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2008年 11月 30日
希望の国のエクソダス
東京に帰ってきてから、なんとなくブログの更新が滞ってしまった。アフガニスタン/パキスタン駐在日記というタイトルなので、日本での出来事を書いていくとヘンテコなことになってしまうので、それが間接的に更新の怠慢に影響していたような気もする。

何事も枠にはまりたくないのだが、自分で作った枠に自分で嵌ってしまった気分だ。言葉が物事の認識に果たす役割は非常に大きい。例えば、子供が「くるま」という言葉を覚えた時には、「くるま/非くるま」という二項対立によって世界の分節を覚えているとも言える。そういう意味では、意識的にせよ無意識的にせよ、言葉にして言ったことや決めたことには、それを言った本人をも拘束したり思考の枠を作ってしまうことにもなりかねないわけだ。

そう考えたら、祈祷とか呪いとか、非科学的だと思われるようなことも、我々の住む世界でも十分に存在し得ると思う。むしろ、そういう非科学的な部分の方がわかりやすいことが占める部分よりも大きいのではないだろうか。現代世界ではイスラム教がその役割を果たしているのかもしれない。話がそれた。これからは、表現の舞台ももう少し工夫しないとなぁと思ったりしてみた。

ところで、日本に帰ってきて3か月以上経ち、気がつけば11月も終わり明日から12月だ。カブールでは毎年11月の終わりから、12月の頭くらいに雪が降っていたので、そろそろ初雪が降る頃だろうか。東京も結構寒くなってきた。

帰ってきてから読んだ本に、わかるなぁそれ、という文章があった。

関口さん、ペルーは貧しいしリマのスラムは不潔だし軍隊は威張っているし教育水準は低いし住むのは本当に大変だけど、何て言うか、あの空気なんですよ。空気。乾いていて、朝とか寒さがピンと張りつめていて、青臭いことを言うようだけど自分のからだと世界の境界線がはっきりするような気がするんです。自分がここにいて、からだの輪郭を包むようにして世界がその周囲にあるって当たり前のことですけどね、はっきりとしているんです。日本にいるととても過ごしやすいです。何となく暖かいし、自分と世界の境界が何となくぼんやりとしていて、楽です。十二歳のゲリラにライフルで撃たれることもない。でもときどき自分が本当にここにいるのかどうかってことが曖昧になってしまうことがあるんです。自分のからだと、外側の世界の境界がはっきりしない。自分の体が溶けてしまって自分のからだを確認できないような感じがするときがあるんです。外側というか、自分のからだ以外のものと自分がどこかで接しているという実感がないと、自分のことを確認できないんじゃないですかね。
(P.354-355、村上龍『希望の国のエクソダス』文芸春秋、2002年)

うんうん、なんとなくわかるって感じがしないだろうか?日本にいて感じていたことを上手く言ってくれているような気がした。こういうのは現場から日本に帰ってきた人が、よく感じる感覚なのだろうか?

ちなみに、他にも面白い言葉があった。

この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。
(P.314、ポンちゃんの言葉)

「あの国には何もない、もはや死んだ国だ」
「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある」

(P.12、ナマムギの言葉)

ナマムギというのは、本の冒頭に登場する、アフガニスタンとパキスタン国境付近の部族地域でパシュトゥン人の村人と一緒に地雷処理をしている16歳の少年だ。彼がテレビでこのような発言をし、CNN記者からの質問にも答えず「ナマムギ、ナマゴメ、ナマタマゴ」と言うや、日本の中学生たちがその姿に憧れて、彼を「ナマムギ」と呼んで英雄視するようになる。そして、日本の中学生たちが閉塞した日本でエクソダスをはじめる。

ナマムギというのはいったい誰だったのだろう?
モデルがいるようでもあり、架空の人物のようでもあり、そして、僕でもあり貴方でもあるような気がする。
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by aokikenta | 2008-11-30 03:25 | 日記(東京2)
2008年 11月 27日
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→銀座4丁目交差点(2008年11月16日撮影)
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by aokikenta | 2008-11-27 19:00 | 日記(東京2)