カテゴリ:日記(カブール)( 397 )

2007年 10月 08日
ウルトラマリンブルーの誘惑
桜の樹の下には屍体が埋まっている。
そう言ったのは坂口安吾が先だっただろうか、それとも梶井基次郎が先だっただろうか。
いずれにしても、こんな素晴らしい文章を言える人というのは、なんて時代を超えた鋭い感性の持ち主なんだろう。

手元に、梶井基次郎の『檸檬』がある。それを少し引用してみよう。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」

「これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、このニ三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍が埋まっている。これは信じていいことだ」

「屍体はみな腐爛(ふらん)して蛆(うじ)が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪(どんらん)な蛸(たこ)のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食指のような毛根を聚(あつ)めて、その液体を吸っている」

「今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする」

美し過ぎて理解を超えてしまっているもの、地球上に存在するとは到底思えないもの、それを理解しようとする為に、美しさの対極にある醜いもの、汚らわしいものを持ってくる。そうするとすとんと全てが理解できるような感覚。
これって超イケてない?!

桜の樹の下には屍体が埋まっているなら、アフガニスタンにはラピスラズリが埋まっているということが、僕にはとてもよく理解できる。

人間を拒むような乾燥した大地、厳しい気象条件、どこまでも続く土漠地帯。そして、その上で繰り広げられてきた凄惨な戦争の歴史。そんな国でしかラピスラズリのような奇跡的な石が生まれなかったなんて!なんてすごいことなんだろう。

ターバンを巻いた老人も、カラシニコフを抱えた若者も、ブルカを被った女性も、荷車を押す男達も、川原に散乱する生ごみも、道端に佇む物乞いも、市内にそびえ立つ埃っぽい丘も、市外に広がる荒野も、目に映る全てのものがどこか垢抜けていなくて、グレーに霞んでいて、どこかくたびれた場末の食堂を感じさせたとしても、そういった意識に広がる光景の上にラピスラズリをぽんと置くだけでジグソーパズルが上手くはまったような快感が体に広がる。まるで、丸善で積み上げた本の上に檸檬を置いて、一人微笑んだ梶井基次郎が感じたように。

あの青い石には何かしらの真実(おそらく「美」とか「エロス」とか「知」とかいったそういったもの)が隠されている。ダイヤモンドのように輝いているわけではなく、しかし、鈍い光を放ってウルトラマリンブルーの体を見せ付けながら、実はこちらの心の奥を見透かしているような真実が。

アフガニスタンにはラピスラズリが埋まっている。
これは地球上に実在する奇跡だ。

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→ラピスラズリ(Lapis Lazuli)。日本名は瑠璃(るり)。

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→ウルトラマリンとは「海を越えてきたもの」という意味。

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→群青(ぐんじょう)色と呼ばれることも。古代、ラピスラズリはアフガニスタンでしか産出されなかった。

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→西はエジプトのツタンカーメンから、東は奈良の正倉院まで、数千年前以上の間、シルクロードを伝って広く交易されていた。

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→イランのイメージがターコイズブルーなら、アフガニスタンのイメージはこのウルトラマリンブルーだ。
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by aokikenta | 2007-10-08 19:39 | 日記(カブール)
2007年 10月 05日
現場雑感行きます!2
今日、メールを開けたら東京から衝撃的なメールが入ってたんですけど、・・・どうしよう。やっぱり、霞ヶ関とカブールの間には何十億光年分かくらいの距離があって、しかもその間には宇宙船がワープしなければ通れないような超巨大なブラックホールが横たわっているのかもしれない。きっと、そのブラックホールの中には我々がまだ知らない宇宙人が住んでいて、そばを通る宇宙船を何らかの方法でmanipulateして、我々を混乱に陥れているのだ。そうだとしたら、僕はその宇宙人の周りにanti-tank mineとanti-perosonnel mineをコネクトさせたブービートラップを仕掛けて、彼(もしくは彼女、あるいは「それ」?)を抹殺しなければならない。抹殺した後は、僕はその地雷を処理するための新しいプロジェクトを形成しよう。自分で仕掛けて、自分で処理をするのだ。Manual Demining以外にもMechanical Demining Unitを送り込んで、併用による効率的な処理をしよう。それから、僕以外にも宇宙人を爆撃で殺そうとしたやるがいるかもしれないから、Explosive Ordnance Disposalプロジェクトを同時並行で立ち上げ、不発弾の量によっては、Stockpile DestructionができるTechnical Advisorを雇おう。更に、間違って地雷を踏んでしまった宇宙人の子供の為に、Mine Risk EducationチームとVictim assistanceチームもdeployしよう。そんな悪いやつらの身内だとしても、子供には何の罪もない。好奇心があるから誰も通らない道に迷い込んでしまいたまたま踏んでしまうことだって中にはある。Curiosity kills....。これで、僕の仕事は半永久的に続く。それがいい。うん、そうしよう。
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by aokikenta | 2007-10-05 23:53 | 日記(カブール)
2007年 10月 03日
現場雑感行きます!
ひょっとしたら、霞ヶ関とカブールの間には、僕らが住む地球と宇宙の果てにある名前もない星との間にある何億光年分くらいのディスタンスがあるのかもしれない。

100人近いスタッフの生活を保障しなければならない立場にあり、キッチンもシャワーもセッティングされていない事務所で、沸かした鍋一杯のお湯で週に一回くらいだけ体を洗っている「時代錯誤的一人緊急支援フェーズ」状態の現場の末端にいる自分と、世界第二位の経済大国の首都で働いている人たちの間に横たわるディッチは果たして埋められ得(う)ることがあるのであろうか?開発とか平和構築とか人道支援とか、そんな高尚な言葉以前の素朴な一つの疑問である。

世の中には色んなレベルがある。例えば、国際物流の世界では、荷物の輸送をお願いする荷主がいて、その貨物を受け取って現場に指示を流す営業がいて、営業の指示を受け取って通関をする通関士がいて、貨物を梱包したり保管したりする倉庫があって、貨物の引渡しをアレンジする受け渡しの人がいて、貨物を輸送するドライバーがいて、それを配車する配車係がいて、その貨物を受け取って実際に海外に運ぶ会社がいて、それで一つの円滑な作業が可能になるのだ。

僕が物流の世界にいて感じたことの一つは、それぞれの立場によって考え方が違うのはしょうがないが、指示を出す側にいる人は現場のことを思いやって、トラブルが起こらないように十分な時間をもって丁寧な書類を作り指示を出すのが重要だということだ。それが入社して営業に入ったばかりの人にはなかなかわからない。実際に、品川駅や成田空港からバスに揺られて交通の不便な埠頭や空港に行き、お昼になるとどこもお弁当がすぐに売切れてしまい、税関に行ったら書類の不備だといって突き返されて泣きそうになり、倉庫や輸送のおっちゃんが営業の文句を愚痴愚痴言っているのを延々聞かされるような環境にしばらく置かれて、はじめて体で理解できるのであった。

それがこの業界にも適用できるのであれば、ドナーもプロポーザル審査機関も援助調整機関もみんなそろって現場で一定の期間、働いてみてはどうだろうか?ドネーションの変化によってはスタッフを解雇したり、日々、人材・資金・在庫・情報・危機などの管理を行い、契約が切れれば値上げを確実にほのめかす大家さんと交渉を行いながら、ドナーやUNや提携団体や他のNGOや被支援国政府と折衝すれば、全てがセットアップされたオフィスで快適に仕事をするのとは異なる視点が得られるのではないかと思う。異なるセクターで研修を行う人材交流制度とかいうアイデアは長期的に見てどうだろうか?

現場雑感。

ちなみに、「現場雑感行きます!」というのは、横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」という小説の中のフレーズで、御巣鷹山の飛行機墜落現場に行って惨状を目にした新聞記者が、原稿締め切りに間に合わせる為に、体をぼろぼろにしながら山を下って最寄の電話ボックスに駆け込んで叫びながら言うセリフである。

「現場雑感行きます!」

僕は結構好き。

その現場雑感がいい文章で感動的なのだが、しかし、新聞社本部の意向で、本来一面に乗るはずだったこの現場雑感は掲載されないのであった。

現場の悲哀。

貿易も新聞も開発援助も、どこの世界も同じ構造なのか。
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by aokikenta | 2007-10-03 00:18 | 日記(カブール)
2007年 09月 29日
スイッチオフ
週末は1日だけ。与えられた時間を最大限生かそうと思って、金曜日は丸一日おもいっきり遊ぼうと木曜日の夜の時点で決めた。終わってみて、楽しみ切ったはいいけど、体の方は少し遊び疲れしてしまった。それもたまには大事さ。スイッチオフは重要なのだ。

今日は土曜日だけど、今やっているプロジェクトを完了させる為の仕事をしている。

昨日のことを書くと、まずお昼にSさんの送別会に行ってきた。Sさんはいつも仲良くさせて頂いているNGOで働いていた方で、その後UNで活躍されていた。アフガニスタンに通算5年ほどいたらしい!5年はすごいよね。「いつもブログ見てるよ」と暖かい言葉を会うたびにかけてもらっていたので、誕生日パーティーにも行けなかった雪辱を晴らす意味でも参加させてもらった。詳しくは、Yoichiroさんのブログ柴田哲子さんのブログでも紹介されているのでよかったらご覧下さい。Sさん、次の舞台でのご活躍を陰ながら応援しています。

その後、チョー久しぶりにフットサルに参加してきた。仕事を忘れて思いっきり楽しんできたけど、家に帰ってから右足首捻挫、左足小指周辺内出血になっていることに気がついて、一瞬自分の顔にちびまるこちゃんみたいなタテ線が入ったような気がした。それはそれで、左足小指にある内出血とオソロみたいでグロ可愛いけど。

そういえば、ここ最近で各組織の安全対策を根底から覆しかねないような事件がいくつか起こっている。
GoJの判断もあながち誤りではなかったか。
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by aokikenta | 2007-09-29 17:59 | 日記(カブール)
2007年 09月 26日
秋来る
日本は中秋の名月らしいけど、月を見上げる暇もなく、アホみたいな仕事の山に囲まれて2正面どころか4正面作戦くらいの戦いをしているような気がする。一体、次はいつ日本に帰れるんだろうか。というか、実際に帰れる日が来るんだろうか。全く想像ができない。疲れた。

そういえば、最近めっきり寒くなって、朝方と寝るときは半袖では寒い。本当に中秋か初秋くらいの感覚だ。カブールの冬がもうすぐやってくる。あの毛布を4枚掛けないと寝られなくて、手がひび割れまくって、水道管が凍ってシャワーを浴びられない冬が・・・。あな、恐ろしや。そのときは、僕は国外に退避しよう。
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by aokikenta | 2007-09-26 02:45 | 日記(カブール)
2007年 09月 22日
去り行く人々
周りの人が、櫛の歯が抜けるように、どんどんアフガニスタンを去っていく。
それぞれの人がどのような理由で去るのであれ、一つの時代が終わったことの証っていうこと?
80年代、ロシアによる共産主義の拡張に歯止めをかける為に、ムジャヒディンにスティンガーを供与していた
CIAが、90年代に入ってからアフガニスタンへの支援をストップした時の情景が、人類の記憶として脳裏をかすめて行く。
あの時は湾岸戦争に注目が移り始めてから、アフガニスタンの緩衝地帯としての戦略的重要性がなくなって人道支援もそれに比例して極度に縮小したんだっけ。
ということは、スティンガーも形勢は劇的に変えられても、時代の流れは変えられなかったわけだ。
スティンガーみたいにエポック・メイキング的なイベントを期待しても無駄か。
やっぱりアフガニスタンってどこか悲しいよね。
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by aokikenta | 2007-09-22 02:59 | 日記(カブール)
2007年 09月 20日
塞翁が馬
言葉が面白いなって思うのは、言い方一つ違うだけで全然相手の受け取り方が違うということだ。
例えば、今、自分を含めてカブールにいる周りの人たちの多くが死ぬほど忙しくって、いつも切れる寸前で、ベッドに倒れ込むまで働いている人が多いんだけれど、そういう仲間に対して、

「きっと悪いこともあれば、いいこともあるさ」

と言うのと、

「万事塞翁が馬ですから」

と言うのとでは全く印象が違うのではないだろうか。しかも、貫禄のある人に「塞翁が馬」と言われたら、なんか当たり前と言えば当たり前のことを言っているんだけど、やけになるほどなぁっていうようなものがある。いいことがあれば悪いことがある、なんて当然なんだけれど、いざ自分が忙殺されてしまっているとその当然のことすら忘れてしまうことがある。

前、村上春樹の本でこんな文章を読んだ。
主人公(私)の計算士は、敵対する相手から脅され、ナイフで腹を刺されて深い傷を負っていた。

「私は彼女の祖父の事務所にあるビルの駐車場に車を停め、車を降りてナップザックを背負った。傷は一定の時間をおいて鈍く痛んだ。腹の上を干草をつんだ荷車がゆっくりふみこえていくようなかんじの痛みだった。これはただの痛みなのだ、と私は便宜的に考えるようにした。ただの表層的な痛みで、私自身の本質とは無関係なのだ。雨降りと同じだ。通り過ぎていってしまうものなのだ。私は残り少なくなった自尊心のありったけをかきあつめて傷のことを頭から追い払い、急ぎ足で娘のあとを追った。」

(村上春樹 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)』 P.324)

「私自身の本質とは無関係」な痛み。すごくよくわかる気がした。

きっと僕らの周りにある痛みの多くなんて、自分の本質とは無関係で表層的な部分だけの痛みなのだ。仕事が上手く行かないで落ち込んだ、怒られた、怪我した場所が痛い、顔の吹き出物が痛い・・・etc。人生で一大事のデートの日に顔にニキビができていたって、風邪で体調が悪くたって、病気でお腹が痛くたって、そんな痛みは自分の本質とは無関係でいつか通り過ぎていってしまうものなのだ、と思い込んでいればいいのだ。デートは本質をわかってくれる人とだけすればよい。人間万事塞翁が馬、嫌なこともあればいいこともあるさ。

そう思ったら少しは気持ちが楽になるかもね。
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by aokikenta | 2007-09-20 01:46 | 日記(カブール)
2007年 09月 17日
カブールからの手紙
拝啓

 カブールは朝夕日ごとに涼しくなってきて、朝方は肌寒いくらいになってきました。

 アフガニスタンでラマザンが始まりました。断食月とでも書いたらいいのでしょうか。現地のスタッフは、午前4時過ぎから午後6時半くらいまで食べ物もタバコも、そして水すら口にしてはいけないそうで、お昼を過ぎるとみなとても苦しそうです。僕もスタッフの前でタバコを吸ったり、何か食べたり飲んだりするのは忍びないので、タバコを吸うときはこっそり部屋に上がって吸っています。やはり、一緒に断食しないまでも、現地の文化を尊重することが大事ですもんね。

 ラマザンで気になるのは脱水症状と血糖値の低下による事故です。交通事故もそうですが、僕の場合はオペレーションの事故が一番気になります。もちろんスケジュールを変更したり、管理体制を強化したりして対応しています。そういえば、今日どうしてもしなければいけない用事があって外出したのですが、停車している時に反対車線で車が追突しているのをみかけました。追突された車から運転手がおもむろに出てきました。僕は、

「われー、しばきまわすぞ!」

「なんじゃ、こらー、やんのかー、おー」

というような喧嘩でも始まるのかと思い、背中に一瞬戦慄が走りました。

 その運転手は、車の後部までやってきて、追突された箇所をちらっと見やりました。追突した方の運転手は「来るならやるかぁ!?」というような顔をしていましたが、当の被害者はそのまま運転席に戻って走り去ってしまいました。アフガニスタンではバンパーはあくまでもぶつけられるもの、そしてショックを吸収して本体の故障を防ぐものという位置づけのようです。まぁ、修羅場にならなくてよかったです。

 ラマザン中は、どこの組織も就業時間を短くしているようなので、カブールの街はものすごく混んでいて、ひどい交通渋滞でした。そんな混乱した中で、みんなお腹がすいていてイライラしているので、交通事故には充分に気をつけたいと思います。

 最近はアフガニスタンに出たり入ったりで、朝起きたときに「あれ、今どこにいるんだっけ?」と思うことがしばしばあります。あちこち飛び回るのは嫌いじゃありませんが、一箇所に落ち着きたいという気持ちも同時に湧き出てきます。人間ってわがままな生き物ですね。

 そういえば、友人に薦められたモーシン・ハミッドの「The Reluctant Fundamentalist」を買おうと思って隣国で一番大きなF-7マルカスの本屋さんに行ってみたのですが、sold outでした。残念。今度行ったときに買ってみたいと思います。代わりと言ってはなんですが、今更ながらスティーブ・コールの「Ghost wars」を買ってきました。寝る前と何もすることがない週末に読みたいと思います。

 本の話題のついでに、今年の夏は沢山ミステリー小説を読みました。松本清張、宮部みゆき、横山秀夫、東野圭吾、京極夏彦、有栖川有栖など、ミステリーと共に過ぎた夏でした。僕の中で一番面白かったのは、友達が送ってくれた5冊の本の中にあった京極夏彦の『姑獲鳥(うぶめ)の夏』でした。妖怪とか陰陽師とか聞くと、一瞬とっつきにくいと思われるかもしれませんが、いやはやなかなかどうして、読んでみると科学的な視点で書かれていて(認識論や量子力学的視点が入っています)、100ページくらい読んでみたら一気に吸い込まれていました。結末はなんとなくフィッツジェラルド的で村上春樹的です。ミステリー好きでしたら是非ご一読下さい。

 取り立てて掴み所のない文章で失礼しました。季節の変わり目、風邪などひかぬようくれぐれもご自愛下さい。

敬具
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by aokikenta | 2007-09-17 00:41 | 日記(カブール)
2007年 09月 15日
オレンジ色の夕陽とG線上のアリア
 地平線に沈もうとするオレンジ色の夕陽が、とてつもなく大きく見えたのでシャッターを切ったけど、よく考えたらどの高さにあろうと太陽の大きさは物理的には変わってなくて、回りに比較の対象があるから大きく見えるだけなのだ。人間の目ってつくづくいい加減にできてますね。脳みそも同じようなもので、こうなんだ!って信じて疑わないことだって、それが絶対の真理だという保証はどこにもないのでしょう。だから、イスラム原理主義者もいればパシフィストもて、リアリストがいればリベラリストもいるわけで、彼らが(もしくは我々が)自分の立場の拠り所が何に由来しているのかに気がつかない限り、異なる立場の人々が歩み寄ることはないわけだ。そうしたら原理主義者もパシフィストも目くそ鼻くそってこと?

 銃を撃つのは気持ちが良くて、持つことでとても大きな安心感が得られる。トートバッグのお化けみたいな砂が何トンも詰まった防壁と、カラシニコフを抱えたグルカ兵の武装警護に囲まれているコンパウンドに入れば、外国人の誘拐もIEDも自爆テロも全く別の世界の出来事に感じられて、ここにいれば大丈夫だという安心を買える。アフガニスタンにあるターゲットになり得る団体にいる人で、武力を放棄しろと言われて、その場で「はい」とバカ正直に答える人はいないだろう。要求が余りにも現実と乖離しているからだ。もちろん、将来的には、多くの人が武器のない世界というものを夢見るのだろうけど、日本にいるのと紛争の現場近くにいる場合とでは、互いの視野に入っている範囲が異なりすぎて、議論をしてもとても妥協点を見いだせるとは思えない。

 憲法第9条も海外への自衛隊派遣もテロ特措法の延長も、みんな同じ線上にある戦場にまつわる問題に思えてくる。そうしたら、いっそ議論を始める前に、みんなで一緒にピナコラーダでも飲みつつ、G線上のアリアでも聴きながら、地平線に沈み行く太陽を肩を並べて見てみたら、これまでにはない実りあるディスカッションができるのではないだろうか。

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→F10マルカスから見る夕陽
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by aokikenta | 2007-09-15 03:36 | 日記(カブール)
2007年 09月 14日
innocent world
近頃じゃ夕食の 話題でさえ仕事に 汚染(よご)されていて
様々な角度から 物事を見ていたら 自分を見失ってた

(『innocent world』 Mr.Children)

仕事のことはブログで書かない!と強行に思い始めた最近だが、仕事以外の事と言えばプライベートのことしかないわけで、しかしながら、プライベートが仕事に冒されていて書くことが余りないという、自分達が作った交通ルールに縛られて深夜の人っ子一人通らない道路で赤信号が青になるのをひたすら待っている集団主義的日本人的状況です、マル。
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by aokikenta | 2007-09-14 03:22 | 日記(カブール)