2007年 06月 29日
気だるさを感じながら目を覚まして、顔を洗ったら、朝の8時に朝食がやってきた。朝食といってもナンと紅茶とバターとジャムくらいの質素なものだ。これだけかぁと思ったが、他のホテルでも同じようなものだったのでイランの朝食はどこでもこんな感じなのかもしれない。 9時にホテルを出て、何処へ行こうかと作戦を立てることにした。地図を見るといくつか観光名所らしいところがあるのだが、ハラムの存在感がすごすぎて、マシュハドではハラムだけ見ればもういいんじゃないかという気がしてきた。ハラムの表情を東西南北から撮影してみたら喜怒哀楽がみられるんじゃないかと思って、時計回りでハラムを一周することにした。 よしと思って歩き始めてから30分くらいの所でナディール・シャー廟というのがあったので、休憩がてらちょっとのぞいてみた。16世紀~18世紀の初頭にかけてイランは強大な王朝サファビー朝によって支配されていたのだが、1722年にある部族に滅ぼされてしまった。そのある部族とは現在のアフガニスタンの最多数民族であるパシュトゥン人だった。ギルザイ族と呼ばれるパシュトゥン人の一族は、サファビー朝が衰退したのをきっかけとして、迫害されてきた仕返しとばかりに、帝都であったイスファハンに攻め込み、あっという間に破壊しつくしてしまったといらしい。オスマン・トルコでも倒せなかったサファビー朝を倒してしまうんだからパシュトゥン人っていうのは強かったんだなぁ。 そういうわけで、ヘラート(アフガニスタン西部の都市)まで領土を持っていたサファビー朝は滅亡し、反対に、パシュトゥン人によってマシュハドの辺りまで支配されるようになってしまった。このパシュトゥン人というのは、上に書いたギルザイ族ではなく、ギルザイ族を倒してしまったアブダリ族のアフマド・シャー・ドゥッラーニーという人だった。この人が1747年に建国したのがアフガン人始めての王国と言われている。 話しが少しそれたが、ナディール・シャーは、そんな誇り高きペルシャがアフガン人による支配を受けていた冷遇の時代に現れて、ペルシャを再び統一してしまったイランの英雄なのである。公園には、多くのイラン人が見物に訪れていた。 ↑ナディル・シャーの彫像 適当にナディル・シャー廟を見てから、本来の目的であるハラムの西門へ向かうことにした。直線で数百メートルなのですぐ着くなと思ってのんびり歩いていたら、何故か知らないがナン屋のおじさんに声をかけられた。何を言っているのかよくわからなかったが、日本人が珍しいらしい。とりあえず、お店に入ってみたら写真を撮ってくれというので、格好良く撮ってあげる事にした。 ↑ナン屋のオヤジ 写真を見せたらとても嬉しそうな顔をして、お返しとばかりに焼きたてのナンを一枚くれた。とても香ばしくておいしかったが、朝飯を食べたばかりであまりお腹がすいてなかったので、リュックサックに直に入れておいた。 地図と水とナンの入ったリュックサックを背負って、ハラムの西門にようやく到着した。やっぱり南側から見る景色とは違った表情がある。 ↑西から見たハラム ↑西門 西門の所でもっと上手く撮れないかなぁと試行錯誤していたら、若い男に声をかけられた。その黒いキャップを被った少し筋肉質の若いイラン人の男が「写真を撮ろうか?」と英語で言うのでお願いすることにした。そこから会話が始まって、なんでかわからないが、マシュハドを案内してあげるよということになってしまった。いや、これからハラムを一周しようと思っているんだと言っても、何で?という表情をしていて、自分自身説明不能だったので、ハラム一周は明日でいいかと思って、一緒に歩くことにした。 その青年はハディという名前で、大学でテコンドーをしており、黒帯所持者だという。今は休みの期間で暇だから、英語の勉強がてら外国人と極力話をするようにしているのだと言う。将来は体育の先生になりたいというエネルギッシュな若者だ。 ハラム一周をやめたので、近くにあったその名も緑のモスクという意味のサブズ・モスクへ行く事にした。こじんまりとして綺麗なモスクだった。 ↑サブズ・モスク ハディとは基本的に英語で会話をした。 ハ「名前は何ていうの?」 ケ「ケンタ」 ハ「年齢はいくつ?」 ケ「28歳」 ハ「奥さんはいるの?」 ケ「いない」 会話をしている内に、お前はどうして28歳にもなって結婚もせず一人でイランへ来たのだという視線になってきたので、アフガニスタンに住んでいて、休暇で来ているんだとフォローを入れることにした。そうしたら、アフガニスタンでは何をしているんだというので、地雷処理団体で働いていると言ったら、益々何をしているんだこいつはという顔つきになったので、お互いに気まずい雰囲気になってしまった。 ガールフレンドはいないのかとしつこく聞くので、いないと答えたら信じられないという表情で、ガールフレンドの一人もいないのかと言う。ハディの言うガールフレンドとは肉体関係を持つ女性のことなのか、それともただの女友達のことなのかがイマイチわからない。イランはイスラム教国だから、どちらかと言うと後者のような気がしないでもないが、とにかく、28歳で女友達もおらず一人でイランのマシュハドを徘徊していて、しかもアフガニスタンで地雷処理にいそしむ男というラベルがもう貼られてしまった。 同情してくれたのか、サブズ・モスクの脇にあるベンチでおしゃべりをしている女の子3人組に声をかけて僕のことを紹介してくれた。一体、こんなシチュエーションでどんな会話をしたらいいんだろうと思って、とりあえず「何をしているんですか?学生ですか?」と聞いてみた。女の子の一人が都市建築学を勉強していると答えてくれたのでなんとか会話を始めることができた。ヨーロッパ人のような顔立ちのその女の子達の笑顔がとても可愛くて、イラン人の女性は綺麗だなぁと見とれてしまった。 後ろ髪を引かれる思いでサブズ・モスクを後にして、ハディの誘いのまま昨日も訪れたハラムの中へ行く事にした。荷物を預けてからガイドを呼ぶのかと思ったら、ハディが警備員に「こいつは友達なんだ」と説明してくれて、正面のゲートから堂々と突破できた。今日は昨日と違ってモスリムとしてのハラム見物だ。 昨日のガイドさんほどではないが、ハディは丁寧にハラムの中を案内してくれた。凄かったのは、昨日は入れなかった一番の中心部分に入れてしまった事だった。ここまで来てしまっていいんだろうかという気持ちと、今日を逃したら一生ここには入れないだろうという気持ちの天秤の末、案内されるままに内部を見学した。 ハラムは言葉にも写真にも表せないほど圧倒的だ。なんでこんなに凄い所が、イラン観光ツアーなんかではオプションツアーくらいの扱いしか受けず、『地球の歩き方』(カブールに戻ってから友人に借りた)では一番最後のページに回されてしまうんだろうかと不思議でならなかった。後で行く事になるイスファハンもすごかったが、単体としての存在感と迫力ではハラムは群を抜いていた。こんな所に航空運賃234ドルでこられるなんてカブールに住む僕は幸せだ。 見学に疲れたので外へ出て、同じ場所で午後5時に会おうと言ってハディと分かれた。正直言って、また会おうと言ってくるとは思わなかったが、旅は道連れじゃないが仲間がいた方が楽しいので会うことにした。僕は疲れたのでホテルへ戻って、サフランライスとチキンとサラダでお腹を一杯にして昼寝した。 午後4時頃目を覚まして、昨日の旅行代理店へ行ったら、まだチケットが出来ていないから明日来てと言われた。しょうがないので、収穫もないまま、約束の5時にハラムの前に行ったら約束どおりハディがいた。今度は別の場所をみせてあげるよというので何も考えずついていった。 彼が案内してくれたのはMallek Houseという古い洋風の屋敷みたいな場所だった。確かに赴き深い場所なのだが、一体どんな歴史的意味がある場所なのかがわからなかった。今もって結局わからない。 ↑横浜・神戸風の建物、Mallek House 今度はバザーレ・レザーに行こうというので、そのまま向かった。バザーレ・レザーは商店が並ぶ大きなバザールで、夜遅くまで光が絶えることのない賑やかな場所だ。ハディに値段交渉をしてもらって、ターコイズの指輪を2つ買った。指輪を買った後、2つで13,000トマン(約14ドル)したので、ホテル代と同じだからぼったくられたのかと思い始めた。ひょっとしてハディと指輪屋さんの間で裏取引みたいなのがあって、これまでの案内も全部この為の前振りだったんじゃないかなんてことまで疑いだしてしまった。なんだかすっきりしないので、そこらへんの指輪屋に入って値段を聞いてみたら、大差なかった。ハディの親切心まで疑ってしまった自分が少しだけ嫌になった。 ↑バザーレ・レザー概観 ↑バザーレ・レザー中のサフラン売り もう大分遅くなったので、晩御飯も一緒に食べずに、また明日の午後5時にバザーレ・レザーの前で会おうということになって、ハディと別れた。僕はホテルへの帰り道、Ferdowsiという有名な詩人の名前がついたレストランでケバブとサフランライスを食べて、インターネットカフェに寄ってからホテルに戻った。シャワーを浴びて、日記だけ書いてすぐに寝た。
by aokikenta
| 2007-06-29 21:20
| 隣接国探索①奔流イラン編
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