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2008年 06月 14日
灯台下暗し、イスラマバード巡り
今週末も、どこかイスラマバード近郊をブラブラしようと画策していたが、よく考えたら大体近郊の街には行っていることに気がついた。よくガイドブックで紹介されているイスラマバード近郊の名所と言えば、ラワルピンディ、タキシラ遺跡、マリー、ソルト・レンジ等なのだが、パキスタンに引っ越してきてから、そのどれも全て訪れた。まだ、ロータス・フォート(世界遺産)という古い城塞には行ったことがないのでそこには行ってみたいのだが、遠くてタクシーでは行けないので、車を一日借り上げないといけない。車を借り上げる準備をしていないので、今週に関してはそれを断念した。何をしようかと考えた挙句、イスラマバードのマーケット巡りをすることにした。案外、まだイスラマバードでも行っていない所もあるし、このブログでも紹介していない所も沢山ある。ということで、今週は、灯台下暗し、イスラマバード巡りだ。

午前中はゆっくりして、お昼を食べてから出かけることにした。F-10マルカスでタクシーを拾って、まずは、F-7にあるジンナー・スーパーマーケットに行く事にした。タクシーのドライバーに「いくら?」と聞いたら、「As you wish(お望みのまま)」と返事を返された。as you wish・・・。パキスタンに限らず、アフガニスタンでもよくスタッフに言われる言葉だ。この言葉の背景にあるのは、カスタマー・サービスなのだろうか、それとも、単に主体性がないということなのだろうか。よくわからないが、「90ルピーは?」と言ったら、首を横に振って「OK」というのでお願いすることにした(南アジアではYesが首を横に振る仕草なので、紛らわしい)。タクシーの運転手は緑のターバンを巻いたおじいちゃんだが、サングラスをかけているクールなおじいちゃんだった。まるでヨーロッパで育った西洋形而上学とキリスト教を否定したニーチェのように、彼は実は内面では「I am sick of tradition」と思っていて、これまでに積み上げられてきたパキスタンの伝統を意図的に破壊しようとしてそういう格好をしているのかなぁと思ったが、どうも話している限りでは彼にそんな意識があるとは思えなかった。

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↑緑のターバン、白い髭、サングラス。

タクシーはF-10にあるマクドナルドを左折して、ジンナー・アベニューを大統領官邸に向かって直進した。ジンナーというのは1947年にインドから分離独立した時のパキスタンの建国の父で、イスラマバードの建物や道路や公園など、いたるところには彼の名前が付けられている。カイデ・アザムという愛称でも親しまれている。ジンナーは1940年のラホール決議で、パキスタンはインドから分離独立しなければならないと宣言して、1947年に独立を果たした。当時の状況をよくリサーチしていないのでわからないが、そもそもパキスタンはsecular(政教分離)な国を目指していたと聞いた事がある。しかし、イスラム教を、ナショナリズムの高揚、ひいては国家の統一の重要な中心に据えたいという、ジンナー以降の指導者の思惑から、パキスタンは政教分離国家ではないという解釈が一般的にされているようだ。ジア・ウルハックなどは、イスラム教国としてのパキスタンを押し出した政治家の代表で、独立後60年の間に、色々な要因があって現在のパキスタンに至っている。

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↑ジンナー・アベニューから大統領官邸をのぞむ。暑すぎて陽炎が見えた。

F-7のジンナー・スーパーマーケットには20分くらいで到着した。ここは、僕もよく来るマーケットで、イスラマバードでも一番大きなマーケットだと思う。大抵のものが揃っていて、非常に使い勝手がいい。特に、洋書が沢山おいてあるSaeed Book Bankや、DVDを売っているIllusion、お洒落な服を売っているJunaid Jamshed、リーバイスの本物を売っているお店、楽器屋などがあって、外国人もよく来るマーケットだ。

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↑左に見えるのはオーロラビション。オーロラビジョンがあるのはここくらいのものだ。中央広場では、ジュースやファーストフードを楽しめる。

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↑Saeed Book Bank。日本の大学では、洋書を読む授業を「原典購読」と言っていたが、イギリスとパキスタンに行ってから、その言葉が妙に大仰で陳腐に聞こえるようになった。何故なら、僕が「原典購読」と言って読んでいた本は、イギリスではみんな芝生に寝転がって普通に読んでいる本だったし、パキスタンで教養のある人も普通に読んでいる本だったから。

Bataというなかなかイケてる靴屋さんで、こげ茶色のサンダルを買って、写真を数枚撮ってから、お隣のF-6にあるスーパーマーケットに行くことにした。通常はタクシーで移動するが、今日は歩きたい気分だったので、徒歩で行く事にした。スーパー・マーケット(これは固有名詞です)は、民族衣装やハンディクラフトのお店が充実している大きなマーケットだ。他にも、Doctor Watsonという薬局や、ケンタッキー・フライドチキン、North Faceのお店(海賊版かもしれないけど)、DVD屋のIllusionなどがある。日本にいる家族や友人にお土産を買うには、最適の場所だと思う。僕も、大理石で出来たお土産を数点購入した。そういえば、最近、F-6にはフットサル・コートが出来た。テニス・コートも併設されている。まだプレーした事はないが、見た感じがすごく綺麗なので、一度プレーしてみたい。

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↑F-6のフットサルコート。日本でも通用しそうな綺麗さだ。

この時点で、汗をかき過ぎてTシャツには塩が浮いていたが、水を飲んで少しだけ休憩をしてから、今度はコサール・マーケットに行くことにした。コサール・マーケットも、スーパー・マーケットと同じF-6にあるが、1キロくらい離れた場所にある。ここにも歩いていくことにした。

コサール・マーケットは小さい。しかし、小さいながらも密度の濃いマーケットだ。特に、今日はじめて訪れたThe London Book Companyは、本の種類が豊富でいい本屋さんだ。これから度々来る事になるかもしれない。今日は、「from Kashmir to Kabul: Photography 1860 - 1900」という、アイルランド人の写真家が1860年~1900年にかけて撮影した写真集を購入した。パラッと本屋で見ていて、思わず笑ってしまった。だって、当時と現在でも、全然風景が変わらない。アフガニスタンのバザールの様子なんて、今とそのまま同じだ。きっと、電気とか自動車とかテレビとか、新しい物は確かに輸入されてきているけど、それらを除けば、彼らの暮らしは何百年も変わってないのだろう。

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↑コサール・マーケットの様子。

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↑The London Book Companyの概観。古本が豊富に売られている。

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↑ムルタンの陶器。イランの青とは違うけど、これも色が綺麗だ。

水を補給してゆっくりして、これからどうしようかと座りながら考えていた。このまま、G-6方面に南下して、ブルーエリアやアブパラ・マーケットを探索する事も検討したが、ちょっと歩いただけで疲れてしまって、その気になれなかった。とりあえず、スーパーマーケットに戻ろうと思い歩き始めたら、途中で、ソニーの正規の代理店っぽいお店があった。そこの裏手に、パキスタンの伝統とモダンが融合したような素敵な服を売るお店があったので、入ってみた。女性用の綺麗なショールやドレス、男性用のクルタや丈が長めのシャルワル・カミーズが、整然と並んでいた。カラフルな色彩に加えて、上質な素材、洗練されたデザインの服を目の前にして、沢山買いたい衝動に駆られてしまった。しかし、丈が長いシャルワル・カミーズは、衝動買いしても日本で着る機会がほとんどないので、丈が短いクルタを2枚買う事にした。お店の名前は「Khaadi」と言う。これなら、日本で着ても変じゃなさそうだ。

リュックサックにはBataで買ったサンダルとネスレのミネラルウォーターとスーパーマーケットのハンディクラフト屋で買った大理石のお土産、肩からはデジタル一眼レフカメラ、そして、両手にはThe London Book Companyで買った写真集と、Khaadiで買ったクルタ2枚を持っていたので、もうこれ以上歩く気がしなかった。お店の前で客待ちをしている黄色い軽自動車のタクシーをつかまえて、家に戻る事にした。今日行った場所は、これまでにも行ったことのある場所ばかりだったけど、The London Book CompanyとKhaadiを見つけた事は大きな収穫だった。

灯台下暗し。イスラマバードにも、まだまだ僕が知らないことが沢山あるみたいだ。
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# by aokikenta | 2008-06-14 02:13 | 隣接国探索②漂流パキスタン編
2008年 06月 13日
updates
先週末にラワルピンディに遊びに行ってから、特に取り立てて書くことのない日常を送っていたが、アフガニスタン/パキスタンにまつわる話題がメディアで取上げられているので、少しだけupdateしておこう。

1. Paris conference
今日6月12日に、パリでアフガニスタン復興支援会合が開かれた。これで、アフガニスタンの復興の国際会議は、2002年1月の東京会合、2004年3月のベルリン会合、2006年1月のロンドン会合に続いて4回目になる。カルザイ大統領は、国際社会から500億ドルのプレッジを求めてアピールをしたようだが、アルジャジーラの報道では、150億ドルくらいになるのではないかと予想されている。アメリカは100億ドル、フランスは援助を2倍にすると約束したようだ。冷戦が終わり、しばらくの間見捨てられたアフガニスタンだが、こうして80カ国以上のドナー国を集める国際会議が開かれているところを見ると、依然としてアフガニスタンは国際社会の関心の中心にあるということだろうか。

しかし、多額の援助を受け取るアフガニスタンには沢山の問題がある。一つは援助の効率性の問題で、OxfamとACBARが発表したペーパーによれば、国際社会によってプレッジされた金額の40%が、ドナー国に還流しているという。結局、ドナー国の国際スタッフの給料やその他アドミンコストにばかりお金が使われて、アフガニスタンの末端にまでお金が届かないということだろうか。エコノミックヒットマンを思い出した。それに、アフガニスタンの援助に依存した財務体質も問題だ。BBCの報道では、2006-2007に国際社会から援助された金額は、アフガニスタンの国家収入の7倍だったらしい。腐敗の問題もあるが、これからどうやってnationalizationしていくかということが問題となるだろう(・・・ということは、僕がアフガニスタンに赴任した時から言われているが)。

ノルウェーやデンマークは、ISAF軍に自国の兵士を派遣しているが、自国民兵士の負傷者数が増加していることから「一体、僕達は何の為に戦っているの?」という声が強まり、政策を疑問視する声が強まっているという。何の為に、兵士を派遣するのか。何の為に、支援をするのか。日本を含めたドナー各国は、現実主義的なパースペクティブから人道主義的なパースペクティブから、考え直してみてもいいかもしれない。

2. Judge restoration
昨年秋に、ムシャラフ大統領によって罷免された最高裁長官らを含む裁判官が、パキスタンで大規模なパレードを行っている。ラホールからイスラマバードにデモ隊が行進をしているらしく、明日13日にはイスラマバードの大統領官邸付近に到着するのではないかと報道されている。警備を増強したり、トラックのコンテナで道を封鎖したり、緊張が高まっている。裁判官の復帰を先導しているのは、ナワズ・シャリフPML-N党首(元大統領)だ。1999年にmilitary coupで政権をムシャラフ大統領に奪われたからかどうかはしらないが、彼は、前からずっとこの問題を重視している。この問題の影響もあってか、先月、PML-Nは政権から離脱すること宣言して、PPPと決別した。この問題は、今後どう発展していくのだろうか。

3. US air strike in tribal area
昨日、アフガニスタン/パキスタンの国境付近で、アメリカが空爆を行い、11人のパキスタン兵士が死亡したと、BBCが報じている。アメリカは、タリバンが先に攻撃を仕掛けていたので、仕方のない正当防衛だったと発表しているが、パキスタン側は「アメリカがパキスタン領土に入った」ことを非難し、国家主権(sovereignity)を侵害したとアメリカを非難している。これを受けてアメリカは、珍しくビデオ映像を公表して、正当防衛であったことを主張している。

カブールのスタッフの一人がパクティア県出身で、彼が「パクティアの少し先にはパラチナル(パキスタンの都市)がある」と言っていた事を思い出した。そこに住むパシュトゥン人にとっては、アフガニスタン/パキスタンの国境なんて目に見えなくて、同じ仲間が住んでいる地域というくらいにしか考えてないのだろう。しかし、現実として国境が引かれているのだから、アメリカがパキスタン領土を侵したとしたら、パキスタンはこれを大きな問題として見るだろう。

そもそも、この問題が大きくなっているのは、パキスタンがアメリカとアフガニスタンとよく調整しないまま、タリバンと平和合意の話しを進めてしまったことにあるように思う。アフガニスタンとそれを支援するアメリカにしてみれば、タリバンがパキスタンと平和合意を結び、攻撃をしないと約束したことは、即ち、アフガニスタンの脅威が増した事を意味するのであり、その辺の関係でアメリカ/アフガニスタンとパキスタンの間で上手くいっていないのではないだろうか。元々上手くいっていなかったが、それが顕著に表面化してしまったということかもしれない。パキスタンの視点に立てば、2008年2月以降、連立政権も上手くいかないし、治安も良くならないし、内憂を抱えていたので、少しでも治安を改善しようとか国民の信頼を取り戻そうとかいう思惑があって、話を急ぎすぎたのかもしれない。それは、パキスタンの立場に立てばよくわかる話ではある。しかし、アフガニスタンにしてみれば、もうちょっと僕達も巻き込んで話しをしてくれてもいいじゃないか、という気持ちかもしれない。

アフガニスタン/パキスタン/アメリカ、もちろん、それ以外にも背後でうごめく国や集団の利害が、アフガニスタン/パキスタンを舞台として錯綜している。面白いなんて言ったら怒られるかもしれないけど、面白い。
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# by aokikenta | 2008-06-13 00:23 | 日記(イスラマバード)
2008年 06月 08日
パキスタンの食事
今日は、土曜日だけど仕事だったので、9時から働いていた。天気がいい日に、事務所でデスクワークをするというのは、精神的に健康ではない。しかも、周りの人が休みなのに働くというのが気分的に宜しくない。しかし、アフガニスタン事業が動いているから仕方がないのだ。

土日はクックがいないので、大抵レストランへ行く。今日のお昼は、近くのローカル・レストランへ行ってきた。食べたのは、マトン・コルマ(羊肉の煮込み)とナンとライタ(ヨーグルトみたいなもの)。マトンが柔らかくてすごく美味しかった。毎日食べると飽きるかもしれないが、パキスタンの料理はスパイスが効いていて、焼きたてのナンと一緒に食べるとすごく美味しい。毎週末レストランへ行くので、これからどんどん色んな料理を試してみたいと思う。食後には、ジュース・スタンドでマンゴー・ジュースを飲んだ。やっぱり美味かった(よい子の皆さんはお腹を壊す恐れがあるので真似をしないで下さい)。

仕事が終わってからは、日本人サッカー部の練習に行ってきた。サマータイムが導入されてから、1時間、開始時間を遅らせて、17:00開始に変更になった。17:00というと結構涼しいのではないかと思うかもしれないが、つい10日前までは16:00だったので、真昼間ほどではないが相当暑い。15分のミニゲームを4セットやって、汗だくになった。いいエクササイズだ。

夜は、マリオットホテルの『さくら』に行って、握り寿司(松)を食べてきた。サーモンうまい。沢山運動したし、美味しいものを食べたしで、よい週末だった。

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↑マトン・コルマとナン。コルマはアフガニスタンにもあるが、味がもっと平坦だった。パキスタンのコルマは、日本人が想像するカレーに近い。
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# by aokikenta | 2008-06-08 03:52 | 日記(イスラマバード)
2008年 06月 07日
混沌ラワルピンディ その2
先週、ラワルピンディ探索が良い気分転換になったので、今週もラワルピンディに行くことにした。前回は、サダル・バザールに時間の大半を費やしたので、今回はラジャ・バザールを集中的に見ることにした。F-10のバザールでタクシーを拾い、「ラジャ・バザール」とだけドライバーに告げた。金曜日の午後で、街全体がお休みモードに入っていた為かどうかはわからないが、始めは少し面倒くさそうな顔をしていたが、「180ルピー(300円くらい)出す」と高めの値段を言ったら、快く引き受けてくれた。サングラスとミネラルウォーター1.5Lとロンリー・プラネットが入ったリュックサックを背負い、肩からはキャノンのカメラを提げて出発した。

まず、最初に先週の記事に関して、追加して書いておかなければならないことがある。ラワルピンディには、サダル・バザールとラジャ・バザールがあると書いた。それは事実として正しいのだが、どうやら先週、僕が後半に行った場所は、ラジャ・バザールにはまだ完全には属していない地域だったようだ。というのも、今週、タクシーのドライバーに降ろされた場所は、先週行った辺りから少し遠い場所だったから、それに気がついたのだった。ロンリー・プラネットを見てみると、「This busy bazaar (Raja Bazaar) is a kaledoscope of people and merchandise spreading in every direction from chaotic Fowara Chowk」とある。地図を見てみると、Fowara Chowkというのはラウンド・アバウトのようだ。だから、これを逆に考えれば、Fowara Chowkというラウンドアバウトがある場所が見つかれば、ラジャ・バザールなわけだ。そして、今日はこれで間違いないだろうという六叉路を見つけたので、間違いに気がついたわけだ。予備知識もなくぶらぶらしているので、こういうこともあるさ(すいませんでした)。

さて、タクシーを下りたら、本当に雑然としたバザールが目の前に現れた。自分が今どこにいるのかよくわからなかったので、もっと賑やかそうな場所を目指して歩く事にした。歩いていると、とにかく目にしたのは、リキシャ(オート三輪車のタクシー)だった。イスラマバードでよく見る黄色い軽自動車のタクシーと同じくらいか、それ以上の数のリキシャが走っていた。車の背面には、ローマ字で「QINGQI」と書いてある。キンキ?チンチか?中国語を読み下したみたいな音の響きなので、四声(しせい※)でもつけてみたいところだ。ところで、「リキシャ」の語源は、日本語の「人力車」らしい。走ってる車はほとんど日本車だし、トヨタとかホンダとかスズキとかダイハツとかが、ほとんど日常の言葉になっているし、人力車が輸入されてリキシャーとして親しまれているし、日本文化のパキスタンへの浸透ぶりはすごい。

※中国語ではイントネーションが違うだけで、同じ音でも違う意味をします。主に4つのイントネーションがあるので、それを四声と呼びます。

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↑ラワルピンディを走るリキシャ。

歩き続けていると、野菜や果物を売っているバザールの一角があった。アフガニスタンでもパキスタンでもそうだが、バザールの中で同業者が固まっている場合が多い。例えば、車の用品なら車の用品の一角が、文房具なら文房具の一角があるという様子だ。消費者側にしてみれば便利だけど、競争原理が働いて、価格が高かったりサービスが悪い店は淘汰されないのだろうか。通り一本全て同じ業種のお店が並んでいるのを見ていると、他人事ながら妙に心配になってしまう。

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↑青唐辛子屋を売る八百屋さん。ファムファタール的とうがらし・・・。

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↑トマト屋さん。測りでキロ売りしてくれる。

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↑じゃがいも、及び、たまねぎを売る道端の行商(及び、という言葉は硬すぎますか)。

この前、マンゴーの写真を載せたので、果物の写真は撮らなかったが、マンゴー以外にも、桃、プラム、メロン、すいか、アメリカンチェリー、ブルーベリー等々、果物は豊富に売られていた。それから、梅を水で薄めた梅ジュースのような清涼飲料水を売っているお店も沢山あった。お腹を壊しそうなのでやめておいた。

リキシャや八百屋さんや果物屋さんを見ながら歩いていると、これがFowara Chowkに間違いないであろうという、賑やかな六叉路に到着した。本当に綺麗に六方向に向けて道が走っている。しかし、どの道もセンターラインはなく、車やバイクは遅い車を追い越し放題、歩道もない場合が多いので、歩行者の真横をすごい勢いでバイクや車が通り抜けていく。信号もないので、各々の人が渡りたいタイミングで渡りたいように渡るのがルールのようだ。

パキスタン人は道を渡るのが上手い。僕は、まだ道渡りの練習中なので、先に渡ろうとしているパキスタン人にくっついて道端で待つ。いわば、そのパキスタン人は僕の道渡りのインストラクターだ。彼は背中で僕に道渡りを教えてくれる。一見、連綿と続いているかに見える車の流れの「切れ目」を、先生は長い人生経験から一瞬で判断をして、歩き始める。僕は、車が向かってくる方角の陰になる部分、所謂、道渡り安全地帯に入り込み、万が一、車がスピードを緩めなかった場合でも被害を受けない位置を確保する。そして、OJTさながらに先生にくっついて道を渡るのであった。エジプトに旅行に行った時も、道渡りは同じような状況だった。日本人の中には、夜でも信号を守る人がいるので、その落差たるや相当なものである。

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↑Fowara Chowk。綺麗な六叉路になっている。

ラワルピンディに来たのには、特別な目的が合ったわけではなく、運動をしたいということやパキスタンをもっと見たいということ、いつもと違う景色に触れて気分を変えたいということくらいだったので、僕はその六本の道を全て歩いてみようと思った。六本の道全てを歩いてから同じ道を戻って来る事をイチイチしていてると、行きと帰りが同じ景色でつまらないので、方法を変えてみた。それぞれの道をA、B、C、D、E、Fと時計と反対周りの順番で名づけたとして、道Aをまず歩く。500メートルくらい歩いたところで、なんとなく人が少ないし寂しくなってきたなと思ったら、左に折れる道を入るのだ。そうすると、道が行き止まりでなければ必ず道Bに到着するはずである。Fowara Chowkを中心点(仮に点O)とした場合、中心点Oと点A(道Aの500メートル行った地点のことです)と点B(同左)からなる二等三角形ができる。その底辺を移動するのだ。こうすることで、同じ道をまた戻ってくる必要がなく、飽きる事がない。なんて素晴らしいアイデアなんだ!これは素晴らしいアイデアなので、この方式を「ケンタ式六叉路の歩き方」と名づけておくことにしよう。

そんな調子で、六本の道を全て歩こうと一生懸命歩いていたら、魅力的な小道があるのでそこに行ってみることにした。何故、魅力的に感じたのかわからないが、そこは大通りから一本横道に入る小道で、パキスタンの庶民の生活の匂いが感じられる場所だった。街角にはジュース・スタンドがあって、道端にはフルーツを売るおじさんの手押し車が並んでいる。両側には、レストランや雑貨屋さんや洋服屋さんが軒を連ねている。子供達はそこら辺を走り回っていて、僕を見ては「ニーハオ」と声を掛けてくる。「なんてここはパキスタンなんだ」と思ってカメラをバッグから取り出したら、子供達に取り囲まれてしまった。撮ってくれとしきりに言われるので、一枚写真を撮ったら、もっと撮ってくれと言ってきかない。そのしつこさが目に付いたのか、一人のおじさんが僕の手を引っ張って、いかにも現地の人しか行かないようなレストラン(というよりも食堂)に連れて行く。なんだこの人は、信用していいのかな、と思っていたら、「ドゥースト、ドゥースト」と言うではないか。ダリ語で「ドゥースト」は「友達」のことだ。ウルドゥー語でもきっとそうに違いない。だから、このおじさんは今始めてあった日本人の僕を友達と言って、困っている僕を助けてくれたのだ。なんて優しいんだ。

食堂に入ると、おじさんは「何か食べるか」と聞いてきた。お昼は食べてから出発したので、お茶だけ飲みたいと言うと(実際は「チャイ!」としか言ってません・・・)、すぐにチャイを用意してくれた。パキスタンは暑いだろうと行って、扇風機の前の特等席にも座らせてくれた。おじさん、ありがとう。

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↑せがまれたので撮った子供達の写真。これを撮った後、手を掴まれて「もっと撮ってよ!」と大勢に囲まれてしまった。

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↑右側のおじさんが、救ってくれたおじさん。ドゥーストです。

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↑食堂の中の様子。このおじさんは、英語をよく話す。日本に友人が住んでいるらしい。彼も日本に行こうと思ってビザを申請したが、リジェクトされたと嘆いていた。

優しくしてもらって名残惜しかったけど、1時間くらいしてから席を立つことにした。チャイ代を払うよと言っても、キミはゲストだからいいんだ、と言って受け取ろうとしない。仕方なく、お金を払わず、お礼だけ言ってお店を後にした。

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↑デコレーションされた乗り合いタクシーの上で、客寄せをするお兄さん。

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↑3人乗りをするバイク。一番後ろの女性は、バイクにまたがらないでちょこんと座っている。パキスタンではよく見かける光景だ。

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↑途中で見かけた綺麗なモスク。

道Aから道Fまでを、夕方6時くらいまでに歩き終えた。とてもいい運動になった。サダル・バザールとも違うし、イスラマバードとも全然違う。ラジャ・バザールには雑踏と喧騒と混沌があった。雑然と立ち並ぶお店、手押し車で野菜や果物を売る男達、家族の為に買出しに来ている女達、カラフルにデコレーションされたトラック、タクシー、リキシャ。そして、一見ルールがないようにchaoticに行動をする人々。しかし、彼らには僕にはわからない一つの秩序があるのだろう。僕は、それを時間をかけて理解したいと思う。まだ時間がかかるかもしれない。しかし、そうすることで、少しだけでも違う文化のことがよく理解できるかもしれないし、お互いの事が分かり合えるかもしれない。海外赴任というのは時間が限られているもので、あんまり与えられた時間は多くはないかもしれないけど、出来る限り、そう努めてみよう。

最後に、ラジャ・バザールでは、モスクと同じくらいヒンドゥー寺院を見かけた。それも、混沌とした雰囲気に拍車をかけていた。異文化の融合、他民族国家パキスタンを如実に表しているような気がした。

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↑ヒンドゥー寺院。

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↑別のヒンドゥー寺院。

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↑ラジャ・バザールでは、何故か沢山のヒンドゥー寺院をみかけた。
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# by aokikenta | 2008-06-07 00:58 | 隣接国探索②漂流パキスタン編
2008年 06月 04日
Bull raceとTent pegging
少し前の話になるが、知り合いの誘いでBull raceというイベントに行ってきた。
Bull raceは読んで字の如く、牛のレース、いわば競牛とでも呼べるスポーツだ
(スポーツと言い切っていいのかどうかわからないが、乗る人にとってはいいエキササイズになるはずだ)。

Bull raceでは、騎手が、牛2頭に引きづられる格好で、小さなソリのようなものに乗る。
助走の段階では2人くらいの男が手伝い、牛が勢いに乗り出すと助手は手を離して、
後は、牛2頭と騎手だけがものすごい勢いで数百メートルあるレーンを一気に駆け抜けるのだ。
発祥の起源については、よくわからない。

そういえば、以前、このブログでHorse raceを紹介した。
記事の中で、Horse raceは軍事技術と関係があるかもと書いたが、それを裏付ける面白い話を聞いた。

なんでも、Horse raceの方は別名「Tent pegging」とも呼ばれるらしい。
Tent pegとは「テントの杭」のことなので、テントの杭を刺す事というくらいの意味になるだろうか。
なんで、Horse raceがTent peggingと呼ばれるかというと、これにはわけがある。
Horse raceは、そもそも、夜襲で敵陣を襲う際の馬術を磨く訓練だった。
どういう戦術を昔の人達が用いていたかというと、夜、相手が眠りこけているところで襲撃をかけて、
その時、騎馬たちが、テントの杭を槍で全部抜いてしまえば、相手はわけがわからないまま、
自分達が寝ているテントの屋根が落ちてくることになる。なんだなんだ、と思っている間もなく、
後からやってきた、別の騎馬たちにテント布の上から槍で串刺しにされてしまうのである。
これは、すごい戦術だ。

そういうわけで、Tent peggingというんだとさ。
だから、あのHorse raceの標的に使われていた杭は、テントの杭を想定していたわけだ。
パキスタンの昔の戦争の様子が想像されて、面白いもんだ。

あと、蛇足だがBull raceに出てきた牛の肩には、見たこともないこぶがついていた。
一緒に観に行った人と、あれはナンなのだろうかと推測したが、結局、らくだのこぶみたいな
もので、脂肪と水分でできているのではないかという結論に至った。
南アジア特有の牛の種類なのだろうか。よくわからない。

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↑Bull raceの様子。土埃を上げて牛が走っていく。数千人はギャラリーがいたと思う。
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# by aokikenta | 2008-06-04 23:31 | 日記(イスラマバード)
2008年 06月 03日
在パキスタンのデンマーク大使館爆破テロ
今日6月2日に、在パキスタンのデンマーク大使館で爆破テロがありました。
報道では、6人が死亡、30人以上が負傷したと報じられています。デンマーク人の犠牲者はいなかったとのことです。

数年前に、デンマークの新聞紙上に掲載された預言者ムハンマドの風刺画が、今年の2月に同紙に再掲載された為に、その筆者を殺害しようと試みたモロッコ人とアルジェリア人が逮捕されるという事件がありました。この再掲載はイスラム世界でも大きく取上げられて、世界各地でデモが起こるなど大きな話題になりました。今回の事件は、これの延長線上にあります。

この関連話題を聞くと、いつもエスノセントリズム(Ethnocentrism)と文化相対主義(Cultural relativism)という言葉が思い出されます。文化相対主義というと、ある文化(例えばイスラム社会)の人権侵害などを防げないなどの反論が予想されますが、文化相対主義は、必ずしも、ある特定の文化を擁護するわけではなく、偏見を排除した上で分析をする態度と思うので、僕はこれからの時代に必要な態度だと思ってます。レヴィ=ストロースは『親族の基本構造』の中で、異なる文化における共通の構造を抽出して見せましたが、彼が唱え始めた構造主義が現代(ポスト・モダン)における思想の世界を席巻したことを考えると、また、エスノセントリズムが究極的にはホロコーストを生み出す危険性があることを考えると、これからのグローバル化時代には不可欠なパースペクティブだと個人的には思います。この辺りは、また別途、考えをまとめてから何か書けたらいいなと思います。

一緒に住んでいるデンマーク人のジャーナリストは、デンマークやノルウェーの新聞とTVから、ひっきりなしに取材要請が入っているみたいで、今日は一日中街を駆け回ってました。

あ、あとNWFP(North West Frontier Province)州政府とタリバン(スワットをベースにしている、俗にPakistani Talibanと呼ばれる集団)の間で、先日、ある種の平和合意が結ばれました。なので、今回の事件は、タリバンの仕業ではないはずです。もしタリバンの仕業であれば、結んでいきなりの平和合意の条件違反になるので、パキスタン政府が黙ってないはずです。BBCではアルカイダの仕業ではないかと、事実をつなげることでほのめかしてました。この平和合意の、アフガニスタンとパキスタンに対するインパクトも興味深いところです。
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# by aokikenta | 2008-06-03 03:34 | 日記(イスラマバード)
2008年 06月 03日
サマータイム
2008年6月1日~8月31日の3ヶ月間、パキスタンではサマータイムが導入されることになりました。
これまでGMT+5(日本はGMT+9なので時差4時間だった)のですが、この期間は、GMT+6(日本との時差3時間)になります。

色んな人と会話してても、何時に会おうと約束する時には「新しい時間で!」と強調する必要があるので、当分はある程度の混乱が予想されます。

デメリットもありますが、確かに、夜8時近くになっても明るいのは嬉しいですね
(夜8時というのは、5月31日以前の時間で言えば夜7時のことで、それくらいに日没があるのです)。
サマータイムのおかげで、朝起きた時間から晩御飯を食べ終わる時間まで、太陽が出っぱなしでちょっと贅沢な気分です。
全体的に見て、社会的にメリット・デメリットどちらが大きいのでしょうか。
日本にはない制度なので、よく見てみようと思います
(イギリスにあったかどうかは、もう忘れてしまいました・・・)。
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# by aokikenta | 2008-06-03 03:05 | 日記(イスラマバード)
2008年 06月 01日
マンゴーの季節
イスラマバードはもうかなり暑くて、冷房と扇風機がなくては生活できないぐらいの気温になっている。測ってないけど、多分、30度台後半、ひょっとしたら40度くらいあるのではないかという気がする。これから、まだ暑くなっていくので、先が思いやられる。

ところで、パキスタンが暑いのは好きではないが、そのおかげで沢山取れるフルーツは好きだ。ようやくマンゴーが市場に出始めた。早速、金曜日も土曜日もマンゴージュースを飲んでみた。うーん、うまい!値段も35ルピー、40ルピー(約60円~70円)と、ものすごく安いのがいい(以前、ある新宿のフルーツパーラーでマンゴーのデザートを頼んだら、1500円した・・・。高いぜ、マダム)。ザクロ・ジュース、ストロベリー・ジュース、ピーチ・ジュースに続いて、今年の夏は、マンゴー・ジュースを楽しませてもらおう。

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↑バザールにあるジュース・スタンド

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↑パキスタンのマンゴーは美味しくて有名だ。

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↑少しのお金で買える、確実な幸せ。
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# by aokikenta | 2008-06-01 15:34 | 日記(イスラマバード)
2008年 06月 01日
混沌ラワルピンディ その1
カブールに出張で行ったり、本部からの出張者のアテンドをしたりがあって、過去3週間サッカー部の練習に行ってなかった。仕事では、毎日、朝から夕方まで事務所の机にいるので、体がなまって仕方がなかった。面白いもので、体を動かさないと血流が悪くなるからかどうかは知らないが、精神の方も少し参ってしまう。なんとなくダルいというか鬱っぽい状態になるというか、新しい事をしようという気力が沸かないというか、そういう状態になるのである。僕は思うのだが、きっと、太宰治とか梶井基次郎みたいな鬱傾向のある作家たちも、健康な体で運動を定期的にしていたら、大分違った人生を送っていたのではないだろうか。お酒を飲んだり、音楽を聴いたりしても、イマイチ気が晴れないので、今週末は体を動かそうと思っていた。そういうわけで、金曜日はラワルピンディへ行ってきた。

ラワルピンディは、イスラマバードから車で40分くらいの場所にある大きな街だ。約50年前にカラチから首都がイスラマバードに変わる際に、一時的にパキスタンの首都だったこともある。陸軍の基地があるので、自爆テロがよく起こる場所でもあるが、最近はあまり大きな事件がない。まずは、タクシーでサダル・バザールのバンク・ロードに行ってみた。ラワルピンディには、サダル・バザールとラジャ・バザールの二つの大きなバザールがあって、サダル・バザールの方はどちらかと言うと大きな銀行やお店があって商業的という風情である。特に目的はなく、体を動かすのが目的だったので、適当に歩いて回ることにした。

歩いていると、人々の通勤に使われている小さいデコトラが山のように並んでいる場所に着いた。パキスタンのデコトラ(デコレーティド・トラックか、デコレーション・トラックの略だと思う)は、ある種、パキスタンの観光名所の一つになっている。何故、トラックをデコレーションするのか、そして、それが一つの国の特徴になっているのかはよくわからないが、街を歩けばとにかくよく目にする。まぁ、日本でもトラックを装飾する人が多いから、自分のトラックをかっこよくしたいというのはドライバーにとっては世界共通の気質なのかもしれない。

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↑デコトラの前でポーズを撮る少年

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↑ここには50台~100台くらいのミニ・デコトラが並んでいた。

バンク・ロードをケンタッキー・フライドチキン方面へ歩き、右へ曲がって、PCホテルや中華料理屋のある大通りへ出た。今度は元に戻るようにして歩いて、途中、道端でお土産を買ったりマンゴー・ジュースを飲んだり、うだうだしながら街をひやかして歩いた。サダル・バザールは大体見終えたので、今度は人に道を聞きながら、ラジャ・バザールへ行く事にした。ガイドブックも何も持たないで来たのでよくわからなかったが、人に聞けば教えてくれるだろう。僕は、まだウルドゥー語ではアラビア語が起源のイスラム教共通の言葉とか、ありがとうとか、元気ですか、とかそれくらいしかわからない。しかし、パキスタンの人はかなりの確率で英語を話す事ができるので、英語だけ出来ればそれほど問題はない。それに、数字とか他のいくつかの言葉とかはダリ語と共通なので、たまに通じたりすることもある。そういう時は、やけに「つながってるんだなぁ」と思う。国際的という事は西欧的だという事でないのだとすれば、パキスタン人やアフガニスタン人は、日本人よりも国際的だと思う。それは、ユーラシア大陸の中央で、色んな違う言葉を話す民族が行き来していたから、人々が色んな言葉を話す人と出会う事に慣れているからだ。とにかく、イ・タラフ(こっち)とかスィーダ(まっすぐ)とか、そんな言葉と英語を織り交ぜながらラジャ・バザールに向かった。

ラジャ・バザールには混沌がある。バザールの小道は、洋服とか偽者のブランド商品を売っている中国の小道を思わせる狭さだし、お店の商品は横の壁一面に吊られているし、看板がやたらとあるし、なにより、電線がそのことを象徴している。前にも写真で紹介したが、パキスタンの電気の配線はとにかくぐちゃぐちゃである。もう何でこんなことになるの、と頭を抱えてしまうくらいめちゃくちゃなのである。聞いた所では、電気を盗む人がいる為に、後からどんどんと本来あるべきではない姿で電線が増長してしまうということらしい。電気配線もすごいが、コンクリートやアスファルトの仕上げの適当さもすごい。道路なんかを見ていると、あんまり下地を作らないで、そのままアスファルトを敷いているような感じがする。専門的なことはわからないが、アスファルトの下の準備段階がしっかりしていないから、すぐに年月が経たないうちにでこぼこができてしまうような気がする。それに、道路の端っこと家の端っこがつながる部分、いわばそれらの境目に当たる部分がかなり曖昧である。「ここからここまでがコンクリートで、ここからがアスファルトだよ」という明確な意志が感じられない。家側のコンクリートはなだらかに、且つ、自然にアスファルトと溶け合って、そして、いつか消えてしまうのだ。日本人が日本刀を作ってしまう、その完璧さ(perfection)を考えると、思考や社会社会システムが180度違うと考えた方が無難かもしれない。

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↑デーツを売るお兄さんとバザールの様子。

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↑ラジャ・バザールの小道。車用品のお店が多かった。

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↑もはや手の施しようがないスプリットしまくった電線。

ラジャ・バザールを大体見て、サダル・バザールの方に歩いて戻ろうとしていると、線路の上にかかる鉄橋があったので上ってみることにした。アフガニスタンには電車がなかった。パキスタンで乗ったことはないので、品質がどれくらいなのかや、日本人が乗って安全なのかはわからないが、一度試してみたい。イランで夜行列車に揺られて旅をしたが、僕は案外電車で旅をするのが嫌いではない。飛行機だと数時間で行ってしまう道のりも、電車で行けば時間が倍以上掛かるが、逆に飛行機では見えない発見もある。人生にはそういうものが必要だ。

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↑ラワルピンディの鉄橋から線路を見下ろしていると、無性に旅に出たくなった。

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↑鉄橋の階段で座り込む物乞い。

お昼ごはんを食べてから出発したが、夕方までにはイスラマバードの家に帰る事ができた。半日、街を歩いて疲れたが、写真を撮りながらいつもと違う景色を見ていると、新しい物をもっと色々見てみたいという好奇心がまた沸いてきた。アフガニスタンでは治安が悪かったので、一人でぶらぶら歩いて外出をすることが出来なかった。しかし、パキスタンではそれができる。これは、自分がアフガニスタンで置かれていた環境を考えるとすごいことじゃないか。そして、イスラマバードからちょっと郊外へ足を伸ばせば、まだ見たことのない景色が沢山あるではないか。体を数週間動かさなかった事で、思考も停止してしまっていたのかもしれない。いつもアクティブに、ポジティブ思考で、という心がけ。いつも持っていられたらどれだけいいかわからないけど、人間だからたまには忘れてしまうこともある。だから、気がついた時に、これからはそうしよう、そうしようと自分に念じていれば、いつかそれが染み付いて普通過ぎるくらい普通のことになるかもしれない。疲れたり、煮詰まったり、停滞し出したら、またラワルピンディに散歩に来よう。そうしよう。

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↑モスクの尖塔。
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# by aokikenta | 2008-06-01 09:49 | 隣接国探索②漂流パキスタン編
2008年 05月 30日
アフガニスタンにおける地雷処理活動(写真編)
前回に続いて、団体HPの方に更新をしました。
今回は、アフガニスタンの地雷処理がよくわかるように、3回に分けてビジュアル中心でお届けしています。

第25報 地雷処理の現場から(08)アフガニスタンにおける地雷処理活動 その1
第26報 地雷処理の現場から(09)アフガニスタンにおける地雷処理活動 その2
第27報 地雷処理の現場から(10)アフガニスタンにおける地雷処理活動 その3

「アフガン報告」をクリックしてから、「第25報」「第26報」「第27報」をそれぞれクリックすると見られます。
ご興味があれば、是非ご覧下さい。
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# by aokikenta | 2008-05-30 13:03 | 日記(イスラマバード)