<   2008年 01月 ( 17 )   > この月の画像一覧

2008年 01月 30日
街角の風景 - ごみ収集人・パコール帽・物乞い等
e0016654_17222090.jpg






e0016654_1723960.jpg






e0016654_17234129.jpg

[PR]

by aokikenta | 2008-01-30 17:24 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 28日
週末 - レストラン開拓・好奇心・冒険等々
土日はクックが料理を作ってくれない。だから、大体週末は自分でご飯を作るかレストランで食べることになる。と言っても本格的に自炊をするのが面倒なので、大抵は、朝はトーストと目玉焼きとジュースと果物で、お昼と夜は外で食べるというのがパターンになっている。

昨日のお昼は、友人とマリオットの「さくら」という日本料理屋でカツ丼を食べてきた(と言ってもイスラム教では豚肉は食べないのでビーフカツ丼だ)。「さくら」の日本料理はいつ食べてもうまい。海外の日本料理屋で満足することはほとんどないが、「さくら」の料理はレベルが高いと思う。日本人のシェフがいるのだろうか?あるいは、そうでないとしても徹底的に日本人が教えたとしか思えない。それくらい本物の味がする。とても満足した。「さくら」を出てから、F7にあるお洒落なカフェでお茶をしながら雑談をして、夜は、近くのマーケットでシュワルマとバナナ・シェイクを食べた。「さくら」のランチは大体一食500ルピー(約1000円)するのだが、マーケットでシュワルマとかバーガーとかを食うと60ルピー(約120円)くらいで収まる。マリオットとかセレナは別として、パキスタンの物価はアフガニスタンより概して微妙に安いかもしれない(アフガニスタンの物価が高いのは援助機関の功罪か?)。

そんで、今日のお昼はイスラマバード日本人学校で餅つき大会というイベントがあったので参加してきた。僕は日本人だが、餅つきというものをしたことがほとんどない。ちょっと突かせてもらったが、杵と臼の距離感が上手く掴めなくて、餅の中心をヒットできなかった。イチローだったらきっと上手いことヒットするのだろう(バットコントロールが上手いからね)。夜は、またまた近くのバザールに行って、レストランに行くことにした。いつも入っているレストランに飽きたので、マルコ・ボーロの心持でまだ入ったことの無いレストランを開拓することにした。フロンティア精神というのは日常から失ってはいけないのである(但し、アフガニスタンではそんなことを言っていられない状況が多々ある。例えば、車を止めたすぐ横の道端が地雷原かもしれないし、興味があってぷらぷら歩いて誘拐されたら他団体に迷惑をかけることになる。好奇心というものは如何なる状況でも絶対的にいいものである、とは言い切れないのであった[しかし、そういう特殊な状況を除けば好奇心というものは常に持っていた方が良いのは間違いない]。ちなみに、カギ括弧2つ分の蛇足は長すぎだ)。そこで食べたチキン・ニハリというカレーみたいな料理は、汁っぽくてシャバシャバしてるけどおいしかった。気軽に来られて、おいしいカレーが食べられるのはパキスタンのいい所だ。

最近、↓のDVDを観た。

"A Mighty Heart"
"The Kite Runner"
"Fahrenheit 9/11"
"Jinnah"
"Loose Change"

パキスタンへの関心が湧いてきたので、2回目のものも含めて、関連する映画やドキュメンタリーを観ている。この中だったら、"A Mighty Heart"が一番面白かった。ウォールストリート・ジャーナルの記者が誘拐される話しなのだが、アフガニスタンで自分が誘拐されたらどうなるだろうって、中学生が「僕が死んだら両親や友達は泣いてくれるかな」という妄想みたいに、赴任した頃によくしたシュミレーションが再現されて映画にのめり込めた。時折挟まれるラワルピンディとかカラチの映像も雑然としたそれらの街の様子をよく伝えていて、カラチとかラホールとかクエッタとかパキスタンの主要な都市に行きたい気持ちをさわさわとくすぐられた。パキスタン国内旅行をして、それでもってイラン旅行をした時に計画を立てた「隣接国探索シリーズ⑥ 回帰パキスタン編」にしてみようかな。もう隣接国探索じゃないんだけど、もはやそういう計画とかカテゴリー分けとかはどうでもよくて、単純に自分の目で興味のあるものを見たいものだ。でも、そうしたらパキスタンの東にあるインドには絶対に行きたくなるだろうな。そうしたら、絶対にバングラディシュにも行っておくべきだ。もはや収拾不能。まぁ、行ける時に行きたい場所に行くのがいいさ。

パキスタンでは、アフガニスタン関連の本や、911以後の国際関係を扱った本なんかがいっぱいあるなど、本屋もとても充実している。空間的冒険と同時並行で、文献の世界へも知的冒険をして行きたいと思う今日この頃。段々、勝手に忙しくなって来た。
[PR]

by aokikenta | 2008-01-28 05:24 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 27日
夜のケバブ、チャパティ、シュワルマ、ジュース・スタンドとか
e0016654_0314652.jpg






e0016654_0372289.jpg






e0016654_0375031.jpg






e0016654_033530.jpg






e0016654_0382751.jpg






e0016654_0335068.jpg






e0016654_0341099.jpg

[PR]

by aokikenta | 2008-01-27 00:35 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 23日
モーシン・ハミッド著『The Reluctant Fundamentalist』
Changezは哀しい。彼という存在の根源的な部分そのものが哀しみで出来上がっているから、彼の生まれた国、彼のするあらゆる出来事、そして彼が人生で出会う大切な人さえもが哀しみの色に染まってしまう。それは、まるで夜という暗闇が、動物や人間の力を遥か上方に超えた力で持って、世界の隅々までをも真っ暗に染めてしまうのと同じことだ。inevitable。僕が、モーシン・ハミッドの『The Reluctant Fundamentalist』を読んで感じたことは、結局、そういうことだった。


ChangezとEricaの関係は、ワタナベくんと直子の関係だ
パキスタンのラホール出身のChangezという青年は、プリンストン大学卒業後のギリシャ旅行で、知り合いを通じて、アメリカ人のEricaという一人の女性に出会った。

“[W]hen I first saw Erica, I could not prevent myself from offering to carry her backpack - so stunningly regal was she. Her hair was piled up like a tiara on her head, and her navel – ah, what a navel: made firm, I would later learn, by years of tae kwon do – was visible beneath a short T-shirt bearing an image of Chairman Mao.”
(始めてエリカを見た時、僕は思わず、リュックサックを運んであげるよと彼女に声をかけた - 彼女は息が止まるくらい壮麗だった。彼女の髪の毛はお姫様のティアラみたいに頭の上で結ばれていて、彼女のおへそは、-あぁ、なんておへそだ・・・、何年もやっていたテコンドーのおかげでギュッと締まっていた[後で知ったことだが] - チェアマン・マオ[毛沢東]のイメージが入った短いTシャツの下で露[あらわ]になっていた)

Ericaに魅かれて行くChangezは、しかし、彼女へアプローチする中で、ある事実に突き当たる。それは、Ericaには死に別れたChrisという付き合っていた男性がいて、彼が常にEricaの心の中に存在しているということだった。好きで好きでどうしようもないけれども、その好きになった相手には未来永劫勝つ事ができないライバルがいた。しかし、Changezの魅力に徐々に惹かれて行くEricaは、デートを重ねていく内に次第に心を許すようになる。そして、初めて交わろうとした日---。優しく体を愛撫してから、ChangezがEricaの中に入ろうとした時、Ericaは泣きながら言う。「I just can’t get wet. I don’t know what’s wrong with me(濡れないの・・・。自分でもわからないけど濡れないの)」。今、目の前で裸になって自分の腕に抱かれている女性には、自分を受け入れる体制が整っていない。彼女は自分を受け入れてくれない。自分の存在を受け止めてくれない---。

それでも、ChangezとEricaは友達以上の特別な関係を続けていく。Underwood SamsonというValuationの企業に勤めるChangezは、仕事の関係上、海外への出張が多いが、出張先でもEricaへの思いが途絶えることは無い。ChangezのEricaへの思いは膨らみ続ける。そして、二人はようやく結ばれる。しかし、それはChangezがChrisのフリをしながら、という皮肉な形で実現される。彼がChrisのフリをした時、Ericaの体は彼の体を拒否しないのであった。男として、なんて屈辱的なことだろう。Ericaは次第に現実の世界からフェードアウトしていく。そして、彼女が本来いるべき向こう側の世界に行ってしまう。Changezは、出張先のチリから帰ってきた後、Ericaが消えてしまったことを聞くのだった。

僕はこれを読んで、ある一つの小説が頭から離れなかった。それは、村上春樹の『ノルウェーの森』だ。ChangezとEricaの関係は、ワタナベくんと直子の関係そっくりだ。どちらの女性にも死に別れた男がいる。そして、どちらの女性も消えてしまう(僕は、どちらの小説においても、二人の消失は象徴であって、本当に自殺したとか失踪したということは大して意味が無いと思う。何故なら、『The Reluctant Fundamentalist』も『ノルウェーの森』も、そういう超現実的な事が起こり得る向こう側の世界を描いた小説世界だと思うからだ)。但し、二つの小説の大きな違いは、ワタナベくんには緑(みどり)という名前のファム・ファタールが現れて現実の世界へと引き止めてくれるが、Changezにはそういう女性がいないということだ。結局、Ericaから切り離されて不安定になった彼のアイデンティティーは途方も無く浮遊して行ってしまう。そして、彼はFundamentalismという一つの物語に魅かれて行き、劇的なクライマックスへとつながる・・・のだが、読む人の為にここでは書かない。Changezは遠くの世界の誰かではない。彼は貴方自身だし僕自身だ。

やっぱり、Changezは哀しい。

(ちなみに、ChangezがNYで住んでいた世界はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』が送っていた裕福な生活とidenticalで、実際に文中にもギャツビーの名前が出てくる。『グレート・ギャツビー』は『ノルウェーの森』の中でも登場する。『The Reluctant Fundamentalist』と『ノルウェーの森』という二つの小説に共通するこうしたいくつかの符号は全くの偶然なのだろうか?それとも、モーシン・ハミッドは村上春樹の小説を読んだ事があるのだろうか?わからない。)


「生まれながらの不幸を抱えた国、パキスタン」※
彼の好きになった女性のみならず、彼が生まれた国パキスタンも、生まれながらに不幸を抱えている。1947年の独立以前、パキスタンはインドと同じイギリス領だったが、独立運動の中で、イスラム復興主義という一つの運動が盛り上がり、その昇華した形として独立を果たした。インドは、イギリス領インドの遺産のほとんどを受け継いだのに比べて、パキスタンは全くのゼロからのスタートに等しい国づくりの開始であった。

パキスタンは、独立した時点からインドとのカシミール国境紛争を抱えている。もともと、イギリス領インドにはイギリス直轄領以外にも、ヒンドゥ人がイスラム人を支配する地域と、ヒンドゥ人がイスラム人を支配する地域が存在していた。カシミールは、ヒンドゥ人がイスラム人を支配する地域であり、そういう意味では、過去の経緯を鑑みるとパキスタンに存在するべき地域だったのだが、インドが譲らず60年経つ現在まで紛争は続いている。パキスタンとインドは、その他にも核保有などを含む論争を抱えており、2002年にはカシミール紛争を契機に一触即発の状態になるなど緊張が絶えない(その緊張関係は国境付近の都市ラホールに強く影を落とし、Changezがラホールに帰った後の彼の生活に影響を与える)。

パキスタンは周囲を強大な4カ国に囲まれている地政学的に重要な国だ。北に中国、東にインド、西にイランとアフガニスタン。歴史上、世界的に注目を集めたのはやはりアフガニスタンとの関係だろう。冷戦下の1979年クリスマス・イブ、アフガニスタンへの侵攻を開始した旧ソ連の南下を食い止めるべく、アメリカを中心とした西側陣営は、アフガニスタンのムジャヒディン(自由の戦士)を支援した。他にも、サウジアラビアを初めとしたイスラム世界から、同胞の聖戦をサポートすべく支援が集まった。当時、アメリカ、パキスタン、サウジアラビア、アフガニスタンは蜜月の関係にあった(アメリカはCIAを通じてムジャヒディンへ多額の支援を行っていて、当時、サウジアラビアからこの戦いに参戦していたオサマ・ビン・ラディンはアメリカに育てられたとよく言われる)。

1989年に旧ソ連が撤退した後も、パキスタン・アフガニスタン国境付近のマドラサ(神学校)から現れたタリバンに対して、アメリカはCIA→ISI(パキスタン軍諜報機関)経由で支援を続けていた。しかし、時代は変わり、アメリカの大統領もクリントンからブッシュに変わると、これらの関係はより複雑になっていく。911の後、ブッシュは対テロ戦争を標榜して、ビン・ラディンが隠れていると言われていたアフガニスタンへの空爆を開始した。これは、アメリカ軍によるタリバン掃討作戦へと続いてく。アメリカ当局であるCIAが支援して育てたタリバンを、アメリカ自身が空爆して叩き潰そうとしている。ムシャラフ大統領も、アメリカの対テロ戦争を支援する姿勢を見せているが、過去には、パキスタン当局であるISIもタリバンの育成には暗躍していた。今まさに、自分達で育てた集団をテロ組織と呼び、叩き潰そうとしている。談合めいた微妙な関係を維持し続けているプロレスみたいなこの状況は一体何なのだろう。

生まれながらに不幸を抱えた上に、強力な周辺国に囲まれ、更に、アメリカの干渉を常に受け続けなければいけない国。理想を掲げながらも腐敗という現実を抱え込み、歴史に翻弄され、大国の利害の狭間でもがき続けているパキスタンは、やっぱりChangezが生まれた国だけあって哀しい。

※「生まれながらに不幸を抱えた国、パキスタン」という表現を始め、この節は田中宇氏の記事に大幅に拠った。


終わりに
Changezも、Ericaも、パキスタンも、そして、彼の結末も、涙を禁じえないほどに切なくて哀しい。『The Reluctant Fundamentalist』は、突撃隊も永沢さんもハツミさんもレイコさんも緑もキズキも出てこない『ノルウェーの森』だ。哀しい旋律が流れ続ける短調の世界。Wayoutが見当たらない。Changezが過ごしたEricaとの楽しかった時間も、充実した時間も、素敵な時間も、そういった全ての素晴らしい時間が、最後の最後で落ちる時の衝撃を倍増させる為の落差だったに過ぎなかったのかもしれないとさえ僕には思えた。

この小説が僕の心に残したものは、どこかに影があって自己犠牲的な愛を捧げたくなるようなか弱い女性の姿だった。どうやっても満たすことができない程の深い孤独を感じさせる横顔を持つ女性。彼女を救いたいという気持ち(それを愛と呼ぶべきなのか、それとも、同情、あるいは憐憫と呼ぶべきなのか僕にはわからない)で、彼女に接近をして付き合って素敵な時間を共有する。しかし、それは結局一時的なもので、また彼女は孤独の深淵に帰っていってしまう。誰も彼女の中に入り込むことはできない。そういう孤独は永遠に満たされることがない避けがたい孤独なのだ。どんな同情も憐憫も愛も意味をなさないような・・・。Ericaも直子もそういう女性だから、そんな事を考えたのかもしれない。

こういうセンスのある小説を書ける人がパキスタンにはいる。それは僕にとって新鮮な衝撃だった。パキスタンは案外面白い国かもしれない。
[PR]

by aokikenta | 2008-01-23 23:23 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 22日
Jinnah Avenue、モスク、黄昏とか
e0016654_19104945.jpg






e0016654_19112343.jpg






e0016654_12471233.jpg






e0016654_19114285.jpg






e0016654_1912264.jpg

[PR]

by aokikenta | 2008-01-22 19:12 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 20日
サッカーボロ負け
今日は色々と用事があって、やたらと外部からの刺激の多い一日だった(平日の生活がルーティーン化し過ぎていて単調なのでそう感じるだけだけど)。

まず、午後1時から、大使公邸で名刺交換会という賀詞交換会みたいな催し物があった。服装は平服で、と書いてあったので、Gパンとノースフェイスのジャケットとブーツで行ったら、そんな格好で来ていたのは僕だけだった。男の人はみんなスーツだし、女の人もスーツかパキスタンの綺麗な民族衣装を着ていて、周りはけっこうフォーマルな感じで僕だけがもろカジュアルで少し浮いていた。まあ、大使公邸で催し物と言ったらスーツくらい着ていくのが普通なのだろう。僕もスーツがあれば着て行ったかもしれないが、そもそもパキスタンにスーツを持ってきていないので、着ようがなかったのだ。アフガニスタンと違って、パキスタンの場合、これからも年に何回か着る機会もありそうだから、今度日本に帰ったら持って来ようかな。

名刺交換会では色々な人に挨拶をして、名刺を交換して、歓談して、そして、日本の食材をふんだんに使った豪勢な日本食を食べさせてもらった。お正月なので、お雑煮もあったし、非常に豪勢だった。パキスタンにはまだ来たばかりなので、徐々に知り合いを増やしていかないといけない。

その後、イスラマバードサッカー部対BHC(British High Commission)というイギリス人チームの試合があったので、それに行ってきた。どうしても勝ちたいからジョギングをしようと先週ブログに書いたが、結局、ジョギングには行かなかった(意志が弱い)。久しぶりに11人でゲームをやって(しかも45分ハーフ)、正直言って足が吊るくらい疲れた。45分ハーフなんて、現役時代でもつらいのに、ほとんど運動しない社会人がやれば疲れるに決まってる。試合が終わったらもう体がぼろぼろでどうしようもなくて、しかも、結果も惨めなほどのボロ負け。サッカー経験者なのに、全然チームの役に立てなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

もう夕方だったからこのまま帰るのもちょっとね、ということで、BHCコンパウンド内にあるパブでギネスを1杯飲んでから家に帰った。

色々な人と会って、サッカーをして、チームメートとお酒を飲んで、とてもバランスの取れた良い週末だった。
すごく今日のは日記っぽくないか?たまにはこういうのもいいね。
[PR]

by aokikenta | 2008-01-20 02:23 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 18日
ストレスが無いというストレス
「多分、ストレスがない事に対してストレスを感じてるんじゃないの?」

晩御飯を食べている時に、ハウスメイトのノルウェー人に言われた。ストレスがない事に対してストレスを感じる。一瞬、矛盾したセンテンスのように聞こえるけど、なんとなく今の自分の置かれている心境をよく表しているような気がしないでもなかった。

パキスタンをベースに活動するようになってから、数えてみると数ヶ月経っているのだが、前回のカブール出張が1ヶ月近くて、その前後は日本に一時帰国していたので、ほとんどパキスタンに住んでいるという実感を持っていなかった。実際問題として、年末年始を日本で過ごしてから帰ってきたつい先週から、本格的にパキスタンで住み始めたと言った方が適切なのではないかという気がする。

色んな事が変わった。

まず、環境が変わった。あらゆる意味での自分を取り巻く環境。カブールは海抜約1800メートルあるが、イスラマバードは海抜35メートルくらいしかないらしい。それだけでも、如実には感じられないけど身体への影響が少なからずあるような気がする。インフラという事でいえば、電気もガスも水道もワイヤレス・ネットワークも24時間使える環境になって、日本と大差ないレベルの生活になった。食事も日曜日を除いてクックが3食作ってくれるし、洗濯物も掃除もハウスキーパーが何でもやってくれる。「Sir」なんてポール・マッカートニーか誰かに与えられた称号だとおもっていた敬称で呼ばれながらそんな暮らしをしていると、過去の2年間という日々、あれは一体何だったのだろうとふと思う。

他にも、治安の面でプレッシャーが減った。いかにパキスタンが危ないと言っても、やっぱりアフガニスタンにいた時に感じていたレベルでの危なさではない(ひょっとしたら、僕のパキスタンに対する認識は甘いかもしれない)。常に、どこの通りで自爆テロがあった、外国人が誘拐された、IEDが爆発した、なんてニュースに囲まれて移動の自由を奪われた生活をしていた時に比べると、精神的プレッシャーが圧倒的に少ない。

あと、個人的な事で言えばタバコを止めたというのは大きな変化だ。どうしようもなく吸いたいという衝動はまだそれほどなくて順調に禁煙は成功しているが、心配なのは体重の増加だ。タバコを止めると、よく便秘になるとか食欲が増して体重が増えるというが、まさにその通りで、食欲が以前に比べて1.5倍くらいになった。これから毎週体を動かすつもりではいるが、平日はほとんど外出するでもなく、事務所でデスク・ワークをしているので、食事制限をするか運動をするか、何らかの対策を講じなければ体重は増加の一途をたどるだろう。

イスラマバードに戻ってきてから「何か違うなぁ」と感じていた僕の違和感は、こういった色んな変化が積み重なって引き起こされたものだったに違いない。そして、かつて自分に圧し掛かっていた精神的ストレスが無くなり、逆に、その無くなってしまったストレスが生み出した心の空白が自分に不安感や焦燥感という新たなストレスの種を植え付けているということなのかもしれない。

ストレスが無いというストレス。
こういうのって、広く共有される感覚なのだろうか。よくわからない。
[PR]

by aokikenta | 2008-01-18 00:52 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 17日
カブール・セレナホテルでの惨劇
1月14日のカブール・セレナホテル襲撃の後、タリバンのスポークスマン、ザビウラー・ムジャヒドゥはAP通信に対して次のように伝えたらしい。

「我々は、外国人がいるようなレストランは全てターゲットにする。既に、カブールには命令すれば特攻するようなジハーディストが待機している、そして、我々はより多くの攻撃をすぐにでも軍人や外国人に対して仕掛ける」
"We will target all these restaurants in Kabul where foreigners are eating," Taliban spokesman Zabiullah Mujahid told The Associated Press by telephone. "We have jihadists in Kabul right now and soon we will carry out more attacks against military personnel and foreigners."

詳しくは、Taliban threaten restaurant attacksをご覧下さい。今回の事件は、3名もしくは4名の武装集団がセレナホテルを襲撃し、ノルウェー人、アメリカ人、フィリピン人を含む8名の死者を出したと報じられている。

セレナホテルというのは、シーア派イスマイリ第49代イマムであるアガ・カーン氏(Aga Khanで検索すると沢山出てくるはず)が経営するチェーンホテルで、完成してからはインターコンチネンタル・ホテルを抜いてカブールの最高級ホテルになった。宿泊したことはないけど、食事をした限りでは、全体的なゴージャス感、サービスなど、日本のホテルと比べても遜色ないどころか、むしろそれを遥かに越える程の豪華ホテルだ。カブールで見るセレナホテルは存在そのものが異次元にあるみたいに別格で、"Serena"と聞いただけで瞳がキラキラと潤んでしまうような、そんなホテルなのである(前に今夜セレナで逢いましょうというフィクションを書いたが、思わず人に空想を抱かせてしまうようなinspiringな場所なのだ)。

当然、日本人を含めた外国人援助関係者が良く通う場所なので、このニュースを聞いた時は驚いた。驚いたというよりも、いよいよ襲われたか、の方が適切かもしれない。既に、セレナホテルをターゲットにする、という宣戦布告は以前から再三出されていたから、現地に住んでいる人は「遂に現実になったか」と思っただろう。いや、そうは言っても僕にとってはこのニュースはやっぱり衝撃的だった。身近な場所で起こった惨劇だったので、他人事に感じられず、鈍い痛みのようなものを体に残した。

セレナホテル襲撃、そして、タリバンの宣言は、各国のアフガニスタンへの治安評価を劇的に変えてしまうだろう。
[PR]

by aokikenta | 2008-01-17 00:01 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 15日
日常の街並・食事・風景とか
e0016654_23334174.jpg






e0016654_2334837.jpg






e0016654_23343227.jpg

[PR]

by aokikenta | 2008-01-15 23:35 | 日記(イスラマバード)
2008年 01月 15日
齧(かじ)りかけの言語
一口食べただけでそのまま放置された齧(かじ)りかけの林檎みたいな言語が僕にはいくつかある。齧りかけって言っても全然大したことはなくて、数字が言えて、買い物が出来て、簡単な挨拶と、最低限の問答が出来るくらいのレベルの話である。一つは、大学で第二外国語で勉強した中国語だ。高校に入ってから大学を卒業するまで毎年中国に行っていたし、大学でも中級くらいまでやったので、買い物するくらいならできる(できた)のだが、しかし、留学したわけでもなく、その後熱心に勉強を続けたわけでもないので、非常に中途半端なままで、僕の中の中国語世界はストップしている。2つ目は、アフガニスタンで覚えたダリ語。イランにも一人で旅行したし、ガードや街の人ともなるべくダリ語で話そうとしていたので、こちらも数字はわかるし、買い物、簡単な挨拶・質問くらいはできる。しかし、ダリ語もまた中国語と同様に、それ以上のレベルでもそれ以下のレベルでもない。こうして、日本語という世界に平行して存在するいくつかのパラレルワールドが、再び手をつけられるのを待ったままの状態で、僕の左脳の片隅で存在し続けている。

今、せっかくパキスタンにいるのだから、ウルドゥー語というもう一つの世界を作ってみようかと漠然と考えている。ウルドゥー語はダリ語と似ている部分もあるらしいし、文字はアラビア語と同じなので覚えやすそうだ(アラビア語はイギリスに留学している時にほんのちょっとだけやったが、まさに齧っただけなのでほとんど何も残っていない)。今日、同僚に借りた『地球の歩き方:パキスタン編』を見ていたら、こんな事が書いてあった。

パンジャーブとはパンジ・アーブpanj ab「5つの川」という意で、サトラジSutlej川、ラーヴィーRavi川、ビーズBeas川、ジェーラムJhelum川、チャナーブChenab川の5河川の流域を指し示している。1947年のインドからの分離独立の際にパンジャーブはインド・パンジャーブとパキスタン・パンジャーブとに分割され、後者はパキスタン国内でひとつの州になる・・・(中略)・・・パンジャーブ州はパキスタン国内でもっとも肥沃な土地が広がる」

今までよく耳にすることのあった「パンジャーブ」が、「パンジ(5)」+「アーブ(水)」のことだったなんて・・・。衝撃的。ウルドゥー語にはダリ語と全く同じ言葉が沢山あるらしい。しかも、パキスタンのみならずインドまで同列の言語圏は広がっているのだ。脳細胞の触手が少し東の方角へ広がった感じがするぞ。そういえば、タクシーの運転手に、「イン・タラフ(こっち方面)」とか「ウン・タラフ(あっち方面)とか「ロスト(右)」とか「チャップ(左)」とかダリ語を織り交ぜた言葉を発していたら、なんとなく通じた。うーん、こういう話を聞くと、イランのペルシャ語専門家の方も、ウルドゥー語って面白そうじゃんって思わないだろうか?現在、パキスタンは毎日新聞を賑わせて世界の注目を集めているし、アフガニスタンで復興支援に携わってきた専門家も、パキスタンって結構面白そうじゃんって思っているところかもしれない(なんとなく、パキスタンが今熱い!という方向へ、流れで辿りついたにも拘らず持って行こうとしている自分)。

国連公用語には、(1)英語、(2)フランス語、(3)スペイン語、(4)ロシア語、(5)アラビア語、(6)中国語の6言語がある。僕はこの内、フランス語、スペイン語、ロシア語に関しては、本当に全く縁がなく28年間過ごしてきてしまった。言語と地域への興味は関係ないかもしれないけど、やはり言葉がわからないというだけで、その地域、及び、かつての植民地への興味は無意識的に半減してしまっている気がする。それだけで、僕は、フランス、スペイン、ロシア本国のみならず、アフリカの多くの国、南米の多くの国、旧ソ連のCIS諸国への入り口を狭めてしまっているような気がする。人生の初めから、アフリカ大陸と南米大陸とロシア連邦という広大な可能性を捨ててしまうようなものだと思うと、それが如何にもったいないことであるかがわかるような気がする。とは言え、人生は限られているので全ての言語を習得することは不可能だ。でも、人生のキャリアプランも大事だろうけど、将来の可能性という意味では、人生の言語プランというものを考えてみてもいいかもしれない。

ちなみに、使用人口が少ないからってある言語を習得しないというのは、なんだか間違っている気がする。もちろん、覚えたからには世界で何億人とも話せる方がいいのだろうけど、そういう合理性だけで物事を判断するのが正しいとは限らないのではないかと思う。僕らの人生は合理性と機能性だけで構成されているわけではない。ある異性を好きになる時に、合理性と機能性でその人を好きになるわけではない。言葉では上手く説明できない「感覚」が一番重要なのだと僕は思う(男は経済力だ、という決め方もあるにはあるのだろうけど)。結局、どの言葉を学ぶかというのはその人次第だし、その人の個性が滲み出るものなのだろう。

小田実の『何でも見てやろう』の中では、確か、彼はギリシャ哲学か何かを大学時代に専攻していて、それをフルブライト奨学金の面接で言ったら面接官に非常に受けて、それで即採用が決まったというような話しが書いてあった。その奨学金でアメリカに留学してからも、「ギリシャ哲学をやってます」と言うと、ただ漫然と座っているだけでも、「こいつ、只者ではないな」という雰囲気を与えているらしい、というような事が書いてあった。そして、ただ「この料理は美味しい」というようなシンプルな文章をぽつりと言っても、考えに考えつくされた一文だと相手が受け取って、「うーむ」と唸ってくれたものだ、と書いてあった。ウルドゥー語は、そういう観点を考慮すると、役に立つ言葉だと言えるかもしれない(なんて言ったら、ウルドゥー語の専門家は怒るか)。

皆さんにも、齧りかけの言語、ありませんか?
[PR]

by aokikenta | 2008-01-15 02:23 | 日記(イスラマバード)