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カテゴリ:隣接国探索①奔流イラン編( 9 )

2007年 06月 29日
プロローグ
 知的退廃が進んでいた。このまますると、髪の毛が真っ白になり、胃に穴が空いて、数年後にはすっかりおじいちゃんになってしまうのではないか、そんなことを真剣に考え始めるようになっていた。忙しいには忙しい。しかし、知的興奮とは程遠い生活。そんなカブールでの生活を過ごす内に、延々と走り続ける実験用のラットになったような気分に陥って、出口を見出せないでいた。マシュハドに行こうと思い立ったのは、アフガニスタンに住みだして1年半以上が経過し、躁鬱の針が下に振れているそんな時だった。

(参考情報)
1.航空券-カブール市内チャライ・アジアフブ角にあるKam airオフィスで購入。往復11,700アフガニー(約US$234)。簡単に購入できたが、巡礼シーズンはすぐに一杯になるらしいので早めの購入が望ましい。
2.ビザ-在アフガニスタン・イラン大使館で取得。有効期限3ヶ月、滞在15日のシングル・ツーリストビザ。下記の書類が必要。
 (1)パスポートコピー
 (2)所属団体からのレター
 (3)日本大使館からのレター
 (4)往復航空券コピー
 (5)写真2枚
 (6)申請書(イラン大使館で受領)
 (7)申請費用(50EUR、約68ドル)
3.宿泊-事前予約なし。何処も空室があったが、航空券同様、巡礼シーズンは要注意。
4.予算-実際に使用した費用は合計702ドル。明細は下記の通り。
 (1)航空券 US234
 (2)ビザ US$68
 (3)滞在費用 US$400(宿泊、移動、雑費全て込み)
  合計 US$702

※この旅行記は、筆者が2007年5月26日~6月2日にイランを訪れた時のものです。
※書きながら、上の参考情報は多くの日本人にとって興味深く読まれることこそあれ、決して有益ではないのではないかという不安が胸をかすめている。
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by aokikenta | 2007-06-29 23:20 | 隣接国探索①奔流イラン編
2007年 06月 29日
2007年5月26日(土) マシュハド1日目
 旅の出発点はアフガニスタン国カブール州。North Faceのバックパックを背負い、Canonの一眼レフカメラを肩から下げて、午前8時30分に事務所を出た。9時にはカブール空港へ到着し、メインターミナルでさっさと搭乗手続きを済ませた。飛行機が来るまでの間、カブール空港の待合室で、岡崎正孝著『基礎ペルシア語』をペラペラとめくりながら時間を潰していた。

 今回の旅ではペルシア語を少しは上達させたいな。裏側にはそんな企みもあった。アフガニスタンに赴任すると決まったときから、現地語はマスターしなければと意気込んでいたが、なかなかどうして、仕事が忙しくて言葉を習う時間が取れないまま1年半以上が経過していた。紛争屋は仕事をする上では英語で充分、現地語を使うと余計な誤解が生まれかねない。それも確かに事実なのだが、アフガニスタンで仕事をする以上、現地の人々が話している言葉を理解することが非常に重要だというのもまた疑いようのない事実なのだ。人間は言語を交換する生き物だ。交換される言語は、使用する人々の世界観を表している。日本語で理解をすれば、日本語というシステムの枠に囚われてしまう。英語も同じだ。だから、アフガニスタンの公用語を覚えよう、覚えるのはイランやタジキスタンでも使えるダリ語にしよう、とかねてから思っていた。先生から習えないなら、毎日少しずつ独学していけばいい。

 厳密に言えば、イランで話されるペルシア語とアフガニスタンで話されるダリ語は少し違うのだが、ダリ語はペルシア語の方言なのでお互いに通じ合う。だから、ペルシア語の上達はダリ語の上達に直結するのだ。ペルシア語を使わなければ、宿が取れない、ご飯が食べられない、行きたい場所に行けない。そういう環境に置かれれば、きっと言葉が上達するに違いない。イラン旅行の背景には、言葉の上達にかけるそんな思いもあった。

 飛行機は予定通り午前11時にカブール空港を出発した。窓側の席で、埃っぽくて赤茶けた大地を下に見ながら、いよいよ旅がはじまったなとがらがらの飛行機の中で感慨深く息をついた。落ち着いた所で、音楽でも聴くかとMP3プレーヤーを取り出そうとすると、横に座っている人が僕に顔を近づけてくる。なんだこの人はと思って振り返ると、飛行機から見える絶景に目をうるうるさせている若者だった。栗色の髪の毛をした、青い目のアフガン人の若い男性。初めて飛行機に乗るのかなぁ、と思って「綺麗だね」と声をかけると「ああ、とても綺麗だね」と感傷的な声で返してくる。僕はいつでも飛行機に乗れるし、代わってあげるかと思い、席を交替してあげた。彼は満足げに窓際の席を占領し、飽かず窓から景色を眺めていた。

 少し会話を交わした所では、彼はイランへ片道切符で仕事に行くらしかった。アフガン人が片道切符でイランへ出かけるという構図だけで、なんだか同情的になってしまったが、見ず知らずの日本人に同情されるなんてきっと大きなお世話だ。むしろ、一人でマシュハドに向かう日本人の図の方がよっぽど同情的な光景だ。

 「ここがヘラートだ」「綺麗だろ」なんて言葉を交わしながら、約2時間でマシュハド空港に到着した。現地時間で午後12時30分になっていた。市内まで時間もかかるだろうし、早めに宿探しに入ろうと思い、両替だけを済ませてタクシーに乗り込むことにした。空港の両替屋で100ドルを約92万リエルに両替して、タクシー乗り場に行こうと思ったが、それがどこにあるのかもわからない。両替屋の兄ちゃんに「タクシー乗り場はどこだ」と聞いてみたら、マシュハド市内へ向かうバスのチケットをくれた。ただではもらえないと思い「お金は?」と聞くと「そんなの要らないよ」との返事。旅先で触れる人の優しさに素直な感動を覚えた。イランはきっといい国に違いない!爽快な気分でバス乗り場へ向かった。

 バス停で煙草を1本吸っている内にバスはやってきた。何処へ行くバスなのかよくわからなかったので「イマム・レザー」と一言つぶやいてみた。そしたら、問題ないようなことを言うので、そのバスに乗ることにした。

 イランの道路は綺麗に舗装されていて、道端に並ぶお店や建物も整然としていた。これが隣国!?というくらいの衝撃。パキスタンよりも断然綺麗だ。道行く人も、男性はほとんどが洋装で洗練されている。女性は黒いチャドルを着ていて、シーア派の大国であることを痛感する。

 30分ほどで、開けた場所に到着した。バスから降りてなんとなしに前を見ると、ターコイズ色をしたドームと黄金に輝くドームが目に入った。
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 誰に聞くまでもなく、それはハラム・イマム・レザーなのだとわかった。12人いるイマムの内の第8代イマム・レザー。イラン国内にあるイマムの廟はマシュハドにあるこのハラムのみで、レザーはイラン人から特別な尊敬を集め、マシュハドは聖地として崇められている。ちなみに、イラクのカルバラにはイマム・フセインの廟があるらしく、一生の内に一度は行ってみたいと思っている。

 こいつは凄いもんを見たという気持ちになって、しばらく眺めていた。

 しばらく眺めてから、宿探しをしようと思い、バスを降りた辺りで適当にホテルを数件当たってみた。後でわかったことだが、バスを降りた場所はベイトル・モガッタス広場というラウンドアバウトで、マシュハドでも一番活気のある地域だった。ホテルも沢山あったので、宿探しには苦労しなかった。まずは高い所から見てみようと思い、高級そうなホテルから聞き込みを開始した。大体どこも40ドル、50ドルくらいが相場のようだ。快適で少し安い所があるだろうと思って、少し横道に入って中級ホテルに聞く事にした。

 あるホテルに入り「1泊いくらですか?」と聞くと、「2万だよ」と帰ってくる。1泊2万リエルということは、約2ドルってことなのか!と思い、不審に思ったが、部屋を見ても快適そうで文句のつけようがない。よしここにしようと思って、サインをしかけたが、もう一度聞いてみたら、2万トマン(約22ドル)のことだった。この時始めて知ったのだが、イランでは10リエル=1トマンであり、トマンとリエルは日本で言えば円と銭のような関係にあるのである。2万トマンということは、20万リエルだから・・・と考えていると、さっき換えた100ドルの約1/5に当たるではないか。1泊でそんなにとられたんじゃ、この先が思いやられるということで、サインを思いとどまった。

 ホテルの人にもっと安い所はないのかと聞いてみたら、案内してくれるということで、言われるままについていくと、案外綺麗なところを13万リエル(約14ドル)で紹介してくれた。約14ドルでこのホテルは安いということで、その「ナイム・ホテル」という所に泊まることにした。
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↑ベイトル・モガッタス広場

 ホテルにチェックインをし、荷物をほどいてからベッドに横になりながら、何をしようかなと考えた。第一に、ガイドブックも何も持たず、事前にインターネットで調べもしないで来たので情報を集める必要があった。それに、アフガニスタンといつでも連絡を採れるように連絡手段を確保する必要があった。よし、地図とSIMカードを買おう。そう思い立って、外に出かけていった。

 外に出たはいいが、ハラムが余りにも美しいので、地図とSIMカードは後回しにして、ハラムの中へ行く事にした。何も分からないのでゲートから入ろうとしたら、あっちに行けと警備員に言われるので行ってみると、案内所だった。モスリム以外の外国人は別口で受付をしなければならないらしい。結局、ガイドさん付きでハラムの中を案内してもらうことになった。

 ハラムの中は素晴らしかった。ターコイズ色のドーム、壁に貼られた蒼いタイル、広大な中庭。これ以上すごいイスラムの集合施設はないんじゃないかって思うくらい、空間があって、美しくて、威厳があった。惜しむらくは写真が撮れないということで、ハラムの中で撮影した写真は一枚もない。また、外国人として入った為に、この日は真に重要な部分には立ち入れなかった。無念。
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↑外側から撮影

 旅は8日もあるので慌てることはないか、ということで1時間30分くらいで外に出て、街をぶらぶらすることにした。ハラムのすぐ近くにはバザーレ・レザーを初めとしてお店が所狭しと立ち並んでいて活気に満ちていた。一人でぶらぶらと街歩きできる喜びをかみ締めながら、ツーリスト・インフォメーションでただの地図をゲット。次に、SIMカードを買おうと思ってお店に入ったら、35ドルもすると言われた。アフガニスタンなら10ドルなのにそんなわけないだろうと思って外に出た。後でイラン人達と話してわかったことだが、35ドルでもそれほど高くないらしい。イランのSIMカードは法外に高いのだ。

 ぶらぶらしていたら旅行代理店があったので、ついでに移動の手配も済ませておこうと思って、飛行機と列車の予約をすることにした。お店の人に聞いたら、イランの交通網はよく整備されていて飛行機も列車もバスもあるということだった。バスで長時間揺られるのはつらいものがあるので、飛行機か列車で旅を組もうと思って、お店の兄ちゃんにお願いをした。空いてるスケジュールで入れてもらったら、次のような手配になった。

5月29日(火) 11:00マシュハド - 12:00テヘラン(飛行機)
           22:20テヘラン  - 06:00イスファハン(+1、列車)
5月31日(木) 19:15イスファハン- 15:15マシュハド(+1、列車)

 イスファハン-マシュハド間は20時間かぁ・・・と少し暗い気持ちになりながら、お店を後にした。チケットのピックアップは明日でいいという。

 もう午後8時を回っていたので、インターネットカフェに入って、とりあえず無事であることを事務所に伝えてから、飯を食うことにした。晩御飯は、チキンとナンとサラダ。焼いただけのチキンかと思って食べたら、柔らかくてものすごく美味しかった。全て平らげてから、ホテルに戻った。シャワーを浴びて日記を書き終えたら、すぐに眠くなって、ベッドに横になったら一瞬で寝てしまった。

 その後、夜中に喉が渇いて何回か目を覚ましては水を補給した。カブールと対して気候は変わらないのだが、デスクワーク生活の身にはイランでの町歩きが堪えたらしい。退廃していたのは精神だけではなく肉体の方もだった。
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by aokikenta | 2007-06-29 22:20 | 隣接国探索①奔流イラン編
2007年 06月 29日
2007年5月27日(日) マシュハド2日目
 気だるさを感じながら目を覚まして、顔を洗ったら、朝の8時に朝食がやってきた。朝食といってもナンと紅茶とバターとジャムくらいの質素なものだ。これだけかぁと思ったが、他のホテルでも同じようなものだったのでイランの朝食はどこでもこんな感じなのかもしれない。

 9時にホテルを出て、何処へ行こうかと作戦を立てることにした。地図を見るといくつか観光名所らしいところがあるのだが、ハラムの存在感がすごすぎて、マシュハドではハラムだけ見ればもういいんじゃないかという気がしてきた。ハラムの表情を東西南北から撮影してみたら喜怒哀楽がみられるんじゃないかと思って、時計回りでハラムを一周することにした。

 よしと思って歩き始めてから30分くらいの所でナディール・シャー廟というのがあったので、休憩がてらちょっとのぞいてみた。16世紀~18世紀の初頭にかけてイランは強大な王朝サファビー朝によって支配されていたのだが、1722年にある部族に滅ぼされてしまった。そのある部族とは現在のアフガニスタンの最多数民族であるパシュトゥン人だった。ギルザイ族と呼ばれるパシュトゥン人の一族は、サファビー朝が衰退したのをきっかけとして、迫害されてきた仕返しとばかりに、帝都であったイスファハンに攻め込み、あっという間に破壊しつくしてしまったといらしい。オスマン・トルコでも倒せなかったサファビー朝を倒してしまうんだからパシュトゥン人っていうのは強かったんだなぁ。

 そういうわけで、ヘラート(アフガニスタン西部の都市)まで領土を持っていたサファビー朝は滅亡し、反対に、パシュトゥン人によってマシュハドの辺りまで支配されるようになってしまった。このパシュトゥン人というのは、上に書いたギルザイ族ではなく、ギルザイ族を倒してしまったアブダリ族のアフマド・シャー・ドゥッラーニーという人だった。この人が1747年に建国したのがアフガン人始めての王国と言われている。

 話しが少しそれたが、ナディール・シャーは、そんな誇り高きペルシャがアフガン人による支配を受けていた冷遇の時代に現れて、ペルシャを再び統一してしまったイランの英雄なのである。公園には、多くのイラン人が見物に訪れていた。
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↑ナディル・シャーの彫像
 
 適当にナディル・シャー廟を見てから、本来の目的であるハラムの西門へ向かうことにした。直線で数百メートルなのですぐ着くなと思ってのんびり歩いていたら、何故か知らないがナン屋のおじさんに声をかけられた。何を言っているのかよくわからなかったが、日本人が珍しいらしい。とりあえず、お店に入ってみたら写真を撮ってくれというので、格好良く撮ってあげる事にした。
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↑ナン屋のオヤジ

 写真を見せたらとても嬉しそうな顔をして、お返しとばかりに焼きたてのナンを一枚くれた。とても香ばしくておいしかったが、朝飯を食べたばかりであまりお腹がすいてなかったので、リュックサックに直に入れておいた。

 地図と水とナンの入ったリュックサックを背負って、ハラムの西門にようやく到着した。やっぱり南側から見る景色とは違った表情がある。
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↑西から見たハラム
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↑西門

 西門の所でもっと上手く撮れないかなぁと試行錯誤していたら、若い男に声をかけられた。その黒いキャップを被った少し筋肉質の若いイラン人の男が「写真を撮ろうか?」と英語で言うのでお願いすることにした。そこから会話が始まって、なんでかわからないが、マシュハドを案内してあげるよということになってしまった。いや、これからハラムを一周しようと思っているんだと言っても、何で?という表情をしていて、自分自身説明不能だったので、ハラム一周は明日でいいかと思って、一緒に歩くことにした。

 その青年はハディという名前で、大学でテコンドーをしており、黒帯所持者だという。今は休みの期間で暇だから、英語の勉強がてら外国人と極力話をするようにしているのだと言う。将来は体育の先生になりたいというエネルギッシュな若者だ。

 ハラム一周をやめたので、近くにあったその名も緑のモスクという意味のサブズ・モスクへ行く事にした。こじんまりとして綺麗なモスクだった。
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↑サブズ・モスク

 ハディとは基本的に英語で会話をした。
ハ「名前は何ていうの?」
ケ「ケンタ」
ハ「年齢はいくつ?」
ケ「28歳」
ハ「奥さんはいるの?」
ケ「いない」

 会話をしている内に、お前はどうして28歳にもなって結婚もせず一人でイランへ来たのだという視線になってきたので、アフガニスタンに住んでいて、休暇で来ているんだとフォローを入れることにした。そうしたら、アフガニスタンでは何をしているんだというので、地雷処理団体で働いていると言ったら、益々何をしているんだこいつはという顔つきになったので、お互いに気まずい雰囲気になってしまった。

 ガールフレンドはいないのかとしつこく聞くので、いないと答えたら信じられないという表情で、ガールフレンドの一人もいないのかと言う。ハディの言うガールフレンドとは肉体関係を持つ女性のことなのか、それともただの女友達のことなのかがイマイチわからない。イランはイスラム教国だから、どちらかと言うと後者のような気がしないでもないが、とにかく、28歳で女友達もおらず一人でイランのマシュハドを徘徊していて、しかもアフガニスタンで地雷処理にいそしむ男というラベルがもう貼られてしまった。

 同情してくれたのか、サブズ・モスクの脇にあるベンチでおしゃべりをしている女の子3人組に声をかけて僕のことを紹介してくれた。一体、こんなシチュエーションでどんな会話をしたらいいんだろうと思って、とりあえず「何をしているんですか?学生ですか?」と聞いてみた。女の子の一人が都市建築学を勉強していると答えてくれたのでなんとか会話を始めることができた。ヨーロッパ人のような顔立ちのその女の子達の笑顔がとても可愛くて、イラン人の女性は綺麗だなぁと見とれてしまった。

 後ろ髪を引かれる思いでサブズ・モスクを後にして、ハディの誘いのまま昨日も訪れたハラムの中へ行く事にした。荷物を預けてからガイドを呼ぶのかと思ったら、ハディが警備員に「こいつは友達なんだ」と説明してくれて、正面のゲートから堂々と突破できた。今日は昨日と違ってモスリムとしてのハラム見物だ。

 昨日のガイドさんほどではないが、ハディは丁寧にハラムの中を案内してくれた。凄かったのは、昨日は入れなかった一番の中心部分に入れてしまった事だった。ここまで来てしまっていいんだろうかという気持ちと、今日を逃したら一生ここには入れないだろうという気持ちの天秤の末、案内されるままに内部を見学した。

 ハラムは言葉にも写真にも表せないほど圧倒的だ。なんでこんなに凄い所が、イラン観光ツアーなんかではオプションツアーくらいの扱いしか受けず、『地球の歩き方』(カブールに戻ってから友人に借りた)では一番最後のページに回されてしまうんだろうかと不思議でならなかった。後で行く事になるイスファハンもすごかったが、単体としての存在感と迫力ではハラムは群を抜いていた。こんな所に航空運賃234ドルでこられるなんてカブールに住む僕は幸せだ。

 見学に疲れたので外へ出て、同じ場所で午後5時に会おうと言ってハディと分かれた。正直言って、また会おうと言ってくるとは思わなかったが、旅は道連れじゃないが仲間がいた方が楽しいので会うことにした。僕は疲れたのでホテルへ戻って、サフランライスとチキンとサラダでお腹を一杯にして昼寝した。

 午後4時頃目を覚まして、昨日の旅行代理店へ行ったら、まだチケットが出来ていないから明日来てと言われた。しょうがないので、収穫もないまま、約束の5時にハラムの前に行ったら約束どおりハディがいた。今度は別の場所をみせてあげるよというので何も考えずついていった。

 彼が案内してくれたのはMallek Houseという古い洋風の屋敷みたいな場所だった。確かに赴き深い場所なのだが、一体どんな歴史的意味がある場所なのかがわからなかった。今もって結局わからない。
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↑横浜・神戸風の建物、Mallek House

 今度はバザーレ・レザーに行こうというので、そのまま向かった。バザーレ・レザーは商店が並ぶ大きなバザールで、夜遅くまで光が絶えることのない賑やかな場所だ。ハディに値段交渉をしてもらって、ターコイズの指輪を2つ買った。指輪を買った後、2つで13,000トマン(約14ドル)したので、ホテル代と同じだからぼったくられたのかと思い始めた。ひょっとしてハディと指輪屋さんの間で裏取引みたいなのがあって、これまでの案内も全部この為の前振りだったんじゃないかなんてことまで疑いだしてしまった。なんだかすっきりしないので、そこらへんの指輪屋に入って値段を聞いてみたら、大差なかった。ハディの親切心まで疑ってしまった自分が少しだけ嫌になった。
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↑バザーレ・レザー概観
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↑バザーレ・レザー中のサフラン売り

 もう大分遅くなったので、晩御飯も一緒に食べずに、また明日の午後5時にバザーレ・レザーの前で会おうということになって、ハディと別れた。僕はホテルへの帰り道、Ferdowsiという有名な詩人の名前がついたレストランでケバブとサフランライスを食べて、インターネットカフェに寄ってからホテルに戻った。シャワーを浴びて、日記だけ書いてすぐに寝た。
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by aokikenta | 2007-06-29 21:20 | 隣接国探索①奔流イラン編
2007年 06月 29日
2007年5月28日(月) マシュハド3日目
 明日からテヘランとイスファハンに行くのでとりあえずのマシュハド最終日。昨日と同じに8時に朝ご飯を食べて、9時頃から外に出ることにした。空港で換えたリエルがなくなりそうだったので、近くのホテルで300ドルを両替した。1ドルが9150リエルだったので、空港よりもレートが悪かった。損した。サンダルを買って、昨日空振りに終わった旅行代理店でのチケットのピックアップも終わったので、一旦ホテルに戻って、洗濯物を出す事にした。10時ごろ、昨日できなかったハラム一周を今日はやってやろうと思って歩き始めた。
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↑ハラムをイマム・レザ・ストリート(南側)から望む

 昨日左から行ったので、今日は右から攻めることにした。ただぶらぶらと歩けることが嬉しくて、道端にある何気ないものを写真に収めてしまった。
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↑香辛料屋さん
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↑ムッラー

 バザーレ・レザーの右側を抜けてひたすら歩いて30分ほど行くとようやく、ハラムの東側に到着した。
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↑ハラムの東
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↑ハラムの東門

 東門の近くにあるお店でターコイズの指輪を買ったら3000トマン(約3ドル)だった。昨日の半額くらいだ。しかし、昨日買った指輪の石はイラン製で、今日買ったのは中国製なのだ。ターコイズにも種類があって、いい方から順に、1.イラン製、2.中国製、3.アメリカ製となっているらしい。言われてみればイラン製のやつが一番魅力的な色をしている。アメリカ製のはプラスチックみたいで人工的だ。

 次に、東から北へ歩みを進める。ここが一番長くてつらかった。ただひたすら歩く。途中で、チキンのトマト煮とライスとサラダとコーラをほおばって、更にひたすら歩く。なんとなく巡礼者の気持ちになって歩くのがいいのだ。

 ようやく、ハラムの北側に到着。
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↑ハラム北
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↑ハラム北門

 結局、このまま歩き続けて昨日行った西門も通り過ぎる所まで歩いた。これでハラムを東西南北から見た事になる。一周してわかることだが、ハラムはとてつもなく広い。周りの道路とハラムの間にかなりのスペースがあることは確かだが、この広さはとてつもない。一昨日のガイドさんの話では、歴代のシャー(王)がレザーの眠る黄金の間を取り囲むように増築を繰り返したのでこうなったらしい。乾いた暑さの中、5時間以上歩いてへとへとに疲れた。

 ふらふらになりながら、ハラムの西門の辺りを歩いていると「ミスター!」と呼ぶ声がするので振替って見ると、宿泊しているナイム・ホテルで働いている高校生くらいの男の子がバイクに乗りながら僕を呼んでいるのがわかった。黙々と歩いている日本人が可哀想になったのだろうか、ホテルまで乗ってきな、と親指を立てて僕をバックシートに呼んでいる。疲れた身に優しい声をかけられて思わず惚れそうになるのを抑えつつ、シートにまたがった。エンジンが低いうなりをあげて、走り出した。体の横を通り過ぎてく風を肌と髪に感じながら、シーア派の聖地マシュハドをバイクが疾走する。体の回りに絡み付いて取れなかったロープが少しずつ解かれていく。体が自由になり、もやもやと頭の中に渦巻いていた浮遊物が底に沈んで脳水が澄んでいく。まるで雨がカブールの砂埃を洗い流していくように―――。

* * * 
 ホテルに戻って、少年にお礼を行ってから、部屋に戻って昼寝をした。疲れていたのか起きたら2時間以上経っていた。そういえば、午後5時にハディと待ち合わせだと飛び起きて、バザーレ・レザーの前へ向かったがハディはいなかった。遅れてくるかなと期待しながら、5時半まで待ってみた。しかし、結局、ハディは約束の場所にやって来なかった。ハディの目的は一体なんだったんだろう、それとも、目的なんて考える方がおかしいのだろうかと思って考えてみたが、結局わからず、考えるのを辞めた。なんとなく、しこりのようなものが心に残った。

* * *
 気分を変えて、友達に安いアクセサリーでも買うかと思って、宝石のお店が並ぶ方へ行ってみたが、どれも買う気にならず、ベイトル・モガッタズ広場の近くをうろうろとしていた。そうしたら、声をかけてくるおじさんがいて、話しを聞いてみたら、絨毯屋だと言う。観光客には誰でも声をかけてるんだろうと思いながらも、チャイ・ハナでチャイでも飲みに行こうというので一緒に行く事にした。

 いかにも近所のおじさんたちの溜まり場という風情のチャイ・ハナに入っていくと、そこは10人も入れば一杯というくらいの小さなチャイ・ハナだった。運ばれたチャイをどうやって飲むのか周りの人を見てみると、角砂糖を口に含んで飲んでいる。ある人は、ソーサーにチャイを入れて冷ましている。試してみたが、どうもどのやり方も合わなかったので、写りの悪いテレビでサッカーを横目に見て、煙草を吸いながら、ストレートでチャイを2、3杯飲んだ。

 バイクに乗ったり、見知らぬおっさんと一緒にチャイを飲んだり、色んなことがある一日だなぁと思って、帰ろうとしたら、そのおっさんが、せっかくだから僕の店を見てくれと言う。絨毯を買う気はないと言ったら、僕の店からはハラムの夜景が綺麗に見えるんだというので、行って見ることにした。

 チャイ・ハナから歩いて10分くらいの場所にあるビルの4階に行って、彼の店に入った。6畳もないんじゃないかというくらい狭い店で見るところもなかったが、興味のあるような振りをして、ハラムの夜景を撮らせてもらった。
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↑絨毯屋からの風景

 おじさんがしつこく何か買ってくれと言ってくるので値段を聞いてみたら、絨毯でできた小さいバッグなどは5000トマン(約5ドル)くらいだというので、適当に買って、お店を出た。いつも通り、近くのレストランで晩御飯を食べて、インターネットカフェに行き、ホテルに戻った。なんか色々なことが合った一日だった気がする。

 明日からはテヘランとイスファハンだ。
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by aokikenta | 2007-06-29 20:20 | 隣接国探索①奔流イラン編
2007年 06月 29日
2007年5月29日(火) テヘラン滞在
 11時の飛行機に乗るから1時間前に空港に行けばいいかと思って、9時半にホテルをチェックアウトして、タクシーで空港に向かった。最後の日はまたマシュハドに戻ってくるので、チェックアウトの時に、また戻ってくるから予約しておいてと、受付のお姉さんにいっておいた。

 飛行機は予定より30分遅れて11時30分にマシュハド空港を出発し、13時にはテヘランに到着した。
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↑イラン地図

 大きな荷物を持っていたので、とりあえずテヘラン駅に行って荷物をロッカーに預けてから市内を見て回ろうと思った。なんせ列車の出発時刻は夜の10時20分なのだ。丸々半日ある。空港の係員みたいな人に駅へ行くバス停はどこかと聞いたら優しく教えてくれた。ついでに迷った時の為に、紙切れに目的地を書いてくれた。鉄道はペルシャ語でローアハンというらしいことをこの時に始めて知った(アフガニスタンには鉄道がないので)。

 バスに乗ったら、正面に高い山が聳え立っていて、景色が少しカブールに似てるなぁと思った。この山々はアルボルズ山脈で、テヘランは山脈の麓に広がる都市なのだった。バスの車窓から眺めていると、何処までも家や建物が続いていて大都会だなぁって田舎から出てきた人みたいに驚いた。降りる場所がわからないのでずっと座っていたら終点のテヘラン駅に着いたので、500トマンだけ払ってバスを降りた。

 テヘラン駅にもやっぱりロッカーがあった。世界中、どこの駅にもロッカーはあるものなのだ。荷物を預けて身軽になったら、早速テヘランを見に行こうと思って、駅の案内係の女性に何処へ行ったらいいですかねと聞いてみた。困ったような顔をしているので、バスを降りてから目に入った大きなタワーを指差して「あそこに行きたい」と言ってみた。あそこまではけっこう遠いよ、とそのお姉さんが言うけど、テヘランには一体どんな観光名所があるのかもしらなかったので、そこへ行くと答えた。話している内に、僕はどうしてもあそこへ行かなければならないと、理由なんて何にもないのに思い込んでいた。そうしたら、恰幅のいいイラン人のおじさんが横から現れて、流暢な英語でこっちへ来いという。今からタクシーを止めて値段交渉してやるというのだ。そのおじさんはスウェーデンに住んだ事があるらしく、とても外国人慣れした人だった。空港で客街をしているタクシーの運転手と交渉の末、3000トマンでそこまで送ってくれることになった。

 見た感じ古いタクシーに乗って30分くらいすると、そのタワーに到着した。近くで見てみたらまだ建設中だった。
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↑目立つタワー。名前は知らない。

 せっかくタクシーで30分以上かけて来たのに建設中で中に入れず、高い所からテヘラン市内を見渡すという計画はあっけなく頓挫してしまった。しかもタイミングが悪い事に、折からの曇り空から雨が落ちて来た。少し悲しい気持ちになりながらも、屋根のある歩道橋へ駆け込んだ。なんか他に見るものはないのかなぁと思って地図を見てみたが、特に何も見当たらない。仕方なく、歩道橋の上からテヘランの悪名高き渋滞を撮影することにした。
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↑テヘランの渋滞

 テヘランは大きな街だが見るものはない、と旅で会ったイラン人はみんな言っていた。渋滞がひどいので時間までに駅まで戻ってこられるか心配だ、ともテヘラン駅の受付のお姉さんが言っていた。学生や社会人としてテヘランに住めば少しは違った印象だったのかもしれないが、通りすがりの旅人にとっては、テヘランは余り長くはいたくない場所だ。

 1時間もしない内にタクシーを拾って、そのタワーを後にした。疲れていたのか、帰りのタクシーの中では寝てしまい、気がついたらテヘラン駅に戻っていた。時間はまだ午後5時。まだ5時間以上もある。本を読んだり、音楽を聴いたりして時間を潰していたが、さすがに7時くらいには飽きてきて、駅の周りをぶらぶらして写真でも撮ろうと思い席を立った。

 テヘラン駅の前で写真を撮ろうとうろうろしていたら、突然、警察官に呼び止められた。質問をされたがよくわからず、観光客ですと言っている内にパスポートを取り上げられた。ちゃんとビザがあるでしょう、と見せようとしている時に、その警察官がパスポートを持ったまま空港の中に入っていこうとするので、何だかとても嫌な予感がして、パスポートを取り返してサッサと反対方向に歩き出した。警察官は追い駆けてこず、ただ何かをワーワーこっちに向かって叫んでいた。無視をして雑踏の中に消えた。

 一人で旅をしているのに、雨に打たれ、渋滞に巻き込まれて、挙句の果てに、警察官に難癖をつけらえたので、腹が立つのを抑えられず、イライラして歩いていると、今度は別のイラン人のおじさんに呼び止められた。今度は何の用事だと思って見上げると、まぁチャイでも飲んでけよ、という仕草でお店の中に招かれた。軽い気持ちで入ったら、そこは今回の旅行で一番イランらしい生活の空気を感じさせるカフェだった。
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↑カフェに誘ってくれたおじさん。僕のテヘランでの救世主。
 
 席に座ると定番の「クジョイー(ナニジンですか)?」からはじまり、これまた定番の「ハーナム・ダリ(奥さんはいるんですか)?」などの質問攻めにあった。とりあえずわかる単語を並べて意思疎通を図り、大体の自己紹介をした。少しはダリ語を喋れてよかった。たまにダリ語を喋っても理解してもらえないことがあって、例えば、ミネラルウォーターの大きいボトルが欲しい時に「アーベ・カローン(大きい水)」と言っても通じなかった。イランでは「大きい」を意味する「カローン」を「ボゾルグ」といい、小さいを意味する「ホルト」を「クチェーク」と言うのだった。他にも、「マクブーラス(美しい)」のことを「ズィーワー」とか「カシャンギー」と言うのだと旅で知り合ったイラン人から教えてもらった。カフェでは、煮込んだ豆とライスをお腹いっぱい食べ、周りの人と話しをしていた。お店の中の人はとにかく陽気で、外国人が珍しいのか冗談を言い合っては笑っていた。
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↑ザムザムを飲む兄ちゃん
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↑何故か壁に掛けてあった時計をはずして構えるカフェの兄ちゃん
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↑水煙草をふかすカフェのおやじ

 マルボロ・ライトを吸いながら、チャイを3、4杯飲んでいるととてもいい気持ちになって、お酒を飲んでもいないのに少し気分がハイになったような気がした。チャイには気分を高揚させる効果があるのかもしれない。カフェの中に、日本に住んでいたというおじさんが一人いて、意思の疎通ができるくらいの日本語で僕の話し相手になってくれた。千葉の市川に1年間くらい住んでいたんだというおじさんは、しきりに最新鋭の携帯電話に入っている動画をreal playerで再生して、「どうだこれはすごいだろ」とか「怖いでしょ」などといいながら、とてつもなく残酷な映像を僕に見せてきた。一体これはどういう趣味なんだろうかと思って、その場は苦笑いで相槌を打っていたが、後に、全く別のイラン人からも残酷な映像を見せられたので、案外、イラン人的感覚で面白い動画を携帯電話に保存して持ち歩いて友達と見せ合うのが流行りなのかもしれない。

 時間が経つのも忘れてカフェでチャイを楽しんでいたら、もう出発の1時間まえくらいになっていたので、お勘定を済ませてお店を出て、テヘラン駅へ向かった。帰りはイスファハンから直接マシュハドへ列車で移動するので、もうこのカフェに来る事はない。そう思うと切なくて、でも、僕はテヘランでこのカフェに来る事を定められていたのだという気がした。このお店に会えただけで、僕はテヘランに来てよかったと思う。
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↑ある時には疲れを癒し、ある時には気分を高揚させる、不思議な薬チャイ。
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by aokikenta | 2007-06-29 19:20 | 隣接国探索①奔流イラン編
2007年 06月 29日
2007年5月30日(水) イスファハン1日目
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 昨日は  22:20テヘラン発の夜行列車に乗って、部屋に入ったら6人部屋だった。どうやってこんな狭い所で6人も寝るんだろうと思っていたら、回りの人がベッドをセットしてくれた。壁に畳まれていたベッドを出して3段ベッドにするのだ。列車の中では、アーメッドとモフセンというテヘランの大学生2人と仲良くなって話しをしていた。大学が休みになったので、故郷のイスファハンへ帰るのだという。将来は体育の先生になりたいと言っていた。なんでこれまで会った人はみんな体育の先生になりたいのだろう?

 ベッドで横になっていると夜行列車の揺れが心地よくて、すぐに寝てしまった。飛行機の旅も快適でいいが、列車の移動も悪くない。

 午前6時30分頃、8時間強の旅を終えてイスファハンに到着した。全く地理がわからないので、駅の案内所にいた人に地図をくれと言ったが、ここにはおいていないということだった。ガイドブックも何も持っていないので、しょうがなくタクシーの運転手を掴まえて、何処かのホテルまで行ってもらうことにした。察しのいいその運転手は、イスファハンの中心部であるスィー・ウー・セー・ポルという橋の近くのホテルをいくつか当たってくれた。5箇所くらいに値段を聞いてみたが、どこも50ドルくらいするので、こういう観光地では安いホテルはないのかなぁと思って諦めかけていたら、中級のホテルが24000トマン(約26ドル)だというので、マシュハドのホテルよりは高いけどいいかと思って泊まることにした。名前は「イラン・ホテル」と言う。

 睡眠時間が短かったし、まだ観光名所もやってないだろうと思ったので、シャワーを浴びて仮眠を取った。気がついたら3時間くらい寝てた。

 10時30分頃から本格的にイスファハン巡りを開始することにした。ホテルのフロントで地図をもらえたがよくわからなかったので、受付のおじさんに聞いてみたら、メイダーネ・イマムへ行けと言う。そこがきっとイスファハンの中心部なんだろうと思って、道を説明してもらって、行く事にした。

 途中で、メロンジュースと揚げパンを朝食代わりに食べて、10分くらい歩いたら、メイダーネ・イマム(イマム広場)に辿り着いた。視界が開けたと思ったら、とてつもなく大きな広場に出た。
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↑メイダーネ・イマムの中のマズジェデ・イマム(イマム・モスク)

 メイダーネ・イマムは圧巻だ。「イスファハーン・ネスフェ・ジャハーン(イスファハンは世界の半分)」という有名な言葉があって、旅で知り合ったイラン人にも言われていたのだが、この広場がその諺を言い尽くしていた。メイダーネ・イマムはイスファハンのミニチュアだ。
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↑シェイフ・ロトゥフォラー・モスク
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↑アリ・ガープー宮殿

 綺麗なところだなぁと思って、広場のベンチで煙草を吸いながら、ぼんやりとマズジェディ・イマムとシェイフ・ロトゥフォラー・モスクとアリ・ガープー宮殿を眺めていた。こういう遠景はどうやって写真に収めたらいいんだろうかと考えていたら、若者2人に声をかけられた。格好いいマウンテンバイクに乗る今風のイスファハンに住む若者だ。彼らは全く英語ができなかったので意思疎通に苦労したが、ノリがいいので仲良くなった。イランで日本の印象はすこぶる良いようである。
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↑マウンテンバイカーの若者 at メイダーネ・イマム

 会話の内容はあまり覚えてないが、とりとめのない話を小1時間もしていた。ちょっと、あそこのモスクに行ってみると言って別れた。イランに来てからずっと歩き回っていて疲れていたけど、せっかくだからと思ってマズジェデ・イマムの中に入ることにした。

 マズジェデ・イマムは青が綺麗なモスクで、長い時間いても飽きる事がなかった。モスクの中の空間と言うのはどうやって写真に収めたらいいんだろうとまた悩みながら、適当に写真撮影をした。
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↑マズジェデ・イマムの中
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↑広角レンズが必要かもしれない

 モスクを出てから絵葉書を5枚買ってから、昼飯を食べに行く事にした。マシュハドではチキンばかり食べていたので違うものが食べたいなぁと思って、さっきの若者2人に紹介してもらったアーベ・ゴーシュテ(直訳すると「肉の水」の意)なるものを食べに行くことにした。どんな料理なんだろうと思って、メイダーネ・イマムに隣接するバザールの中にあるレストランで注文をしたら、石焼ビビンバみたいながっしりとした壺みたいなものとナンが出てきた。壺の中には羊の肉を煮込んだ料理が入っていて、お店の人がその煮汁をボールに移してくれた。その煮汁の中にナンをちぎって食べるんだよと教えてくれた。なるほど、アフガニスタンのシャルワみたいなもんねと思って、ナンを放り込んで食べた。肉の味がよく出ていておいしかった。

 レストランを出て、広場にある芝生で寝転がりながら家族と友達に絵葉書を書くことにした。僕が旅先から絵葉書を書くようになったのは、多分、25歳の時に四国にお遍路をしに行った辺りからだ。それまではあまり書きたいと思わなかったのだが、最近は旅先で絵葉書を書くのが滅法好きだ。

 書いている所で、さっきとは別のもっと若い2人が声をかけてきた。イラン人は好奇心が強い。2人はサイードとアフマドと言って、イスファハンの高校生だ。学校の帰りにこの広場へ来てくつろいでいたのだと言う。15分くらい話していたら、何故だかわからないが、明日一緒にイスファハンの町を歩く事になり、明日午後2時に同じ場所で!という約束をしてしまった。一人で回るよりイラン人と回った方が楽しいだろう。
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↑サイード(右)とアフマド(左)
 
 やることをやったので、少し休憩するかと思って、宿泊先のホテルへ戻って本など読んで過ごした。

 休憩をしてからは、色んなイラン人から進められたスィー・ウー・セー・ポル(直訳すると「33の橋」の意。アーチが33個ある。)へ行く事にした。ホテルから歩いて約10分。なかなか立地条件のいいホテルじゃないか。着いて見るとちょうど夕暮れ時で、ロマンチックな橋の情景と夕焼けがとてもよくマッチしていた。
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↑スィー・ウー・セー・ポル近く、夕暮れの川べり
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↑スィー・ウー・セー・ポルの上より

 誰かに伝えたいくらい余りにも美しい風景なのに、周りに誰も伝える人がいないので、写真に収めて僕だけの秘密にしておくことにした。人生の中で"Will you marry me?と言う事が仮にあるとすれば、それはきっとこんな場所なのだろう。一緒に来る人が出来たら、また来よう。

 他にも同じ川にかかる橋がいくつかあるらしいのだが、明日にすればいいかと思って、インターネットカフェに寄ってから晩飯を食って、ホテルへ戻った。ホテルではベッドの上でゴロゴロしながら、日記を書いた。何かを書けば、僕は僕らしさを取り戻せるんじゃないか。インクの切れたトナーのように不完全なアウトプットしか出せなくなった僕でも、軽く振った後の数十枚の鮮明なプリントくらいの品質に戻れるかもしれない。肉体的疲労は少しは仕事の事を忘れてさせてくれるだろうか。
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by aokikenta | 2007-06-29 18:20 | 隣接国探索①奔流イラン編
2007年 06月 29日
2007年5月31日(木) イスファハン2日目
 すっきりと目が覚めて、朝食にはナンと目玉焼きを2つ平らげた。今日は昨日見られなかった場所に行こうと思って、スィー・ウー・セー・ポルからザーヤンデ側に沿って東に歩いて別の橋を見ることにした。マシュハド行きの電車は今日の夜7時15分発なので、チェックアウトをしたが、荷物を預かってくれるというので大きな荷物だけ預かってもらって出発した。

 イラン・ホテルを出てザーヤンデ川に向かう途中で、ターコイズのジュエリーや色鮮やかなスカーフが売られていたので、お土産に買うことにした。どれがいいかなぁと品定めしながら、表参道を思わせる並木道をウインドーショッピングして歩くと、何だかこういう時間をずっと忘れていたような気がして、とてもかけがえのないものに思えてきた。案外、後からこの旅行を思い返してみた場合、メイダーネ・イマムで見た荘厳なモスクよりもこういった時間の方を鮮明に思い返すのかもしれない。買い物を終え、昨日書いた絵葉書を郵便局で投函して、ようやく本格的に歩き出した。途中で、改築中の青いモスクをみかけた。イスファハンにはこういうモスクが至る所にある。
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↑道端のモスク

 昨日見た橋を起点に、川沿いを東に歩いている途中で、イラン人の男性2人組に声をかけられた。見るからに日本人らしき人が歩いているので気になって声をかけてきたらしい。背が高くてぽっちゃりとした男と、ひょろっとしてメガネをかけた男だったのだが、このひょろっとしてメガネをかけた方が話す英語が流暢で、なんでそんなに流暢なのと聞いたら、英語の先生をしているということだった。なるほどねと思って、会話をしながら歩いていると、ポレ・ハージューという橋に到着した。

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↑ポレ・ハージューの下には豊富な水をたたえるザーヤンデ川が流れる

 ポレ・ハージューの中を、出会ったイラン人2人組と歩いていると、日向よりもずっと気温が低くて気持ちが良い。日陰になっている上に、風が通り抜ける仕組みになっているので、夏でも涼しいのだ。加えて、歩いている下には川がさらさらと音を立てながら流れていて、実際の温度に加え視覚的にも聴覚的にも涼しさを感じさせる。近くのキヨスクでチャイを買って、座りながら会話をした。これで、味覚と嗅覚も満足した。

 彼とは英語で話せたので色々と込み入った話をすることができた。彼が言うにはイランというのは元々「アーリア人の国」という意味で、先祖は数千年前にロシアとヨーロッパ方面から移住してきた人々が建国したのだと言う。言われてみれば、イランにはドイツ人みたいな顔をした人が沢山いて、ドイツ語を喋ればそのままドイツ人だろうなと思わせる人が沢山いた。イランの隣の国であるアフガニスタンにも似たような話しがあって、今でも「アリアナ航空」という航空会社があるように昔はアリアナと呼ばれていた。しかし、アフガニスタンに住む最多数民族であるパシュトゥン人の顔はどう見ても、ロシア・ヨーロッパ系の顔立ちには見えない。代わりに、青い目をした金髪のアフガン人を見かけることはたまにある。そう考えると、アリアナと呼ばれていた頃のアフガニスタンはパシュトゥン人が主体となって作ったアフマド・シャー・ドゥッラーニー王朝とは別の代物で、イランの一部分だった頃の名称が残っているだけなのかもしれない。

 もう一つ彼が話してくれたことで印象に残っているのは、第二次世界大戦中、ヒトラーがイランを攻めなかったのはドイツ人とイラン人が同じ人種だからだという話。ドイツとイランはとても深いつながりで結ばれているのだ。ドイツ政府がアフガニスタン支援に資金を多く拠出しているのも、この祖先の時代の話と関係があるのだろうか。気になるところだ。

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↑英語の先生(写真右)とその友達。ポレ・ハージューにて。

 話しに夢中になっている間に、昨日サイードと約束をした時間の2時に近づいていたので、慌ててメイダーネ・イマムへ向かうことにした。向かう途中で、シュワルマを買い食いし、早歩きで昨日の場所へ戻った。

 メイダーネ・イマムに着いたのは約束の2時を15分過ぎていた。昨日の場所にサイードはいなかった。申し訳ないことをしたなぁ、と思って途方に暮れていると、見た事のある顔がこちらに近づいてきた。良く見たら、昨日会ったもう一人の方アフマドだった。約束に遅れた事を詫びて、サイードはどうしたのと聞いたら、ケンタが遅いからもう帰っちゃったと言う。やっぱりそうだったかと、時間にルーズになったことを後悔した。

 アフマドが僕の気持ちを察したのか、とりあえず二人でどこか行く?と言うので、アリ・ガプー宮殿に登ってみることにした。アフマドはペルシャ語をあまり理解しない僕にも面倒見良く付き合って、色々と説明してくれた。話している内容が難しかったので、内容はほとんど理解できなかったが、説明してくれる彼の気持ちはとても良く理解した。

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↑アリ・ガプー宮殿からの景色はすこぶる良い
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↑アリ・ガプー宮殿から見るシェイフ・ロトゥフォラー・モスク

 アリ・ガプーのテラスはとても高い所にあるので、メイダーネ・イマムを一望できた。イスファハンのミニチュアであるメイダーネ・イマムを一望すると、イスファハンを征服したような感じがして、イスファハンに都をおいたシャー(王)の気分を想像した。

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↑アリ・ガプー宮殿のテラス

 外に出てからアフマドとおしゃべりをして、午後4時くらいになった時に、お礼を言って別れた。列車に乗り遅れるとまずいと思って、イラン・ホテルに戻って荷物をピックアップした。旅も終盤にさしかかり少し疲れていたので、僕の表情を見たホテルの主人が、「イランでは疲れた時はチャイを飲むんだ」と言って、チャイをタダでご馳走してくれた。テレビでやっているレスリングをみながらチャイを飲んでいると、本当に疲れが取れるような気がした。不思議なもんだ。

 午後5時、ホテルの主人にお礼を言って、イスファハン駅へタクシーで向かった。

 イスファハン駅で本を読んだりしながら列車を待ち、予定通り午後7時15分の列車に乗り込んだ。イスファハン滞在は2日あったが、どちらの日も移動に重なってしまった事が少し残念だった。マシュハドにはマシュハドの良さがあり、イスファハンにはイスファハンの良さがある。またイランに来る機会があったら、どちらの都市も訪れよう。但し、その時はイスファハンをもう少し長めにして。

 列車は、行きと違って4人一部屋になっていて、2段ベッド使用だったので前よりも少し頭上にスペースがあった。列車が動き出して、少ししてインド映画が備え付けのテレビで始まった。チープな映画だなと思いながらも見ていると、8時になって突然止まった。列車もそれに合わせるように停車をしたので、この列車は直行じゃないのかなと思ったら、僕の部屋の人も含めて乗客が全員降りていくので、一体何事かと思った。一人で状況がわからず、部屋に取り残されていると、窓の外で「ナマーズ、ナマーズ!」とスピーカーで駅員さんがみんなに呼びかけている。なんだお祈りの時間だから停車したのかと思い、さすがイスラム教国イランではお祈りの為に列車を止めるんだなぁとしきりに感心した。

 みんな戻ってきて少し落ち着いてから、午後9時くらいになった時に、同じ部屋のおじさんに連れられて食堂車で晩御飯を食べる事にした。窓の外は真っ暗で何も見えなかったが、食堂車の中で今日会ったばかりのおじさんと、ライスにバターをかけたものとケバブを食べていると、やけにここはイランだなと感じた。

 部屋に戻って、横になると10時くらいには眠たくなって、本も読まず、音楽も聴かないで寝ることにした。旅の終わりは近い。
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by aokikenta | 2007-06-29 17:20 | 隣接国探索①奔流イラン編
2007年 06月 29日
2007年6月1日(金) そして、マシュハドへ
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 目を覚ますと、まだ列車の中だった。到着予定時刻は午後3時15分だから、イスファハンからマシュハドというのは20時間の長旅なのだ。はじめ20時間も移動するなんてもったいないと思っていたのだが、僕は、あっという間に目的地に到着する飛行機よりも、体で道のりの遠さを実感できる列車が嫌いではないことがわかった。ベッドの上で、うとうとしながら、カブールでの生活とこの1週間のイランでの旅行のことを思った。

 列車を降りて、食堂車で晩飯を食べたおじさんと一緒にタクシーを相乗りすることになった。おじさんは、ハラムに到着すると、お金を払わず「ホダハフェズ(さようなら)」と言ってにこやかに去っていった。「パイサー(お金-)!」とよっぽど叫ぼうかと思ったけど、話がややこしくなるので叫ばなかった。こんな時はどういう風に振舞うのが正しい答えなのだろう。

 3日前に宿泊していた「ナイム・ホテル」に戻ると、マネージャーの女性が、「アフガニスタンで地雷処理をしている男が戻ってきた!」と歓迎してくれた。テヘランに行った事、行ったはいいけど何も見ることがなかった事、それからイスファハンに行きメイダーネ・イマムやスィー・ウー・セー・ポルを見た事、などを話したらとても興味深そうに聞いてくれた。俯瞰して見ているもう1人の自分の中で、子供が興奮して今日一日にあった出来事を親にワーッと言っている光景が重なった。

 シャワーを浴びてから、今日でマシュハドも最後だから何をしようかと考えたが、何も思い浮かばなかった。モスクを見たりするのも疲れてきたので、今日は、カブールで僕の帰りを待っているスタッフにお土産でも買って、後はのんびりしようと決めた。

 フロントでマネージャーさんと会話をして、ホテルの外に出た。気が向くままにインターネットカフェに行って1時間過ごした。インターネットをしているうちに、ナイム・ホテルの従業員にはお世話になったから、夜勤にシフトする前に挨拶をしておこうと思って、ホテルを出てから1時間でもう一度ホテルに戻った。案の定、受付のお姉さんもバイクに乗せてくれた青年もいたので、お世話になりましたと挨拶をした。みんな、アフガニスタンは危ない所だから気をつけて、と言ってくれた。

 もう自由にマシュハドの夜の街歩きを楽しむだけだと思って、道端のお店でハンバーガーを食べ、カブールのスタッフにピスタチオや蜂蜜やサフランなどイランのお菓子をお土産に買った。

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↑イスファハンは夕暮れ。マシュハドは夜。
 
 もういいかなと思って、ホテルへ戻ってから荷物の整理をしたり、日記を書いたりしていたら、なんだか落ち着かないので、もう一度外に出ることにした。お祭りの縁日に似た夜のマシュハドの街を歩きながら、ハラムが見守るベイトル・モガッタズ広場の周りをうろうろしていた。明日、僕はカブールへ帰る。
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by aokikenta | 2007-06-29 16:20 | 隣接国探索①奔流イラン編
2007年 06月 29日
エピローグ
 マシュハドの夜の街を歩き、イスファハンの広々とした並木道や情緒的なザーヤンデ川の川べりを歩くうちに、僕は心地のよい疲れと新しい刺激によって躍動的になった五感によって満たされていた。退廃していた脳みそは再び動きを始めた。僕がカブールで感じていた知的停滞は肉体的停滞と深く結びついていたのかもしれない。自爆テロ、ミサイル攻撃、誘拐、IED爆発。そんなニュースに囲まれ、移動の自由を奪われた生活の中で、自然と事務所に籠もる事が多くなっていた。肉体の冒険を阻害され、知性の冒険を自分自身で喪失していた。

 ハラムの前で会った青年ハディ、マシュハドからテヘランへ行く列車で出会ったアーメッドとモフセン、テヘランのカフェで会った陽気な人達、イスファハンで会ったマウンテンバイクに乗る若者2人組、ハージュー橋で会った流暢な英語をしゃべる若者2人組、サイードとアフマド、そしてナイム・ホテルの従業員達。イランの旅で出会った素敵な人たちが、僕の心にしばらく失っていた弾力性を取り戻させてくれた。

 ナイム・ホテルの201号室のベッドで横になりながら、僕は明日カブールに帰るんだということをごく当たり前のこととして受け入れていた。柔らかい眠気の中で、脳裏に瞬く無数の光跡と夜行列車の余韻を背中にそっと感じながら、目を閉じて深い眠りについた。

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(おしまい)
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by aokikenta | 2007-06-29 15:20 | 隣接国探索①奔流イラン編