<   2008年 04月 ( 12 )   > この月の画像一覧

2008年 04月 30日
観念的宇宙
アフガニスタンにいた時、バグラムからカブールに向かう新道沿いに
コンクリート作りだったか土作りだったか忘れたけど小さな建物があって、
その壁いっぱいに戦車の絵が描いてあったのを見て、言葉に表せない
気持ちになったことがある。

壁に自由に何かを書いて下さいと言われて、花でも人でも動物でもなくて、
そこに戦車を書くというメンタリティー。それが育まれたのは、単純に言って、
アフガニスタンが戦争の歴史を歩んできたからに他ならない。
戦争があるのが当たり前の世界。

外には戦争が存在しない世界があるかもしれないという想像力や、
平和という概念、或いは、今置かれている状況はおかしいのではないだろうか
という現状への疑問など、周りにいる人から見てみたら、何でそんな簡単なものが
ないのだろうかと思ってしまうかもしれない。

しかし、そこにいる当事者達にとっては、目の前にある世界が全てであり、
そこに疑う余地などはこれっぽっちもないのだ。それが、たとえどれだけ残酷で
悲惨な世界であったとしても、それが受け入れざるを得ない現実なのだ。
あの戦車の絵を描いた人の観念的宇宙は、外界への想像力、平和という概念、
現状への疑問がないまま完結してしまっていたのだろう。
そういう国で育ったら、圧倒的な破壊力と殺傷力を持った戦車を、
キャンバスいっぱいに描いてしまうのかもしれない。

☆ ☆ ☆

オーストリアで73歳の男が、42歳の娘を地下室に24年間監禁した上に、
7人の子供を産ませたとして逮捕された。子供の内の3人は、警察に連れ出してもらって、
産まれて初めて太陽を目にしたのだという。chill up one's spine(背筋が凍る)という
イディオムが英語にあるが、この事件はまさに僕の背筋を凍らせた。

42歳の娘が持つに至った絶望感。
非人間的生活。
いや、それ以上に産まれてから地下室から
一歩も出た事がなく日光すら浴びた事のない子供達。
彼らの認識が及ぶ世界はどれくらい限定されていただろう。
観念的宇宙はどんな広がり(狭まり)をしていたのだろう。

ウェブサイトに出ていた地下室の間取り図や、頑丈な電動ロック式のドアや、
無機質なトイレなどを見て、やるせない気持ちになった。

☆ ☆ ☆

ナンガルハル州で自爆テロがあり、少なくとも15人が死亡した。
イスラム過激派、原理主義者と言われる人たち、そして、彼らからマドラサで
教育を受けた自爆テロ候補者達の目にはどんな光景が映っているのだろうか。

イスラム教の世界は、現世(dunya)と来世(akhirah)に分かれる。
モスリムには見えない天使が常に2人ついていて、彼らが善行や悪行を逐次チェックしていて、
それによって来世に天国に行けるか地獄に行けるのかが決まるのだという。

即ち、モスリムの時間に対する考え方というのは、座標軸を描いたとしたら
左から右へ永遠という一点に向かった直線運動を描き続けるのだ。
これが意味するのは、モスリムにとっては現世も重要だが、
現世よりも圧倒的に時間が長い来世で如何にいい場所に住めるかが
最重要課題だということだ。
だから、現世で良い行いをして天国に行けるかどうかが重要であり、
「外国人を殺せば必ず天国に行ける」と言われればそれはこの上なく
魅力的な話しに聞こえるのだ。

☆ ☆ ☆

映画『ブラッド・ダイアモンド』に出てきたシエラレオネの少年兵。
頭が白紙でまだ柔らかい子供をさらって洗脳し、殺戮のマシーンに仕立て上げる。
カラシニコフで敵を殺せば、これまで親も先生も褒めてくれなかったのに、
ここでは、大人達が、仲間が褒めてくれる。

僕は人を殺せばいいんだ。
そうすればみんなから認められる。
僕には存在している価値がある!

そうだ、とにかく敵をやっつけろ。
どれだけ殺したかが男の勲章。
ここでは殺した奴の数が多いほど英雄になれるんだ。

☆ ☆ ☆

アフガニスタンで見た建物の壁に描かれていた戦車。
オーストリアの産まれてから太陽を一度も見た事がなかった子供。
パキスタン育ちの自爆テロ犯。
そして、シエラレオネの少年兵。
僕には、これらはそれぞれ全く別の事柄だけど、
基本的には全く同じ事を言っているように思われた。

オーストリアの監禁のニュースを聞いたら、
頭の中にある過去の映像がプレーバックされ、
いくつかのこうした連想や思念が沸き起こり、
ひどくやるせなくなって、そして、どうしようもなく
救いようのない気持ちになった。
[PR]

by aokikenta | 2008-04-30 05:00 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 25日
パキスタンの朝ごはん
土日はクックが料理を作ってくれないので自炊をすることになるのだが、
あまり自分で作ってばかりでも面白くないので、現地のレストランに入る事がよくある。
お昼と夜はもちろんだが、たまに朝ごはんに現地の人が行くようなレストランへ行ってみると、
パキスタンの人々の生活や暮らし、文化の違いなどが感じられる。
普段なかなか見られない、庶民の暮らしが垣間見られてなかなか興味深い。

e0016654_3295774.jpg

↑パキスタンの朝、とある食堂にて。





e0016654_3302950.jpg

↑パラサ(小麦粉を練ったものを油で焼いた料理)をお店の前で焼く青年。





e0016654_3305576.jpg

↑パラサ。パキスタンの朝食の定番だ。





e0016654_331197.jpg

↑青年の手。ガスを器用に調節する彼の手を見ていたら、何故か井筒俊彦の『イスラーム生誕』に出てきた、アラブのベドウィン達が持っている鋭敏な感覚と知覚というくだりが思い出された。





e0016654_333192.jpg

↑ダール・チャンナ。前に紹介したダールだが、豆が小さなダール・マーシュと、大きな粒のダール・チャンナがある。





e0016654_3334326.jpg

↑プリーというサクサクとした料理。パラサと並ぶパキスタンの定番朝食。





e0016654_3341169.jpg

↑ソーサーでチャイを飲むおじさん。そういえば、イランのチャイハナでもチャイをソーサーに入れてから飲んでいる人が沢山いた。日本でそうする人はいないけど、この辺ではポピュラーなのだろうか。
[PR]

by aokikenta | 2008-04-25 03:46 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 21日
アイデンティティー・クライシス
カブールにいた時とは違って、イスラマバードにいると治安のことはそれほど気にせず比較的気軽に外食に出かけられるので、毎週末、大抵必ずどこかのレストランへ出かけている。食べられる料理の種類も豊富で、日本食、中華、韓国、中央アジア、レバノン、イタリア、タイ、などなど、結構世界中の料理が食べられる。先週の金曜日も、例に漏れず、仲の良い男友達2人とハウス・メートのデンマーク人の女性1人と4人でパキスタン料理を食べに行って、その後、F-7にあるジェラート屋さんへジェラートを食べに行ってきた。

そのジェラート屋さんは全体的にモダンな作りになっているし、外にはオープンテラスがあってイスラマバードの中では開放的な雰囲気がある方だ。チョコやバニラの他にもマンゴー味やブルーベリー味など、大体2、30種類のジェラートが置いてあり、来ているお客さんはパキスタンの若者が多い。普段、あまりパキスタンの若者と触れ合う機会がないのだが、ジェラート屋さんに来ていた若者はみんなジーパンにスニーカー、カラフルなシャツを身に着けていて、髪形も綺麗にワックスか何かで整えられていて皆爽やかだ。イギリスに留学していた時にパキスタン人移民の若者によく出会ったが、彼らとどことなく雰囲気が似ているような気がしたので、ひょっとしたら、ここのお客さんにも裕福な家庭の子が多くてイギリス留学帰りとかアメリカ留学帰りで、今はイスラマバードに住んでいるというような上流階級の人が多かったりするのかもしれない。

ジェラート屋さんでどれにしようか考えていると、一人のパキスタンの若い男の子が話しかけてきた。ラガーマンみたいなごっつい体で、ショートパンツに黒いTシャツ、ブリティッシュ・アクセントの英語を流暢に喋る。20歳前後だろうか。知り合いでもないし話しに接点があるわけでもないので、適当に相手をしてから、オープンテラスの席に4人で着いた。しかし、その男の子は僕らの席にやってきて、ずっと僕と一緒に来たデンマーク人の女の子に話しかけて来た。あまりつれない態度を取るのも悪いので、彼を交えて雑談をすることにした。

話しながら、ずっと彼の様子を観察していたのだが、会話の内容にはほぼ一貫性がなくて、新しいお客さんがお店に入ってくると目をきょろきょろさせて女の子を追いかけてしまって、全然この場に集中していないように見えた。一体彼の目的はなんなのだろう、彼はどういう人なんだろうと思って話しを聞いていたが、彼はイギリスのリーズで育って、最近、パキスタンに戻ってきたということだった。イギリスのリーズと言えば僕が留学中に住んでいたブラッドフォードから電車で20分の場所にある大きな街だ。そこも、非常にパキスタン人移民が多い街だった。どおりでアクセントがヨークシャー訛りなわけだなぁと思って、興味深く話しを聞いていた。

会話の途中、女の子からその男の子にこんな質問があった。

"Which country do you think you belong to?"
(あなたはパキスタンとイギリス、どちらに所属していると自分で思う?)

男の子はそれまでマシンガンのように喋っていたが、彼は急に答えに詰まってしまった。"Well..."と言ったきり、頭をうなだれて、はっきりとしたことを言わない。考えた末に、彼は「どちらにも所属しているという意識はない」と言った。どこにも所属していないという感覚。僕は、彼の言った事には今日的な問題を多分に含んでいるし、日本人にも示唆的な話しなのではないかと思った。

日本の帰国子女にもあることなのかもしれないが、アイデンティティーを形成すべき時期に海外で過ごしたりすると、自分の両親の国と住んでいる国のどちらに所属しているのか、よくわからなくなってしまうことがあるのだろう。それは非常に不安定な状態だと思う。きっと、そういう状態というのは、感じやすくて、脆くて、危うい。圧倒的なものとか、カリスマ的なもの、父性を感じさせるものが傍にあれば、深く考えずに容易にそちらの方向に傾倒していってしまうような、そういった危うさがあるのではないかと思う。僕の頭の中では"Reluctant Fundamentalist"のストーリーが自然に反芻していた。感じやすくて不安定な状態の人には、原理主義的な強い物というのは、自然に入っていきやすいのではないか。特に、父性を欠いて育ってしまった、あるいはマザーコンプレックスのある子供にとっては、父親的・母親的なものに対する憧れがあるのではないだろうか。日本で起こったオウム真理教のサリン事件も、根底にあるのはそういうことなのではないかと思う。僕がこの話しを聞いてパキスタンにとっても今日的で、日本にとっても示唆的だなと思ったのはそういうことだった。

その若いパキスタン人の男の子は、イギリスではクラブ遊びを毎週していたようだった。しかし、イスラマバードでは女の子と手をつないで歩くことすらできない。連れ合いの女の子に寄ってきたのも、お店に入ってきた女の子を目で追っていたのも、そういうフラストレーションが内面にあるからだったのかもしれない。はじめに彼に対して感じていた鬱陶しいなという気持ちは、彼が席を立って行ってしまう時には、ほとんどなくなっていることに気がついた。彼のこの先の人生はどうなっていくのだろう。彼は周りが一切見えなくなるような猛烈な恋愛を経験するだろうか。友達に誘われてイスラム原理主義にのめりこむだろうか。あるいは、資本主義というイデオロギーを信奉して拝金主義者になってしまうだろうか。そのどの結末を迎えるかもしれないし、どの結末も迎えないかもしれない。僕にはそれはわからない。しかし、彼のストーリーはきっと彼一人のせいで出来上がったものではなく、彼はもっと大きな絵の中の犠牲者の一人に過ぎないのかもしれない(その「大きな絵」というのは、パキスタン・日本というような地域的広がりという意味ではなく、もっと分野を越えた普遍的な話しという意味だ)。

アイデンティティー・クライシス。
危機というのは日常からそんなに遠いところではなく、案外すぐそこにある暗在系の世界の中で、静かに横たわっているものなのかもしれない
[PR]

by aokikenta | 2008-04-21 02:59 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 19日
ファイサル・モスク
イスラマバードのど真ん中にはファイサル・モスクという
サウジアラビアの援助によって建設された大きなモスクがある。
人々の話を聞く所では、世界で第二位、アジアで第一位の大きさということだ。
比較的新しいモスクなので、中近東でもっと古いモスクを見慣れた人にとっては、
それほど感動的ではないかもしれない。しかし、形の均衡、巨大さどから
近くで見てみるとやはり迫力があって厳かで美しい。
イスラマバードに来たら一番最初に必ず訪れたい場所だ。


e0016654_2504225.jpg






e0016654_251795.jpg






e0016654_2513053.jpg






e0016654_251535.jpg






e0016654_2521467.jpg

[PR]

by aokikenta | 2008-04-19 02:54 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 16日
Horse Race Festival 番外 スナップショッツ
Horse Race Festivalで撮った写真を適当に載せておこう。
各々に余り深い意味合いを持たせてるわけじゃないけど、気に入った写真があれば嬉しいな。


e0016654_1359126.jpg






e0016654_13592269.jpg






e0016654_1402187.jpg






e0016654_1404023.jpg






e0016654_141110.jpg






e0016654_1492912.jpg






e0016654_1495023.jpg






e0016654_14235566.jpg






e0016654_14241753.jpg






e0016654_14243973.jpg






e0016654_1425737.jpg

[PR]

by aokikenta | 2008-04-16 14:28 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 16日
Horse Race Festival No.3 鼓笛隊
レーンの中央辺りではレースを盛り上げる為か、選手を激励する為かはわからないが、
太鼓と笛とバグパイプのような楽器を持った奏者7,8人からなる鼓笛隊が、威勢良く演奏していた。

e0016654_275948.jpg

↑鼓笛隊はそれだけでリズムとメロディーを奏でることができる一つの小宇宙だ。




e0016654_282275.jpg

↑奥側の太鼓奏者が、フランス代表で言うところのジダンのように、ゲームメーカー的役割を果たしているようだった。




e0016654_28457.jpg

↑口では上手く表せない音だったのだが、アヒルの鳴き声みたいな笛の音色を聞いていると、ここはやけにパキスタンだと感じた。




e0016654_29720.jpg

↑この楽器はスコットランドのバグパイプに似ている?




e0016654_292784.jpg

↑同じようなターバン頭が一直線に座り込んでいる様子はなかなか可愛らしい。
[PR]

by aokikenta | 2008-04-16 02:33 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 15日
Horse Race Festival No.2
選手達は百メートルほどあるレーンで助走をつけて、
標的の杭めがけて槍を突き刺し、そのまま駆け抜けていく。
馬術、槍の操作技術、バランス感覚、動体視力などが試される。


e0016654_13293063.jpg

↑標的めがけて槍を刺す騎手





e0016654_13295443.jpg

↑標的を捉えた瞬間。槍がしなる。





e0016654_13301687.jpg

↑そのまま残り百メートルほどあるレーンを走っていく
[PR]

by aokikenta | 2008-04-15 13:32 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 14日
Horse Race Festival
Prince Malik Mohammad Attaという人が主催する
Horse Race Festivalを観に、イスラマバード郊外まで出かけてきた。
Horse Race Festivalには、数百の馬が集い、数千人の観客が集まっていた。
こんなに盛大な祭りをできるのだから、Prince Malikというのは余程由緒ある人物に違いない。

さて、Horse Race Festivalとは、発祥の起源がどのくらい
古いのかはわからないが、騎手たちがそれぞれの馬術の腕を競い合う競技で、
元々は如何に敵を仕留めるかという軍事目的で発達したものだと思われる。

騎手は槍を持って馬に乗り、動きながら、地面に立てられている標的
(草と泥で作られた小さな杭)を槍で突き刺す。
そして、その標的をいくつ打ち取ったかによって得点を競い合うのである。

e0016654_251226.jpg
↑標的の杭

e0016654_2522375.jpg
↑地面に突き刺さる杭が標的だ

そのHorse Race Festivalに4月12日(土)に行ってきたので、
何回かに渡って写真などを更新してみたいと思う。










e0016654_24428.jpg

↑競技に向かう騎手たち





e0016654_12545670.jpg

↑標的を槍で捉えた騎手





e0016654_2444921.jpg

↑観客が見守る中、馬は砂埃を上げてレーンを駆け抜けて行く
[PR]

by aokikenta | 2008-04-14 03:00 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 11日
物事の本質を見る眼
終身雇用の企業勤めではなく、
契約を渡り歩いていく国際協力プロフェッショナルにとって、
確固たる人生哲学のようなものはスキルとかコンピテンシー以上に
大事なのではないだろうか。

強風がびゅうびゅう吹き荒れて高い波が容赦なく襲ってくる嵐の中でも
進むべき方角を示してくれる航海中の羅針盤のように、情報が過剰に流れる
今の世界の中でもブレないで生きていく能力。

いろんな国を転々とするような根無し草的な生活を延々と繰り返していると、
自分がどこに属しているのかよくわからなくなることが時にはあるだろう。
あるいは、分野も地域も違う仕事を何年も渡り歩いていると、
自分がこの業界に入った時にそもそも何をしたかったのか、
見失ってしまう時もあるだろう。

有益な情報も無益な情報も、区別なくテレビや雑誌やインターネットに
溢れかえっているこの世界の中で、しかも、日本の大企業みたく
3年毎にジョブ・ローテーションで職場変えをしてくれる人が
誰もいない業界に生きる僕らにとって、生きていく指針のようなものこそが
必要なのではないだろうか。

真実を見る眼
僕の好きな本に辰濃和男さんの『文章の書き方』という本がある。
辰濃さんは元朝日新聞の記者で、物事の表面だけではなくその内側を
読者に伝えるような洞察の深い文章を書くから好きだ。

***(以下、引用)***
若いころ、浦和支局にいました。

赴任したのが一九五三年ですから、はるか昔の話です。
掘っ立て小屋に住む人が少なくなかった時代です。
埼玉県のある開拓農家の三つ子を取材しようと思って、訪ねました。

父親は亡くなり、母親がひとりで育てていました。
母親が畑に出ている間、ボロを着た三つ子は大きな藁の籠にいれられている。
垂れ流しなのか、破れたむしろの部屋はすごいにおいでした。

母親が帰ってくる。
いずれ施設に入れなくては、という話しを聞きました。
「お子さんの写真を撮らせて下さい」と頼むと、
母親はちょっとためらい、待ってくださいといって
押入れを開け、晴れ着と言うのでしょうか、
白い毛糸の服を取り出して着せようとするのです。

「いや、そのままで」

といいかけて、やめました。
本当はボロのままの姿を撮りたかったのです。
「どうです、この酸鼻をきわめた光景は」
と読者に訴えたい、悲惨な現実を得意げに訴えたい、
という気持ちがありました。

母親は、「記者さん、こんなみじめな姿を撮るのは
簡便してください」といいたかったのでしょう。
黙って服を着せ替えました。
私は内心は不満でした。

「やっぱり、むりをしてでも、ボロを着た子どもたちの
写真を撮るべきだったんだ」という思いが残りました。

今はしかし、あのとき、母親にむりに頼んでボロのままの
赤ちゃんたちの姿を撮らなくてよかったと思います。
ありのままとは何か。

垂れ流しの部屋も現実ですが、新聞に載るときは
せめて見苦しくない服を着せてやりたいという母の心も現実
でしょう。
そのありのままの母親の心をふみにじれば、
さぞ後味の悪い思いをしたことでしょう。

(辰濃和男『文章の書き方』岩波新書、P.41~43)

***(引用終わり)***

いい記事を書いて一面を飾りたい、
という利己的な欲求で動くジャーナリストだったら、
この場面ではきっとボロボロの衣装を着た
母親と子どもを撮影していたことだろう。
しかし、その悲惨な光景が「真実」だと言い切れるのだろうか。

母親が、せめて写真を撮られる時くらいは、
子供に立派な服を着せてやりたいと思う心の方こそが
真実なのではないだろうか。
あらゆる情報が氾濫するこの世界の中で、何が本当なのか、
何が重要なのか、重要でないのか、
自分で考えて見極められる人間でありたいと、
この文章を読むと思う。

右目でファインダーを、左目でそこには映らない世界を
以前、『マスードの戦い』という本を紹介したが、長倉洋海さんという有名なフォト・ジャーナリストがいる。
彼の著書『フォト・ジャーナリストの眼』という本の中に、こんな一節があった。

***(以下、引用)***
通信社に勤めていた頃、
右目でファインダーをのぞいて、左目は
ファインダーに映らない周りにまで気を配れ
」と
先輩に教えられたことがある。
突発事件の時など、ファインダーをのぞいていただけでは、
周囲の状況の変化がわからず、いいショットはものにできないと
先輩はいいたかったのだろう。
それ以来、私にはいつも左目を閉じずに、
あけたまま撮影するクセがついた。

世界が激動し、一つの価値なり、一つのイデオロギーが
簡単に入れ替わる時代だからこそ、この時代に生きるフォト・ジャーナリストは、
いままで以上にその背景や時代の底流を見つめていなければならない
と思う。
私自身、いまだに取材を重ねるたびに、自分のこれまでの取材がいかに浅かったか、
マスコミの大勢に流されたものだったかと思い知らされている。
しかし、右目でファインダーをのぞきながら、左目でファインダーに映らない世界を
見続ける姿勢だけは失いたくない
と思っている。

(長倉洋海『フォト・ジャーナリストの眼』岩波新書、P.194)

***(引用終わり)***

ファインダーの中に映るミクロの世界を見る眼と、
ファインダーの外にある時代の流れや世界の情勢を見つめるマクロの眼。
同じ事について、たまたま村上春樹が『遠い太鼓』のあとがきの中で書いていた。

***(以下、引用)***
ミクロとマクロの視点が一人の人間の中に同時に存在してこそ、
より正確でより豊かな世界観を抱く事が可能になるはずだと思うのです。
僕が三年かけてこの本を書いたことによってなんとなく体得したものが
あるとすれば、それはそのような複合的な眼であるような気がします。

(村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫、P.568)

***(引用終わり)***

写真家の長倉洋海と小説家の村上春樹が、
全然別の文脈ではあるけれども、根本的には全く同じことを言っていた。
仕事が違えども、本物はやはり本物ということだろうか。

自分の状況に置き換えれば、目の前にある取り組むべき仕事、
そして、実際に物事が進行している現場をおろそかにしない姿勢を持ちつつ(ミクロの眼)、
同時に、その現場に影響を与えている歴史的背景や、世界情勢を大局的に俯瞰的に
把握する姿勢(マクロの眼)を持つということが、彼らが言う姿勢に当たるのだろう。

「時代の底流」。

現象の表層だけではなく、その背後にunderlieしているバックグランドや
underpinしている原因を理解することで、その現象をより深く理解することが出来る。
更に、その深い理解があってこそ、次に何が起こるのか、世界はどう変化するのか、
それに対応して我々の組織は、我々自身はどう対応して先手を打てばいいのか、
そういった未来予測も可能になるのだと思う。
だから、次の時代を担うべきリーダー達は、時代の底流をよく見据えて、
常に変化を察知する能力を磨いておく必要があると思う。

それは民間企業であればビジネスチャンスにつながるのだろうし、
外交官であれば予防外交や自国に有利な展開へ導く事、
NGOであれば組織の拡大・紛争の予防、
国連であれば人道的危機の回避ということにでもなるのだろう。

広い円を掘れ
さっき紹介した辰濃和男さんの同じ本から、また好きなフレーズを引用させてもらおう。
彼の本の一番最初に出てくる言葉。

***(以下、引用)***
土の上に直径一メートルの円を描き、
その円内で円錐状の穴を掘ります。
次に直径五メートルの円を描いて穴を掘ります。
どちらがより深く穴を掘る事ができるか。
いうまでもなく、円が大きければ大きいほど、
穴も深くなります


ものを書くときは準備が大切です。
小さな円を描いたのでは、それだけのもので終わってしまいます。
はじめから思い切って広い円を描いて準備をすれば、
内容の深いものが生まれます


(辰濃和男、前掲書、P.2~3)

***(引用終わり)***

いい文章には、文章の背後に膨大な資料がある。
僕は、履歴書に見えてくる以外の部分も幅が広くて深みのある人間になりたい。
僕がこのブログで書いてきた旅行記や写真は、きっと履歴書上では何一つ役に立たないだろう。
キャリアのことだけを考えるのであれば、そういう事をする時間を少しでも削って、
トレーニング・コースを受けたり、出来るだけ違う組織や国で働いたり、
どこでも使えそうな言葉でも勉強していればいいのかもしれない。

しかし、僕は旅行をしたり写真を撮ったりサッカーをしたり
ギターを弾いたりすることを無駄だとは思わない。
旅行をして見聞した事が世界史と結びついて大きな流れを理解することを可能にしてくれるし、
写真を撮ることで本質を見ようとする眼を磨く事ができる。
音楽に触れることで豊かな発想が可能になるし、
運動をすることで心と体のバランスを維持・向上させていくことができる。
だから、それはきっと無駄なことじゃない。

どんな組織にも色んな人がいるので一般化はできないけど、
発展途上国で働いているにも関わらず現地の文化を尊重しない人がいる。
自分のキャリア・ディベロップメントの一環としてその国にいるだけで、
本当はその国への愛情など欠片もない人がいる。
しかし、それはとても寂しい事だと思う。

現地の人をあからさまに蔑むような態度を取る人、
成果を挙げてもっといい別のポストを掴む為だけに現地で働く人。
そういった姿勢で、現地の人々が本当に求める事業をすることが可能なのだろうか。
多分、マネジメントが出来れば可能だという反論もできるだろう。
そう言われたら、そうですね、と僕は言ってしまうかもしれない。
単なる、好き嫌いの問題なのかもしれない。

でも、僕は仕事は仕事でしっかりやるけど、
現地の文化を理解すること、言葉を覚えることも重要だよね、
という広いキャパシティーを持ったトップの人が好きだ。
その国への深い理解の上に立った経営判断が出来るリーダーを格好いいと思う。
上手く世渡りしていく事や、成果を挙げる事、出世をする事よりもきっと大事な事がある。
それが、キャリア・アップとか人生の成功とかいう言葉の陰で、
忘れられてしまっているような気が何となく僕にはしている。

未来に向けて
僕はフォト・ジャーナリストではないし、新聞記者でも小説家でもない。
しかし、人を感動させる写真を撮り文章を書く人には、普通の人には見えないものを
感じる心があるはずだし、それを見抜ける眼があるはずだ。
全く別の仕事をしている僕だけど、そういう姿勢や眼を見習いたいと思う。

若い時は、周りが気になってどうしても、「同じ年齢の中ではオレが一番出世してる」とか、
「オレよりアイツの方が先を行っている」とか、勝ち負けを気にしてしまうものかもしれない。
金銭の多寡で人間の価値を推し量る傾向があるのかもしれない。
また、情報分野の発達が著しく、一世代前と比べたらあらゆる情報を簡単に得られるようになった。
自分にとって有益なこと、無益なこと、今の世界で重要なこと、そうでないことが、
同じレベルで巷には溢れている。

こんな状況の中で、大海の中に放り出された一匹の金魚のような気持ちで、
心細くて不安になることもあるけれど、こんな状況だからこそ自分の確固たる信念とか、
初心とか、自分らしさというものを失いたくないと思う。
真実を見ようとする眼、ミクロとマクロの複合的な視点を併せ持ちながら、広い円を掘って行きたい。
端から見たらアイツは何か無駄な事ばかりしてるなぁ、って思われるかもしれない。
でも、僕はそんな無駄な事だと思われるようなものにこそ価値を見出したい。
一見すると大事ではないようなことにこそ本質的なものが隠されているのだと思うから。

これからの時代を引っ張っていくべき人たちには、
あらゆる分野を知っている総合力とそれらの垣根を越えていく柔軟性、
歴史と時代の流れを把握して未来を予測する予知能力、そして、難しい事を
簡単そうにやってのける行動力が必要なのではないだろうか。
なんで僕はこんなことを書いているのだろう。僕は、その「次の時代を引っ張って
いくべき人たち」の一人なのではないか、そうなっていく義務がひょっとしたら
僕にはあるのではないか、そんなことを最近思うからかもしれない。
いつも通りの思い込みでいい。
若者の気負いでいいんだ。
迷った時に忘れないように、書き留めておこう。


(参考文献)
辰濃和男『文章の書き方』岩波新書、1994年
長倉洋海『フォト・ジャーナリストの眼』岩波新書、1992年
村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫、1993年
※引用文の改行や強調は筆者によるものです。
[PR]

by aokikenta | 2008-04-11 14:27 | 日記(イスラマバード)
2008年 04月 10日
イスラマバードに戻りました
昨日、成田空港を出発してバンコクを経由、ラホールで一泊して、
今日の午前にパキスタンのイスラマバードに戻ってきた。

バンコクでは乗り継ぎの待ち時間にマッサージに行き、
日本レベルのお寿司まで食べて快適に過ごしていたのだが、
ラホールに着いた時に、あぁ戻ってきたのだということを妙に実感した。
なかなかやって来ない空港ホテルの送迎タクシー、車内でかかる大音響の民族音楽、
割り込み・クラクション・パッシングがタペストリーを織り成す道路、貧弱なコンクリート打ちのホテル、
部屋に備え付けられたなんとなく頼りない全ての調度品、くたびれた部屋の内装、
お湯の出ないシャワー・・・。
案の定、今日の朝6:45にお願いした送迎タクシーは30分以上遅れてやってきた。

去年、アフガニスタンからパキスタンに来た時、パキスタンはなんて素晴らしいんだと書いたが、
やっぱりあの時思った「物事の相対性」という分析は正しかったような気がする。
感じ方が、あの時と今ではやはり大きく違っている。
人間の感覚なんて、その時々の状況に左右されるいい加減なものなんだな。

日本でいっぱい休んだし、またちゃんと仕事をしていかなくちゃ。
適当に的確に、遊びを持ちつつぼちぼちやっていこうかな。

e0016654_224222.jpg

↑成田~バンコク間の飛行機から撮影。
[PR]

by aokikenta | 2008-04-10 02:40 | 日記(イスラマバード)