カテゴリ:日記(カブール)( 397 )

2005年 11月 12日
歓迎会
 一昨日、昨日とパーティーをしたのだが、今日もお昼にパーティーがあった。僕が赴任したということで歓迎会的な色彩が強い会だった。スタッフの一人ラハマトラの家で開かれたのだが、この家がアフガニスタン的な家だった。車を止めて中に入ると、綺麗な絨毯が敷き詰められていた。そして、壁に沿うようにこれまた綺麗な模様の座布団が敷かれている。みな周りに座り、ラハマトラと家族が食事を運んできてくれた。

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 昨日に引き続き豪勢な食事で感謝の気持ちでいっぱいだ。アフガニスタン人のもてなしは手厚くてこちらが恐縮してしまう。まじめに、この出費が家計に影響してしまうんじゃないか、と心配になるほど。パラオ(ごはんに人参、干しぶどう、豆などを入れて炊いたもの)、羊肉のコルマ(うまい)、ほうれん草を茹でた物、なすとトマトの炒め物(中華風の味わい)、フライドチキン、シシカバブ、生野菜(怖いので食べなかった)などなど、食べきれないほど出てきた。出席したのは僕と先輩とアフガン人スタッフ5人で、それにラハマトラの家族が同席したが、食べ切れなかった。

 テーブルマナーというのは特にないようだが、基本的には男と女は別室で会は進む。あぐらをかいて座布団に座って、あとはホストが運んでくれる料理を待っていればよい。変に物を運ぼうか、と聞いても「いいんだ、いいんだ」と相手を恐縮させてしまうだけなので、堂々としているのがいい。手で食べる人とスプーンで食べる人の両方がいる。手で食べる人は左手も使っているように見受けられたので、インドのように不浄の手で物をつかんではいけない、ということはないようだ。

 食後にはデザートとフルーツとチャイが振舞われる。デザートはババロアみたいなものが出てきた。おそらく牛乳、羊の乳などを固めたものだろう。昨日の飲み物に続いて、しょうがの味わいがした。フルーツは、ぶどう・りんご・バナナがお皿山盛りにでてきた。アフガニスタンではブドウ畑をよくみるので特産品なのだろう。このあたり、「だろう」とか「ようだ」という表現が多いので別にリサーチしなくてはならない。滞在が長くなればもっと断定的に書けるはずだ。

 チャイには2種類あって、紅茶と緑茶がある。緑茶は日本茶とは味が違うが、独特のフレーバーがあっておいしい。僕は砂糖なしで飲んだが、アフガン人はスプーン3杯くらい入れて飲んでいた。僕もしきりに勧められた。砂糖が「価値のあるもの」なのでゲストには勧めるようだ。

 アフガニスタンの伝統を垣間見れて、しかも栄養の補給がたっぷりとできた一日だった。
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by aokikenta | 2005-11-12 23:38 | 日記(カブール)
2005年 11月 12日
2種類のパーティー
 昨日blogを更新した後に、パーティーに誘われたので参加した。そのパーティーはとある国際NGOのスタッフ主催で、そのNGOのスタッフ住居で開かれた。雨の中、行って見てびっくりした。僕の団体の住居とは比べ物にならない広さ・快適さ。絨毯が敷き詰められており、心地よいソファーに衛星テレビが見られるテレビ。キッチン・ダイニングもかなりの広さできれい。我々の住居とは格段にレベルが違う。このレベルの差が、今の国際NGOと日本のNGOの力の差を如実に示しているように思った。日本のNGOはまだアマチュアレベルだと言われるが納得である。
 
 パーティーには、そのNGOのスタッフと友人が合計9人(僕を含む)来た。僕と先輩と、アメリカのNGOで働く日本人女性が1人、そして欧米の男性が6人来て、食事とお酒を楽しんだ。食事は牛肉のステーキとパスタサラダとナンが振舞われた。すべてホストが用意してくれた。洗練された味でおいしかった!その他、ビール・ワイン・スピリッツなどなどを飲み、気がつけば夜の1時を過ぎていた。うーん、飲みすぎた。途中で持っていったギターで歌を披露しました。もう一人弾ける人がいたのだが、そいつがめちゃくちゃうまかった。僕と比較にならないうまさ。恥ずかしかった。とにかく、週末の夜をおいしいごはんとお酒と音楽で締めくくれて楽しい夜だった。こういうのは留学時代のパーティーと変わらないもんだ。

 このパーティーの席上で、一人の欧米人男性がした発言が心に引っかかっている。彼が言ったのは、「ある国で働いていた時に、一人の隣国からの難民が『僕の国を何とかしてくれ』と言ってきた。腹が立って、『これ以上俺の前で話してるとぶっ飛ばすぞ』と言ってやったよ」というようなことだった。発言をした彼は軍隊の人で、紛争当事国ではない国から国連PKOミッションで平和維持軍の一員として派遣されていた。彼にしてみれば、第三国の俺がお前の国のために働いているのに、なんで母国のためにお前は働かないんだ、という憤りがあるようだった。彼は言った。自分の母国の為に戦わないでのうのうと逃げてきて、いい服を着てそれなりにいい生活をしているくらいなら、母国に帰って戦え、と。彼の憤りには理解できるところがある。いつ生命を落とすともわからない環境で働いている彼ら平和維持軍にとってみればそういう気持ちになるのは当然かもしれない。
 
 しかしながら、政治の結果によって戦争が勃発してしまった時に、その国民は母国の為に戦わなくてはならない、とは必ずしも言えないと僕は思う。誇りの為に戦って、政治的に敵対するグループを殺すのが正しいとは言えない。いかなる死も正当化できない。人を殺すくらいなら、難民になって生き延びた方がいい。何年か何十年かすれば、かならず紛争は終わるのだ。紛争の間に教育を受けて、将来の復興の為に命を捧げるという生き方だってあるはずだ。実際に、アフガニスタン難民の多くはパキスタンに逃げて、難民キャンプで比較的手厚い保護を受けた。現在、国の復興の為に働いているのはこうして他国に逃げて教育を受けたアフガン人だ。ムジャヒディンとして戦った戦士たちの多くは死んだ。生き残った戦士たちも、13歳くらいから戦わなくてはならなかったので、完全に基礎教育の機会を逸している。僕の団体のマネージメントスタッフ2名はペシャワールへ逃亡した組。彼らの指示で車を運転するドライバー達は、アフガニスタンに残って戦った組だ。

 こうして両面を見ると、どちらが正しいかとは言えない。国の為に戦って、誇りを守るのもいいだろう。逆に、何が何でも生き延びるのもいいだろう。ただ一つ言えるのは、「国」という人間が作り出した共同体にこだわるあまり死んでしまったら、残された家族にも友人たちにも平和はないのである。そんなものにこだわるよりも、武力ではない知力を身につけて将来の国の復興の為に尽力する方が守れる人の数も大きいのではないだろうか。


 さて、前にも書いたが、アフガニスタンでは金曜日と土曜日が休みなので、11日の今日は何もないはずだった。はずだったと言うのは、今日は15時から特例でお客様がいらっしゃったのだった。総勢7人が我々のオフィスにやって来て質問などを1時間ほどして行った。せっかくの休日を!という気持ちもないわけではなかったが、有意義な時間だったのでよかった。というのは平和学の世界ではとても有名な方もいらっしゃったのだ。名刺交換をさせていただいた。彼の本には感銘を受けていたので、とても緊張した。本は人格を表すもので、とても論理的な話し方をされる方だと思った。あー、カブールに持ってきておけばよかった。サインもらえたのに。

 その後、17時ごろからアフガン人スタッフであるアブドラの誕生日パーティへ出席。結構裕福な生活をしていたなぁ。団地みたいな感じのところの3階に住んでいて、テレビ・ステレオ・DVDなどなどすべて揃っていた。アブドラは僕らのオフィスではナショナルスタッフのマネージメントをしてくれている人で、今日で28歳になった。背が高くて185センチくらいあると思う。周囲からの人望が厚く、英語での意思疎通も問題はない。子供が3人いていかにも幸せそうな笑顔を浮かべていたのが印象的だ。

 このパーティーで僕は奥さんを一度も見ていない。女性は男性客と会わない伝統があるらしい。娘さんもちょっと見かけただけ。最後まで、アブドラと、息子2人、そして客の僕らだけだった。こういう伝統は確かに生きている。人道的NGOのスタッフの家でもそうなのだから。

 食事は豪勢だった。しょうがと砂糖の入ったミルク(誕生日には必須の伝統的なものらしい)、スープ、羊肉の煮込み、シシケバブ、ポテトフライ、サラダなどが人数以上に用意されていた。朝から奥さんが用意したらしい。もちろんお酒はでなかった。

 食事後はとなりの部屋に移ってダンシングタイム。いかにもアフガンな曲に合わせてみんなで踊った。踊りや歌は世界どこでも共通だ。但し、音量をものすごく大きくする。近所迷惑じゃないのかな、とこちらが心配するほどだ。これを聞いて、留学中にものすごい音でパーティーをするパキスタン人のことを思い出した。あれは文化的なものだったのかもしれない。でも近所迷惑はだめだぜ。

 オフィスに戻ってようやく一休み。もう9時前だ。あんまり休めなかったけど、2つの異なるパーティを体験できた貴重な週末だった。
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by aokikenta | 2005-11-12 01:36 | 日記(カブール)
2005年 11月 10日
ケバブ
 今日は昨日と同じ場所に行くことになった。朝の11時ごろに出発して16時前に帰宅。行ってみると案外やることがあって遅くなってしまった。

 お昼にケバブを食べた。アフガニスタンのケバブは少し変わっていて、1本の串に2つの羊肉が刺さっている。そしてその2つの羊肉の間に羊の「脂」が刺さっている。理由はよくわからないが、肉だけだとパサパサしているからジューシーにする為だと思う。見た目は↓のような感じ。

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 少しわかりづらいかもしれないが、1本の串に茶色・白・茶色の順で肉が刺さっているのがお分かりいただけるかと思う。基本は、右手にケバブを持ち、左手に小さくちぎったナンを構える。左手のナンでケバブを挟み込んで、1片か2片の肉をスライドさせて取る。後はお好みの香辛料をつけて食べる。香辛料は、塩・唐辛子・ブドウからできた香辛料の3種類が用意されている(サンプリングが少ないが、昨日・今日行ったレストランではそうだった)。味の方はというと、香ばしくてジューシーな肉に香辛料のフレーバーが加わり、それをさらにナンが包んでいるので最高にうまい。野菜があまりないのでビタミン不足が心配だが、味はとても良いと個人的に思う。

 ケバブを食する文化圏というのはとても広いと思う。中国でも「羊肉串(ヤンローチュアン)」と呼ばれて良く食されている。羊肉串はウルムチの人が食べるし、上海や北京などでも出稼ぎの人が道端で焼いて売っている。アフガニスタンとは違って、串の下から上まで肉がついているが。西の方では、エジプトでも食べているし、間違いなく北アフリカのイスラム圏や、イスラム教のアフリカ諸国で食べられているだろう。ちなみに、イギリスでもパキスタン・インド移民が作ったケバブ屋はいたるところにあった。

 話はそれるが、アフガニスタンでは料理に油を良く使う。コルマという煮込み料理では、表面に5ミリから1センチくらいの油が層になって浮いている。長く駐在している先輩曰く、油でお腹を壊すということだ。たしかに日本食は油をあまり使わないので、いきなり変化すると体を壊すかもしれない。ついでに書くと、砂糖もよく使う。チャイ(紅茶)を頼むと、空のコップの中に砂糖がスプーン換算で2杯から3杯入っている。それにお茶を注いで飲むのだ。油とか砂糖というのは高カロリーだから、アフガニスタンのような貧しい国では貴重な栄養源なのだろう。そういえばセネガルにいた友達も同じ事を言っていた。開発途上国では、ブランドとか知る人ぞ知る的なものよりも、わかりやすいものが重宝がられるのかもしれない。そういう意味では、現金をUSドルで持っておくというのは、いざと言うときには強いのではないだろうか。俺は日本ではすごいお金があるんだぞ!と言った所で強盗は聞いちゃくれないかもしれない。現金見せて、これをあげるから逃がしてという方が聞くのではないだろうか。このあたりは、生活しながらイメージトレーニングしておかないとなぁと思う。
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by aokikenta | 2005-11-10 22:36 | 日記(カブール)
2005年 11月 10日
遠出
 今日は仕事の都合で遠出をした。10時ごろ出発して、いろいろと業務を現地でして16:30頃の帰宅になった。ほとんど机での業務はできなかったが、おかげで田舎の風景を見ることができた。

 カブールから少し北にある村にいったのだが、カブールとはやはり大分様子が違っていた。例えば、家を見てみると、泥や木を使った伝統的な建築方法で建てられている。大枠を木で作って、その間にレンガを積み上げている。そして、それをコーティングするように泥(何かを加えているかもしれない)を塗りつけて固めて出来上がり、というような作りになっている。田舎の方に来ると近代的な建物などはほとんど無く、ほぼすべての家がこのような家になる。カブールにもこうした作りの家があることはあるが、中心部は曲がりなりにも首都だけあってコンクリートを使った建物が多い。この田舎の風景がアフガニスタンの生活レベルなどを表しているように思う。

 道も行くまでは舗装されているが、村に入ると土の道に変わる。4WDでないと走るのは難しいだろう。あと、人々が着ている衣装も心なしか伝統的なものが多い。女性はほぼチャードリーを着ているし、男もほぼ伝統的な衣装(名前がわかりません。すいません。)を着ている。カブールでは、ジーンズをはいていたりする人がいるが、この辺りにはそういう奴はあまりいない。これも伝統的価値観が根強いことを示している一例だろう。

 ところで、行きかえりの車中でアフガニスタン人(具体的にはタジク人)と話していてふと疑問に思ったことがあった。アフガニスタン国旗の由来について話していた時のこと。僕は全然由来について知らなかったので質問をした。そうすると、彼はこう言った。

「黒は戦争の暗黒を、赤は血を、そして緑は自由と平和を表している」

 アフガニスタンの国旗は左から黒・赤・緑になっていて、真ん中にイスラム教の礼拝所が描かれている。彼の説明によれば、外国の侵略や内戦があった暗黒の時代から、アフガニスタンの血と汗によって、緑溢れる平和な国を創る、ということであった。なるほどそういう意味があったのか、と込められたメッセージに感動し納得したのだが、一つ疑問に思った。それは色の順番である。アフガニスタンの公用語の一つであるダリ語(もう一つはパシュトゥン語)はペルシャ語の方言で、字は右から左へと読む。しかし、この国旗のメッセージは左から右へ読むようになっている。字を右から左へ読むことに慣れている人々は、色だってそういう風に見るんじゃないのかなと思った。そしてこれは僕の深読みかもしれないのだが、この国旗は字を左から右へ読むことに慣れた人が作ったのではないか、と考えてみた。そう考えると、つじつまが合うような気がする。じゃあ、字を左から右へ書く人って誰なんだ?ということになる。

 帰ってから調べてみると、この国旗は、2002年2月にアフガニスタン暫定政権によって制定された。すると一つの推論ができる。アフガニスタン暫定政権は、字を左から右へ読む人々によって設立され、国旗も彼らによって制定された。実際、カルザイ大統領はアフガニスタン人の意思によって擁立されたわけではなく、欧米が主導して擁立したという議論はある。その延長線上に国旗の制定があったのではないか。

 そんな仮説を立ててみた一日だった。

※これはあくまでも僕個人の仮説(考え事)であって、何ら事実の裏づけがあるわけではありません。これによって生ずる不利益や損害などには一切責任を負いませんのでご了承下さい。
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by aokikenta | 2005-11-10 02:46 | 日記(カブール)
2005年 11月 08日
オフ(7日)&本格的業務開始(8日)
 毎日一回の目標更新ペースに合わせるべく、2日分まとめて書きたいと思う。7日はオフだったので思いっきり寝た。途中目が覚めたものの、驚く無かれ午後1:30まで寝ていた!10時に寝たので14時間30分睡眠だ。こんなに寝たのはいつぶりだろうか?よっぽど疲れていたのか、新しい環境に入ったということで体がスイッチオフを必要としていたのか、本当に良く寝た。おかげで頭はすっきりとしていた。

 昼飯を食べてから、日がな貯まっていたメールの整理やblogの更新などをした。これが結構時間がかかりほとんど一日を費やした。インターネットの接続は予想していたほど悪くなく、写真なんかをblogに載せることができるくらいだから全く問題ない。ただ、電気とお湯が問題で、街の電気が常時来ているわけではない。電気がやってくる時間が決まっていて、それ以外の時間はジェネレーターを動かして自家発電しなくてはならない。これがけっこう面倒で、正直言ってまだ覚えていないので、覚えてから詳細については書ければと思う(興味ないか)。お湯についても、いつも出るわけではない。電気と同様、お湯特集はまた今度できればと思う。

 明けて今日(8日)、本格的な仕事開始だ。開始時間である8時までに、仕事場である1階に下りていなくてはならない。事務所は住居と兼用で、1階が仕事場、2階が部屋になっている。オフィス概観はこんな感じ↓

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 遠景だと快適そうに見えるがそんなことはない、残念。電気に問題あり、お湯に問題あり、アフガンはほこりっぽいのですぐに室内に埃がたまる、セントラルヒーティングなどというものはなく寒い、などなど問題は書き切れないほどある。それも良い経験ではあるのだが。

 うちの団体のカブール事務所には日本人スタッフが僕を含め3人いて、部屋は各自個室が与えられている。ダイニングルームは2階にあって、お昼は家政婦さんが作ってくれたものをそこで食べるようになっている。朝と夜は基本的に自炊だが、事前に頼めば家政婦さんが作ってくれるので時間が無いときは頼めるようになっている。洗濯物なども頼めるので、早速たまった洗濯物を頼んでしまった。こういうのが癖になるのは良くないので、当たり前じゃないということは認識しておきたい。

 業務終了時間の16:00より少し遅れて17:00頃終了。そして今更新している。アフガニスタンは日本との時差が4.5時間。日本とイギリスが時差9時間なのでちょうど真ん中だ。とても覚えやすい。こういうことにも何かの流れを感じてしまう。考えすぎかな?

 東京ーカブールーブラッドフォードという3点を結んで線にする放浪旅行を将来的にはしてみたい。いつになることやら。

 
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by aokikenta | 2005-11-08 23:31 | 日記(カブール)
2005年 11月 08日
カブール到着 つづき
  日記を書く前に少し。「つづく」と前回書いてからそのまま続きを書いていたのだが、案の定何かの操作ミスで途中で消えてしまった。相当書いていたのに・・・。というわけで、前回途中でアップしておいたのは英断だった。偉いぞ自分!

 さて、現地時間9:30頃カブール空港へ到着した。カブール空港は、今まで見た中でも最も小さい国際空港かもしれない。成田空港と比べると、町のたばこ屋さんとデパートくらい違う。もちろんカブールがたばこ屋さんである。

 空港を出ると、出迎えのドライバーが団体の名前の入った紙を持って待っていてくれた。40代と思われるまじめそうなアフガニスタン人だ。中肉中背で前頭部が禿げ上がっているが、時折見せる笑顔が性格の良さを表している。歩いてすぐのところに止めてある白のランドクルーザーまで案内してくれた。車窓から見えるカブールは、活気に溢れていた。果物を売るお店や、生活用品を売る店などが立ち並び、道は行き交う車でいっぱいだ。一見した限りでは危険そうではなく、パキスタンやエジプトとさほど変わらない。人々が着ている服は伝統的な衣装が多く、チャードリーと呼ばれる頭から足元まで覆う来ている女性が見かけられた。アフガニスタンの男性と言うと、立派なひげというイメージがあるが、確かにそのイメージ通り立派なひげを蓄えた老人も多く見られたが、ひげを剃っている若い男性も多く見られた。近代化の波がカブールにも押し寄せていて伝統的価値観が変わってきているのかもしれない。

 オフィスに着き、所長のもとまで案内された。面接の際に一度お会いしたことがある。歓迎してで迎えてくれた。この日は着いたばかりということで、事務所(住居兼用)の案内と業務のごく簡単なブリーフィングだけでよいとのこと。疲れもあるので助かった。

 早速お昼にアフガン料理が出てきた。

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 ナンとお米に何かを加えて炊いたものと牛肉のミートボール入りコルマが出てきた。ナンはイギリスでよく食べたような楕円形のナンではなく円形のナンで、冷たくても味があっておいしかった。僕のおなかがすいていたのか素材がよかったのかとにかくおいしかった。お米はバスマティ米で、見た目は大盛りで食べきれそうになかったが、案外お腹にたまらないので全部食べきることができた。コルマはカレーとは違い辛くなく、トマトベースで味付けがされている。ナンとお米とよく合う。どれもおいしかったので、アフガン料理は好印象だぞ!

 午後は日常業務があるわけではないので、資料に目を通したりミーティングに参加したりで過ぎていった。ここのオフィスは就業時間が8:00~16:00だとのことであっというまに終了の時間が来た。しかも、アフガニスタンではラマダン明けのイード祭中ということで明日(7日)はオフだという。今日(6日)は特別に出てきたということだ。移動で疲れている身にとって、一日休みが取れるのはありがたい。

 夜は所長が作ってくれたパスタを食べ、少しお酒も飲んだ。アフガニスタンはイスラムの国だが、米軍キャンプで手に入るらしい。不安と期待が入り混じった気分だったが、お酒を飲みながらいろいろと話せてすっきりとした。シャワーを浴びて10時にベッドに入った。慣れない環境なので疲れているようだ。カブールは標高1800メートルということで、何もしなくても酸素が薄くて高地トレーニング状態になっている。また、高地ということで朝晩の気温はかなり下がるのだそうで、冬場にはマイナス15度になることもあると言われた。うーん、慣れるまで時間がかかりそうだ。まあなんとかなるだろう、の気持ちで気楽に生活して行きたいと思う。
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by aokikenta | 2005-11-08 22:28 | 日記(カブール)
2005年 11月 07日
☆カブール到着!!!☆
 無事にカブールへ到着した。ようやくインターネットへの接続も完了し、更新する時間と体力ができたので、遅まきながら近況報告をしたいと思う。

 まず、前回の日記から何があったのか書きたいと思う。4日(金)は13:55成田発のパキスタン航空便でイスラマバードへ出発した。このフライトは北京を経由するため北京での待ち時間を含めて合計11時間の長旅だった。しかも、北京で経由時にフライトから降りられないのでぶっ続けで乗っていることになった。疲れた。

 長旅を終えてイスラマバード空港を降りると、迎えの人が来ていた。この「迎えの人」だが、驚くこと無かれ、このblogの一部の読者は知っている人だ。僕のブラッドフォード時代の友人なら必ず知っている人だ。パキスタン支援プロジェクトに際して急遽イギリスから来てもらうことになった(先方への迷惑がかかるかもしれないので名前は伏せます。当ててみて下さい。まだイギリスにいる人で・・・まさかあの人がパキスタンに!)。久しぶりの再会を果たして、イスラマバードオフィスへタクシーで移動。結局、僕の乗継ぎ便は6日の国連機(イスラマバードーカブール)なのでこのオフィスで2泊することになった。初日はシャワーを浴びて、すぐに寝た。

 翌日(5日)は丸一日空いていたので「迎えの人」がオフィスで一生懸命働いているにも関わらずゆっくりとさせてもらった。午後に、オフィスにいる人達3人(フィンランド人2人、トルコ人1人)と車でイスラマバード市内を見て回った。ラマダン明けのイード祭中ということでお店のほとんどは閉まっていた。残念。でも、パキスタンは初めてだったので街行く人を観察したり、空いている店をひやかしたりして楽しんだ。イスラマバードは整然と整備した街で、想像していたような喧騒とカオスはなかった。街が「F」で始まるブロックで区切られていて、例えば僕の所属する団体は「F10」と呼ばれるブロックの一角にある。要するに、人の生活が元々あって街ができたというよりも、トップダウンで街を作ってそこに人が住むようになったということなのだろう。

 途中、DVD屋に立ち寄った。一枚約250円で最新のDVDが購入できる。中国などと同じように、うまい事やってこの値段で売れるわけなのです。一緒にいったオフィスの人たちはイスラマバードですることがあまりないということでまとめて買っていた。

 夕食後、他の日系NGOに勤める知り合いの女性が訪ねに来てくれた。僕がイスラマバードにトランジットで来ていると聞いて、アフガン着任前にわざわざ来てくれたのだ。しかもちらし寿司を携えて。僕の団体のこと、彼女の団体のこと、日本のNGOのことなどなど話に花が咲き、気がつけば夜の1時近くになっていた。タクシーを呼んで彼女を送り出す。アフガニスタン出発前夜の励ましになった。

 明けて出発当日(6日)の朝。8:00イスラマバード発の飛行機で行かなくてはならなかったので、6:00にオフィスを出発した。車で空港まで30分くらいということだったので余裕だろうと思っていた。しかし、トラブルが発生した。うちの団体が契約しているドライバーに送ってもらっていたのだが、ラジエーターから水が漏れているではないか!道路の脇に停車してボンネットを開けてみるとエンジンがシューシュー言っている。ペットボトルの水をラジエーターに注ぎ込むと、まるで焼け石を水に入れたみたいにジュージュー言い始めた。車の下を見てみると今注いだ水がもう漏れ始めている。必死に水を注ぎ込むドライバー。よく見てみると、車の後部座席には2Lペットボトルが5本くらい置いてあった。水漏れてんの知ってたんだな・・・。先に言って欲しかった。

 「ノープロブレム、サー」

と言うので大丈夫なのか、と思ったらすれ違うタクシーに声をかけた。何かをウルドゥー語でしゃべっている。話がまとまったらしくそこら辺にある駐車場へ停車した。

 「タクシーで行ってくれ」

そんな馬鹿な・・・。しかもお金を払ってくれと言うではないか。うちの団体のイスラマバードオフィスは彼の会社に契約料を払っているはずなので、それはできないと言った。しぶしぶ彼は空港までの200ルピー(約400円)を払った。タクシーに荷物を詰め替えてタクシーで空港に向かった。後で聞いた話では、ドライバーの彼は無事イスラマバードオフィスへは帰りついたらしい。その200ルピーをどこが持つかについては団体とドライバーの会社間で交渉するらしい。日本では当たり前のことでも途上国では当たり前ではないことを身をもって痛感した。飛行機に間に合ったからよかったものの、タクシーがつかまらなかったらアウトだった。車の整備をしっかりすること、空港へはなるべく早く行くこと、こういった基本の重要性を実感した。

 イスラマバード空港では偶然日本人に会い、いろいろと情報交換をし、予定より少し遅れて8:30頃国連機に搭乗した。案外小さい機体で、座席は決まっていない。

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 約1時間のフライトでカブールへ到着した。文章が長くなっているので、消える前に一旦アップしたいと思う。

つづく



 
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by aokikenta | 2005-11-07 23:42 | 日記(カブール)