カテゴリ:日記(カブール)( 397 )

2007年 09月 12日
ラマダン開始?
イスラム教国では、ラマダンという断食の習慣があるのだが、それが12日もしくは13日から始まる。もしくはと書いたのは、まだどちらになるかはっきりとしないからだ。詳しいことはわからないのだが、サウジアラビア(アフガニスタンではアラディスタンと呼ばれる)にいる宗教指導者が今晩の月を見て、「よし明日からラマダンだ」あるいは「明後日にしよう」と決定をするらしいのだ。それに基づき、イスラム教国であるアフガニスタンもラマダンの開始日を決定するのであった。

そんなこんなで、明日が国民の祝日なのか平日なのかが、前日の夜12時くらいまでわからない。日本的感覚からすると信じられないのだろうけど、アフガニスタンにいると前日の夜まで国民の祝日が決まらないことが、ラマダン以外にも多々あるので、まあこんなもんかと思っている。

ちなみに、断食というと本当に何も食べないのだと思われがちだが、実際は、太陽が昇っている間は断食というだけで、サンライズからサンセットまでの断食に過ぎないのだ。だから、アフガンの人々は夜明け前に目一杯に食べ溜めをして、日が沈んだとともにお腹がはちきれるまで食べ物を胃に詰め込むのであった。

三大宗教の一つ、イスラム教。日本人にとっては未知の世界だ。
それだから、猛烈に憧れたり興味を持ったりする人が多いのかもしれない。
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by aokikenta | 2007-09-12 03:07 | 日記(カブール)
2007年 09月 10日
結婚式ラッシュ
マスードが死んでから6年が経った。6年前の2001年9月9日に、ビデオカメラに隠した爆弾による自爆テロで死亡したと言われている。2日後には、アメリカで同時多発テロが発生したので、何らかの関連があるのかもしれない。

金曜、土曜日に続いて今日も休みで3連休。
最近、なぜだかわからないが自分の周りは結婚ラッシュだ。8月にはスタッフが2人結婚したし、今日はスタッフの娘の結婚式があった。
場所はKabul Ariana Restaurantというカブール随一の結婚式場。3番目の写真が8月19日の独立記念日に行った結婚式の写真と非常にidenticalな気が・・・。アフガニスタンの結婚式は、他に上手く撮りようがないのである。ちなみに、今日も花嫁も花婿も見なかった。花嫁からお母さんへの感動的なスピーチとかあったら泣いてしまいそうなのに、それはアフガニスタンのカルチャーが許さないのであろうか。もう少しイベントを入れてもいいのでは。

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→バンドの演奏と踊りをみつめるパシュトゥン人

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→タジク人の子供。西洋人みたいでしょ?

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→定番メニュー、ナン、パラオ、羊の煮込み、サラダ、マントゥ、葡萄、ふにゃふにゃゼリー、コーラなど。
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by aokikenta | 2007-09-10 03:02 | 日記(カブール)
2007年 09月 09日
EOS 40Dと三連休の真ん中
CanonからEOS 40Dというのが発売されたのかぁ。渡辺謙の広告が滅茶苦茶かっちょえー。うーん、欲しい・・・。
どなたか、ご購入された方がいらっしゃいましたら感想頂けると嬉しいです。

今日も一日ずっと事務所にいた。休みだけど、ほぼずっと仕事をしていたような気がする。9月はなかなかに忙しい季節なのである。

今日の朝食は昨日の残りのカレー、昼はMRE(Meal Ready-to-Eatの略)、夜はカレーうどんだった。
週末にカレーを作り、最後の一滴まで楽しむのが我が家では一種の習慣になっている。同僚の内の一人が元海上自衛隊員で、毎週金曜日になると必ずカレーを作ってくれるのである。旧日本軍海軍から続く伝統で、海上自衛隊では毎週金曜日はカレーを食べるらしい。理由は、船や潜水艦の中では景色が変わらず曜日の感覚が無くなってしまうので、カレーを食べることでそれを防ぐ為らしい。カレーって確かに週末っぽい。カブールでの生活もあまり外に出ないし、曜日の感覚が無くなってしまうことがよくあるから、ちょっとだけ船の上の生活みたいだ。だから、カブールで毎週金曜日にカレーを食べるというのは、とても良いアイデアなのであった。

ところで、カブールでの生活が船の上の生活だとしたら、僕達が今乗っている船は一体どこへ向かっているんだろう?暗殺(assassin)の語源になった暗殺教団が年端も行かない若者を大麻に耽溺させて連れて行った秘密の楽園みたいなところだろうか。あるいは、これまで世界がみたこともない急速な発展のモデルケースのような場所だろうか。それとも、国際社会が一つの国を駄目にしてしまったと未来の偉い教授達がレクチャーに用いるケース・スタディーのような国だろうか。
もう少しこの船に乗って様子を見てみよう。

MREについては、このブログで紹介したことがあったかなぁ?
MREとは地雷回避教育のことではなく、米軍が携行する茶色い袋のコンバット・レーションのことだ(地雷回避教育はMine Risk Educationと言うんです・・・。誰もわからないですね・・・・・)。水さえあれば、どこでも温かいご飯が食べられる優れものなのである。アフガンではどこから横流しされているのかわからないが、バザールで信じられないような価格で買うことができる。非常用に買い込んでおくところも多いようでそれなりに人気はあるのだろうが、味に関しての評価は様々だ。僕は個人的には余り好きではない。今日はご飯を作るのがめんどくさかったのでお昼に食べたのだった。

あー、最近全然写真を撮ってないなぁ。
今度日本に帰ったらEOS 40Dと格好いいカメラバッグを買って、そのバッグに買いたての40Dと慣れ親しんだEOS Kiss Digital Xを詰め込んで、アフガニスタンの赤茶けた峻険な山々と、雲が一つもない青空と、極彩色の衣装を着た遊牧民の笑顔を、思うぞんぶん撮りに行こう。写真を撮るのに疲れたら、エメラルドみたいに美しい葡萄を食べながら、砂糖の沢山入った甘い緑茶を飲んで、ぼんやりと今写真に収めたばかりの景色を眺めるのだ。そうしたら、僕はシャーみたいに世界を征服した気分になって、趣き深い深紅色の絨毯の上で眠りこけてしまうだろう。
そんな時は、どうか眠りから覚まさないでいて下さい。
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by aokikenta | 2007-09-09 01:17 | 日記(カブール)
2007年 09月 08日
ジョニ黒
9月9日がマスード将軍の命日で祝日なので、アフガニスタンは今日から3連休だ。
日本にいたらどこかへ出かけるかということにでもなるのだろうけど、誘拐が増えているので外に出る機会はなさそうだ。

今日はまぶたが開かなくなるまでぐっすりと寝た。
寝たいだけ寝られるというだけで、休日には意味があるのだ。
今日のご飯は、朝食インスタントラーメン、昼食インスタント牛丼、夕食カレーだった。
何で、こんなに一人暮らしの男が好んで食べるものばかり食べているのだろう?

同僚のOさんがタイで買って来た枝豆風味のスナック菓子を食べ、ジョニー・ウォーカーのブラックラベルを飲みつつ、ブログの更新をしている。スナック菓子は久しぶりに食べたが、やっぱり体に悪いものはたまに食べたくなるね。うまい。ジョニ黒は昨日、シャリナウにあるデリーダールバールというインド料理屋で買って来た。ジョニ赤がおいてなくて、他に置いてあるかとインド人のウエイターに聞くと、ジョニ黒があるというので買って来た。しかし値段が55ドルだった。高いぜ、dude・・・。ジョニ赤は35ドルらしいので、今度はそちらにしよう。

これから、ウイスキーを飲みながら、フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を読む予定。
さりげなく、そして、絢爛豪華な金曜日です。
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by aokikenta | 2007-09-08 00:02 | 日記(カブール)
2007年 09月 06日
メールアドレスとアイデンティティー
導入:Introduction
ラップトップに向かいながら、ある仮説が頭をよぎった。
個人メールアドレスの名前の付け方には、そのメールアドレスの所有者のアイデンティティーの成り立ち方が色濃く反映されているのではないか。

息子であれ娘であれ動物であれぬいぐるみであれ、あるものに名前を付与する行為には、名前を付与する人間の個性が滲み出るものだ。憧れの人みたいになって欲しいので、その人の名前を拝借する人もいるだろう。なんとなく語感が好きだから、惹かれる名前を付ける人もいるだろう。自分の名前を一字とって付ける人もいるだろう。

しかし、メールアドレスの名前の付け方は、動物など他者に名前を付与する行為とは根本的に異なる。メールアドレスに名前を付与することはそのアドレスの所有者(私)の分身に名前を付けることなのである。私の分身という言い方は少しぼんやりとしていて理解しにくいかもしれない。こう言い換えてみよう。メールアドレスは他者とのコミュニケーションをする時に、一番最初に入力するものだ。つまり、それを入力する事によって、他者は私と連絡を取り相互に意見を交わすことが可能になるのであり、いわば、私の顔にあたるのである。

私の顔であるメールアドレスに名前を与える際には、当然、誰しもが細心の注意を払う。私が他者からどう見られたいか、私は他者に私という人間をどう見せたいか、私はどういう側面で持って私であるという自己同一性を確立しているのか、が自然と反映されてしまうのである。

次の章では、最近、メールアドレスを取得した三名に登場して頂き、彼らがどうやって名前を選んだのかについてみてみよう。尚、本仮説を個人のメールアドレスに限定するのは、仕事のメールアドレスは所属する組織から与えられたものであり、本人の恣意性が入り込む余地がないからである。

ケース・スタディー:Case studies
(1)鈴木太郎さん
誕生日が1月1日の鈴木太郎さんは、メールアドレスの名前をどうしようか考えていた。やっぱり、個人のメールアドレスだから僕のアドレスだと誰からもわかりやすいのがいいな、そしたら、僕の特徴って何だろう、僕が僕だと同一視させる要素は何であろうか―――。

鈴木さんは、そう考えた末に、suzuki_taro_0101@hotmail.xxx というアドレスを取得した。先祖から受け継がれている苗字と、この世に生誕した日付を、自分が自分足りえる最も顕著なものと判断して、メールアドレスの名前に付与したのであった。

(2)山田明子さん
一方、鈴木さんの友人の山田明子さんも、最近になってメールアドレスを取得した。山田さんは、こう考えた。みんな誕生日とか名前とかをメールアドレスにするけどそれってカッコよくないよなぁ、メールアドレスって別に名前じゃなくって自分の好きなものとか自分をよく表してるものの名前でいいんじゃないか―――。

山田さんは、そう考えた末、strawberry@gmail.xxxというメールを取得した。

(3)田所勝さん
鈴木さんと山田さんの知り合いで、AAA会社の田所勝(まさる)さんは、こう考えた。メールアドレス何にしようかな、うーん、僕の特徴って一体なんだろう、あー、僕は今働いている会社の名前をメールアドレスにつけよう。

田所さんはそう考えた末、tadokoro_AAA@yahoo.xxx というメールを個人のメールとして取得した。

分析:Analysis
(1)鈴木さんの場合
鈴木さんのケースは、おそらく最も多くの人が選択するメールアドレスの付け方である。自分の苗字は先祖から伝わってきたものだし、名前は両親が頭を悩まして付けてくれた名前である。また、誕生日は、この世界に存在することを開始した日である。従って、連綿とつながる鈴木家の人間としてのアイデンティティーを鈴木さんは確立しているのである。

もう一つ別の見方をすれば、鈴木さんは他の何でもなく自分の名前を選んだことから、自分という人間を好きなナルシストだという見方もできる。私は私である、所属組織や血液型や身長や体重など他の何ものによっても規定される人間ではなく、私は私なのだ。こういう強い主張も見え隠れしている。

(2)山田さんの場合
山田さんのケースも(1)に次いで、多いパターンである。山田さんはイチゴが大好きで、自分という人間を、イチゴが好きな私として認識しているのである。幼い頃から、山田明子さんは、ピンク色とイチゴとぬいぐるみが好きな女の子で、イチゴみたいに可愛いね、と言われると嬉しくてたまらなかった。そんなポップな女の子でありたい、私はそういう人間だという心の表れがこうしたメールアドレスを選ばせたのであった。

別の見方をすれば、山田さんは、女の子らしい女の子として他者から見られたいという願望を潜在的に持っているということもできる。イカの塩辛と芋焼酎が好きだからといって、ikanoshiokara_imojouchu@gmail.xxx というアドレスを取得する女の子は、残念ながらあんまりいないのである(仮にいたとしたら、僕は好きになってしまうかもしれない・・・)。ストロベリーという言葉に対して社会的に付与されたイメージ、甘い、美味しい、可愛らしい、を自分にも与えたくて選んだのだという見方も可能であり、山田さんは可愛く見られたい願望が強いとも言えるのである。

(3)田所さんの場合
田所さんのケースは、あまり散見されるものではないが、稀に見られるパターンである。所属組織から命じられて、仕事用でこうしたアドレスを取得する分には、本人の嗜好は反映されない。しかし、個人のメールアドレスで所属組織の名前を付けるという場合は、自分をその組織に所属するものとして強く認識しているということの表れである。この名前の付け方は、日本での社会通念に相通ずるところがある。

日本では、自己紹介をする時に「○○会社の△△です」という言い方が一般的である。これは、私を△△として同一視するよりも、私を○○会社の一員として同一視する傾向を如実に示している。一方、欧米では、”Iam XX of AAA company.”という言い方が一般的である。これは日本語と英語の言語の違いもあるが、その言語を形作る思考回路、システムの違いから来る部分が多い。

こうした違いがあらわすのは、日本人は所属組織の一員としてアイデンティティーを形成する傾向が強く、欧米の人々は、私が私であるということでアイデンティティーを形成する傾向が強いということである(ちなみに、筆者はメールを書く際には名前・タイトル・組織の順番にするようにしている)。

結論:Conclusion
メールアドレスには、所有者のアイデンティティーが見え隠れしている。自分が自分をどういう人間だと考えているか、自分は他者からどういう風に見られたいのか、そういった所有者の内面が避けがたくメールアドレスには表れてしまうのである。

この理論はメールアドレスのみならず、パスワードを考える際や、ホームページのタイトルやアドレスを考える際にも適用できるかもしれない。一度、自分が付けた名前を見直して、名前を付けた当時、自分はどのような心境だったのか、自分は自分のことを何者だと考えていたのかを分析して、あらためて自分がどういう人間であるか見つめなおしてみてはどうだろうか。

(了)
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by aokikenta | 2007-09-06 19:35 | 日記(カブール)
2007年 09月 04日
幻聴
2006年12月31日、ジョグジャカルタで行われた友人ディアとダニエルの結婚式の中盤で、MCから即興で何かギターで演奏してくれと頼まれた。

その結婚式には数百人の招待客と家族が来ていて、バンドの生演奏あり、インドネシア料理のご馳走あり、各国からのゲストありのとても盛大なパーティーだった。大勢の人前で歌うのは恥ずかしいけど、お祝いの席なので断る理由もなく、生演奏をしているバンドのギタリストからギターを借りて長渕剛の『乾杯』を歌うことにした。

ギターを持って舞台にあがると、ディアのお婆ちゃんが近づいてきた。笑顔が愛らしい、一見日本人みたいに見える老婦人だ。彼女は「日本の歌を知ってるから、一緒に歌いましょう」と誘ってきた。小さな声で聞かせてくれた歌は、『さくら』だった。

さくら さくら
やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざや いざや 見にゆかん

僕はそのお婆ちゃんと一緒に、ジョグジャカルタで『さくら』を大勢のお客さんの前で歌った。歌を歌い終わった後、とても複雑な気持ちがしていた。ディアのおばあちゃんが日本の歌を歌えるというのは、日本がインドネシアを侵略したからなわけで、僕は、帝国主義と個人レベルの友情の相克をどう頭で理解していいのかわからなかったのである。60年以上前の日本人が侵略して教えた歌を、今、僕は友達の結婚式という祝福の場で、その友達のお婆ちゃんと一緒に歌っているのであった。あの時、僕はどんな顔をして歌えばよかっただろうか。

歌い終わってから、足の悪いお婆ちゃんの手を握りながら、舞台を降りた。
とても柔らかくて優しい手だった。

- - - - -

ベッドに横たわって眠気がやってくる前に、たまにふと考える。
自分がタリバンに拉致された時、「僕は殺されてもいいから、国際社会はアフガニスタンへの支援を継続して下さい!」と、言えるのだろうかと。

自国民が殺害されれば、政府は援助全体に関して一時停止もしくは撤退の判断を迫られるだろう。政府はこれまで莫大な資金をつぎ込み、援助関係者が身命を賭してプロジェクトを行っているのだから、一個人の命で関係者に迷惑はかけられない。それに、元々、紛争地に足を踏み入れた時点から、拉致されるかもしれないとは覚悟している。だから、僕の命はいいから全体の利益を考えてくれ、人道支援に殉死するんだ、そんな崇高な気分でいたいと思う。しかし・・・、しかし、コメカミに銃口を突きつけられながら、タリバンにビデオカメラを向けられた時に、「支援を継続してくれ」と、僕は果たして言えるだろうか。最初の言葉を言おうとした瞬間に、膝が砕け落ち、しょんべんをもらして、だらしなくへたりこんでしまうような気がする。

僕はいつまで経っても臆病者だ。

- - - - -

"生まれた瞬間から ゆっくりと死んでゆく
そこからは もう逃れようがないなら
笑っていたいんだけどな・・・

通り雨 まだ降り続いてる
新聞をめくってる間に
また陽は照りつけるだろう

通り雨 この胸を濡らして
水溜り いくつも作っていく
いつしか夜になって そこに星空が映って
キラキラ輝くといいのに"

『通り雨』 Mr. Children

- - - - -

つい先日、ディアからメールがあった。"rest in peace"というタイトルだった。
タイトルを見て、あの時のお婆ちゃんが他界したのだという事実を何となく悟った。

死を告げるメールを読んだ後、しばらく呆然とラップトップの画面を見つめていた。
いつかどこかで再生されるのをひっそりと待っていたかのような『さくら』の悲しげなメロディーが、頭の中でプレーバックしていた。
音叉でギターをチューニングするように丁寧に、僕はディアにお悔やみのメールを返した。

Diah, my thoughts are with you in your time of grief.
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by aokikenta | 2007-09-04 22:30 | 日記(カブール)
2007年 09月 04日
雑感
最近あんまり外に出ていないので、めっきり治安やプロジェクトサイトに関する肌感覚が失われてしまった。主に、メールやインターネットや新聞などの情報源に頼っている。こうなってくると、東京にいるのもカブールにいるのもあんまり変わらないような気がする。草の根活動って一体・・・。

相変わらず運動不足で、まったくお腹が空かない。今日のお昼に、フライドポテト(芋と油)とナン(小麦粉)とボロニ(芋と小麦粉と油)だけの昼食が出てきて、「炭水化物ばっかりやん!」と思わず独り言を言っていた。

そろそろ休息が必要な時期に来ているのかもしれない。
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by aokikenta | 2007-09-04 01:41 | 日記(カブール)
2007年 09月 01日
週末
昨日、2週間ぶりくらいにフットサルに行ってきた。

仕事が終わらずに開始時間から1時間くらい遅れていったので、ウォーミングアップなしで試合に参加することになった。大学時代なら問題はあまりなかったのだが、体を動かさなくなってからは、アップなしでいきなり試合をすることが怖くなった。捻挫をしたり、肉離れを起こしたり、なんとなく怪我をしそうな気がするからだ。

あまり動くまいと思って試合に入ったが、始まってしまうとどうしてもランニングをしなければならない場面もあるもので、何処かで相手と接触して捻った右の足首が痛い。軽い捻挫のようだ。湿布も何もないので、捻った足首の腱と同じ栄養でできていそうな鶏肉でも食べて、直すことにしよう。

フットサルから帰ってシャワーを浴びようと思ったら、発電機が故障していて、ガードとドライバーが修理をしていた。すぐに直るかなと思って、庭で腕を組みながらぼんやりとしていると、簡単には直らないことがドライバーの報告により判明した。俺のシャワーをどうしてくれるんだと密かに思いながら、「明日、朝からメカニックを呼んで直そう」ということで、取り合えずその場は収まった。ふと、空を見上げたら、発電機の騒音も電気の明かりもない中で見る空は綺麗な星でいっぱいだった。

朝、ノックの音で目を覚ました。
土曜日出勤のスタッフがドアの前で僕を呼んでいた。
発電機の修理をしたいというので、勝手にやってくれと思ったが、高額な修理部品を買っていいかとか、メカニックの労賃はいくらで話をしたとか言うので、少し下に下りて話をすることにした。土曜日はほとんど誰もいないので直接相手をしなくてはならないのだ。

大体、段取りがついてから、今日は何しようかなと思ったけど、発電機が動かないので本でも読むことにした。しかし、問題が発生するごとにイチイチどうしたらいいのかとスタッフが聞いてくるので全然集中ができなかった。今日の残り半分は何しようか。本が駄目ならDVDでも観るか。あるいは音楽でも聴こうか。アフガニスタンの週末にすることの選択肢は非常に限られている。

休日なんだか平日なんだかよくわからない週末だった。
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by aokikenta | 2007-09-01 20:02 | 日記(カブール)
2007年 08月 31日
8月30日読売社説
8月30日付の読売新聞社説に韓国人の人質解放のことが書いてあった。とてもよくサマライズされてるが、いつもながら随分主張がはっきりしているなぁと感心してしまった。最後の「そのためにも、テロ対策特別措置法の延長が必要である」という一文は、モロ明確だなぁ。ちょっと飛躍気味ではあるが、結局はこれが言いたかったのだろう。組織として方針がはっきりしているというのは、自分がどう思うかは別にして、書く人にとっては書きやすいだろうと思ったりした。

* * *
(以下、引用)

韓国人人質解放 手放しでは喜べない問題もある(8月30日付・読売社説)
 アフガニスタンで、旧支配勢力タリバンに拉致されていた韓国人19人のうち、一部の解放が始まった。
 最悪の事態も想定されていただけに、ひとまず朗報である。しかし、全員の解放合意へ至る経緯には不透明な部分もあった。
 人質となっていたのは、アフガンで医療、教育支援活動をしていた韓国人キリスト教信者の一行だった。先月中旬、バスで移動中、タリバンの武装グループに襲われ、23人が拉致された。
 その後、リーダー格の男性ら2人が殺害され、女性2人が解放された。韓国政府などによるタリバン側との人質解放交渉は、長期化していた。
 韓国大統領府は、解放のため2条件を受け入れたと発表した。アフガンに駐留する韓国軍の年内撤退と、韓国人キリスト教信者によるアフガン国内での布教活動の中止である。
 ただ、韓国軍の年内撤退は、事件発生前からの既定路線だった。また布教活動の中止についても、韓国側は交渉の初期段階から提示していた。
 タリバンは、当初、人質と収監中のタリバン兵士との交換を要求していた。本当に、この2条件で折り合ったのかどうか。一部に、韓国が身代金の支払いに応じたのではないか、との見方もある。
 韓国政府は、「2条件以外については議論していない」と強調している。もっとも、韓国軍の年内撤退を交渉の中で受け入れた格好となった点も、拉致犯に譲歩した、との誤解を生む恐れがある。
 一方、アフガン政府は、タリバン兵の釈放には頑として応じなかった。交渉が長期化した一因でもあるが、「テロリストとは取引しない」という国際的な原則に忠実な、当然の姿勢を貫いた。
 アフガンでの韓国人キリスト教信者の支援や布教活動は、国内でも批判を浴びてきた。意図はどうであれ、思慮に欠けた行動だったと言わざるを得ない。
 大使館関係者を含め約160人の邦人が活動している日本にとっても、事件は他人事(ひとごと)ではない。政府は、比較的安全なカブールなど5都市についても、事件の後、退避勧告を出し注意を促した。
 事件はまた、アフガンでタリバンなどイスラム原理主義の武装グループが復活していることを明らかにした。逆に、カルザイ現政権が依然、脆弱(ぜいじゃく)である現実を示した。
 アフガンを失敗国家にしては、元も子もなくなる。国際的な支援の一層の強化が重要だ。日本としても支援を継続すべきだ。そのためにも、テロ対策特別措置法の延長が必要である。

(2007年8月30日1時40分 読売新聞)
(引用、終わり)
* * *
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by aokikenta | 2007-08-31 00:53 | 日記(カブール)
2007年 08月 30日
韓国人人質の解放
12人の韓国人人質が解放されたと、この記事を書いている時点でBBCが伝えている。7月19日の事件発生から40日でようやく解決に向かった形だ。

タリバンと韓国側の交渉には部族の長老が仲介にはいったようで、交渉の条件は、タリバンが人質を解放する事と引き換えに、韓国が年内に韓国軍をアフガニスタンから撤退させることだったようだ。韓国はもともと年内に撤退を計画していたらしいので、延期なしが条件になったということだ。但し、BBCは身代金が交渉の条件の一部に使われたかもしれない、と報じている。これについては、ウラは取れていないのだろう。

この人質事件を受けての今後の治安予測をすることは難しい。

しかし、「韓国は我々の条件に屈した」とタリバンが捉えているのか捉えていないのか、更に、これだけ大きく報道されたことにより、タリバンと関係ない武装集団や金目当ての集団が「外国人の誘拐はオイシイ」と認識するのか認識しないのか、が今後の外国人や援助関係者の安全に大きく関わることは間違いない。逆に、「誘拐はオイシクない(金にならない)」もしくは「外国人の誘拐はえらい人がいっぱい出てきてめんどくさいね」ということになれば、現在の誘拐ブーム(今は本当にブームなのだ)も収束の方向に向かう可能性はある。もう少し事件の真相について知りたいと思う。

ところで、この事件が報道されるたびに、23人が笑顔で収まっている記念写真が紹介されているが、ああいうのもメディアの戦略なのだろうか。あれを観てると、観光気分で行くから誘拐されちゃうのさ、というシラケタ声からはどうしても免れられない。もっと彼らがアフガニスタンを支援している姿とか真剣に何かをしている姿の写真とかだったら、受け取る人の印象も大分違うのではないかと思ってしまうのは僕だけだろうか。

世論の同情を誘う為、誘拐された時用の写真でも家族や同僚に渡しておこうかなとちらっと思った。
頼むから、笑顔でピースの写真は出さないでね。
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by aokikenta | 2007-08-30 00:22 | 日記(カブール)