2008年 12月 19日
hong kong monochrome
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→香港的夜景(2008年12月18日撮影)
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# by aokikenta | 2008-12-19 01:34 | 日記(東京2)
2008年 12月 06日
戦士たちの貌:アフガニスタン断章
余り知られていないが、1988年にアフガニスタンのナンガルハル近くで、地雷を踏んで亡くなった南条直子(享年33歳)という写真家がいる。彼女は、日本では山谷の取材などをしていたが、インドに放浪旅行に行ってからパキスタン、アフガニスタンにのめりこんで行き、ムジャヒディンに同行してアフガニスタンの取材をして、本と写真集を出版した。

彼女はいつも怒っている。

私は真剣だった。そして、貧乏旅行者たちはみんな真剣だった。誰もが多かれ少なかれ、日本に帰ることを恐れていた。旅行中の感興など、日本に帰れば意味のないことを、心の底ではよく知っていた。日本でどう生きていけばいいのか分からない連中が多かった。そもそも自分がどう生きていけばいいのか知っている人が、この日本にどれくらいいるのだろう。
(P.10、南条直子『戦士たちの貌:アフガニスタン断章』径書房、1988年)

旅先で、どうしてアフガニスタンに行きたいのか、と質問されてこう答える。

「だいたい、どうしてアフガニスタンに行きたいの。あなたに何の必然性があるの。」そう言われて、私は黙り込んだ。一人の人間の必然性が、そんなに簡単に説明つくのか。そんなに簡単に尋ねられることか。
(P.22、同上)

どうして写真を撮るのか、自問自答してみる。

私が山谷に住んだのは、ただ人々の姿が絵になるからだった。チベットのラマ僧のように彼らには深く刻まれたしわは絵になる。どんなに群衆になっていても一人一人が、一人ずつの人間に見える。カメラを持ったらカッコイイ人間の写真を撮りたいじゃないか。
(P.282、同上)

多くの人が当たり前だと感じていることに対して、何かおかしいのではないかと思うこと。とても共感するし社会が柔軟性を保つ為にはそうした多様性は非常に重要なことだと思うのだが、社会のマジョリティーはそれに気がつかない。気がつかないどころか、あの人の言っていることは変じゃないかと後ろ指を差し始める。そして、マイノリティー側にいる人はマジョリティー側にいる人との間に距離を感じ、心を閉ざしていく。それに伴って、社会も閉塞化して、均一化してつまらなくなっていく。

彼女の本をもっと読んでみたいと思った。

出版されている南条直子の活字本は、この世に一冊しかない。
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# by aokikenta | 2008-12-06 00:12 | 日記(東京2)
2008年 12月 04日
白夜行/幻夜
帰国してから、東野圭吾の「白夜行」と「幻夜」を読んだ。かなり分厚い本なので、けっこう前に買って読もう読もうと思っていたのだが、なかなか読み始めるきっかけがなく放置していた。一応、シリーズとして扱われるようだが、読み方によっては連続性があるようにも取れるし、反対に、全く別の小説としても読める面白い作品だ。

読んだことのない人もいると思うので内容は書けないが、「白夜行」の方は最初の話からクライマックスまで19年かかる壮大なストーリーで、読み終えた後にある種の達成感と切なさが残る。一方、「幻夜」の方は、登場人物の内面を描写しないハードボイルドなスタイルで書かれている「白夜行」の視点と少し違い、登場人物の性格が伺い知れる書き方や、登場人物同士の会話を中心とした人間同士のつながりが描かれていて、前作よりも人間に焦点が置かれている。

「幻夜」を読んだ後、多くの人は女性不信になると思う。また、世の中は正直に生きても報われないんだなと思ってしまう人もいるかもしれない。しかし、エンターテイメントとしてはとても面白い。

東野圭吾は書くのが早い。過去の作品数を見てみると、まだ若いのに相当数書いている。文豪と言われる夏目漱石や森鴎外などが一生のうちに残した作品は、東野圭吾などの流行りの小説家と比べて圧倒的に少ない。

そういう意味では、東野圭吾は音楽に例えれば、ヒット作をどんどん量産するポップ音楽プロデューサーのような存在かもしれない。反対に、今でも読まれる夏目漱石は、自分の内面を深く掘り下げた歌を歌うシンガーソングライターや真実を追求するアーティストに例えられるかもしれない。片方のファンからは、もう片方の作品は受け入れられなく、また逆のパターンもvice versaだ。そこの間には大きな溝が横たわっている。

重要なのは、50年後、100年後になっても、まだ多くの人に読まれているかどうかである。夏目漱石の小説は100年以上経った今でも幅広く読まれるし、ビートルズやレッド・ツェッペリンの歌も、50年近く経った今でも若者を熱狂させる。

今、本屋に平積みされている本の多くは、100年後にどれくらい広く読まれているだろうか。そんなことを考えながら本屋に並ぶ本を見てみるのもおもしろい。
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# by aokikenta | 2008-12-04 01:13 | 日記(東京2)
2008年 11月 30日
希望の国のエクソダス
東京に帰ってきてから、なんとなくブログの更新が滞ってしまった。アフガニスタン/パキスタン駐在日記というタイトルなので、日本での出来事を書いていくとヘンテコなことになってしまうので、それが間接的に更新の怠慢に影響していたような気もする。

何事も枠にはまりたくないのだが、自分で作った枠に自分で嵌ってしまった気分だ。言葉が物事の認識に果たす役割は非常に大きい。例えば、子供が「くるま」という言葉を覚えた時には、「くるま/非くるま」という二項対立によって世界の分節を覚えているとも言える。そういう意味では、意識的にせよ無意識的にせよ、言葉にして言ったことや決めたことには、それを言った本人をも拘束したり思考の枠を作ってしまうことにもなりかねないわけだ。

そう考えたら、祈祷とか呪いとか、非科学的だと思われるようなことも、我々の住む世界でも十分に存在し得ると思う。むしろ、そういう非科学的な部分の方がわかりやすいことが占める部分よりも大きいのではないだろうか。現代世界ではイスラム教がその役割を果たしているのかもしれない。話がそれた。これからは、表現の舞台ももう少し工夫しないとなぁと思ったりしてみた。

ところで、日本に帰ってきて3か月以上経ち、気がつけば11月も終わり明日から12月だ。カブールでは毎年11月の終わりから、12月の頭くらいに雪が降っていたので、そろそろ初雪が降る頃だろうか。東京も結構寒くなってきた。

帰ってきてから読んだ本に、わかるなぁそれ、という文章があった。

関口さん、ペルーは貧しいしリマのスラムは不潔だし軍隊は威張っているし教育水準は低いし住むのは本当に大変だけど、何て言うか、あの空気なんですよ。空気。乾いていて、朝とか寒さがピンと張りつめていて、青臭いことを言うようだけど自分のからだと世界の境界線がはっきりするような気がするんです。自分がここにいて、からだの輪郭を包むようにして世界がその周囲にあるって当たり前のことですけどね、はっきりとしているんです。日本にいるととても過ごしやすいです。何となく暖かいし、自分と世界の境界が何となくぼんやりとしていて、楽です。十二歳のゲリラにライフルで撃たれることもない。でもときどき自分が本当にここにいるのかどうかってことが曖昧になってしまうことがあるんです。自分のからだと、外側の世界の境界がはっきりしない。自分の体が溶けてしまって自分のからだを確認できないような感じがするときがあるんです。外側というか、自分のからだ以外のものと自分がどこかで接しているという実感がないと、自分のことを確認できないんじゃないですかね。
(P.354-355、村上龍『希望の国のエクソダス』文芸春秋、2002年)

うんうん、なんとなくわかるって感じがしないだろうか?日本にいて感じていたことを上手く言ってくれているような気がした。こういうのは現場から日本に帰ってきた人が、よく感じる感覚なのだろうか?

ちなみに、他にも面白い言葉があった。

この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。
(P.314、ポンちゃんの言葉)

「あの国には何もない、もはや死んだ国だ」
「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある」

(P.12、ナマムギの言葉)

ナマムギというのは、本の冒頭に登場する、アフガニスタンとパキスタン国境付近の部族地域でパシュトゥン人の村人と一緒に地雷処理をしている16歳の少年だ。彼がテレビでこのような発言をし、CNN記者からの質問にも答えず「ナマムギ、ナマゴメ、ナマタマゴ」と言うや、日本の中学生たちがその姿に憧れて、彼を「ナマムギ」と呼んで英雄視するようになる。そして、日本の中学生たちが閉塞した日本でエクソダスをはじめる。

ナマムギというのはいったい誰だったのだろう?
モデルがいるようでもあり、架空の人物のようでもあり、そして、僕でもあり貴方でもあるような気がする。
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# by aokikenta | 2008-11-30 03:25 | 日記(東京2)
2008年 11月 27日
tokyo monochrome
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→銀座4丁目交差点(2008年11月16日撮影)
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# by aokikenta | 2008-11-27 19:00 | 日記(東京2)
2008年 09月 29日
新しいノートパソコン
日本に帰ってきてから、ずっと新しいPCを買おうと思っていて、先日ようやく手に入れた。買ったのは、lenovoのthinkpad x61sというB5サイズのノートパソコン。アフガニスタン/パキスタンにいた時は、団体からあてがわれていたA4サイズのthinkpadを使っていた。オフィスで仕事をするには画面が大きくてよかったのだが、移動の時には重くて持ち運びするのが億劫だった。日本に帰ってきてからも、4年前にイギリスに留学していた時に使っていたPCが実家にあるにはあったのだが、メモリが小さすぎて余りにも遅いので、B5ノートを買うことにした。

B5ノートと言っても、世の中にはたくさんの種類のPCが出回っていて、決めるのに時間が結構かかってしまった。調べた限り、最近人気があるのは、Panasonicのlet' noteシリーズ、Toshibaのdynabook、SonyのVaio、lenovoのthink pad x61などらしい。各PCでそれぞれの特徴があるけど、突き詰めれば付属のソフトウェアなどを気にしなければ、結局は各人の好みになる。Panasonicは充電時間が圧倒的に長く衝撃に強いし、Sonyはお洒落でブランド感があるし、lenovoは頑丈で壊れにくいし、ToshibaのPCは日本で一番売れているだけあってバランスがいい。僕の場合は、フィールドでIBMのPCを3年間使っていて慣れていたというのが一番大きい。キーパッドは手に馴染んでいて、ガンガン打つと気持ちいいのが好きだし、砂塵が舞い飛ぶカブールでも壊れなかった丈夫さが決め手になった(一度、ウイルスに侵されて日本語で打てない時期があったが、それは僕の管理責任というものだ)。

ということで、僕の場合はたまたまこの機種になったというだけで、ある程度のスペックを備えているのであれば、人それぞれ好みのPCを買ったらいいと思う。Windows XPが入っている少し古いPCを買うのとか、最近流行りの5万円前後のモバイルPCを買うのも、時と場合によってはありかもしれない。日本ではモバイルブロードバンドが普及している。カフェラテでも飲みながら、カフェの片隅から世界とつながるのは悪くないアイデアだ。
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# by aokikenta | 2008-09-29 22:49 | 日記(東京2)
2008年 09月 21日
写真集
少し前の話ですが、朝リポーターをやっていた朝時間.jpから出版された本と写真集に、写真が掲載されたので紹介します。

『みんなの朝ごはん』、大和書房
『世界の朝時間』、河出書房新社

朝リポーターも引退ですね。
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# by aokikenta | 2008-09-21 23:05 | 日記(東京2)
2008年 09月 21日
隣接国探索シリーズ
以前、隣接国探索シリーズと題して、アフガニスタンに隣接する6ヶ国を回るプランを考えていたが、パキスタンに引っ越してから頓挫してしまった。当初の計画では、イランから時計回りにトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国、そして最後にパキスタンを回る予定だったが、結局、アフガニスタンからパキスタンに引っ越してきたので、旅行記が書けなくなってしまった。このままでは、この計画が達成されないままになってしまうので、「日記(イスラマバード)」にカテゴライズされていた小旅行、散策記録を別出しにして、「隣接国探索②漂流パキスタン編」にすることにしてみた。

2008年7月12日 「読書、ブルー・エリア探索、高層ビル」
2008年6月25日 「炸裂ラホール(前編)」
2008年6月25日 「炸裂ラホール(後編)」
2008年6月14日 「灯台下暗し、イスラマバード巡り」
2008年6月07日 「混沌ラワルピンディ その2」
2008年6月01日 「混沌ラワルピンディ その1」

上の6編がそれに当たる。
厳密に言えば、イスラマバードにいながら週末に行っていたので隣接国探索ではないのだが、旅行記風なのでよいだろう。

過去の日記の書き換え作業。つまり、脳に集積された記憶というデータの整理作業が行われているということだろうか。人間は睡眠中にデータの整理をすると聞いたことがある。だとしたら・・・1)今の生活=過去のデータの整理作業をしている、2)夢=過去のデータの整理作業をしている、したがって、3)今の生活=夢

・・・今の生活は夢?

おかしい、これはおかしいぞ。どこに論理の破綻があるのだろう。わからない。でも「夢みたいな生活」っていいね。全然、意味合いが違うけど。
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# by aokikenta | 2008-09-21 19:13 | 日記(東京2)
2008年 09月 20日
帰国
日本に帰国しました。
一時的なものではありません。
電源から遠いところに行っても、電池が
切れないくらいまで、しばらく充電したいと思います。
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# by aokikenta | 2008-09-20 12:18 | 日記(イスラマバード)
2008年 08月 20日
思考のclosed endをぶち壊せ(写真)
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# by aokikenta | 2008-08-20 22:28 | 日記(イスラマバード)