カテゴリ:(番外編)ドイツ旅行記( 6 )

2005年 07月 06日
2005年6月18日(土) 「1日目 アジア杯の興奮」
 朝起きた時、頭の奥に鈍い物を感じていた。それもそのはずである。前日は、後輩が日本へ一時帰国するということで、日本人10人ほどで飲み会をしたのだった。日本人ばかりの飲み会は久しぶりという事もあり、ビールに始まりアイリッシュ・ウイスキーへ突入、自分では気付いていなかったが、結構飲んでしまったのだった。起きてもまだ少し頭が痛い。昨日は楽しかったから、と自分に言い訳をするようにつぶやき、旅の仕度を始めた。
 
 今回、ドイツに行く目的は、ドイツで開かれているコンフェデレーションズ杯を観戦に行く事である。日本xギリシャ戦、メキシコxギリシャ戦、合計2試合を見に行くのである。コンフェデレーションズ杯とは、各大陸のチャンピオンだけが参加できる大会で、規模の大きさではワールド杯には到底及ばないものの、その質の高さからサッカーファンの間では注目を集める大会なのである。各国代表チームにとっては、来年2006年に行われるドイツ・ワールドカップの前哨戦として位置づけられており、同じ気候、環境の中で本番モードで取り組める重要な大会である。とりわけ、アジアでは圧倒的に強い部類に入る日本にとっては、世界レベルの相手と本気で勝負できる数少ない貴重な大会であり、ワールド杯でどこまでやれるのか、自分たちのサッカーがどこまで通じるのかを知る絶好の機会なのである。なにしろ、前回ワールドカップ王者ブラジル、南米王者アルゼンチン、ヨーロッパ王者ギリシャ、中央アメリカ王者メキシコ、ホスト国ドイツ、アフリカ王者チュニジア、オセアニア王者オーストラリアなど世界の最高峰が集う大会である。直前までスタジアム観戦の予定はない僕であったが、メキシコ人の友達フェデリコに誘われ、せっかくイギリスに住んでいるんだから行かなきゃ損だと思ってしまったのであった。そうである。どうしても行かなくては、と思ってしまったのだ。

 行きの移動は恐ろしく長かった。13:18ブラッドフォード発の電車に乗り、16:30頃ロンドン・キングスクロス駅に到着。スタンステッド空港に行くために、地下鉄でリバプールストリート駅へ行き、さらに別の電車に乗り換え約40分。18時過ぎにようやく空港に到着。20:10のフライトで飛び立った。
 
 機内で、僕は、日本がアジア杯で優勝して、コンフェデ杯に出場する事ができて本当によかったと今更ながらに思っていた。サッカーファンなら誰もが熱くして見たであろうあの大会。予選リーグまでは、相手が弱かった事もあり、正直言ってそれほど記憶に鮮明には残っていない。強いて言えば、緒戦の俊輔のステップからのシュート、2試合目タイ戦で決めたフリーキックくらいであろうか。しかし、準々決勝のヨルダン戦は日本のサッカー史に残るといっても過言ではないゲームだった。1-1で終えたこの試合は、延長戦でも決着がつかず、PK戦にもつれこんだ。第一キッカーは中村俊輔。彼はチームで一番キックが上手いので、誰もが決めると信じていた。しかし、枠の上へ大きく外す。試合後のインタビューによれば、信じられない事に、軸足を置いた芝生が、足から半径50センチほどが、ズルッとまるごとずれたということであった。第二キッカーは、サントス。彼もキックが上手い選手である。しかし、また枠の上へ大きくはずした。これに見かねたキャプテン宮本が審判と交渉を開始。次のキッカーからは、逆のゴールでやらしてもらえないかと提案をした。結局、この提案が受け入れられて、おそらく今まで誰も見た事がないであろう、PK戦の途中でのゴール変更が行われた。しかも、日本の第二キッカーが蹴り終えてヨルダンの第二キッカーが蹴り始める前である。はっきり言って、変更するのであれば、ヨルダンの第二キッカーが蹴り終えてから変更する方が、公平性の観点から言えば正しいであろう。しかし、この時、審判は熱くなっていてそこまでの冷静な判断ができなかったのである。サッカーの神は日本についていた。
 
 3本を終えた時点で、スコアは1-3。日本はここから、「入れられたら負け」の状況が続く。ここからの、川口のセーブがすさまじかった。4人目のキッカー中田浩二が決めた後のヨルダン選手のキック。正確に左隅を捕らえていた。並みのキーパーであれば間違いなく入ったであろう。しかし、川口が(川口から見て)右へ横っ飛び、少し高めのボールを左手でセーブしたのである。僕は感動した。あんなセーブは見た事がなかったからである。これで、スコアは2-3。5人目のキッカー鈴木はしっかりと決め、またしても「入れられたら負け」の状況が川口に訪れた。ヨルダンの5人目。ボールは枠の左へと外れた。私はラッキーと思った。後で、DVDを見るまでは。
 
 「日本代表 激闘録:AFC アジアカップ中国2004」というDVDがある。この中で、川口がインタビューに応じているところによれば、このPKで一番の出来は、なんとこの5本目のPKだったというのである。川口は言う。

「完全に読んでいた。仮に枠に飛んできても防げていた。」

実際、そう言われて見てみると川口のこの時の跳躍はとんでもない。左のポストに届いて余りあるくらい飛んでいる。この時の川口は神がかっていた。
 
 3-3でサドンデスに突入。6人目のキッカー中澤はこれを外した。川口にとっては三度目の「入れられたら負け」の状況。ヨルダンの6人目のキッカーは正確に右隅を狙っていた。またしても、並みのキーパーであったならば入っていたようなボールである。川口をこれをまたしても奇跡的なセーブで防ぐ。結局、7人目のキッカー宮本が決め、ヨルダンの7人目が外し、日本が4-3で勝った。この日の日本にはサッカーの神様がついていた。
 
 そのような事を考えていると、飛行機は、フランクフルトハーン空港へ到着。ドイツはイギリスよりも時間が1時間早いので、22:15分くらいであった。そこから、23時発のフランクフルト市内行きのバスに乗車。すぐ着くと思ったのが間違いだった。この空港は、市内に近いメインの空港とは違い、郊外にある空港だったのだ。結局、2時間ほどバスに揺られていた。深夜1時を回るころ、ようやく目的地のフランクフルト駅へ到着。ホテルのチェックインを済ませ部屋でくつろぐ事ができたのは、実にブラッドフォードを経ってから12時間以上も経った深夜2時ごろであった。この日はシャワーも浴びずに布団へもぐりこんだ。移動の疲れからか、すぐに眠たくってきた。僕は、これから起こるであろうドラマに心地よい興奮を感じながら眠りに落ちた。
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by aokikenta | 2005-07-06 00:00 | (番外編)ドイツ旅行記
2005年 07月 05日
2005年6月19日(日) 「2日目 日本xギリシャ戦」
 翌日、目を覚ますと11時30分であった。やはり、移動が長かったので疲れていたようだ。朝の仕度をして、フェデリコと外へでかけた。昨日の深夜にホテルに着いてから気がついたのだが、このホテルには朝食がついていないのだった。インターネットで調べて予約する際に、ついうっかりとしていて見落としていたらしい。いや、朝食はどこでもついているという先入観があったから、全く見ていなかったというほうが正確かもしれない。いずれにせよ、僕たちはこれから毎日、朝食兼昼食をとりに出かけるのが日課になった。
  
 この日の目玉はなんといっても、今回の旅行の最大の目的である日本xギリシャ戦である。試合は18時からということで、とりあえずフランクフルトがどんな街か歩いてみようということになった。ホテルの部屋においてあった簡単な地図を片手にプラプラと歩く。まず始めに気がつくのは街の清潔さである。

「ブラッドフォードと違う。」

これが、フェデリコと僕との共通のコメントであった。とにかく全てのものが小綺麗なのである。まず、歩道が十分に広い。オープンカフェがいたる所にあるという事実が雄弁に語るように、カフェの道具(椅子、机、パラソルなど)一式を広げて余りあるくらいの通りの広さなのである。この「スペース」というものは非常に重要である。街の雰囲気を明るく大らかな物にしてくれるのに役立つのである。ついでに言えば、カフェというのは実際の空間を有しているという以上に、会話を楽しむ、読書を楽しむ為の空間を提供することに意味がある場所である。そういったものであるカフェがフランクフルトには数え切れないくらいにあった。

 また、フランクフルトには高層ビルがまさしく山ほどもあった。世界有数のビル街、新宿西口には何度となく行ったことがある僕も、「ほーっ」とか「高けぇ」などと言いながら上を見上げる始末であった。どうやらブラッドフォードに慣れすぎたみたいである。

 他に特徴を挙げるとすれば、トラム(路面電車)が走っていることである。フランクフルトではトラムが庶民の生活の足として活躍している。私は、去年の夏に広島に行った時のことを思い出した。8月6日の平和記念式典に参加するために3泊で広島に行ったのだった。その時は、初めてみる(初めてだったと思う)路面電車に驚くとともに、愛らしい姿に好奇心をそそられたものであった。実際、広島滞在中は必要以上に路面電車に乗った記憶がある。ちなみに、アジア杯の決勝戦、日本x中国は去年の8月7日に中国で行われたので、広島の漫画喫茶で一人でヘッドフォンで見た。スポーツパブで観たかったので、歩き回って探したのだが、広島には1件もなかった。少なくとも僕が調べた範囲では。仕方なく、テレビがある漫画喫茶で見た。そんな事もあって、この試合の事は良く覚えている。旅というのは記憶をたどる旅でもあるらしい。

 20分ほど歩き、シティーセンターにあるイタリア料理やで食事をした。もちろん、雲ひとつない天気だったので、外で食べる事にした。僕は、ラザニアを頼んだ。とてもおいしかった。

 僕らは、お店を出ると、一通りの観光名所を巡り、一旦部屋に戻った。そして、15:15頃にホテルを出発。いよいよギリシャ戦である。僕たちは、ホテルの目の前にあるフランクフルト駅から電車でスタジアムへ向かった。電車は快適というほどではなかったが、問題はなかった。しかし、電車を降りてから一つの問題が発生した。僕らはインターネットでチケットを購入したのだが、直前に買ったことから、当日にスタジアム併設のチケットセンターで交換する事になっていた。僕は、予約番号などが書いてあるメールをプリントアウトして持っていった。実際に、スタジアム駅を降りてみると、その交換ができるチケットセンターが駅のある所から見て、スタジアムの反対側にあったのである。係員に聞いてみると、徒歩で30分ほどという。30分!事務的なミスとしか僕には到底思えなかった。スタジアムと名のつく唯一の駅を降りて、スタジアムは今目の前にあるのである。しかし、チケットを交換するためには裏側まで30分も歩かなければならない。これが事務的なミス以外の何者であろうか?腹が立つのを抑えながら、僕等は歩き始めた。係員に僕が英語で聞いている時に、僕と同じようにインターネットでチケットを購入した他の日本人の何人かが、「この人は何て言ってるの?」と質問をしてきた。僕が内容を答えると一緒に連れて行ってくれないかということになった。

 一緒に歩いたのは30代前半と思われる男性と、その人とは別で行動している中学2年生の女の子とその母親であった。男性はメガネをかけていていかにも優しそう。彼は、日本xメキシコ戦もスタジアムで見て、今日も見るということであった。ブラジル戦は残念ながら完売で見れないと言っていた。もう一組の親子は、フランクフルト在住3年になるという。女の子はもう夏休みに入っているということで、日本とはずいぶん違うなと思ったりした。「日本代表は好き?」と質問すると、照れくさそうに「あんまり」と答えた。多感な時期なので、見ず知らずの人と喋るのは苦手なのかもしれない。

 さて、実際到着すると鬼のように長い列ができていた。列のところで、日本人の人たちとは別れた。並んで待つ事30分くらいだろうか、ようやくチケットを手に入れた。時間はすでに開始30分前くらいになっていた。もう少し早くホテルを出ればよかった、と思いながら、そんな事を言ってもしょうがないので、入り口に進む。持っていた水のボトルを取り上げられる以外は問題なし。一直線で席に向かった。

 スタジアムは満員とは程遠かった。地元のドイツ人からすれば日本とギリシャの試合はそれほど注目カードでもないのであろう。僕にとってはそんな事は関係ない。俺が楽しめれば良い。席について、あたりを見回す。圧倒的にギリシャ人サポーターの方が多いようである。まあ、距離的に近いので、考えてみればそれはそうである。しかも、去年のユーロで劇的に優勝したギリシャであるから、サポーターの期待値もかなり高かったに違いなかった。

 ギリシャ人サポーターはうるさかった。思えば、スタジアムに到着する前からうるさかった。電車に乗る前のフランクフルト駅にいた時点で唄を大合唱していたくらいである。みな、ギリシャの国旗(青地に白の十字)色をした物を身につけて、準備万全である。日本も青ユニだから、今回は青青対決だ。

 試合は18時ちょうどにキックオフ。序盤から終盤まで終始、日本が優勢に試合を運んだ。前半は決定的なチャンスがいくつもあったが、フォワード人の決定力不足から決められず、0-0で折り返し。まだ点はいらないのかな、とみんなが思っているであろう後半の半ばくらいに、俊輔のスルーパスから大黒がゴール!スタジアムが歓喜と絶望の叫び声で包まれる。そのまま、1-0で試合は終了した。前節のメキシコ戦で、1-2で負けていたので日本の勝ち点はこの時点で3。この後、始まるメキシコxブラジル戦によって予選突破の可能性が左右される。僕等は急いでスタジアムを後にした。

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 同じ電車に乗ってフランクフルト駅に戻り、メキシコ料理やを探す。15分ほど歩きようやく、発見。前半の途中からメキシコxブラジル戦をパブで観戦した。試合は実力が均衡したもの同士の白熱したものになった。後半にメキシコがゴールを決めて1-0。隣のフェデリコが、ガッツポーズ。彼はあまりおしゃべりなほうではないが、心底サッカーが好きな男である。ガッツポーズとともに発した言葉は叫んだわけではないのだが、しみじみと彼の体に響いているのがわかる。「Yes」だか「よし」みたいな言葉をスペイン語で言ったのだろう。深い喜びである。結局、試合は1-0で終了。

 日本もメキシコも勝利。僕にとってもフェデリコにとっても満足のいく一日だった。

 

 
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by aokikenta | 2005-07-05 00:00 | (番外編)ドイツ旅行記
2005年 07月 04日
2005年6月20日(月) 「3日目 深夜特急」
 10時過ぎに起床。昨日はしゃぎすぎたので、体がまだ重い。しかし、あまり寝ていてももったいないので、朝食を取りに外に出る。近くのカフェで、トースト、ベーコンエッグなどを食べる。イングリッシュブレックファーストと大して変わりなし。話した結果、今日は観光と買い物を中心にのんびりと過ごすことに決定した。席を立ち、お金を両替しに銀行へ行く。レートがいいのか悪いのかわからなかったので、レートを聞いた後、駅にある別の両替商にも聞きに行く。銀行の方が若干レートがよいことがわかり、そこで100ユーロ交換。結局、クレジットカードを多用したこともあるが、旅の終わりまでこれ以外には交換しなかった。

 僕は取り立てて欲しいものもなかったので、絵葉書だけ3枚購入。一方、フェデリコは、

「どうしても、代表のユニが欲しい」

ということで、スポーツショップへ探しに行く事になった。1件目にはなく、次に入った2件目に置いてあった。お店の人によると、大会が始まってからすごい勢いで売れているということで、ディスプレーされているユニフォームが最後の一枚だということである。少し悩んだ挙句、購入を決定。65ユーロの買い物である。65ユーロというと約8600円の買い物なので決して安くはない。しかし、一旦燃え上がった祖国への思いはなかなか簡単に冷えないらしい。フェデリコよ、そんなにサッカーが好きか。なんだか嬉しく思った。

 その後、街中を散歩してカフェで休憩。歩きつかれて喉が渇いていたこともあり、窓際で飲んだこの時のビールが最高においしかった。

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また、歩き始めると三越発見。ロンドンの三越に比べると小さい。なにしろワンフロアーしかない。中に入ると、当然だけど日本人ばかりだった。懐かしさを感じつつも、欲しいものがなかったので(もともとなかったのだが)、外に出る。もう1件、日本の本ばかり置いている本屋を発見。中に入ってみた。店員さんも日本人ということで、さしずめ、ロンドンにあるジャパセン2階にある本屋か、三越地下にある本屋というところだろうか。ここでは、コンフェデを特集しているサッカー雑誌を買いたかったのだが、最新号はまだ来ていないようだったので断念した。しかも恐ろしく値段が高かった。確か14ユーロ(約1865円)くらいだったと思う。多分、置いてあっても買わなかっただろう。

 この日は、初めてトラムに乗った。切符の買い方がわからなかったが、言語スイッチの切り替えボタンがあったのでなんとか買えた。ほんの2駅だけだったが、快適な路面の旅を満喫した。快適、快適。

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 一旦、ホテルに戻り休憩した。外を歩き回るのは結構疲れるものである。

 夜になると、夕食をとりにまた市内へでかけた。今日は、まだ食べていない伝統的ドイツ料理を食べに行く事にした。また、トラムに乗り、市内へ移動。あらかじめ調べておいたレストランに入った。メニューはドイツ語しかないが、なんとなくわかるような気がした。つづりが似てる言葉もかなりあるし、輸入された料理なんかはつづりはほぼ完全に同じである。僕は豚肉のステーキ、マッシュポテト、ザワークラフト(キャベツの漬物みたいなもの)が一皿にのったものを注文した。ボリュームはあるけど、味は期待ほどではなかった。なんというか、あまり調理された料理ではない。ステーキは焼いただけ、ポテトは茹でて潰しただけ、という感じである。朝食に続き、なんだかイギリスのご飯に似ているなと思った夕食だった。

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 ホテルに戻っても、まだ9時ごろであった。シャワーを浴びると特にすることもないので、お互いに申し合わせたように本を読む。今回の旅には、沢木耕太郎著「深夜特急」の第3巻を持ってきていた。「深夜特急」は旅に出る少し前から読み始めていたのであった。

 いつ頃からであろうか、旅、という事に興味を持ち始めるようになった。旅と言っても、パックツアーのように全てがセットアップされたたびではなく、自分が思うままに行動する旅、むしろ放浪旅行に近い形態の旅である。僕は、高校2年の時から、毎年海外には行っていた。海外といっても、いろいろな国に行っていたわけではなく、高2から大学4年まで毎年中国に行っていたのである。それも、放浪旅行とは程遠い、それぞれが、10日~2週間程度の旅行であった。父親が、僕が高校に入学した年から中国に住んでいたので、家族である僕は毎年1回ただで父に会いに行く事ができたのであった。そういう事情があったので、今日寝るところもわからないというような旅ではなかった。しかし、おかげで、北京、天津、上海、蘇州、無錫、杭州、香港、澳門、西安、広州などへ訪れる事が出来た。

 こうした経験からであろうか、社会人になってからも毎年、休みの度に海外へ行っていた。本当に旅の楽しみを知ったのは、むしろ社会人になってからだったかもしれない。社会人時代は、平日の朝9時~夕方5時45分までビルの中でパソコンを見ながら働いていた。もちろん、5時45分までというのは定時の時間であって、その時間に帰れたことはほとんどない。忙しい時には、終電で帰る日が1ヶ月程も続いた事もあった。そういうことがあったからか、休みを取って海外に行くと、俺はなんて自由なんだ、と思わず叫びたくなる瞬間があった。毎日、同じルーティーンの中で暮らしていたから、現実逃避的なものを体が欲していたのかもしれない。旅の中に快感を見出し始めていた。

 例えば、社会人2年目には会社の懇親会で当たった旅行券3万円を使い、タイへバックパック一つで旅行した。思えば、この旅は、これまでの旅と比べると質が全然違う。今までの旅が、常に安全ネットが張られた旅行だったとすれば、この旅は期間こそ、6日間と短いが、間違いなく放浪旅行だったのである。まず、泊まる宿は全く前もって決めていなかった。タイの空港についてからとりあえず、カオサン通りに行き、泊まるところを決めた。する事も決めてなかった。バスターミナルへ行って、観光客に人気のなさそうな島へ行ってみたりした。こうして僕の旅は徐々に変化してきた。

 会社を辞めてから、33日間かけて四国を一周した。バックパック旅行というと、海外を思い浮かべるので、四国というと、なんだ四国か、と思う人は多いかもしれない。しかし、僕にとっては、これが本格的な長期放浪旅行であり、人格形成の上でも大きな地位を占めている。

 イギリスで留学生活を送る間、僕の放浪旅行への憧れはどんどん膨らんできた。日本へ一時帰国した時に、思わず手に取った本、それが、バックパッカーのバイブル「深夜特急」であった。今回の旅では、持ってきた第3巻を繰り返し読んだ。第3巻は主にネパール・インドを中心に書かれている。僕はドイツにいながら、頭はネパールへトリップしていた。「深夜特急」の中で、3巻に収められている第8章「雨が私を眠らせる」は、なんとも表現のしようのない余韻を読者に残す。その原因は文体にあると思う。手紙の形式で書かれているのである。全体を通して手紙形式で書かれているのは、この章と第15章「絹と酒」のみである。この章では、いかにネパールでの生活が怠惰なものであったかが切々と綴られている。雨に降り込められて何もする事がない若者たち。自然にハシシの回し呑みがはじまる。意識が朦朧としてくる。噂では、この街にいたヒッピーの若者がまた新たに死んだと言う。原因はハシシの吸いすぎである。主人公は、このままではいけないと思いつつも、朦朧とした意識は、生へと無関心にさせていく。もうどうなってもよくなっていく。死んでしまってもかまわない・・・。簡単にまとめるとそんな内容である。僕には何故かこの部分が全体の中でも強く印象に残っている。そして、この部分を読んだのは、ドイツ滞在中のこの夜であった。ただそれだけである。それだけだが、書かずにはいられなかった。
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by aokikenta | 2005-07-04 00:00 | (番外編)ドイツ旅行記
2005年 07月 03日
2005年6月21日(火) 「4日目 ボン日帰り旅行」
 この日は少し早起きである。なぜなら、今日はボンに住んでいるフェデリコの叔父と叔母を訪ねに行くからである。もともと訪ねる予定はなかった。しかし、計画変更は旅行につきものである。僕等は昨日、フランクフルト駅でチェコのプラハ行きの電車にスケジュールと値段を確認しに行った。実は、ドイツに来る前はプラハに行こうと話していたのだ。フェデリコの従兄弟によれば、車で3時間くらいだからそう遠くはない、という話だったのだが、なかなかどうして、電車で5時間もかかるというではないか。しかも170ユーロ(約22,563円)ほどするという。検討した結果、値段が高いし、けっこう遠いので、日帰りもしくは1泊で行くのはもったいないということで、計画は却下になった。そういういきさつがあり、フランクフルトから1・2時間で行ける適当な場所を考えていたら、ボンが候補に挙がったのである。「ボンとかどう?」と僕が言うと、フェデリコが「ボンなら親戚がいるから、行くなら連絡しないとな」ということになり、話はトントンと決まった。

 朝食を取る時間がないからと、昨日買っておいたシリアルバー、バナナなどを食べ、9時30分頃駅に向かった。チケットをその場で購入、9:48の電車に乗った。あまり寝ていなかったこともあり、電車の中は熟睡であった。

 約2時間ほどで到着した。ボンは、旧西ドイツの首都であったということで、大きい街かと思っていたが、期待に反して、こじんまりとしたかわいらしい街であった。フェデリコの叔父さんの家に行く前に、少しボンの街を散歩した。ベートーベンの故郷だということで、大きな銅像が中央の広場にドンと鎮座している。撮影スポットだと思い思わず記念写真を撮ってしまったが、ベートーベンの故郷だと知ったのは後のことであった。
 
 フェデリコが叔父に電話をして、これから行くよというようなことを話した。その会話の中でわかったことなのだが、偶然にも、なんとこの日は、フェデリコの叔父の誕生日だったのだ!たまたま、計画もしないで立ち寄ったら、その人の誕生日だった。叔父の立場になったらけっこうすごいことだと思う。自分の誕生日に、甥が突然やって来たのである。しかも、日本人の友達を連れて。この日は、僕は胸に「少林寺」と大きく書いてあるTシャツを着ていたので、バッチシとアジアから来た人間だという印象を与えたように思う。厳密に言えば少林寺は中国のものだが、西洋人からすれば大差ないだろう。手ぶらではいけないということで、スーパーでワインを買い、プラプラと街を見回してから、バスに乗り家に向かった。

 その家は街の中心から遠くなかった。バスで15分くらい乗ってから、5分ほどの徒歩で着いた。フェデリコの叔父と叔母が温かく出迎えてくれた。叔父は眼鏡をかけた白髪の優しそうな人で、ドイツ人だと言う。恰幅がよく、ポロシャツにチノパンツがよく似合う。叔母も眼鏡をかけており、少々小柄だが、どこか芯の通っていそうな鋭い目をしている。話した感じも叔父とはだいぶ違い、積極的であろう性格が伝わってくる。彼女はメキシコ人で、イギリスに旅行中に、ドイツ人の旦那さんと出会ったのだという。僕らはイギリスから来ているので、これも何かの因縁かと思った。家は、郊外にある3階建て庭付きの立派な広い家だ。話を聞いてみると、このあたりではこれくらいは普通ということで、話している感じからも謙遜というような気がしなかった。

 早速、用意をしてくれていた食事をご馳走になる。庭にテーブルがセッティングされてある。赤いチェックのテーブルクロスが眼に鮮やかだ。庭で食事なんて東京ではあり得ないな、と思い、ヨーロッパにいるという気分をより一層強くする。ドイツといえばソーセージということで、ビールを飲みながら、伝統的なソーセージを2種類と、手作りのポテトサラダ、ピクルスなどを頂いた。1種類目のソーセージは、ミュンヘン特産の白いソーセージで、食べるときに皮をナイフとフォークで剥いでから食べる、少し変わったものだ。茹でてあり、強い味はないが、よい肉を使っているのだろう、しっかりとした味がする。2種類目のソーセージは、フランクフルトソーセージで油で炒めてある。こちらは日本で知られているソーセージと極めて近い。本来から言うと、日本がドイツから学んだんだから当たり前と言えば当たり前である。マスタードをつけて頂く。おいしかった。

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 食事が終わった後も、苺にアイスクリームをかけたデザートと、手作りのケーキが出てくる。これまた、絶品であった。話しは、主にヨーロッパで知られている日本人の話しになった。中田の話しはもちろん、指揮者の小沢征璽の話などがでた。そのほかにも、向こうはクラシックに造詣が深いらしく、いろいろと名前を言われたが、全然わからなかった。もう少しクラシックも聞いてみるかな。
 
 こうして、2時間かそれ以上は話したであろう、気づけばけっこうな時間になっていた。叔父さんが、車でこの辺りを案内したいと言ってくれたので、お言葉に甘えて、お願いをすることにした。この辺りには森が多いということで、近くの丘の上まで連れて行ってくれた。少し曇っているが眺めがいい。僕らがいた場所のすぐ近くにはお洒落なレストランがあった。叔父さん曰く、結婚式で人気のある場所だという。たしかに、こんなに見晴らしのいい場所で結婚式を挙げられたら幸せだなと思った。

 いくつかの名所を車の窓から眺め、ライン川を渡るフェリーに乗り、家に戻った。お別れである。突然の訪問にも関わらず、食事をご馳走になり、案内までしてくれた。僕は感謝を言い、二人とハグをして別れた。

 6時ごろの電車に乗り、フランクフルトへ戻った。この日は、20:45からアルゼンチンxドイツ戦があったので、ホテル近くのアイリッシュパブへ見に行った。地元ドイツの試合ということで、パブは満員。なんとか二人分の席を確保して観戦した。正直言って、この試合は予選リーグの中で一番白熱したいい試合だったのではないかと思う。アルゼンチンの高い個人技とスペースを使うレベルの高いサッカー、そして、ドイツの組織的な攻撃。とてもいい試合だった。結果は2-2。どちらも準決勝に進めるチームであるが、手を抜いていたようにはとても見えなかった。

 満足して、ホテルへ帰った。シャワーを浴びて、寝転ぶと気持ちいい眠気がやってくる。フェデリコのお陰で、サッカーばかりではなく、ドイツの文化に少しでも触れる機会を持つことができた。いい一日だったな、と心でつぶやき、僕は眠った。
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by aokikenta | 2005-07-03 00:00 | (番外編)ドイツ旅行記
2005年 07月 02日
2005年6月22日(水) 「5日目 メキシコxギリシャ戦」
 9時ごろ起床。今日はイギリスへ帰る日ではないがチェックアウトをしなくてはならない。もともと、プラハに訪れる予定であったことは書いたが、3日目、4日目に1泊で行く予定をしていたのである。したがって、このホテルの予約は、1日目と2日目だけであった。しかし、予定を変更しボンに行く以外は、フランクフルトに滞在することになったので、僕等は2泊延長したのである。5日目の宿泊は、別のユースホステルにしていた。僕等は、バスでユースホステルに向かった。

 このユースは国際ユースホステル連盟に加盟しているので、カード保有者は安く宿泊することができた。一泊16ユーロ(約2,124円)で朝食付なので、けっこう安い。今まで泊まっていたホテルが朝食抜きで24ユーロ(約3,186円)だから、それを考えるとお買い得である。ユースに荷物を置き、観光に出かけることにした。

 少し歩くと船の上にあるカフェを発見。1杯ビールを飲もうということになった。心地よい風が頬をかすめる。天気のいい日に昼間から飲むビールはうまい。

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 川沿いを歩き始めると、たくさんの博物館が眼に飛び込んできた。どうやらここは博物館通りとでもいうような道であるらしい。僕等は、その中から美術館を選んで中に入った。美術館マニアの間では、有名な美術館であるのだろうが、僕はあまり絵に詳しい方ではない。しかも、直前に飲んだビールが効いてきたのか眠たくなってしまった・・・。2時間ほどそこにはいたが、あまり印象に残らなかった。

 お腹が空いたので、ご飯を食べにいくことにした。僕は、アジア系の食事が恋しくなっていたので、中華料理屋に入ろうと提案した。実は、何件か前を通るたびに場所をチェックしておいたのである。そのうちの1件に入った。僕は、焼鴨と野菜炒めが乗ったご飯を注文。しかし、この焼鴨が全然おいしくなかった。ロンドンの中華街で食べた焼鴨はあんなにおいしかったのに、ここのはパサパサしてまったくおいしくない。野菜炒めと米は全部食べたが、肉は全部残した。無言のメッセージがお店に伝わればいいのだが。

 前回、スタジアムに着いたのがギリギリだったということから、今回は早めに出発した。もう長い距離を歩きたくなかったので、駅にある案内所で何かいい方法はないかと訪ねると、トラムならチケットセンターの近くまで連れていってくれるという。そうか、その方法があったかというようなもんで、僕等はトラムで行くことにした。しかし、よくよく考えると、前回もこの案内所で行き方を訪ねた。そうすると、「電車が一番早い」ということで、その行き方しか教えてくれなかった。持っているチケットの種類を聞いて、適切なアドバイスをくれてもいいのに、と思った。普通の案内所ならそこまでは思わないが、コンフェデ杯専用の駅構内特設案内所なのである。あと少しの優しさで、僕等は前回歩かなくてすんだはずであった。もう少しがんばれ。

 今回はかなり早く到着。この試合には、フェデリコの従兄弟とその友人が来るということで、電話をしてみた。待ち合わせの場所で待っていると、彼等はやってきた。フェデリコの従兄弟は、昨日に訪れた叔父と叔母の息子でアレックスと言う。メキシコの代表ユニフォームを着て、メキシコの麦わら帽子をかぶっている。相当サッカーが好きと見える。友達は2人来た。一人はレバノン人で、端正な顔立ちをしている男である。もう一人はギリシャ人で、眼鏡をかけてヒョロッとしている。かるく挨拶を交わして、ビールを飲みながら話した。彼等はミュンヘンでコンピューター関連の修士号を取るために勉強しているらしい。授業はすべて英語だという。せっかくコンフェデ杯がやっているから来てみようかということで、車で片道3~4時間かけてやってきたのだという。なかなかの情熱である。

 ドイツ経験が長い彼等から聞いてはじめて知ったのだが、ドイツではプラスチックなど再利用可能な資源のリサイクルが進んでおり、ほとんどのボトルはお店で有料で引き取ってもらえるということであった。例えば、500ミリリットルの水を買って飲み終わったら、そのボトルを買った店で0.20ユーロくらいで引き取ってくれるそうである。僕はまったく知らなかったので、当然のようにゴミ箱に捨てていた。考えてみたら、1ユーロくらいは無駄にしていたような気がする。もっと早く知っていればよかったと切に思った。

 さて、この試合は、消化試合みたいなものであった。前節の結果によって、メキシコは準決勝行きを決めており、ギリシャは予選敗退が決まっていた。そのせいで、メキシコはかなりスタメンを落としてきていた。当然と言えば当然なのだが、見ているこちらとしてはつまらない。見所としては、まだ今大会で一点も取っていないギリシャが点をとれるかどうか、というようなところしかない試合であった。内容も正直言ってつまらなかった。メキシコからは攻撃への意欲がまったく感じられない。ギリシャは意欲はあるが技術がない。0-0で試合は終了した。

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 こんなことなら、同時刻でやっている日本xブラジル戦をパブででもいいから見ていればよかったと真剣に思った。しかし、それはできなかったのである。もともとフェデリコに誘われたのは、メキシコxギリシャ戦を見に行くためにチケットを2枚買ったが、一緒に行くはずだったギリシャ人が来れないことになったから、よかったら来ないかということで誘われたのである。その時は、このカードが白熱した試合になる可能性があったし、コンフェデをどうしても見たいと思ったのでオーケーしたのだ。そういう理由があって日本xブラジル戦を見るというオプションは存在しなかった。残念きわまりない。

 試合が終わると、フェデリコの従兄弟が車でホステルまで送ってくれた。僕は感謝の言葉をいうと、「何でもないよ」と言ってくれた。満員の電車に乗って帰らなくてよかったのだから、ラッキーだった。帰るとすぐに、僕はテレビのスイッチをつけた。日本xブラジル戦の再放送を見るためである。ドイツでは、頻繁に再放送をするから大体テレビをつければ何かの試合がやっていた。幸運にも、日本戦の再放送がやっていた。食い入るように見た。日本は良いサッカーをしていた。後半は中盤にスペースがかなりあったので、打ち合いの様相を呈していた。お陰で、ブラジルのロナウジーニョ、ロビーニョを中心とした個人技、日本の俊輔、中田を中心とした個人技・パスセンスが楽しめた。特に俊輔の1点目のミドルシュート、2点目のアシストになったフリーキックには度肝を抜かれた。僕は、2年前のコンフェデ杯、日本xフランス戦を思い出していた。

 あの時の日本もいい試合をしていた。この試合は僕の中ではジーコジャパンのベストゲームである。なにより、この試合の俊輔は輝いていた。チーム唯一の得点となったフリーキックは鬼のように曲がりポストを叩いてゴールに吸い込まれた。その他にも、パスを受けてから反転してデフェンス2人をかわして右足でミドルシュートしたプレーがあった。惜しくも左にはずれたが、どちらも今でも鮮明に脳裏に焼きついているプレーだ。あの時の、俊輔は間違いなく試合の中心にいた。

 そして、今回のブラジル戦での俊輔の活躍である。俊輔は相手が強いと燃えるのかもしれないなぁ、と思ったりした。緒戦のメキシコ戦のパフォーマンスと比較すると、ほとんど別人である。メキシコ戦は緊張もあったのかもしれないが、ほとんど仕事らしい仕事をしていない。相手の7番をマークしないといけないという守備的な仕事も監督から言われていたようなので、本来のプレーがまったく見られなかった。しかし、ブラジル戦の俊輔は攻撃に専念し才能を爆発させた。とてもすがすがしい姿だった。

 サッカー選手にとってサッカーは「表現」なのだと思う。作家が文章によって、写真家が写真によって、ダンサーがダンスによって人に感動を与えるように、サッカー選手はサッカーによって見るものに感動を与える。試合に勝つことが一番重要なことはわかっている。しかし、サッカーはやはり見るものに感動を与え、楽しさを伝えるものでなくてはならないと僕は思う。毎日の練習で培った技術と技術のぶつかいあい、一瞬の才能の煌めき、そういったものが僕の胸を熱くする。俊輔からサッカーを取ったら何が残るだろうか。彼はサッカーを通して自分を表現している。逆に言えば、サッカーでしか自分を上手く表現できない彼のプレーには他のプレーヤーにはない凄み、美しさがある。純粋に上手くなりたい、その子供っぽい思いのみで練習を続け、試合にぶつける。うまくいかないこともある。しかし、上手くいった時は、「やったな」、という周りに思わせる。だから、2年前のフランス戦や今回のブラジル戦を見た後には、さわやかな感動が残ったのかもしれない。監督から見れば、中田のように計算できるプレーヤーの方が使いやすいのだろうが、ファンとしては、予測不可能なプレーヤーである俊輔を応援したくなってしまう。不完全であるが故の美しさ、成熟してないが故の危うさを俊輔は持っている。
 
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by aokikenta | 2005-07-02 00:00 | (番外編)ドイツ旅行記
2005年 07月 01日
2005年6月23日(木) 「6日目 終わりに」
 ついに、ドイツを去る日が来た。思えば、アッという間の6日間だった。満足のいく日本xギリシャ戦、ボンでの温かい歓迎、リアルタイムでは見られなかったけど日本xブラジル戦、どれも忘れがたい。この日のフライトは午後の1時だったので、早めに出発しなくてはならなかった。7時に起床。ユースホステルの朝食を取る。僕は乳製品が食べられないので、ユースホステルなどの朝食はほとんど食べられない。まず、コーンフレイクに牛乳をかけられないので食べない。パンにはバターをつけられない。そんなわけで、大体、口にするのは水1杯、何もつけないパン1つか2つ、砂糖だけを入れた紅茶などになってしまう。今回も、例に漏れずそのような朝食になったが、パンがおいしかったのでそれだけは救いになった。

 8時ごろのバスに乗り込み、フランクフルト駅へ向かう。そのまま、歩いてバスターミナルへ。フランクフルトハーン空港へは9時発のバスがあることを前もって調べておいたのだ。予定通り、9時発のバスに乗れた。昨夜は、早起きしなくては、ということが頭をもたげてよく寝られなかったので、バスの中ではぐっすりと寝た。11時頃に到着。日本xブラジル戦の再放送をやっているカフェに入り、ビールを飲みながら軽くサンドイッチを食べた。ドイツでのビールもこれが最後だ。思えば、深夜に到着した初日を除いて毎日ビールを飲んでいた。ドイツのビールは噂どおりおいしい。なによりカフェやバーの雰囲気がいいので、それがおいしさを倍化させてくれる。ビールとサッカーは僕の好きな物トップ2である。

 飛行機は予定通り出発。何事もなくロンドンへ戻ってきた。時差の関係で、フライトは1時間くらいだったにもかかわらず、ロンドンに着いたのは出発とほぼ同じ1時頃であった。少し得した気分を感じながら、ピカデリーサーカスへと向かった。列車はキングスクロス駅から出るのだが、今回僕が買ったチケットは午後7時半指定のチケットだったのだ。なぜ、そんなに乗り継ぎの悪いチケットを買ったのか、説明がいるだろう。本来は午後3時くらいのチケットを買う予定だったのだが、ブラッドフォードの駅係員に聞くと、午後7時半まで待てば、半額くらいのチケットが買えるということがわかった。なんでも、オフピークタイムはチケットが安いらしいのだ。1年近くもすみながらイギリスの列車のシステムはよくわからない。とにかく、安いのならそれにしようと思い購入を決めた。それに、ロンドンで少し、日本の本屋に寄りたかったし、中華街でご飯を食べたいと思っていたのでちょうどいいと思った。しかし、それが間違いの元であった。

 ピカデリーサーカス周辺には2件の日本の本を売る店がある。一つは三越地下の本屋さんで、もう一つはジャパンセンター2階の本屋さんである。欲しい本があったので、両方に行って聞いてみたが置いていないということであった。日本に帰る前にどうしても読みたかったので、値段は高いが、注文することに決め、三越の方で注文をした。2週間くらいで電話をくれるらしい。お店で買う値段と、国内配送料以外は変わらないということでそんなに悪くないサービスだと思った。

 本屋を出ると、次は日本食材を売るスーパーマーケットに向かった。ロンドンには僕が知る限り3つある。一つは、ジャパンセンター地下。二つ目は、SOHOにある「ありがとう」という名前のスーパー。三つ目は、「ありがとう」ちかくにある「ライスワイン」という名前の小さなスーパーである。厳密に比較したわけではないが、「ライスワイン」が一番安いのではないかと思う。そういうわけで、「ライスワイン」へ行き、うどん・そば・そばつゆ・天かすなどを購入。ここ最近暑いので麺類が食べたくなっていた。その他、中華街にある中華食材を売るスーパーにも寄り、いくつか食材を購入。やるべきことをやって、満足しているとお腹が空いてきた。以前、ロンドンで勉強している友人に教えてもらった中華料理屋に入った。フランクフルトで食べた焼鴨がまずかったので、リベンジとばかりに焼鴨麺を注文した。味は期待通り。大満足であった。連日、パンやポテトが続いていたので、体に染み入るようであった。やはりアジアの飯はうまい。

 いい時間になったので、キングスクロスへ向かった。疲れていたので、早く帰りたかった。しかし、遠足は家に着くまでが遠足、と小学校の先生によく言われていた通り、旅は家に着くまでが旅、なのであった。キングスクロス駅で列車の発着を知らせる電光掲示板を見てみると、ほとんど全ての列車が遅れ、もしくは、キャンセルになっているではないか。理由はというと、電光掲示板によれば、以下のようなことであった。

[Passenger Information]
Due to overhead wire problems in the Huntington area, delays are expected into and out of Kings Cross.
Please wait only on the train concourses.

技術的な問題なら仕方がないか、新しい情報が入るのを待とう、と考えてバックパックを地面に置き、その上に座った。季節外れの熱波が襲ってきたこのときのヨーロッパは、東南アジアを旅行したときを思い出させるような暑さであった。その上に、駅構内に、列車を待つ人がすし詰めになっているものだから、体感気温は軽く40度を越えていた。待っている人々は、誰もがイライラしていた。

 そんな中、GNERの駅員が拡声器を持って何かのアナウンスをし始めた。耳をすませて聴いてみると内容は以下のようなものであった。

「ハンティントン駅で発生しましたワイヤーに関わる問題により、全てのGNERのサービスは停止されました。復旧の見通しが立ちませんので、お急ぎでないお客様は、明日の朝、もう一度、駅まで来られることをお薦めいたします。尚、我々は払い戻しには応じません。」

・・・。唖然。
 
 そんな馬鹿なことがあるだろうか?自分の所のお客さんに迷惑をかけておいて、そんな言い方はない。保身以外の何者でもない。僕は怒り心頭であったが、周りのイギリス人で怒っている人はほとんどいなかった。みな苦笑いをしている。こういう態度に接するのには慣れているのかもしれないな。そう思った。その内、GNERの別の駅員が400ミリリットルくらいの水のボトルを配り始めた。そんなことをする前に、復旧をしてくれ。そこまで言わないでも、払い戻しはしてくれ。そう思いながらも水をもらい、「焼け石に水」だよ、とつまらない駄洒落を思いついてニヤニヤする僕であった。

 列車は復旧しそうもなかったので、急いでビクトリア駅に行くことに決めた。バスがあるかも知れないと思ったからだ。急いでブラッドフォードに帰る理由はなかったが、一晩ロンドンで明かすのは時間とお金の無駄である。幸いにも、8時半発のナショナルエクスプレスがあった。それを逃すと11時半発の深夜バスしかなかった。ラッキー、とつぶやき、19ポンドのチケットを購入。ブラッドフォードで高いお金を払ってでも乗り継ぎのいいチケットを買っておけば、こんなトラブルに巻き込まれないで済んだかもしれない。自分の判断を悔やんだ。しかも、地下鉄のチケットもいちいちシングルで買い3回乗ったので、計2x3=6ポンドも払ってしまった。トラベルカードだったら、4.3ポンドだったのに・・・。しかし、このようなトラブルが自分の身に降りかかるとは予想だにしていなかったので仕方ない。諦めよう。帰れるだけラッキーだと、自分に言い聞かせた。結局、バスは予定通りに出発したものの、何の理由かわからないが、大幅に到着が遅れ、ブラッドフォードに着いたのは午前1時30分を回っていた。6日間の旅行を追え、疲労を抱えながら、5時間以上バスに揺られ、ようやくブラッドフォードに到着したら、雨だった。この雨は、日本代表が予選敗退したことを哀しむ雨なのか、それとも、勉強を怠りドイツでビールとサッカーを楽しんだ僕への仕打ちなのか。いずれにせよ、雨の日は記憶に残るので旅の最後を雨で締めくくるには悪くないかもな、と思いながら帰宅した。シャワーを浴び、速攻で布団にもぐり込んだ。眠気はすぐにやって来た。満足と疲労を心地よく感じながら、こうして僕の旅は終わりを迎えた。

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by aokikenta | 2005-07-01 00:00 | (番外編)ドイツ旅行記