いをして、6時発のバスを待っていた。雨は次第に上がって、空が段々明るくなってきた。僕はこれから始まる旅に希望を膨らませていた。 ↑Daewooバス停から見る空模様。早朝に雨がワッと降って、30分くらいで止んだ。 バスは予定通り、きっちり6時に出発した。Daewooバスはなかなか快適だ。まず、日本ではもう珍しいバス・ガイドさんが添乗してくれる。途中何かを説明してくれるわけではないが、ミネラル・ウォーターとコーラを適宜注いでくれるし、車中で食べるようにとポテトチップスとクッキーの詰め合わせを配ってくれる。社内はクーラーも聞いてるし、皆で見られるTVモニターもあり、最初にヘッドフォンも配られるのだ。まるで飛行機みたいなサービスで僕は満足だった。行きは少し豪華なPremium Plusで840ルピー(約14ドル)、帰りは普通で600ルピー(約10ドル)だった。極端なことを言えば、両方600ルピーのバスに乗れば合計1200ルピー(約20ドル)でラホール日帰り旅行は可能なわけだから、かなり安い。 イスラマバード~ラホール間は約300キロあるので、4時間半バスに揺られていた。疲れた。バスを降りてから、すぐさま同じ日の夕方6時のラワルピンディ行きの帰り便チケットを購入した。カウンターの若いお兄さんが、「君、どこから来たの?」と聞いてきて、「ジャパン」と答えると、「Japan is a good country」ということになり、すぐに友達になった。お兄さんは僕と同じくらいの年恰好で、日本に好意を持っているようだった。名前はHassanと言う。何か困った事があれば電話してくれよ、ということで自分の携帯電話の番号まで教えてくれた。ありがとう。今自分がどこにいるのかよくわからなかったけど、人に大通りの名前を聞いてLonely Planetの地図と見比べながら、大体ラホールの街の東端の方角にいるらしいことがわかった。タクシーを捕まえて、取り合えず絶対に行こうと思っていたバードシャーヒー・モスクとラホール・フォートに向かった。 バードシャーヒー・モスクの衝撃 ラホール・フォートという城塞がラホールにはあって、そこの周辺はOld cityと呼ばれる古い街並みが垣間見れる地域だ。ラホール・フォートは1526年~1858年に栄えたムガール帝国の遺物で、第3代皇帝アクバルによって建築され、その後、破壊と修復を繰り返し現在に至っている。そのフォートに隣接して、バードシャーヒー・モスクというモスクがある。そのモスクが美しいと聞いていたので、僕は今回の旅行ではそこを中心としてプランを考えていた。 ラホール・フォートの入り口で200ルピー払ってタクシーを降りて、モスクの方角へ向かった。モスクの四隅に据えつけられたミナレットや、モスクの外壁にある大きな門が目に入る。否が応でも気分が盛り上がってくる。モスクへ通じる門のところで靴を脱いで門番に預けて裸足になってから、中へ向かった。門をくぐる途中、暗がりの中からモスクの方角を見やると、白いドームと赤いレンガで出来た大きなモスクがぼんやりと目の前に現れた。ドーム型をした門の輪郭に切り抜かれたバドシャヒ・モスクは、荘厳で雄大で美しかった。 ↑門の中からバードシャーヒー・モスクを望む。 ↑バードシャーヒー・モスクの中庭で記念撮影(・・・筆者がブログに登場することは今後ありません、多分)。 ガイドさんが「俺が案内するよ」と営業をかけてきたので、一人の若いガイドさんにお願いすることにした。彼の名前はAsifと言って24歳の好青年だ。彼はウルドゥー語、英語にはじまり、英語だけでもアメリカ訛り・アイリッシュ訛り・マンチェスター訛り、オーストラリア訛り・コックニーの5種類を使いわけ、加えて、ペルシャ語、ダリ語、パシュトゥー語、アラビア語、フランス語など20種類以上の言葉を話すという事だった。もちろん、パキスタン国内の少数民族の言葉も話すのだという。語学は才能ということを聞いた事があるが、彼と話すとそれを痛感する。 このモスクはムガール帝国第6代皇帝のアウラングゼーブ・アラム・ギールが建築したらしく、最大で10万人が礼拝できるように設計されているという。建物が赤く見えるのは、インドから運んできたRed Sand Stoneを使用している為ということなので、この辺りは当時のムガール帝国の地域だったということを実感する。イランのイスファハンで見たイマム・モスクは青が綺麗だったけど、このモスクはRed Sand Stoneの赤が綺麗だ。Asifの案内で、モスクの中を歩いて見て回った。 ↑バードシャーヒー・モスクの入り口。 ↑天井が高くて、中には空間がある。 ↑ドームの先端は、上からシーク、ヒンドゥ、仏教、イスラムを表しており、他民族融和の象徴なんだとAsifは説明してくれた。しかし、後で調べてみると第6代皇帝アウラングゼーブは、他宗教に対して弾圧をした指導者として有名だと書いてあった。Asifの言っていたことはどこまで本当だったのだろう。 Asifはこのモスクについて相当勉強をしているらしく、色々なことを説明してくれた。中でも面白かったのは、天然のエコー効果とマイクロフォン効果だ。モスクの中のホールで、2人の人間がお互いに対角線上になり、壁に向かって話しかけると、小さい声で喋っていてもホール全体に反響して、まるでマイクで喋ったように音が大きくなるのであった。他にも、ここに立って大きな声をだしてごらん、と言われてそうしてみると、声にエコーがかかるように聞こえるポイントがいくつかあった。 神と垂直的な関係で成り立っているイスラム教徒にとって、モスクは神への絶対的服従を誓う神聖な場所だ。神への服従を誓う場所であるからこそ、そこには神が作り出した規則(それは数学とか天文学とか哲学とかに細分化されていくのだろうけど)だと信じられていたものの断片が至るところで見られる。バードシャーヒー・モスクは、僕の目には完璧な左右対称に見えた。これだけの建築物を作るのだから、数学や建築学は相当発達していたのだろうなぁ。ひょっとしたら、色々と測ってみたら、ある部分とある部分に黄金比率が使われていたり、こことここを割ると円周率になる、とかそんな秘密が隠されているかもしれない。 そんな真理を追い求める場所だからこそ、モスクを写真に収める際にはど真ん中に立って、真正面から左右対称に撮影しなければならないような気がした。実際、正面から撮影すると一番綺麗に取れるのである。しかし、僕はそれをすることに対して抵抗があった。どうしても真正面からではなくて、斜めからとか、あるいは、他の人があまり取らないような形で撮影したいという気持ちが拭えなかった。それは、予定調和に陥りたくないという僕の性向かもしれないし、既にあるものを破壊して新しいものを創造していきたいと思うからかもしれない。 しかし、僕は思うのだが、キリスト教世界では、宗教改革を経てからキリスト教の権威の失墜が起こり価値観が多様化したという歴史がある。1517年のルターの宗教改革を一つの指標にすれば、キリスト教が誕生してから1517年後のことである。哲学の世界で言えば、ヘーゲルが近代理性主義の一つの終焉に到達して、その後は、それまでに積み上げたものを否定する方向が新しく生まれた。ニーチェからフーコー、そして、ポストモダン思想につながる流れというのは、これまであったものを越えようという意志から生まれたものだと言えないだろうか。 もし、そうだとすればキリスト教と同じようにイスラム経世界でも、ヒジュラ(聖遷)から1500年後くらいに宗教改革が起こり、価値観が多様化する時代がくるかもしれない。価値観の多様化、つまり神の否定による「絶対的価値の否定」と「相対的価値の誕生」である。そうなった時には、このバードシャーヒー・モスクも、ロンドンのトラファルガー・スクエアにあるナショナル・ギャラリーに飾られているキリスト教の宗教画のように、過去の栄光としてのパースペクティブを与えられることになるかもしれない。そして、その時には、斜めに写真を撮る事の本当の意味が広く共有されることになるかもしれない。 (後編につづく)
by aokikenta
| 2008-06-25 20:28
| 隣接国探索②漂流パキスタン編
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