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2008年 01月 15日
齧(かじ)りかけの言語
一口食べただけでそのまま放置された齧(かじ)りかけの林檎みたいな言語が僕にはいくつかある。齧りかけって言っても全然大したことはなくて、数字が言えて、買い物が出来て、簡単な挨拶と、最低限の問答が出来るくらいのレベルの話である。一つは、大学で第二外国語で勉強した中国語だ。高校に入ってから大学を卒業するまで毎年中国に行っていたし、大学でも中級くらいまでやったので、買い物するくらいならできる(できた)のだが、しかし、留学したわけでもなく、その後熱心に勉強を続けたわけでもないので、非常に中途半端なままで、僕の中の中国語世界はストップしている。2つ目は、アフガニスタンで覚えたダリ語。イランにも一人で旅行したし、ガードや街の人ともなるべくダリ語で話そうとしていたので、こちらも数字はわかるし、買い物、簡単な挨拶・質問くらいはできる。しかし、ダリ語もまた中国語と同様に、それ以上のレベルでもそれ以下のレベルでもない。こうして、日本語という世界に平行して存在するいくつかのパラレルワールドが、再び手をつけられるのを待ったままの状態で、僕の左脳の片隅で存在し続けている。

今、せっかくパキスタンにいるのだから、ウルドゥー語というもう一つの世界を作ってみようかと漠然と考えている。ウルドゥー語はダリ語と似ている部分もあるらしいし、文字はアラビア語と同じなので覚えやすそうだ(アラビア語はイギリスに留学している時にほんのちょっとだけやったが、まさに齧っただけなのでほとんど何も残っていない)。今日、同僚に借りた『地球の歩き方:パキスタン編』を見ていたら、こんな事が書いてあった。

パンジャーブとはパンジ・アーブpanj ab「5つの川」という意で、サトラジSutlej川、ラーヴィーRavi川、ビーズBeas川、ジェーラムJhelum川、チャナーブChenab川の5河川の流域を指し示している。1947年のインドからの分離独立の際にパンジャーブはインド・パンジャーブとパキスタン・パンジャーブとに分割され、後者はパキスタン国内でひとつの州になる・・・(中略)・・・パンジャーブ州はパキスタン国内でもっとも肥沃な土地が広がる」

今までよく耳にすることのあった「パンジャーブ」が、「パンジ(5)」+「アーブ(水)」のことだったなんて・・・。衝撃的。ウルドゥー語にはダリ語と全く同じ言葉が沢山あるらしい。しかも、パキスタンのみならずインドまで同列の言語圏は広がっているのだ。脳細胞の触手が少し東の方角へ広がった感じがするぞ。そういえば、タクシーの運転手に、「イン・タラフ(こっち方面)」とか「ウン・タラフ(あっち方面)とか「ロスト(右)」とか「チャップ(左)」とかダリ語を織り交ぜた言葉を発していたら、なんとなく通じた。うーん、こういう話を聞くと、イランのペルシャ語専門家の方も、ウルドゥー語って面白そうじゃんって思わないだろうか?現在、パキスタンは毎日新聞を賑わせて世界の注目を集めているし、アフガニスタンで復興支援に携わってきた専門家も、パキスタンって結構面白そうじゃんって思っているところかもしれない(なんとなく、パキスタンが今熱い!という方向へ、流れで辿りついたにも拘らず持って行こうとしている自分)。

国連公用語には、(1)英語、(2)フランス語、(3)スペイン語、(4)ロシア語、(5)アラビア語、(6)中国語の6言語がある。僕はこの内、フランス語、スペイン語、ロシア語に関しては、本当に全く縁がなく28年間過ごしてきてしまった。言語と地域への興味は関係ないかもしれないけど、やはり言葉がわからないというだけで、その地域、及び、かつての植民地への興味は無意識的に半減してしまっている気がする。それだけで、僕は、フランス、スペイン、ロシア本国のみならず、アフリカの多くの国、南米の多くの国、旧ソ連のCIS諸国への入り口を狭めてしまっているような気がする。人生の初めから、アフリカ大陸と南米大陸とロシア連邦という広大な可能性を捨ててしまうようなものだと思うと、それが如何にもったいないことであるかがわかるような気がする。とは言え、人生は限られているので全ての言語を習得することは不可能だ。でも、人生のキャリアプランも大事だろうけど、将来の可能性という意味では、人生の言語プランというものを考えてみてもいいかもしれない。

ちなみに、使用人口が少ないからってある言語を習得しないというのは、なんだか間違っている気がする。もちろん、覚えたからには世界で何億人とも話せる方がいいのだろうけど、そういう合理性だけで物事を判断するのが正しいとは限らないのではないかと思う。僕らの人生は合理性と機能性だけで構成されているわけではない。ある異性を好きになる時に、合理性と機能性でその人を好きになるわけではない。言葉では上手く説明できない「感覚」が一番重要なのだと僕は思う(男は経済力だ、という決め方もあるにはあるのだろうけど)。結局、どの言葉を学ぶかというのはその人次第だし、その人の個性が滲み出るものなのだろう。

小田実の『何でも見てやろう』の中では、確か、彼はギリシャ哲学か何かを大学時代に専攻していて、それをフルブライト奨学金の面接で言ったら面接官に非常に受けて、それで即採用が決まったというような話しが書いてあった。その奨学金でアメリカに留学してからも、「ギリシャ哲学をやってます」と言うと、ただ漫然と座っているだけでも、「こいつ、只者ではないな」という雰囲気を与えているらしい、というような事が書いてあった。そして、ただ「この料理は美味しい」というようなシンプルな文章をぽつりと言っても、考えに考えつくされた一文だと相手が受け取って、「うーむ」と唸ってくれたものだ、と書いてあった。ウルドゥー語は、そういう観点を考慮すると、役に立つ言葉だと言えるかもしれない(なんて言ったら、ウルドゥー語の専門家は怒るか)。

皆さんにも、齧りかけの言語、ありませんか?

by aokikenta | 2008-01-15 02:23 | 日記(イスラマバード)


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