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カテゴリ:(番外編)台湾旅行記( 7 )

2006年 10月 01日
プロローグ
  僕が台湾で魅せられたものは、それが内包する背反性であった。整備された地下鉄網や世界で一番高いビル台北101を作り上げた技術力が近未来空間にいることを思い起こさせる反面、狭い路地に並ぶ雑然とした食堂や心地よい程度に行渡る日本の文化はノスタルジーを感じさせてくれた。台北の町を歩きながら僕の脳裏には2つの光景がフラッシュバックしていた。1つ目は、東方明珠塔を初めとした高層ビル群が伝統と調和する上海の外灘から見た光景。物心ついて初めて行った外国の街上海は驚きに満ちていた。日本では考えられない程の価格で物が売買され、雑然とした中で人々が生活している一方で、見たこともないような前衛的なビルが立ち並んでいた。2つ目は、香港。まだ日本でも普及していなかったICカード(たしかオクトパスカードと言ったと思う)が当たり前のように普及し、バスでも電車でもカードをかざすとほとんど素通りの感覚で利用することができた。風水の伝統を元に設計された高層ビルは目に奇抜に映り、ビルの谷間で営業する小さな食堂とのアンマッチが印象に残った。今回旅をした台北という街は、上海と香港の両都市が抱えるアンバランスさに似たものを持ちながら、しかしそれとは少し異なる手触りを持った街だった。帰り仕度をしている時、僕は「あぁ、日本に帰りたくないなぁ」と思っていた。

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(注)
通常blogでは下の方から時系列で更新がされますが、本台湾旅行記は読み手の利便性を考慮し、上から時系列で表示されるようにしております。本旅行記をご覧の際には、右欄「カテゴリ」の中の「台湾旅行記」をクリックしてからお読みいただくことをお勧め致します。
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by aokikenta | 2006-10-01 13:56 | (番外編)台湾旅行記
2006年 09月 30日
台湾1日目 旅のはじまり
2006年9月25日(月)

  1週間くらい海外を旅したい、と9月の頭に帰国してからずっと考えていた。長期に渡るアフガニスタン駐在で、いつ攻撃をしかけてくるかもしれない自爆テロリスト予備軍たちが僕の精神と肉体をかなり磨り減らせてしまっていた。休息が欲しかった。日本で友人や家族達と過ごすのも楽しかったのだが、いつもとは違う環境でゆっくりとしたいという気持ちは自分の中で確固たるものとして居座っていた。僕は台湾へ行こうと思った。理由の1つは、兄が台湾で仕事をしているのでちょっと案内してもらおうと思った為である。2つ目は、留学時代に会った台湾人の友人達に会いたいと思った為である。イギリスへ渡ってすぐの頃、中国人やタイ人、そして台湾人の友達がすぐにできて寂しい思いをすることがなかった。台湾人の友達は凄く日本の文化に詳しく、親日家が多かった。また、おいしいごはんや足裏マッサージ・温泉などが充実しているというのも魅力の一つだった。しかも、移動時間が短い上にまだ行った事がない。こうして僕は9月25日から10月1日までの6泊7日間、台湾へ旅行することに決めた。

  こうしてやりたいことが沢山あったのはいいのだが、事前に決めていたのは往復の航空券と、1日目に泊まる宿だけであった。往復の航空券は適当にインターネットを見て、安そうなチケットを選んで決めた。燃料高騰費で予定よりいくぶんか高くなってしまったが、それでも他の国に比べて大分安かった。

  宿については、当初予約をせずに行ってから決めようと思っていた。しかし、行きのフライトの到着時間が午後10時40分ということで、夜に到着してから宿探しはきついと思い、1日目だけインターネットで予約をすることに方針を変更した。ガイドブックやインターネットを見ながら、ホテルにするかユースホステルにするかなどと考えていると、1つの宿が目に留まった。その宿の名前は「ゲストハウスおおしろ」。決めた理由は値段の安さであった。なんと、1泊目が400元(約1600円)、2泊目以降350元(約1400円)なのである。これは台湾の物価を考えると相当に安かった。もちろん4人相部屋が基本のドミトリーなのだが、旅で宿泊費が浮くのは助かる、と即決した。

  地元の駅からリムジンバスで成田第一空港へ向かい、午後8時10分のエバー航空便で台北へ向かった。航空機にはハローキティーの絵が大きく書かれ、食器やチケットなど至るところにキティーちゃんが描かれていた。台湾ではサンリオ製品が流行っているのだろうか、と思いながら本など読みつつ過ごした。現地午後10時40分頃、台北空港へ到着した。日本と台湾の時差が1時間なので、移動時間約3時間30分ということになる。トラブルもなく、午後11時頃、台北駅行きのバスへ乗ることが出来た。

  深夜12時ごろにようやく台北駅に着いた。駅に着いてから電話をすれば、ゲストハウスおおしろのオーナー大城さんが迎えにきてくれるという事になっていたので、早速公衆電話から電話をすることにした。電話をすると「東口3番出口で、ガイドブックを持って待っていて下さい」と言うので、言われた通りに、右手にはガイドブックを持ち、後ろには大きなバックパックを背負い、前面には機内持ち込み用の小さなナップサックを抱え、肩からは一眼レフデジカメをかけて、いかにも僕は観光客ですという風情で煙草を吸いながら大城さんを待った。5分ほどで大城さんはやってきた。大城さんは眼鏡をかけた中肉中背の男性で、いかにも人のよさそうな笑顔をするのが印象的な人だ。嫌なオーナーだったら宿を変えるかなと思っていたのだが、大城さんはとても丁寧で腰の低い人で感じ入った。

  一緒に歩く事5分少々で、ゲストハウスおおしろに到着した。人通りのほとんどない裏道を入り、ほどなくすると左手に「おおしろ」と書かれた看板が現れた。人が一人通るのがやっとという大きさの入り口で、細い階段を登ると3階にレセプション兼リビングルームが現れた。簡潔に宿の使用方法の説明を受け、前払いで1泊分だけ宿泊費を支払った。ベッドは2段ベッドで、各部屋に2つ、1部屋合計4人が宿泊することができる。3階に2部屋か3部屋、4階に1部屋があるので、最大で12人から16人ほどが泊まれる計算になる。シャワーは共同で1つだけあり、宿泊者同士で適当に調整をして浴びることになっている。

  ひょっとして、アフガニスタンへ行く前だったら、僕は「おおしろ」で1泊だけして別のホテルへ移っていたかもしれない。しかし、これ以上ないほどの劣悪な環境で約1年間生活をした今となっては、「おおしろ」の設備に関しては何の不満もなかった。むしろエアコンと扇風機がついているので、こっちの方が豪華だなぁ、と思ったくらいである。「おおしろ」には僕が滞在している間、常時10人弱の滞在者がいて退屈することがなかった。常に誰かがリビングにいて、話し相手になってくれたし、どこへ行こうかと考えあぐねていると「今からここに行くんだけど、一緒に来る?」と誘ってくれることが何回もあった。もし1人で高級ホテルに宿泊して6泊を過ごしていたら全く別の旅になっていただろう。今回の旅は出会った人たちに彩られて、楽しい旅になった。僕は今回の旅で「おおしろ」に泊まって後悔した事は、1つもない。

  1日目はシャワーも浴びず、服だけ着替えてベッドに横になった。旅は始まった。

e0016654_1473956.jpg←おおしろのリビングルーム。滞在者達の社交の場になっている。

e0016654_148720.jpg←2段ベッド。上のベッドで7日間寝泊りをした。
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by aokikenta | 2006-09-30 13:53 | (番外編)台湾旅行記
2006年 09月 29日
台湾2日目 ナイトクラブめぐり
2006年9月26日(火)

  正直言って、どこへ行こうかなんて全く考えていなかった。台湾では自分にご褒美をあげよう、おいしいものを食べようとだけしか考えていなかったので、観光名所を初日から回る気分ではなかったのだ。10時ごろに起きて、着替えてからリビングでどうしようかなぁとガイドブックを見ていると、声をかけられた。「今からマッサージ行くんだけど、一緒に行かない?」。声の主は、トヤマさんという男性であった。スポーツ好きで健康そうな浅黒く日焼けをして男性だ。何でも今日の午後1時ごろに空港行きのバスに乗って日本へ帰るということで、最後にマッサージにもう一度行きたいのだということであった。僕は即座に答えた。「マッサージ行きましょう!」。

  とりあえず二人とも朝食を取っていなかったので、台湾名物牛肉麺を食べに行く事にした。適当に見つけた店に入り、牛肉麺を注文した。味はあまり美味しくなかった。そこのお店は妙に小洒落た作りになっていて、いかにも場末の食堂という雰囲気のお店ではなかった。なんだかあまり満足もできないまま、マッサージ屋へ向かった。

  向かったマッサージ屋は、おおしろから歩いて10分くらいの場所にある「美楽健康中心」という日本人が経営しているマッサージ屋さんであった。トヤマさんは、全身マッサージと足裏マッサージを30分ずつ組み合わせた60分のコースをするということだった。僕も、来たばかりだし、両方やっておくかということで同じコースを選んだ。料金は1100元(約4400円)だった。

  全身マッサージは素晴らしかった。さすがプロと思わせる腕前で、肩から背中から、腕、指、頭、足まで文字通り全身をマッサージしてくれた。本当にアフガニスタンの疲れがふっと抜けていくような感覚がした。

  反対に足裏マッサージはあまりよくなかった。後日行った足裏マッサージと違い、ツボを刺激することがなかった。オイルをふくろはぎから足の裏にかけて塗られているだけという感じで、あまり疲れが抜けず、何だか違うなぁという感覚がずっと付きまとっていた。足ツボを刺激されて、体の悪い部分がわかると思っていただけに非常に残念であった。

  美楽健康中心を出た後、行きしなに声をかけてきたお茶屋さんに入ることにした。台湾はお茶で有名だが僕の家族はあまりお茶を飲まないので、お茶をお土産にするつもりは全くなかった。しかし、せっかく台湾に来ているのだし試飲するのも悪くないなと思って寄ってみた。お店の主人らしき人は日本語が話せる50過ぎのおばちゃんだった。日本人観光客が格好の客だからなのか、若い頃に一生懸命勉強したからなのか、それとも日本が台湾を植民地支配していたころを知っているからなのかはわからなかったが、意思の疎通に問題がないほど上手に日本語を話してくれた。おばちゃんは入るなりお茶の正しい入れ方を丁寧に教えてくれた。残念ながらお茶を買う気が髪の毛一本ほどもなかったので、ほとんど覚えていない。

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↑おばちゃんは僕とトヤマさん2人分のお茶を丁寧に入れてくれた。

  お茶屋さんを出ると、トヤマさんが「よかったら台北駅の周辺を案内してやるよ」というので言葉に甘えてついていく事にした。台北駅の地下街を歩きながら、「ここの牛肉麺屋がうまいらしい」「ここの餃子屋はうまいらしいぞ」と丁寧に教えてくれた。まだ土地勘が掴めていなかったので大変助かった。午後12時30分くらいになり、マッサージ屋を紹介してくれたこと、台北駅の周辺を案内してくれた事にお礼を言ってトヤマさんと別れた。

 別れて数分後、ガイドブックを見ながらどうするかなぁと考えていると、トヤマさんがもう一度現れた。「空港行く前に昼飯でも一緒に食わないか?」。もちろん食べましょうということで、地下街にある牛肉麺屋に行く事にした。僕は朝も牛肉麺を食べたので、餃子屋の方が良かったのだが、トヤマさんがつい最近その店で餃子を食べたばかりだということで、2食連続の牛肉麺となった。

  お昼の牛肉麺は朝の牛肉麺とは比較にならないくらい美味しかった。麺がしこしことしていて美味しく、牛肉も味があって美味しかった。これなら台湾名物になるのも納得だ。値段は85元(約340円)。駅の地下だからなのか、思ったほど安くはなかった。

e0016654_1350633.jpg←牛肉が数片上に浮いている。好みでお酢や高菜をかけて食べる。


  今度は本当にトヤマさんとお別れをして、一人台北駅の傍にある新光三越の前でガイドブックを見ていた。やっぱり遠出をして観光名所を見る気にはなれないという結論に達したので、駅前をぶらぶらして少し買い物をしてからおおしろへ戻ることにした。

  午後3時過ぎ、おおしろに戻って他の滞在客たちと談笑していると、一人の人から「今夜ナイトクラブへ行きませんか?」と誘われた。誘ってくれた人はヤマモトさんという男性で、ヨーロッパを7ヶ月間旅する間に、台湾のクラブは熱い、という情報を得たらしい。ヤマモトさんはヨーロッパの旅以外にもフィリピンやタイなど通算4年以上旅をしているというツワモノで、今回は日本へ帰る途中で台湾に寄ったのだということであった。彼が作成するトリカゴというウェブサイトはインターネットラジオを配信するという斬新な企画を行っている。実際にラジオを聴いてみたがめちゃくちゃ面白い!更に旅に役立つ情報が満載なので、興味がある人にはお勧めである。ナイトクラブへ行く為に、午後8時過ぎに再度待ち合わせをすることにした。

  ナイトクラブへは、僕とヤマモトさんの他にも、おおしろで知り合ったカバヤマさんとコジマさんを加えて4人で行く事になった。どこのクラブがいいのかよくわからなかったが、大城さんの奥さん(大城さんは奥さんと子供の3人でおおしろに住んでいる)から情報を仕入れたところでは、台北101の地下にある「Mint」が熱いということだったので地下鉄でそこへ行く事にした。

  この日、僕らは大きな間違いを一つだけ犯していた。その間違いとは、その日が火曜日だという事であった。よくよく考えたら火曜日にナイトクラブが大勢の若者で盛り上がるなんて到底考えられないのである。案の定、「Mint」の前まで行ってみると人影が全くなかった。入り口に立っている黒服を着た男性に「中には何人くらいいるの?」と聞いてみたら、「誰もいない(実際にNobodyと言った!)」というではないか。誰もいないクラブで男4人で酒を飲むのは余りにも悲し過ぎるので、別のクラブを探して行く事にした。

  次に向かったのが「中国父」。最近流行のクラブとガイドブックに書いてあった。行き先がわからないので、コンビニの店員に訪ねてみた。筆談すれば早いだろうということで地図上に「中国父」とこちらが書いた。向こうは「それならこっちだよ」ということで道を示してくれた・・・のだが、どうも他の人から聞いた場所と違う。不審に思ってよく聞いてみたら、彼らは「中国父」というナイトクラブの事を中国の父孫文を記念して建てられた「国父記念館」のことと勘違いしていた!いやー、あのそんな立派なもんじゃなくて・・・踊れて、お酒が飲めて、女の子が一杯いるクラブに行きたいんですけど・・・。

  結局、そこにも人がほとんどおらず、花の蜜を求めて彷徨う蜂のようにその後も2件のナイトクラブを回ってみたが、やはり火曜日は人が集まらないらしく盛り上がっている場所は見つからなかった。最後に行ったクラブでビールを4人ですするように飲みながら、おおしろへ退散した。
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by aokikenta | 2006-09-29 13:48 | (番外編)台湾旅行記
2006年 09月 28日
台湾3日目 北投温泉
2006年9月27日(水)
 
  前日遅くまでナイトクラブを求めて歩き回っていたので、昼前まで寝ていた。今日も観光名所を回る気がしないので、温泉に行こうと決め地下鉄淡水線で北に30分ほどの場所にある北投温泉へ行く事にした。

  近くの定食屋で朝ご飯を食べた。ここの食堂が安くて味が良くて、滞在中ほとんど毎日お世話になった。

e0016654_1494157.jpg←食堂概観。値段が安く味がいいので人気がある。

e0016654_1410376.jpg←安うまの王道「焼鴨飯」。台湾のほとんどの食堂では、スープは無料でお替り自由。


  朝食後、北投温泉に向け出発。台北駅まで歩いて行き、地下鉄に乗り込んだ。台北の地下鉄は日本の地下鉄と変わらないほど、むしろそれ以上に清潔で快適だ。こんな所に台湾の経済発展ぶりを感じる。特に、僕が住むアフガニスタンでは今やっと空港と道路を整備して国の基盤を作り始めているところなので、電車はおろか地下鉄なんて夢のようである。アフガニスタンに行ったおかげで、訪れた国の成長の度合いや、その国が今どの段階にあるのかということがなんとなく肌で感じられるような気がする。台湾では、道路はもちろん鉄道も地下鉄も上下水道もきっちりと整備されており、歴然たる国力の違いを痛烈に感じたものだ。
 
  午後2時過ぎに新北投駅に到着。硫黄の匂いが立ち込める、どことなく日本の温泉街を感じさせる街だ。日本円を台湾元に少しだけ両替し、親水露天浴場と呼ばれる公共浴場を目指した。親水露天浴場は公共浴場だけあって、40元(約160円)と料金が格安になっている。日本と違って水着着用での入浴になるが、やはり空を見ながらのお風呂は気持ちいい。

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↑メインの浴槽は3段式になっており、屋根のある上のお風呂の温度が一番高い。男女混浴。

  30分ほど入っていたらのぼせてきたので、お風呂を上がり、親水露天浴場を後にした。少し近くの公園で昼寝をしてから、プラプラと温泉街の雰囲気を感じながら歩くことにした。新北投には、温泉の源泉があるのでまさに湧き出た温泉が川を作り、時折アスファルトの上に点在する下水口からは湯煙が顔を覗かせている。適当に道端にある食堂に入り、牡蠣の入ったお好み焼きのようなものを食べることにした。名前は「オーアーチェン(虫偏に可能の可+人偏に子+煎という字)」というらしく、その後も夜市などで頻繁に見たので台湾の名物料理らしい。お好み焼きのようだといっても粉が小麦粉ではなく片栗粉(だと思う)なので色は半透明で食感はもちもちとしている。タレ甘いので少し意外な感じがした。お好みソースをかけた方が上手いような気がする一品だ。

e0016654_14105878.jpg←牡蠣の他にもレタスが入っている。個人的に炒めたレタスは好きだ。


  喫茶店で本を読み、19時にジエンタン(剣+水偏に譚の右側)駅で留学時代の友人イアン、チューフイ、ゾイの3人と待ち合わせをした。彼らはロンドンで学期前英語コースに参加し英語を勉強していた時に一緒になった友人で、彼らの内の1人とはブラッドフォードで会ったこともある。皆見た目に変わりはなく元気そうで、イギリスから帰ってから仕事を見つけて、台北で働いているとのことだった。僕とは全く違うマスコミュニケーションや建築学などを専攻したらしく働く業界もバラバラだったが、卒業してからもこうして台湾で会うことが出来て嬉しく思った。

  台北の夜市は面白い!百聞は一見にしかずということで名物料理をアップしてみよう。

e0016654_14122791.jpg→夜市の様子。雑踏と喧騒がある。

e0016654_1338173.jpg←いか煮込みを作る親父。
e0016654_13383981.jpg→臭豆腐を挙げたもの。食べると思ったほど匂いはない。

e0016654_13411053.jpg←特大ソーセージ。

e0016654_13412856.jpg→愛玉と呼ばれる飲み物。ゼリーみたいでうまい。

e0016654_13414317.jpg←薬膳排骨。豚の骨を煮込んだもので、体にいいと言われている。

e0016654_1342119.jpg→水飴。宇宙人がサングラスをかけたように見えるのは僕だけか?

e0016654_13422124.jpg←生煎包。肉まんに似ていてうまい。


  こうして3人に台湾で一番有名な夜市を案内してもらい、非常に満足して帰宅した。これで本日は終了と書きたいところなのだが、この後、おおしろに宿泊をしていた方2人と合計3人で、昨日とは違うナイトクラブ「Luxy」へ行くことにした。水曜日は女性の入場料無料ということで、前日の火曜日とは打って変わってものすごい盛り上がりになっていた。結局深夜まで踊って、お酒を飲んで台湾の夜を満喫したのであった。
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by aokikenta | 2006-09-28 13:33 | (番外編)台湾旅行記
2006年 09月 27日
台湾4日目 福隆(フーロン)海水浴場
2006年9月28日(木)

  前日は朝までクラブ遊びをしていたので、起きたのはお昼だった。前に行った食堂で定食を食べてから、前日にイアンから薦めてもらった場所に行く事にした。その場所とは、福隆(フーロン)と呼ばれる所で、海水浴場とお弁当で有名な場所だということだった。今回の滞在の主目的は体を休めることだったのだが、マッサージと温泉を体験した今、僕が行きたい場所は海だった。別に泳ぎたかったわけではない。海が見えるところで、ゆっくりと小説を読んでいたかったのである。

  台北駅で福隆行きの列車のチケットを買うと、約1時間ほど待たなければならなかったので、近くのインターネットカフェでメールをチェックすることにした。台北では至るところにインターネットカフェがあるだろうと思って侮っていたのだが、案外台北駅辺りにはなく、道端の商店主らに道を尋ねながら30分ほど探し回ってやっと1軒のカフェに入った。道を聞く人すべて親切で、セブンイレブンの店員さんは100メートルくらい離れているのにも関わらず、一緒に歩いてカフェまで案内してくれた。台湾人は親切だ。

  大陸中国ではこんな事は経験したことがなかった。中華人民共和国では、瓦解しそうな共産党政府が反日感情を利用して愛国教育を行った為、現在でも反日の人が多い。特に、1994年から江沢民が本格的に愛国教育に力を入れだしたという事実があり、中国を旅していると差別的な体験をすることもしばしばであった。反対に、台湾では親日の人が多いと感じた。1895年から1945年終戦まで台湾は日本の占領下に置かれていたので、現在でも強い反日感情があっても驚きはないのだが、肌で感じたところでは現実はそうではなかった。この中国と台湾における日本への感情の違いに対する原因を特定する作業は容易ではなく、むしろ膨大な資料が必要なことであって、僕の知識で語りつくせるような問題ではない。しかし恐らく、台湾では、戦後、反日教育を行ってこなかった事や、日本占領時代の記憶がそれほど悪いものではなかった事や、文化交流が盛んなことで日本と台湾の間に多くの関係が出来ている事などの諸々の要素が、中国と台湾における日本に対する感情の違いを作り出しているのだと考えられる。

  午後1時30分ごろ、列車は福隆へ向けて出発。ものすごく遅い列車だったが、1時間と少しで到着した。海水浴には季節はずれの福隆の街には人はまばらで、さながら季節はずれの熱海といった風情であった。それでも静かな方がいいさとうそぶきながら、橋を渡って海水浴場へ向かった。予想通りビーチには人はほとんどいなかった。適当に写真を撮り、海辺の石段に寝転がりながら本を読み始めた。

  今回の旅で読んだ本は、台湾へ出発する前々日に大阪の友達からもらった『オシムの言葉』と、古本屋で買った村上春樹の『ノルウェイの森』だった。『オシムの言葉』は、如何にオシムがいい監督なのかが、豊富な取材による裏づけから述べられている。納得する部分も多いのだが、イマイチ釈然としない部分もあった。例えば、ジェフの坂本が判断ミスから失点してしまって2対2の引き分けになってしまった際に、オシムが選手全員の前で坂本に向かって「お前のせいで、きょうの試合は引き分けてしまったんだ」と言い放った場面(P.223)。状況は違うが僕の場合、スタッフを他のスタッフの前で怒るようなことはあまりしたくない。何故なら、仲間の面前で怒られるとプライドを大きく傷つけられるからである。特に、そのスタッフがマネージャーなどの地位にいる場合、威厳が損なわれてしまうので仕事に大きな影響が出てくる。そんな怒られる奴から指示されたくねえよ、と周りから思われてしまうのである。

  本の中では、その発言の後にオシムが坂本を呼び出して、「お前を通してみんなに伝えて欲しいものがある」(P.225)と伝えた、とあるのだが、どうしても言い訳めいて聞こえてしまうのは僕だけだろうか。『オシムの言葉』に限らず、成功した人が何かをしたり言ったりした場合、やる事なす事全てが美談になってしまう傾向がある。上の言葉によって、その選手が自信をなくして、チームの成績も悪かった場合、この話しは美談になることはなかったであろう。成功した人がする事は何でも正しいのか。

  これまで村上春樹の本の中には好きな本もいくつかあったが、『ノルウェイの森』は性的描写が非常に多く、若干の抵抗があった感は否めない。しかし、登場する人物の多くが心に底知れぬ闇を抱えており(現実の社会では生きられず、孤独やそれ以外の要因から自殺してしまう人物が多く登場する)、そうした人間達が織り成すストーリーを楽しんでいたのも事実だ。何故、そうした人物に興味を持つのか自分でもわからないが、自分の中にも彼らと同じような深い闇があって、その部分が共鳴をするからかもしれない。

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↑福隆海水浴場の風景。

  午後5時30分頃、ビーチを後にしてご飯を食べることにした。福隆ではお弁当が有名ということで、駅前のお弁当屋さんで食べる事にした。値段は50元(約200円)。写真では大しておいしそうに見えないかもしれないが、実際はすごくおいしかった。何だか母親のお弁当を食べているような感覚を覚えた。よそ行きの味ではなく、台湾の家庭の味がするのである。しかも、お弁当箱に白米をぎっちり詰めて、その上に沢山のおかずを乗っけて無理やり蓋をする方法がウチの母親のお弁当とそっくりで、なんだか温かい気分に浸った。

e0016654_14134481.jpg←煮玉子、角煮、煮物、漬物、ちくわなどが白米の上に乗っかっている。安うま。


  午後6時40分頃の列車に乗り、福隆を後にした。午後8時頃、台北駅到着。おおしろに戻り、シャワーを浴びたり、メールチェックをしたり、本を読んだり、他の人たちと話したりして、寝た。
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by aokikenta | 2006-09-27 13:30 | (番外編)台湾旅行記
2006年 09月 26日
台湾5日目 市内観光
2006年9月29日(金)

  台湾に来てから3日間は体をゆっくり休める事、楽しむ事に専念したので、この日はようやく市内観光名所巡りをすることに決めた。台湾と言えばやはり「故宮博物院」ということで、今回の旅では珍しく朝の9時から出かけた。

  台北の朝はラッシュがひどい。台北市は人口過密都市なので、車も多いが、何よりスクーターの数が半端ではない。スクーターだと車と違って、駐車スペースに頭を悩ませる必要がなく便利なようで、数で言えば車と同じかそれ以上あるような印象を受けた。朝のラッシュ時には見渡す限りどこも、スクーター、スクーター、スクーター。本当に多い。

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↑台北の朝。とにかくスクーターが多い。ひょっとしたら世界で一番かも?
 
 
  さてこの日訪れた故宮博物院の「故宮」とは北京にある所謂「紫禁城」のことで、台北市にそこの美術品などが展示されている事は意外な感じがする。何故、台北に故宮の文物があるのかという疑問には、実は日本が深く関係している。20世紀の初頭に、日本軍は満州を支配下に置く為、中国の華北地方に対する圧力を強めていた。そのため、蒋介石の国民党は歴史的に価値がある故宮の文物を日本軍から避難させる為に、それらの多くを南方に移したのである。その後、中国共産党に敗れた国民党とともに、それらの文物はいくつかの都市を経由して台北に到着したのであった。

  台北駅から北に20分ほどにある士林駅で地下鉄を降り、バスを乗り継いで故宮博物院を目指した。10分と少しでバス停に降りると、白人の女性が英語で声をかけてきた。「Do you know where the National Palace Museum is?(故宮博物院はどこですか?)」。僕も初めて来たのでわからないなぁ、と思って辺りを見回してみたらすぐに後ろにあったので「I guess (that) this is it(多分これだと思うけど).」と答えた。なんだこんなに近くにあったのかとでも言いたげな少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべていたが、その何気ない会話をきっかけに僕らは当たり障りの無い話から会話を始めた。彼女の名前はマルティナといい、笑顔が可愛らしい白人の女性で、ポーランド出身ということだった。医学生で、今は最終学年にあたる大学7年目をしている。台湾のとある大学と交換プログラムをしているので、1ヶ月程高雄(台湾南部の都市)で勉強をしたらしい。しかし、それも終了したので台湾人の友達の家に泊まり台北観光をして回っているということだった。なんとなくお互い話しが合うので、どちらから言うともなく彼女と僕は自然に行動を共にするようになっていた。気がつけば一緒に博物館を見て回っていた。

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↑非常に大きいと聞いていたが、一部のみを定期的に展示しているらしく、2時間ほどで見て回る事ができた。

  マルティナと博物館を回るのは楽しかった。僕が展示品を見たいと思うとき、彼女は僕に話しかけてこなかった。反対に、彼女が展示品を見ている時は、僕は話しかけなかった。しかし、お互いが展示品を見ていない時には、それとない話題のおかげで退屈をすることはなかった。彼女のその辺りのさじ加減は、僕のそれと非常に近いらしく、僕達はお互いの孤独を守りながら、しかし、同時に孤独を分け合うことができた。初めて会った人とそういう絶妙なコミュニケーションが取れたのは素敵な体験だった。

  12時ごろ、少しのお土産を買い、お互いの次の目的地へ向かうことにした。彼女と僕の目的地は近かったので、途中まで地下鉄をともにした。マルティナは、開発途上国で医療活動をする事が一つの目標であるらしく、僕がアフガニスタンで活動している事にすごく興味を持ってくれた。

  今回の旅で、「アフガニスタンで働いています」と言うと、良い悪いは別にしろ会話の糸口となることがよくわかった。大抵の場合、僕がそう答えると「本当ですか!?すごいですね!」という返答があり、その返答をされた人が、また別の第三者に「この人はアフガニスタンで働いているんですよ!すごいでしょ!」と伝えてくれるというような様子だった。アフガニスタンで住む事が当たり前の僕にしてみれば、海外を何年も旅している人の方がよっぽどすごいと思うのだが、世間では結構インパクトがあるらしいということがわかった。何ヶ月もアフガニスタンにいてずれてしまった感覚を、他者とコミュニケーションすることによって微修正することは、バランスを取る上でとても重要な作業だ。

  マルティナは僕より少し先に行った駅で友達と待ち合わせがあるというので、僕は彼女よりも一駅先に地下鉄を降りた。大きな感情が湧き出してくるというのではなく、いつも営業で行くと笑顔で笑ってくれる受付のお姉さんがいなくなってしまった、という場面で感じるようなふっとした喪失感が僕にやってきた。その感覚は鮮烈なものではなかったが、この先のいつか、布団で寝ている時に、理由もなく突然蘇ってくる過去の記憶の断片として思い返されそうな感覚だった。すっと記憶の引き出しにしまった。
 
  もう午後1時を過ぎていたので、お昼を通りすがりの食堂で食べ、「十足健康」という足裏マッサージ屋へでかけた。またマッサージかという感じはあるのだが、前回行ったマッサージ屋の足裏マッサージが期待外れだったので、評判が高いこのお店に行く事にした。「十足健康」は呉神父と呼ばれる足裏マッサージ界の権威が作ったお店で、どのガイドブックにも掲載されているような人気店だ。料金は30分で600元(約2400円)。

  足裏マッサージを注文すると、まずは濁ったお湯で足湯をする。マッサージがより効くようになるというような効能があるのだろう。数分間足を濁ったお湯につけた後は、床屋にある椅子のようなマッサージ台に移動して、マッサージを受ける。前のお店とは違って、マッサージ師は足ツボを的確に刺激してくれ、こちらが痛いと言った部分から、体のどの部分が悪いのかを指摘してくれた。

  マッサージ開始後5分、最初に痛いと感じる部分があった。マッサージ師は足裏のこりがわかるらしく、即座にアドバイスをくれた。

マッサージ師「頭が悪いですねぇ」(少し訛った日本語で)

「えっ!?」

マッサージ師「睡眠不足とか、頭痛とか・・・ありませんか?」

なるほど頭が悪いってそういうことね、と思いつつ、確かに寝不足だと思い知る。その後も、心臓、肝臓、腎臓、肩、首、腰が悪いと指摘を受けた。思い当たる節のない部位もあったが、なんとなく「当たってるかもなぁ」と思ってしまった。そう思った隙をついて、

マッサージ師「この後、整体をやると首、肩、腰にいいですよ」

と営業をかけられ、あっさりと向こうの術中にはまってしまった。追加で更に30分600元(2400円)のチャージ。大抵の日本人は、旅先だからこれくらいいいか、と思って払うのだろう。
 
  合計60分マッサージと整体をしてもらった後、500ccのお湯を飲みなさいと言われた。理由はわからないが、血流がよくなったところで、お湯を飲む事で老廃物を排出する事が可能になるのだろうと思う。500ccを飲み干し1200元を支払って、お店を出た。後で感じた事だが、足裏マッサージをしてから本当に体に改善が見られた。占いほど怪しくはなく、西洋医学ほど科学的ではない。それが足裏マッサージ。

  その後、少し雨がぱらついてきたが、すぐ近くにある「国父記念館」へ向かった。ここは孫文を祭った場所だが、台北という都会の中で格好の憩いの場所になっている。

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↑国父記念館。入り口の辺りに見える豆粒のようなのが人間だ。

  ここでは幸運なことに衛兵の交替を見ることができた。バッキンガム宮殿でも見られるが、機敏な動作で動く衛兵の姿は見ていて気持ちが良い。

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↑入り口を入った所にある国父像の前で行われる衛兵交替。

  久しぶりに朝早くから出かけて疲れたので、一度おおしろへ戻り、19:30にイアンと待ち合わせをした。前々日の夜市探索に来られなかったキャロルが来られるということで、イアンが食事をセッティングしてくれたのだ。イアンは会社から自宅へ一度帰ってから車で来てくれたので、それに乗り込むことにした。向かうのは「ティンタイフォン」という台湾で一番有名な小龍包のお店。日本からのツアーでは確実に組み込まれる程有名なお店で、店員さんにも日本語を話せる人がいる。僕らは、僕、イアン、チューフイ、キャロル、そしてイアンの友人のエミリアの5人で食事をした。

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↑小龍包。中からこぼれだす肉汁がうまい。

  噂どおり美味しかったことは確かだが、個人的には上海の南翔饅頭店で食べた小龍包の方が美味しかった。産まれて初めて食べたのが上海の小龍包だったので、上海の印象が強いだけかもしれないのだが、ティンタイフォンの小龍包は小綺麗にまとまっているという印象で、インパクトに欠ける所があった。しかし、せっかく台湾に来たのなら行ってもいいお店の一つであるとは思う。

  小龍包でお腹一杯になった所で、デザートのマンゴーカキ氷を食べに行く事にした。「ビングワン(二水に氷+館)」という有名なデザート屋さんで、マンゴーカキ氷の元祖であるという。台湾は南国なので、果物は豊富に採れる。僕の好きなマンゴーが食べられて満足だ。

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↑名物のマンゴーカキ氷。見た目通りうまい。

  もうこれ以上入らないというくらいお腹が一杯になった所で、次は陽明山へ行く事にした。台北市内から車で30くらいで行ける山で、東京で言えば高尾山のような場所だ。陽明は中国語でヤンミンと言うらしく、陽明山を英語で言うと「ヤミーマウンテン」と聞こえる。「Let’s go to yummy mountain!(おいしい山へ行こう!)」と駄洒落をいいながら、5人で陽明山に向かった。

  陽明山から見える夜景は格別だった。ドライバーのイアンを除いて台湾ビールを飲みながら、僕達は思い出話をしながら夜景を楽しんだ。旅はあと1日で終わる。

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by aokikenta | 2006-09-26 13:25 | (番外編)台湾旅行記
2006年 09月 25日
台湾6日目 暗闇が消えてしまうまで
2006年9月30日(土)

  遅めに起きて、まだ台北市内で見足りないものがあるので、市内観光をすることに決めた。おおしろの近くの食堂で食べるのも最後だなと思いながら、焼鴨飯を食べた。

  まず、台北駅から2駅にある「中正記念館」へ向かう。ここは蒋介石を祭った公園のような場所で、広々としているのでどことなく天安門広場を感じさせる。前日に国父記念館へ行っていたので中正記念館に来るかどうか迷っていたのだが、来てよかったと思った。ここは台湾人にとって何か象徴的な場所である。

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↑中正記念館。奥に見える建物の中に蒋介石の像がある。

  中正記念館では、日本人女性と台湾人女性の2人組に出会った。ニュージーランドで語学留学をしていた時の友達同士だと言う。日本人の女性は台湾人の女性の家に泊まり、台湾観光をしているということであった。話し込んでいる中で、僕が「これから台湾総統府を見に行こうと思うんだ」と言うと、その台湾人の女性は「それは止めた方がいい」とアドバイスしてくれた。なんでも、陳水扁政権の汚職に起こった人たちが大規模なデモを行っている可能性があるので総統府の前は避けた方が良いということであった。言われてみれば、台北駅周辺でも赤いTシャツを着た人たちが「愛と平和」をスローガンにデモをしていた事を思い出した。

  行くかどうか躊躇したのだが、好奇心から行って見ることにした。実際は何も起こっておらず、ただ、鉄骨で組まれた足場のようなデモの残骸だけが虚しくそこにあるだけだった。

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↑台湾総統府。かつては日本が設置した台湾総督府庁舎だった。


  写真だけ撮り、とても美しいと言われる孔子廟を訪れることにした。地下鉄淡水線で北に行く事15分ほどで円山駅に到着。そこから徒歩で5分ほどの場所に孔子廟はあった。

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↑孔子廟。青とオレンジの屋根が眩しい。

  孔子廟の敷地は庭木の端々まで手入れが行き届いており、とても居心地の良い空間だった。周囲の喧騒からも遮られており、都会の中にポツンと突然現れたオアシスのような場所だ。

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  朝から3箇所も観光地を回ったので、昼ごはんでも食べるかと適当な道端の店に入った。僕が食べたかったのは、ここまで台湾名物でありながら一度も食べていなかった魯肉飯。魯肉飯はしょうゆ味で煮込んだひき肉をご飯にぶっ掛けた単純明快な料理で、その他のおかずと組み合わせて食す台湾の名物料理だ。このお店では1杯20元(約80円)。素朴な味がしてうまい。魯肉飯は台湾の典型的庶民の味だ。

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↑魯肉飯。空心菜の炒め物との相性が抜群だ。

  大体やりたかった事はやったなぁ。魯肉飯を食べた終えた時、僕の中で何か一区切りがついたような感覚があった。主要な観光名所は見て回ったし、名物料理も食べた。もちろん、時間があればいくらでも滞在して台湾の素顔を見てみたい気持ちはあったが、今回の旅行は帰りのチケットを売約済みの期限付き旅行なのだ。それでも、まだ午後4時くらいだし、もう1箇所行って見るかと思い、淡水という場所へ行く事にした。

  イアン達や中正記念館で出会った台湾人の女の子などからは、淡水に行ってはどうかと散々薦められた。地下鉄一本で行ける手軽さからか、流行の場所だからか、海が見えるからなのか、淡水は台北市民にとっては週末にちょっと行くのに手頃な行き先であるようだった。東京で言えばお台場のような所だろうか。

  淡水の景色は確かに美しかった。駅を降りるとすぐに視界に入ってくる海、正面に堂々と構える観音山、そして、水辺の石段に腰掛けるカップルや家族連れ達。和気藹々とした雰囲気があって、普段ならリラックスできる場所であるようだった。しかし、この日は土曜日だった為か、人が異常に多く、どうも落ち着かなかった。僕は一人で来ていたので、一眼レフカメラをぶら下げながら、手をつないだカップル達を横目に歩く内に、なんだかもういいやという気分になり、1時間も淡水の街を楽しまずにおおしろへ引き返した。

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↑淡水の様子。面白そうな出店が沢山あった。

  おおしろに戻って、さて明日の荷造りでもゆっくりとするかなと思っていると、台湾滞在中仲良くさせてもらったヤマモトさんとカツキさんが、今から夜市へ行くのだが一緒に行かないかと誘ってくれた。荷造りなんて10分でできるので、むしろせっかく知り合えた人たちとの出会いを大切にしたいとの思いから、夜市へと繰り出した。

エピローグ
  夜市に出かけてから、夜が深くなり、そして夜が明けてしまうまでの間、僕はヤマモトさんとカツキさんと、そしておおしろに泊まっている他の人たちと話し続けた。旅の途上にある僕達の会話を止めさせるものは何もなかった。一つの話題を話し尽すと、またその話題から連想される次の話題へと進んだ。それぞれの話題は面白かった。しかし、実際の所は話題は何でもよく、僕達は会話をやめる事によって失われてしまう何かを恐れていただけだったのかもしれない。旅とは一体何なのか。価値を含まない純粋な定義であれば、その問いに答えることは可能かもしれない。しかし、それぞれの人が旅にどんな価値を見出すのかという価値判断になってしまえば、その質問への答えに一つの解はない。

  明日のフライトに乗ってしまえば、この旅も終わる。そう思うと、僕はなかなか会話をやめてベッドに行こうという気持ちになれなかった。旅が終われば、そこには現実の世界があり、いつもと同じ日常がある。反対に、旅の中で僕が住んでいた世界は現実の世界とは異なる別の世界であった。その別の世界は、僕の主観の中にだけ存在する世界に似ている。僕の中に確かに存在していて、その中では自分が想像する通りに物事が進んでいき、しかし他の人からは物理的にみることのできない世界。旅は、そんな主観の世界に似ていながらも、実際に人と話すことができ、物に触れる事ができる得体の知れないものだ。得体が知れないにも関わらず、僕達の住む世界の中の一部として確かに存在をしている。現実の世界と旅。その夜、その2つの世界を隔てるものは、今僕達の目の前にある夜という名の暗闇であった。この暗闇が消えてしまうと、僕はまた飛行機に乗って、こことは違うあちらの世界へと戻っていかなければならない。その時が来るのが怖くて、僕はゲストハウスおおしろのリビングルームで飽きることもなく話し続けた。

(おわり)
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by aokikenta | 2006-09-25 14:17 | (番外編)台湾旅行記