カテゴリ:(番外編)インドネシア旅行記( 8 )

2007年 01月 03日
プロローグ
 1通のeメールが僕の心を動かした。ブラッドフォード留学時代のインドネシア人の友人(女性)から結婚式の招待状だった。最初の招待を受けたのは数ヶ月前。その時は、年末年始の予定が立っていなかったので、また連絡する、とだけ返事をしておいた。返事をしたことが記憶の片隅に押し寄せられていた約1ヶ月前、再び招待のeメールを受け取った。今度のメールにはこうあった。

「愛しのケンタへ
 元気にしていますか?健康でご活躍のこととお察しします。
 さて、数ヶ月前に結婚式の招待状をメーリングリストに送りました。今回のメールは2度目の招待となります。私とフィアンセ二人にとっての近しい友人(Close Friends)へだけのより個人的な招待状です。
 もし、貴方がインドネシアのジョグジャカルタで2006年12月31日に行われる私たちの結婚式に参加してくれるならば、これ以上の喜びはありません。
(省略)
愛を込めて
ディアより」

彼女の歓迎の気持ちが素直に胸に入ってきた。僕は一人、笑顔でラップトップに向かって返事を書き、送信ボタンをクリックした。
その瞬間、僕の心はインドネシアに飛んでいた。

(注)
通常blogでは下の方から時系列で更新がされますが、本インドネシア旅行記は読み手の利便性を考慮し、上から時系列で表示されるようにしております。本旅行記をご覧の際には、右欄「カテゴリ」の中の「インドネシア旅行記」をクリックしてからお読みいただくことをお勧め致します。
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by aokikenta | 2007-01-03 14:04 | (番外編)インドネシア旅行記
2007年 01月 02日
インドネシア1日目 ドバイ泊
2006年12月27日(水)

 耳がちぎれそうなカブール空港で、僕は長蛇の列の中にいた。今回の旅行では、カブール-ドバイ間の移動には国連機を使わず、民間航空会社のカム・エアー(Kam Air)を利用することにした。費用にして約半額。しかし、それの意味する所は、クオリティーとサービスもそれに見合ったものだということである。新年を母国で迎えようとする外国人達と、どういう理由でかはわからないがこれからドバイへ向かおうとするアフガニスタン人に混じって、これから始まる旅とディアの結婚式に思いをはせた。

 行きの飛行機はすこぶる快調であった。ほぼ予定通りの午後3時に出発し、遅れもそれほどなく、午後5時30分頃、無事にドバイ空港へ到着した。次の乗り継ぎは、エミレーツ航空のドバイ-ジャカルタ直行便。時刻は翌日の午前9時10分だ。代理店を通さず、自分で別々に予約をしたので、ホテルを探す必要があった。ドバイで宿泊をしたことはなかったので、タクシーの運転手に適当に泊まれる所に連れて行ってくれ、と伝えた。不運にも、この日はクリスマス・イード・新年・何かの展覧会の4イベントが重なり、ドバイは想像以上に込んでいた。いくつかのホテルに門前払いされるも、数箇所目のホテルに空きがあり、宿泊することができた。値段は100ドルだった。

 ホテルでシャワーを浴びるとすぐ、外に食事にいくことにした。ドバイはトランジットで訪れた事があるだけだったので、少し町の様子を見てみたかった。比較的賑やかな通りを歩いた。道路は綺麗に舗装され、高いビルが立ち並んでいる。道行く人もそれなりの格好で歩いているのを見るにつけ、ここは先進国だと痛感する。

 適当にレストランに入り、シュワルマを頼んだ。カブールにあるレバノン料理屋の味に似ていて、とても美味しかった。食べきれなかった分は、翌日の朝食用にテークアウトにしてもらった。その後、インターネットカフェでメールを数本打ち、ホテルに戻ってベッドにもぐりこんだ。真っ白なシーツに横になると、体の回りに巻きついていた有刺鉄線がはがれていくような気がした。

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↑大都市ドバイを走る車のライトと整然と並ぶ町の明かりが、僕の網膜に鮮やかな点と線を刻み込んだ。
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by aokikenta | 2007-01-02 14:09 | (番外編)インドネシア旅行記
2007年 01月 01日
インドネシア2日目 一路ジャカルタへ
2006年12月28日(木)

 6時に起床。前日のシュワルマの残りを食べ、ドバイ空港ターミナル1へ向かった。チェックインを済ませると、空港内にある免税店でタバコとウイスキーを購入した。現在、アフガニスタンでは酒類の販売は公式的には禁止されており、軍施設内のPXですらお酒を買うことができない。帰りはドバイで過ごす時間がほとんどないことから、行きに買っておくことにした。
 
 個人用モニターが付いたエミレーツ航空の快適な座席に座って約9時間。ジャカルタ空港へ到着した。結婚式のあるジョグジャカルタへのフライトは翌日の午前8時発なので、またしても宿泊せざるを得ず、JAKARTA AIRPORT HOTELで1泊した。移動で疲れていたので、ルームサービスで頼んだナシ・ゴレンだけ食べて、すぐに寝た。
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by aokikenta | 2007-01-01 14:14 | (番外編)インドネシア旅行記
2006年 12月 31日
インドネシア3日目 スルタン王宮
2006年12月29日(金)

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↑スルタン王宮前の様子。土産物攻勢が待っている。

 午前8時発のガルーダ航空で約1時間、ようやくジョグジャカルタに到着した。空港に着くと、ディアの友人ウィーディーとホテルの従業員が出迎えてくれた。ウィーディーはスペインで平和学を勉強していたインドネシア人の女性で、ディアの同僚だということだった。宿泊とトランスポーテーションは既にアレンジがされており、空港から東へ車で20分ほどで到着した。プランバナン寺院の直ぐ横にあるPOERI DEVATA HOTELで、結局ジョグジャを離れる1月2日まで宿泊した。

 今回招待されたディアの結婚相手のダニエルはオーストリア人なので、新郎の家族と親戚がはるばるオーストリアからやってきていた。僕は、親戚ではないがインターナショナルゲストということで、新郎家族と行動のほとんどを共にすることになった。僕以外にも、カナダから新郎友人のステーシーと、フランスから新婦友人のマチルダが来ており、僕らはいつもダニエルファミリーと一緒に行動をした。新郎家族のホスピタリティは素晴らしく、僕達の事を本当に家族の一員のように扱ってくれた。特に、アフガニスタンからこの結婚式の為だけにやってきたという事で、僕が感謝の気持ちを表す度に「こちらの方こそ、ダニエルとディアの為にはるばるアフガニスタンから来てくれてありがとう」と返してくれた。今でも感謝をしている。

 早速、ダニエルファミリーと一緒に観光地巡りをすることになった。この日は、スルタン王宮を訪問した。この王宮は、1755年にマタラム王国が分割された際に成立したジョグジャカルタ王国の王家(スルタン)が住む場所であったと言う。インターネットなどを見てみると、今でもジョグジャカルタの州知事であるスルタンは王宮に住んでいて一部が公開されているとある。しかし、ウィーディーは、現在はスルタンは住んでいない、と言っていた。どちらが正しいのかは定かではない。
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↑王宮の前で記念撮影。

 午前中にスルタン宮殿見学を終えると、ショッピングのメッカ(回教国でメッカという言葉を使うのも憚られるが)であるマリオボロで買い物をすることにした。マリオボロには、マクドナルドとピザハットが入った大きなショッピングモールがある他、メインストリートには土産物を売るお店が騒然と立ち並ぶ面白い場所だ。観光客向けの部分もあるが、現地の人も大勢買い物をしているので、そうというばかりではないようだ。
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↑マリオボロの大通り。ベイチャーと呼ばれる三輪車と馬車が、日がな客待ちをしている。 

 夜は、生バンドの演奏を楽しめるレストランでインドネシア料理を堪能した。ダニエルの親類、マチルダ、ウィーディーに加えて、クラスメートだったサンドラも参加をして楽しい夜になった。

e0016654_1453616.jpg←肉や野菜が豊富なインドネシア料理。ココナッツを使った料理は秀逸だ。

→大豆を発酵させて作ったテンペ。チリソースと一緒に食べるとおいしい。e0016654_14543857.jpg

e0016654_14554244.jpg←BINTANGビール
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by aokikenta | 2006-12-31 14:15 | (番外編)インドネシア旅行記
2006年 12月 30日
インドネシア4日目 ボロブドゥル寺院
2006年12月30日(土)

 朝7時30分に集合して、北西に車で1時間ほど行った場所にある世界遺産のボロブドゥル寺院を訪れた。天気は雨。この日に限らず、雨季のインドネシアではほとんど毎日一日の内の数時間は雨が降った。ボロブドゥル寺院は広大な仏教遺跡群で、中央の建物の頂上に行くにはかなり階段を登らなくてはならない。当時の技術の高さが伺われる。
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↑ボロブドゥル寺院。あいにくの雨だったが、建物と雨はよくマッチしていた。

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↑途中、精巧な石細工を見ることができる。

 ボロブドゥル寺院を見終えた僕達は、お洒落なレストランでランチを取って一息ついた。結婚式の主要行事は12月31日なのだが、前日である30日にもいくつかの行事が行われることをこの日に知った。花婿の親類は花婿の家で、花嫁の親類は花嫁の家でそれぞれ結婚をする準備としての儀式を行うとのことであった。

 僕は今回の旅行で、古くから伝わるインドネシア伝統の結婚式を、花嫁の家族の一員として体験することが出来た。その機会を与えてくれたディアと、家族の一員として扱ってくれたディアとダニエルの家族に対して、この場を借りて深く感謝と尊敬の意を表したい。式の模様について、書こうと思えば細部を書くことはできる。しかし、描写をしようと思えば思う程、儀式としての結婚式の観察記録になってしまう。友人であるディアとダニエルを観察の対象としてしまう自分のエゴに対して、どうしても抵抗を感じる。従って、今回の旅行記ではインドネシア伝統の結婚式について細かく描写することは避けたいと考えている。時期が来て、読みたいという人がいれば、インシャッラー、いつかどこかで書くこともあるだろう。
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by aokikenta | 2006-12-30 14:58 | (番外編)インドネシア旅行記
2006年 12月 29日
インドネシア5日目 結婚式
2006年12月31日(日)

 結婚式のメイン行事は朝の9時から行われた。夜には親族、友人を招いての盛大な披露宴があり、様々な催し物が行われた。僕達は夜の7時くらいから11時ごろまで、おいしい食事を食べ、歌い、踊り、ダニエルとディアの結婚を祝福した。
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↑新郎新婦と友人の記念撮影。左から、筆者(日本)、ステーシー母、ステーシー(共にカナダ)、ダニエル(オーストリア)、ディア、ウィーディー(共にインドネシア)、マチルダ(フランス)、ダニエルファミリーの友人Waltroud(オーストリア)、サンドラ(インドネシア)。

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↑音楽とダンスで盛り上がる会場。
 
 日付が変わる時、ダニエルファミリーと僕らインターナショナルゲストはホテルにいた。幸いにも、12時前にホテルに帰り着くことができ、2007年の年明けを盛大に祝うことができた。ダニエルファミリーがオーストリアから持ってきたシャンペンで、お互いの国の言葉を教えあいながら乾杯をした。ベッドに入った時は午前3時を回っていた。
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by aokikenta | 2006-12-29 15:02 | (番外編)インドネシア旅行記
2006年 12月 28日
インドネシア6日目 祭りの後
2007年1月1日(月)

 前夜遅くまで結婚と新年を祝い、朝の11時まで寝ていた僕は、ディアのノックで目を覚ました。借りていたインドネシアの伝統衣装を回収に来てくれたのであった。僕よりも疲れているはずのディアに仕事をしてもらい、申し訳ない気持ちになった。

 これまでカブール-ジョグジャ移動、ジョグジャ観光地巡り、ディアとダニエルの結婚式と走り続けてきたので、残りはゆっくりすることに決めた。しかし、ゆっくりし過ぎた為かホテルのレストランの朝食ビュッフェは僕が行った時には片付けられてしまっていた。何か食べたいと言うと、従業員はナシ・ゴレンを無料でサービスしてくれた。プランバナン寺院が見渡せるレストランで、コーヒーを飲みながらゆっくりとした。
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↑レストランから見渡す事ができるプランバナン寺院

 ダニエルファミリーはプランバナン寺院観光に行くと言い、はりきって出かけていった。僕は観光をする気分にはなれず、溜まった洗濯物をLaundry serviceに出してから、ショッピングモールをぶらぶらすることにした。

 カルフールの入った巨大なモールでインドネシア食を購入した。甘口ソースのような味がするケチャップマニスとチリソースの小袋や、現地のインスタントヌードル、その他食品をアフガニスタンに持って帰る為に大量に買い込んだ。他にも、綺麗な色をしたインドネシアの服やアクセサリー、財布、小物などを次々に買った。また、小腹が空いたのでMie Ayamと呼ばれるラーメンのような食べ物を屋台で食べた。3000ルピーだった(1ドル=約9000ルピーなので33セント程ということになる。ちなみに、到着した時に空港で200ドルを両替したら、176万ルピーになってしまい仰天した。)。

e0016654_15122669.jpg←髪の毛のようにふさふさとしたランブータン。ライチのような味がする。

→蛇のように見えることからスネークフルーツと呼ばれる果物。思ったほど水分はない。e0016654_1513649.jpg

e0016654_1513561.jpg←サテーを売るおばさん。
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by aokikenta | 2006-12-28 15:09 | (番外編)インドネシア旅行記
2006年 12月 27日
エピローグ
 買い物に疲れ、道端で風景を撮影しようと思い、お気に入りのカメラを持ってモールの外に出た。数枚写真を撮影した時、カメラの充電池が突然切れた。僕は、旅の記録をする為の装置であるカメラの電池が切れた事を知り、旅は実質的に終わったのだと、何の違和感もなく空気のように当たり前の事として受け止めた。1通のeメールから始まったインドネシア旅行。その招待主であるディアの結婚式が終了した今、僕がインドネシアにいる意味は無いに等しかった。そのことをカメラの充電池は象徴していた。
 出会って数日ではあったが、一緒に行動をともにしたダニエルファミリーに僕は親密な気持ちを抱いていた。”You are a member of our family”と笑いながらかけてくれた言葉が耳から離れず、別れ際、すぐにその場を離れられなかった。今度はウィーンで会いましょう。そう言う以外に別れる術を思いつくことが出来なかった。”See you later”は先人の知恵だと思った。出会いがあれば別れがある。別れを避けて通る事は誰にもできない。だから僕達は、この刹那を一生懸命生きていくんだ。
 何故そうなったのか今でもわからないのだが、充電地が切れる前に撮った最後の写真は、旅の始まりと同じモノクロームだった。

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by aokikenta | 2006-12-27 15:16 | (番外編)インドネシア旅行記