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2007年 11月 30日
退避勧告下のアフガニスタン・リポート④ ファム・ファタール編
アフガニスタンの料理には、大抵、唐辛子が付いて来る。
発色の良い緑色をしている官能的な体をお皿の上でくねらせながら、
艶やか(つややか)な光沢を静かに放っている唐辛子。
油を多く使ったアフガニスタンの料理をほおばりながら、時折、生の唐辛子を齧ると、
なくなりかけていた食欲が刺激され、もう一口食べられるような気がする。

料理は人生に例えられる。
一皿の上には、産まれ、勝って、負けて、泣いて、笑って、
そして、死んでいくというドラマがある。
唐辛子は、そんな一皿という人生に変化と彩り(いろどり)を加えている。
それは一口で料理全体の印象が変わってしまう位の劇的な変化で、
それがあるだけで全体の見た目と味が引き締まるというくらい影響のある彩りだ。

人生には、大抵、ファム・ファタール(Femme Fatale)が現れる。
運命的で、魔性的で、官能的で、魅力的で、必然的で、
男の人生を劇的に変えてしまうような女。
ファム・ファタールは、人生に変化と彩りを加える。
それは出会った瞬間から自分の周りの景色が変わってしまう位の劇的な変化で、
彼女がいるだけで人生が引き締まるというくらい影響力のある彩りだ。

唐辛子はファム・ファタールだ。
一皿という人生の中のファム・ファタールだったのだ。
そう思ったら、唐辛子のないアフガン料理なんて、平板な人生みたいに
ひどくつまらないような気さえしてきた。

唐辛子はファム・ファタールだ。
これは信じていいことだ。





唐辛子とファム・ファタールを題材に雑誌のコラムを書いてください、という依頼が出版社から来た時の為に書いてみた。
もちろん、そんな執筆依頼は僕には来ていないし、僕の残りの人生の中で来ることがあるとは到底思えない。
ただの自慰だ。

※「今夜セレナで逢いましょう」もそうだけど、読み物としておもしろいかなと思って書いているだけなので、筆者の願望とは一切関係ありません、たぶん。



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→ファム・ファタール的とうがらし
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by aokikenta | 2007-11-30 19:18 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 29日
退避勧告下のアフガニスタン・リポート③ 動物編(切ないネコ、うま、ロバ、亀、らくだ、羊)
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→切ないネコ



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→カチャルー(じゃがいも)と人間が乗ったカラチー(荷車)をひっぱって今日もカブールの街を歩く馬



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→こき使われるロバ



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→地雷原近くでのんびりと生活する陸亀(彼にのんびりしているという意識はない)



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→ユーラシア大陸の中心で何かを叫ぶらくだ



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→隠喩的なひつじ
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by aokikenta | 2007-11-29 13:53 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 27日
退避勧告下のアフガニスタン・リポート② 経済活動編
アフガニスタンでお仕事中、芹沢智一さんのブログ『亜富汗斯坦日乗』の中で紹介されていた、中国企業による銅山開発プロジェクトの記事が2007年11月26日付のAfghanistan Timesに出ていた↓。

e0016654_20312422.jpg記事によると、中国国有企業China Matellurgical Groupが、カブール南部のロガー州にあるAynak銅山の採掘権を、2年越しの入札の末に獲得し、30億ドル(約3600億円)の投資をする計画だということだ。驚いたのは、採掘の為に必要な貨物列車の建設も行う計画だという部分だ。
"China Metallurgical Group agreed to invest billions of dollars in the project and related infrastructure development - including the construction of a coal-fired electrical power plant and what would be Afghanistan's first freight railway."
"preliminary plans call for a railroad link from Tajikistan to the copper field and on to Pakistan"

アフガニスタンで最初の貨物列車。

計画だと、タジキスタンから銅山へつながり、そして銅山からパキスタンまで延びる線路を作るらしい。すごいね。

経済が発展する為には、人も金もそうだけど、特に物が行き来することが重要だと思う。日本の場合、明治維新後には海上輸送が著しく発展して、貿易立国そして経済大国への道を歩んできた。日本で最初に設立された株式会社が日本郵船という船会社だということもそれを裏付けている。航空産業が発達した今でも、全体の物量の99%以上を日本は海上輸送に頼っているという事実も、いかに大量に物資を輸送する手段を確保するかが重要かということを示している。

内陸国であるアフガニスタンでは、日本と同じように海上輸送をすることができない。そう考えると、車による輸送と鉄道による輸送が、アフガニスタンの発展を考えた時には重要になってくるのは間違いないだろう。アフガニスタンではまだ幹線道路すら完成していない状況で、今も物資はパキスタンや中国やイランから大量に流入してはいるものの、運輸・貿易の面でいえば陸の孤島という状況にある。それはもちろん、30年近く続いた戦争の影響なんだろうけど。だから、鉄道は絶対にアフガニスタンの発展の為に必要だと思っていたので、ニュースを見て軽く感激した。

更に、このプロジェクトで雇用も1万人確保できる予定らしい。
"some 5.000 people will be working at the power plant adjacent to the copper mine"
"Another 5.000 people... are expected to be employed in the mining operations and as construction workers on the railroad"
発電所で5千人、採掘と線路建設で5千人。

この銅山は1979年に旧ソ連の地質学者によって発見されていたらしいけど、戦争の影響で手付かずになっていたそうだ。そして、手が付けられていない銅山の中では世界最大級のものらしい。
"Years of war in Afghanistan have ensured that the deposit has remained largely untouched since Soviet geologists surveyed the field in 1979"
"By the estimates of some geologitsts, depostits at Afghanistan's Aynak copper field in Logar Province make it the world's largest undeveloped copper field"


こうして見てみると、このニュースはアフガニスタンの発展に向けてとてもいいサインだと思うし、開発に向けて大きな一歩だと思うけど、一番大きな問題はやっぱりリスクだよね。治安が安定した地域はいいけど、不安定な地域に線路を作って破壊されないのかというのは、素人目に考えても単純に難しいだろうと思ってしまう。これをどうやってmanageするかがこのプロジェクトの勝負でしょう。しかし、もし、こういうプロジェクトが成功していけば、アフガニスタンへの外国からの投資が増えて、経済活動ももっと活発になっていくのだと思う。紛争というのは全てをズタズタに破壊してしまう行為。それはインフラとか目に見えるものだけじゃなくて、人間の内面についてもそう。それを解決したり、解決された後に平和な社会を作って生きたいと常々思っているけど、やっぱり最終的に目指すべき社会を実現する為には、僕らみたいな援助関係者だけじゃなくて、民間会社や投資家の力が必要になってくるのだろう。もっとも、それにはアフガニスタンの場合50年、100年スパンの時間が必要になるだろうけど。そんなことを考えてみた。
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by aokikenta | 2007-11-27 20:52 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 26日
退避勧告下のアフガニスタン・リポート① 日常編
「退避勧告下のアフガニスタン・リポート」なんて大袈裟なもんじゃないけど、日常の風景を撮影したのでアップしておこう。

(↓、僕の行動半径は狭く、従って、僕のviewは非常に非常に限られた側面しか捉えていないので、それをあらかじめご了承下さい)

アフガニスタンでは、今年の春頃から、外国人やNGOスタッフの誘拐が多発するようになった。日本人2名が巻き込まれたバス爆破事件や、韓国人23人の誘拐などの影響もあって、7月25日付けでアフガニスタンは退避勧告になっている。日本でもアフガンに関する報道といえば何かの事件が起こった時だけなので、非常に治安が悪い国という印象が根強いと思う。日本に帰って美容院に行った時に、シャンプーをしてくれた若い兄ちゃんに、何してるんですか?と質問をされたので、アフガンで働いてるんですと言った。
そうしたら、彼は、

「えー、すごいですね・・・。アフガンって戦争みたいな感じですよねー。現地の人の精神状態とか大丈夫なんですか?」

質問が意味不明だったので会話は「どうなんでしょー」で途切れた。
どうやって会話を続けたらよかっただろう。

それはいいとして、タリバン政権崩壊後、首都カブールということに関して言えば、比較的(地域、時代という意味で)平和な生活をみなエンジョイしていると言えるのではないだろうか。もちろん、これはアフガン人に限定しての話しだ。失業は相変わらず深刻な社会問題だけど、それでも散発的な自爆テロやIED攻撃、ロケットアタックなどを除けば、戦争を長い間経験してきた国民達は、カルザイ政権下の現在を平和(あくまでも比較的)と感じているのではないかと思ったりする。もちろん、現地の人にインタビューしたり、治安事案件数を正確に分析したわけではないのではっきりとしたことは言えない。


なんともはっきりしない文章ですみません。
とりあえず、市井の人々は変わらず普通の生活をしているんだ、という当たり前のことが少しでも伝わればいいかな。


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→働き者のナショナル・スタッフ、ミルザマン。どのオフィスにもこういう優しい顔をしたおじさんっていない?

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→街角のナン屋さん。

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→写真撮影に快く応じてくれた。「ノン・ボホ(ご飯食べてけよ)」と何故か言われた。中国語の「吃飯了吗(チー・ファン・ラ・マ、ご飯食べた)?」と同じで挨拶みたいなもんだ。

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→広角レンズだけど、空間を活かしきれてないですね。少し下から撮るか。反省。

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→蜂が群がる庭のバラ。アフガンとイランの庭園は好きだ。
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by aokikenta | 2007-11-26 19:49 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 24日
センスと炸裂(さくれつ)
昔、サッカーをしている友達の間では一つの噂がまことしやかにされていた。
それは、「バティストゥータは大学からサッカーを始めた」というもの。
バティストゥータは、元アルゼンチン代表のサッカー選手で、僕が学生でサッカーをやっている当時は
世界最強のストライカーと言っても過言ではない活躍をセリエAでしていた。

そんな彼が大学からサッカーを始めた?

それって本当なの??

ふと気になったので、インターネットで検索してみることにした。
あんまり情報源がないのでwikipediaを見てみると、
確かに、そこには「17歳にしてようやくバスケットボールからサッカーへと本格的に転向」と書いてあった。
17歳から本格的にはじめてあの上手さ・・・、純粋にすげーと思う。

と同時に思うのは、「センス」というものが確かに存在するんだということ。
もちろん、彼が必死に練習したのであろうことは想像に難くないのだが、それ以上に、
彼のサッカーセンスがずば抜けていたということだろう。
ゴール前のポジショニングとか瞬発力とか戦術眼とか、フォワードに必要なあらゆる要素が
絶妙のバランスで彼には備わっていたということなのだろう。

センス。

センスだけで生きていく、とても格好いい言葉だ。
血の滲むような努力は水面下でこっそりとやって、センス一本で生きていけたらいいな。



ついでに、wikipediaをもう少し見てみたら、語録というのが付いてた。
そこにはこう書いてあった。

「そこにゴールがあるから蹴るんじゃない、俺が蹴るからゴールがあるんだ」

・・・それって何か違くねーか(笑)。
いや、やっぱりあんたかっこいいぜ、バティストゥータ。
日本帰ったら、本郷陽二著「世界のファンタジスタ 3 カーン・バティストゥータ・フィーゴ」でも読んでみようかな。



知的生産を、最近、全くしていない気がする。

現場にいるだけで価値があるというのはその通りかもしれないけど、
消費されていってしまうという不安感が抗いようもなく、胸にどんどんと降り積もっていく。
今は、砲弾に詰められたTNT(トリ・ニトロ・トルエン、最もポピュラーな軍用火薬の一種)みたいに、
雷管で伝えられる衝撃波と、それに続く炸裂(さくれつ)を、ひっそりと待っている時期かもしれない。

センスと炸裂。
とても相性のいい言葉だという気がするのは僕だけ?
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by aokikenta | 2007-11-24 23:35 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 23日
カメラ
そういえば、日本からパワーアップして帰ってきた。
何がパワーアップしたのかと言うと・・・、

新しいカメラと広角ズームレンズと、ボディ2台とレンズ3本が余裕で入るカメラバッグを購入したのだ!

ボディは前にも紹介したEOS 40D。

新しいレンズはシグマの広角ズームレンズだ。
これで、標準レンズ、望遠レンズ、広角レンズが一通り揃ったわけだ。
きっと、新しく買ったカメラも時間が経てばサブカメラに格下げされてしまうのだろうけど、とにかく今は本格的なデジタル一眼レフが手に入って嬉しい(涙)。


しかーし!、カブールに戻ってきたはいいが、全然カメラを使う機会がない。
対外向けとかそういうんじゃなくて、本当にこちらに来てから一歩も外に出ていない。
不健康ですね。早くこれらの装備が生きる日が来るのを一人で楽しみにしてます(かなり暗いな・・・)。


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→左から、
ボディ    Canon EOS 40D
ボディ    Canon EOS Kiss Digital X
広角レンズ Sigma 10-20mm F4-5.6 EX DC/HSM
標準レンズ Canon EF-S18-55mm F3.5-5.6 Ⅱ USM
望遠レンズ Canon EF55-200mm F4.5-5.6 Ⅱ USM
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by aokikenta | 2007-11-23 17:19 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 20日
From Islamabad to Kabul
自分を取り巻く環境がめまぐるしく変わりすぎていて、頭が追いついていかない。ついこの前に、家族や友達に「日本到着」というメールを送った気がするし、ちょっと前に「イスラマ到着」というメールを送っていたような気がする。今度は、気がつけば「カブール到着」というメールを送っている自分がいる。自分は一体どこにいるんだっけ?って、ふと夜中に目を覚ました時に思ったりする。これは夢?って、数日前に起こった出来事を思い浮かべたりする。多分、現在へと連続した意識の中で理解しているから現実に起こった出来事なのだろう。もはや、そういう方法でしか目の前で起こっていることを理解できない。もし、僕が今している生活を10代の多感な時期にやっていたとしたら、確実にアイデンティティーが崩壊していただろう。



イスラマバード大運動会で痛めつけられた体を引きずりながら、イスラマバード空港へ向かった。マラソン競技に参加して完走したはいいが、あまりにも運動不足過ぎて、肺が苦しいし、口の中が鉄みたいな味がするし、全身が筋肉痛になってしまった(たった2キロで・・・という突込みが体育会の同期から聞こえてきそうだ。でも中距離は一番きついのだ。)。空港で、偶然に知り合いに出会った。行き先はお互いにカブールだったが、僕達は乗る飛行機が違ったのであんまり話す事ができず残念だった。

カブール空港に到着して中央ターミナルのバッゲージ・クレームで荷物を待っていたが、待てど暮らせどやってこない。出だしから上手くいかない。あー、カブールに戻ってきたんだ、と思いつつ、他の乗客と相談して、国連機ターミナルのほうへ歩いていくことにした。歩いて5分くらいすると、国連機のスタッフが追いかけてきて、荷物はこっち(中央ターミナル)から出る!と教えてくれた。引き返して無事にスーツケースを受け取る事ができた(以前、インドネシアに行った時は受け取れず、翌日の便に載せられていた。でも、受け取れただけラッキーだ。)。

駐車場で、ラハマトラーとヌール・ナビとハグをした。
それで、やっと本当に僕はカブールに戻ってきたんだと思った。



カブールは寒くて、日中はそれほどでもないが、日が暮れるとかなり寒い。気温や湿度が違うだけでも体には大きな変化なのだが、戻ってくるなり、いきなり引継ぎをしてずっと仕事の話をしていたので、頭の方が事態の変化についていけてないような気がする。晩御飯の時に、やけに背筋が寒くて、食欲も全然なかったので、早めに寝ることにした。

僕は3つの世界を生きている。住民票がある日本と、活動の拠点であるパキスタンと、プロジェクトをやっているアフガニスタンの3カ国だ。ファイルの分類は簡単にできるのかもしれないが、それらの異なる世界を棲み分けるには少しの時間が必要だ。

アイデンティティーの形成と「場所」には密接な関連性があるような気がする。大学時代、同級生に帰国子女・子弟の子がいっぱいいたのだが、日本で生まれ育った子からは何か違う匂いがしていた。それは、生まれ育った国の文化や風習が違うから、と説明することはできるけど、それ以上に、自分が日本と強く結びついている存在として自分を認識するのか、あるいは、自分は日本と他の国の2カ国に強く結びついている存在として捉えるのか、そういったアイデンティティーの問題であったのではないだろうか。人によっては、地球とか人類とか世界とか、そういった漠然としたものと自分自身とを関連付けるものなのかもしれない。こういうものって、生まれた村で育って、生まれた村で就職して、生まれた村で死んでゆく時代にはなかった現象だったに違いない。

しかし、幕末に生まれた坂本竜馬は島国で生まれたにも関わらず、とても壮大な構想を描いていた。どうして彼にはそんなことが可能だったのだろう?



僕がカブールにいない間には、色んな出来事が起こっていた。昨晩寝ようかと思ったら、僕の部屋の真横に小型発電機の小屋が設置されていた。ドアがついてないので騒音がそのまま部屋の窓に振動を与えていて、窓がずっと震えている。とてもではないが、発電機をオフにするまでは寝られそうもない。事務所にいない人間にsayはないようだ。このままだと、事務所にいない間にどんどん僕の把握していない事が進行していきそうな気がする。気がついたら手が付けられなくなっていそうなどうにもならない事態が。まぁ、遠隔操作と決めた時点で、それは想定の範囲内の出来事ではあったのだが。どこまで腹を括れるか、それが当面の問題だ。



こっちに来て一日だけどすごく疲れた。
やっぱり、めまぐるしく変わる環境に追いついていないみたいだ。
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by aokikenta | 2007-11-20 22:01 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 18日
NEXT DESTINATION 2
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- - - > SOMEWHERE SPECIAL
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by aokikenta | 2007-11-18 21:08 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 16日
Diplomatic Enclave
Diplomatic Enclaveは日本で言えば、霞ヶ関と永田町を足して2で割らないような場所だ。名前の通り、各国大使館が居を構えていて、その他にも銀行やVIPのみが入会を許される植民地主義的会員制クラブなどが軒を連ねている。今日は、午前も午後もそこに用事があって行っていた。

Diplomatic Enclaveのすぐ近くには大統領官邸があって、その前ではパキスタン軍が数え切れない警備兵を並べて厳重な警備を敷いていた。大統領官邸への道は完全に封鎖されていたのでいつもの道は使えず迂回を余儀なくされた。大統領官邸にいる警備兵の前では、欧米のメディアがひたすら写真を撮ったり、映像を撮ったりしていた。警備兵にピントを合わせて背景に大統領官邸をぼかして入れたらカッコよさそうだなぁとか一人で考えていたけど、素人が撮影して買ったばかりのカメラを没収・破壊されるのが怖かったので止めておくことにした。

そういえば、日本一時帰国中に新しいカメラを買った。買ったのは前にも紹介したEOS 40D!実は、EOS Kiss Digital Xと同じ1010万画素なのだが、映像エンジンがDIGICⅡからDIGICⅢに進化したので、起動時間が更に短縮されたり(0.15秒!)、記録画質の分類が更に細かくなったり、連写が更に早くなったりと色々な部分で改良されたことを感じる。特筆すべきは、カメラを持った時の重量感とシャッター音だ。手に心地よい重みがあって、見た目も持った感じもより豪華になった。シャッターを切る時に耳元で囁くように鳴る音も非常に心地よい。ビジバシ撮って、「退避勧告下のアフガニスタン・レポート」とか「非常事態宣言下のパキスタン・レポート」とか、もし読みたいという人がいるならやっていきたいと思う。

自分のことながら、なんか段々マニアックな方向に進んでいるような気がする。
まぁ、大人になっても楽しめる玩具(おもちゃ)が僕には必要なのだ。



アフガニスタンではCODANのアンテナをつけた白いランドクルーザーがわんわん走ってて、その中では「Heading to Location Zero」とか「Negative copy」とか「Will copy」とか「Clear, over and out」とか、先進国に住んでいわゆる普通の会社に勤めていたら一生使われることがないであろう言語が飛び交っている。街中では、ミリタリーの車両が頻繁にパトロールをしていて、セキュリティー・ガードが至る所でAK47を構えている。翻って、ここイスラマバードでは、小奇麗なトヨタやホンダやスズキの2007年モデルの新車がそこら中で入っている。カブールからやって来ると、これが同じ世界なのか、と頭がクラクラするけど、日本から来たら、イスラマバードだって発展途上国の仲間入りをしてしまうものなのかもしれない。

つまり、人間の印象というものはいつも相対的ということなのだ。幸せとか快適とかいいとか悪いとか、およそ価値判断というものは生まれつき相対的なものだということなのだ。そうしたら、多くの人にとってこの世の中を生きる上で重要なのは、相対的に自分がどのくらいのポジションにいるか、自分が上の下(じょうのげ)くらいに位置しているのか、中の上(ちゅうのじょう)くらいにいるのか、下(げ)だけどまだ中の下(ちゅうのげ)くらいになのか、という事が差し当たって重要な問題だということだ。

絶対的にいいことっていうのはあるのだろうか?そういうことはないのかもしれない。何故なら、僕達は禁断の実を食べて楽園を追放されてしまったんだから、僕達は楽園をあらかじめ奪われている。反対に、絶対的に悪いことって何?人を殺すこととか?物を盗むこととか??でも、それだって悪くない場合があるものだ。

夢と言えば、マンションを買って、車を買って、うーんうーんって答えが詰まっちゃう想像力欠乏症候群の金太郎飴にとって、幸せっていうのは何なのだろうか?それらの有形なものを手にして幸せだって言い切れる?答えはNoだ。だって、手に入れたらもっといいものが欲しくなる。欲望の塊、それが人間だ。僕だったら、何か無形のもの、生きている証拠(あかし)みたいなもの、そういうものを追いかけて生きて行きたい。



イスラマバードの事務所にはクックがいる。彼が毎日3食ご飯を作ってくれるのだ。その他にも、ここではお湯が出るのでいつでもシャワーが浴びられるし、ちょっと買い物に行こうと思ったら、いつでも気軽に出かけられる。作ってくれるのはお昼ご飯だけ、しかもオイリーなアフガン料理で、停電が頻繁に起こってボイラーがストップしてシャワーが浴びられず、行きたい場所にも絶対に簡単には行けないアフガニスタンと比較すると、天国と地獄という気がする。

夕食の後、クックがチョコ・ブラウニー・ケーキを作ってくれて、香り高いコーヒーと1本200ドルするコニャックを飲みながら食べた。僕の頭の中には「犯罪的」という言葉しか思い浮かばなかった。これは犯罪的だ、これは犯罪的だ、というフレーズが頭の中でエンドレスでリピートしていた。その傍らで、部屋の隅の方からアフガニスタンで働く現地スタッフがこちらを見ているような気がして、一瞬、本当に犯罪を犯したような気持ちになった。

やっぱり僕は病気かもしれない。



友達が面白いことを言っていた。熱い水と冷たい水を交互にかぶっていると、人間は肺炎になってしまうらしい。それと同じで、カブールとイスラマバードを行ったり来たりしてたら、どこかが炎症を起こしてしまうんじゃない、と彼女は言っていた。なんか、この話には、非常に重要な教訓が含まれているような気がした。カブールとイスラマバードを行ったり来たりして炎症を起こすとしたら、多分それは心の炎症だろう。これから始まる生活は少し心と体に負担をかけてしまうのかもしれない。急激に年齢(とし)をとらないようにしないとね。



何を書きたいんだかよくわからなくなってしまった。
雑感。いいんだそれで。
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by aokikenta | 2007-11-16 05:31 | 日記(イスラマバード)
2007年 11月 14日
ラホールの夜明け
空港を出ると、ラホールの街は霧に覆われていた。霧からのスタートよりも快晴からのスタートの方がよっぽどいいに決まってるけど、これまでいつも僕は前が見えない中を、コンパスも、海図も持たずにぐんぐん突き進んできたんだから、それも悪くないんじゃないかなって思う。東京本部からの出張者2人と僕を乗せたタクシーは、秩序のあまり見られない混沌とした道路の上をホテルに向かって一心に進んだ。30分くらいすると、HOTEL FORT VIEWというお世辞にも豪勢とは言えないホテルに到着した。

ホテルに着いたのが深夜12時を過ぎていて、みんな疲れ果てていたのですぐにでもベッドに入りたかったけど、マネージャーがどうしても夜景を見せたがるので屋上まであがることになった。夜景なんて言ったってどうせそんなに大したことはないんだろうと思っていたが、実際に屋上に上がってみると、目の前には霧の中で幻想的に浮かび上がるモスクが僕らを待ち構えていた。見た瞬間、イランのイスファハンで見たスィー・ウー・セー・ポルが脳裏に思い浮かんだ。と同時に、見たことはないけど、大荒れの海の中を進む一隻の船というのはこういう感じなのだろうと思った。これは今の僕の心象風景だ。

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↑HOTEL FORT VIEWの屋上から見下ろすラホール・フォート



11月12日出発当日の朝、午前5時30分のバスに乗らなければいけないはずなのに、目を覚ましたら5時30分だった。「あっ、終わった」と一瞬思ったが、一本後のバスが6時30分に出ていることを思い出して、それならギリギリ間に合うんじゃないかと思って慌ててパッキングを開始した。当初の計画では午前3時30分に起きて、1時間半でパッキングを終わらせて、5時に家を出発する予定だった。だから、パッキングを全くしていない状態だったので、さすがに焦った。とにかく時間がないので(出発までの30分でリュックサックとPCバッグとカメラバッグとスーツケースに荷物を詰め込まなければならなかった)、ほとんど置いていくべきものと持っていくべきものの選別をしないで、ひたすらかばんに物を詰め込んだ。6時30分のバスにはなんとか間に合った。成田からバンコク経由でラホールに入り、ホテルで1泊して、13日、戒厳令下のイスラマバードにやってきた。



今僕が置かれているシチュエーションというのはこれまでに前例があまりないような状況で、どこまで書いていいのかよくわからないけど、結局、僕はパキスタンの首都イスラマバードでしばらく働くことになった。アフガニスタンでのプロジェクトは継続するのだが、治安の悪化から(一部の)日本人がアフガニスタン国内にいることができなくなったので、イスラマバードからプロジェクトを遠隔操作することになったのだ。2週間日本に一時帰国している間は、あんまりやる事なす事が手につかなくて、とにかく疲れていたのでゆっくりと休んでいた。人によっては、あんまり大きな変化じゃないんじゃない、と言うかもしれないけど、僕にとっては気持ちを整理するのに結構時間がかかった。心残りややり残した事がまだまだいっぱいあるような気がして、それでも去らざるを得ないというのは、人間を複雑な気持ちにさせるものだ。



仕事の面で複雑な気持ちになることは沢山あるけど、プライベート面で言えば、「隣接国探索シリーズ」が第1回の奔流イラン編を書いただけで、アフガニスタンを去ることになったのが心残りだ。本当は、トルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、中国新疆ウイグル地区、パキスタンを周るはずだったんだけど、それをアフガニスタンベースでやることは実質的に、少なくとも向こう数年は不可能になってしまった。でも、多分僕はパキスタンをベースに、アフガニスタンを中心とした隣接国探索を続けるのだと思う。未だ持って、そういう気持ちでいる。

今回の退避を受けて思うのは、人生の中でやりたいと思った事があったら、それが気持ちの中で熱い内にやっておくべきだ、ということ。イランに行った時に、隣接国探索をやりたい!と思ったレベルで、将来もそのモチベーションを維持できるとは到底思えない。やりたいと思ったことは、そう思い立った瞬間にやった方が、人生を終える時に後悔がないのではないだろうかと思う。例えば、会社を辞めて留学したいとか放浪旅行したいとか、どうしようもなく好きな人ができたとかいう時に、その気持ちをオブラートで包んで自分を誤魔化すのはとっても不健全だと思うのだ。そうして誤魔化された気持ちというのは、残りの人生にずっと付きまとうもので、理性的な判断では自分を誤魔化しきれるものではない。僕は、会社をやめて留学してアフガニスタンに行った事に対して後悔をしたことはこれまで一度もない。きっと、自分の正直な気持ちっていうのはそういう不変的なものなんだろう。

精神的な傾向というものは、一度固まってしまうと、そう簡単に変えられるものではない。僕の頭の中ではずっとAm(エーマイナー)が鳴っているような気がする。時には、それがC(シー)になったり、A(エー)になったりするけど、結局はAm(エーマイナー)に帰結してしまうものなのだ。それは、もう僕にはどうしようもない傾向、あるいは、性向というものだ。だから、時には上に、時には下にブレたりすることはあっても、変えられない自分というものがあるのだと思う。それは変えられないんだから、そのままで生きていけばいい。こういうことをネガティブに言えば諦観で、ポジティブに言えば達観という言葉で表されるのだろう。



イスラマバードでの新しい生活が始まった。カブールに住んでちょうど2年、ある意味ではよい区切りだと思って、前向きに明るくやっていきたいなって、目の前にある山積みの仕事を横目にしながら、考えている。そうすれば、僕の頭の中に流れるAm(エーマイナー)が、いつしかAm7(エーマイナー・セブンス)になり、そしてC(シー)に転調する日が来るかもしれない。ラホールの街にかかっていた霧が晴れる日も来るかもしれない。自分自身の矛盾は自分でわかっている。でも、それはきっと不可能な事じゃないはずだ。

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by aokikenta | 2007-11-14 03:17 | 日記(イスラマバード)