カテゴリ:日記(東京)( 25 )

2005年 11月 03日
出発前夜
 今日は祝日なので久しぶりにゆっくりと寝られた。やらなくてはならない荷造りもあるし、本当に出発前日が休みでよかった。今日は何と言う事はなく、足りないものの買出し、パソコンの中のデータの整理、荷造りなどに終始した。というかまだ終っていないのでこれからやらなくてはならない。

 夜は家族で焼肉を食べに行った。思えば日本に帰ってきてから初めての焼肉だった。やはり牛肉はうまい。食べ収めとばかりに、生ビール、焼肉各種、冷麺、チヂミ、キムチ、ナムルなどなどと、更にはデザートの杏仁豆腐まで平らげた。杏仁豆腐って中華料理じゃないの?焼肉って韓国料理じゃなかったっけ?と疑問が湧いたが、まぁ、おいしかったからよしとしよう。食に関してはここの所食べ過ぎというくらい食べているので味覚は満足のはずだ。アフガン料理待ってろよ!

※次回更新はネット環境が整ってからになりそうです。更新が出きるようになり次第更新しますので、しばしお待ち下さい。
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by aokikenta | 2005-11-03 21:55 | 日記(東京)
2005年 11月 03日
東京勤務最後
 今日で東京での研修は最後だった。10月3日から働き始めて気がつけばもう出発の前々日になっていた。1ヶ月というのは短い期間だけど、いろいろとあったので案外長く感じている。入ったばかりにも関わらず仕事を任せてもらって良い経験をさせてもらった。アフガンではまた新しい事を吸収して一回り大きく成長したいと思う。

 で、午前は市役所に行って住民票の移動など各種手続きをした。午後から出社して、業務の整理及び引継ぎをした。夜は東京事務所の方々と飲みに行ってたった今家に辿り着いた。最近は送別会などをかなり開いてもらっていて周りの人には感謝の気持ちでいっぱいだ。アフガンに行くという事実がこういった送別会につながっているので、別に僕の人気があるわけじゃないことは百も承知している。でも、気持ち良く送り出そうという気持ちがなければこういう会をしてもらえるわけでもないわけで、純粋に心強く思う。留学や海外赴任を通して、周囲の人から支えられて生きていることを強く感じるようになった。感謝、合掌の気分です。

 さて、アフガンに行くと本の紹介もできなくなるかもしれないので、今日は「緒方貞子―難民支援の現場から」を紹介させてもらいたい。言わずと知れた元国連難民高等弁務官で、現在のJICA理事長である緒方貞子についての本で、彼女の考え方や思想を生き生きと描き出している。

 緒方貞子は言う。「ひとことで言ってしまうと、国際社会はアフガン難民を『見捨てた』のです」(p.136)。ソ連軍が1989年にアフガンを撤退して以降は、国際社会のアフガニスタンに対する興味は急速に薄れ始めた。ソ連が撤退したことで、共産主義の拡張に対する歯止め役という戦略的な意味がなくなってしまったのだ。それによってアメリカはソ連に対抗していたムジャヒディンへの資金援助をストップし、興味はイラクへと移っていった。

 こうした世界情勢の中で、UNHCRは援助を続けたが十分な難民支援ができなかった。彼女はこの本の中で、その事が今でも心残りだと言っている。「アフガニスタンの問題はずっしりと気持ちの中に残っています」(p.149)と語る彼女は先頭に立ってアフガニスタンの復興への努力を続けてきた。2002年1月に開かれたアフガニスタン復興支援国際会議でも彼女は議長を務めて、国際社会の多額のプレッジを引き出す事に寄与した。

 日本を始め国際社会がアフガニスタンに興味を持つ事はいいことだが、日本がアフガニスタンの復興にやや必要以上に興味を持っているのは緒方貞子の影響がかなりあるように思う。アフガニスタンは20年以上の戦争を経験していて、世界で指折りの貧しい国だが、他にも援助を必要としている国はあるように思う。かなりの日本の政府資金、NGO各団体が入りこんでいることには彼女の影響が少なからずあるように思う。

 それは決して悪い事ではない。今まで見捨てられた国が世界の関心を集めることが何で悪い事であろうか。僕はむしろ一人の人間の意志の力が世論を変える一助になることに共感を覚える。そして僕もその意志の力に少なからず影響を受けている。「共感」が「共感」を呼んでいく。面白いもんだなぁ。

※「緒方貞子は良い家系の生まれで」という表現について、読者の方から不適切な表現だとのご指摘がありましたので、文中から削除致しました。申し訳ございませんでした(2005年11月4日)。
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by aokikenta | 2005-11-03 02:25 | 日記(東京)
2005年 11月 01日
3日って祝日だったんだ
 今日気がついたのだが、3日は「文化の日」で祝日なのだ。したがって仕事も休みだ。普通の平日だと思っていたのですごく得した気がする。荷造り全くしてなかったから3日にしよう。そう思うと今日明日にする気が一気になくなった。人間プレッシャーがないとやらないもののようだ。

 定時出社で落ち着いた一日。特に変わったこともなく早めに帰れた。

 今日は「武装解除」を紹介したい。この業界では有名人である伊勢崎賢治の本で結構売れていると思う。彼はTBSの「情熱大陸」という番組でも紹介されたので知っている人も多いと思う。

 「もともと建築家を目指していた」でこの本は始まる。文章の冒頭で読者の心を掴むという鉄則をしっかりと守っている。彼の人生は破天荒で面白い。大学時代に建築家を目指していたが建築の世界に限界を感じて、インドに留学した。インドのスラムにある住民組織のコミュニティ・オーガナイザーになり、住民40万人をまとめあげて住民運動を組織した。帰国後は、大手国際NGOに就職し、シエラレオネに約10年駐在。その後も、国連PKOの仕事などで、東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンでDDR(元兵士の非武装化、動員解除、社会復帰の略)を指揮した。今では、日本の紛争解決分野で知らない人はいないカリスマ的存在になった。

 この本は序章(pp.7-38)が一番面白い。彼の半生記みたいなものなのだが、毒があってユーモアのある文体で読むものを笑わせる。例えば、ボランティア精神についてバッサリと切る。

「だいたいボランティアって、照れがある。自分から名乗るようなシロモノじゃない」(p.23)

「神社なんかに寄進者の張り紙や名を刻んだ石の柵なんかがあるが、僕は明かに名を隠そうとするタイプ。ああいうのに、何の抵抗感もなく、出した額を公示して優越を感じるようなのは、都営団地の自治会長を頼まれもしないのに自分から引き受けるタイプ」(p.23)

 家族でシエラレオネに赴任する際、祖母を連れて行くと決め親戚縁者から猛反対された時には、

「風土病で倒れても現地で使用人の手厚い看護と家族に見守られて往生するほうが、日本の暗い病室でチューブを巻きつけられながら往くよりバーさんにとって幸せだろう」(p.27)

とあっさり。

 以降、第2章、3章、4章ではそれぞれ東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンでのDDR指揮経験について詳しく書かれている。この部分はやや専門的なので割愛させていただくが(仕事みたいになるのであまり長く書きたくない)、興味があれば読むと良いだろう。現場で動きながら考えた人間の生きた知識が詰まっている。僕も動きながら考えるのが好きなので憧れる部分もある。紛争が起こるたびに雇われる「紛争屋」の世界をのぞいてみて下さい。
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by aokikenta | 2005-11-01 23:59 | 日記(東京)
2005年 11月 01日
神田カブール食堂
 今日は比較的仕事が落ち着いていたので早く帰れた。日本での滞在も残り少ないので、全然荷造りしてないが前から行きたいと思っていたレストランへ友達を誘って行った。その名は「神田カブール食堂」。都営新宿線の小川町から徒歩3分、東京で唯一のアフガニスタン料理屋さんである。

 店内はアフガニスタンの調度品やら写真で装飾されておりとても落ち着く空間だ。席は皆靴を脱いで絨毯の上で食べるようになっている。店長さんはアフガニスタン人で、人の良さが顔に出ている人だ。目尻が下がっていて笑顔がとても優しい。調理はおそらく奥さんと思われる女性がしている。適当にナン、ウズベキナン、ひよこまめのカレーなどを頼んだ。どれもおいしかった。特にウズベキナンはゴマのようなものがかかっていて、ふっくらとした生地の食感にゴマの粒粒の食感が加わっておいしい。こういうのはブラッドフォードにはなかったなぁ。カレーはあまり辛くなく上品な味だ。アフガン料理は油っこいと聞いていたので、このお店は日本人用にアレンジされているのかもしれない。

 店長さんに「金曜からカブールへ行くんですよ」と言うと「私はカブール出身です」とごきげんの店長。いろいろと話していると、カブールにいる友人の連絡先と僕の連絡先を交換することになった。右も左も分からない土地で一人でも知り合いが増えるというのは心強い。このお店にはアフガンへ赴任する人なんかが良く来るらしく、このレストランが日本人とアフガン人の交流の場になっている事がわかる。こういう「スペース」はお互いの偏見や誤解を取り除くのにとても重要なんだよな。アフガン人の店長さんが僕に親切にしてくれたおかげで、少なくとも僕はアフガン人にいい奴がいるということがわかるし、逆に彼にはアフガニスタンの復興のために働く日本人がいるということがわかる。確かにインパクトの面では小さいかもしれないが、こうした一つ一つの積み重ねが平和を考える上では大事なのである。

 北アイルランドの和解グループ「コリミーラ(Corrymeela)」とイスラエルの和解グループ「ネベシャローム / ワハト・アッサラーム(Neve Shalom/Wahat al-Salam)」を思い出し、下からの平和構築(peacebuilding from below)か、とつぶやきながらお店を後にした。アフガンへ行かれる方、行った方、是非足を運んでみて下さい。
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by aokikenta | 2005-11-01 00:29 | 日記(東京)
2005年 10月 31日
大阪飲み 【たこ焼き・4次会・通天閣】
 28日(金)は団体の同僚と飲みに行き、帰りがが遅くなったので更新ができなかった。そして土日は大阪へ大学のサッカー部友達に会いに行ったのでまた更新ができず、結局この時間の更新になってしまった。

 いやー、大阪面白かった~。実は父が枚方市出身なので子供のころからよく行ってはいたのだが、梅田や難波に行った事はほとんどなかった。土曜日の12:45羽田発14:00関空着のフライトで行き、まずはサッカー部同期の友達の実家へ行った。そこではケーキをご馳走になりごろごろとして過ごした。その家の近くのたこ焼き屋のたこ焼きはまじでうまかった!出汁の味が生地にしみていて口の中でとろける。あんなうまいたこ焼きは食べた事がない。次回大阪に行った時も食べたいな。
 
 夜は19:30から飲み始めて、結局飲み屋を三軒はしごして、カラオケへ突入。合計で4次会まで行った・・・。めちゃくちゃ楽しかったので時間が経つのを忘れていた。本当に面白かった!参加してくれたみんな、ありがとう。

 夜2時過ぎまで飲んでいたにもかかわらず、日曜日は朝の10時から、別のサッカー部同期の会社のチームの練習へ参加。2時間を超える練習でしかもかなりまじめにやっていたので2日酔いの身には応えた。でもやっぱりサッカーは楽しいもので、久々に大きいコートでプレーできて嬉しかった。

 午後は通天閣へ上り、キャベツ焼き(100円!)を食べ、串かつを食った。1泊2日の短い滞在だったが、友達に会い、おいしいものをたらふく食べ、飲んで、サッカーをして、観光までして盛だくさんの旅だった。大阪いいとこだ。アフガンから帰って来たらまた行きたい。
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by aokikenta | 2005-10-31 00:27 | 日記(東京)
2005年 10月 28日
アフガン仲間
 今日は仕事場の同僚の紹介で、来年1月からカブールに赴任する女性と食事をすることになった。環境系NGOで働かれている方1名も加わって、合計4人で新宿で食事をした。僕以外全員女性だったので、「アフガン行ったら女なんか見れないぞー」とからかわれた。そのカブールに赴任する方は、どうしてもアフガニスタンがいいと希望して赴任するという。僕もそうだったのでとても親近感を覚えた。といっても立場は自分と違ってAE/JPOとしてUNDPカブール事務所で働かれるそうだ。しっかりとしたバックグラウンドを持っていらっしゃって人間的にも素晴らしい方だと思った。
 
 最近は国際協力業界も高学歴化が進んでいて海外の大学院修士号があるくらいではなんのアドバンテージでもなくスタートラインに立っているというくらいの状況である。AE/JPOは、しっかりとした経歴の人が何人も応募するので倍率は常に高い。でも、何度でも応募ができるので粘り強く応募し続けるのが良いらしい。せっかく日本にはこういう制度があるので使えるものは使いたいというのが正直なところだ。

 さて、今日は『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』を紹介したい。この本はイランの映画監督モフセン・マフマルバフ著の本で、内容としてはそれほど面白くないので買う事はお薦めしない。ではなぜここで紹介するかというとタイトルが面白いからである。僕はジャケ買いならぬタイトル買いした。

 モフセン・マフマルバフは「サイクリスト」や「カンダハール」で有名な人でアフガニスタン国民が世界から見捨てられている現状を嘆いてこの本を執筆した。彼は熱い人だ。少し引用しよう。

「ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ。」(p.27)

 とても熱い人でしょう!僕はこの文章に心を動かされたので、修士論文の冒頭でこれを引用しました(笑)。普通アカデミックな論文にこういう系統の本は入れないものだが、心を掴む冒頭だからいいのだ。それに自分で英訳をして載せるので、イギリス人のスーパーバイザーは学術書だと思っていることだろう。

 ちなみに、この本のタイトルを聞いてB'zの「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」を思い出すのは僕だけだろうか?
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by aokikenta | 2005-10-28 00:32 | 日記(東京)
2005年 10月 27日
二転三転
 パキスタン派遣要員の人選が二転三転して、結局、僕は今回の緊急支援のメンバーには入らない事になった。今週末には出発する、と公言してきたし、自分自身そう信じて仕事をしてきたけども、団体として送りこむ人員を決定したのでこれで最終決定だ。周りの方には混乱を招くようなことを入ってしまった大変ご迷惑をおかけしました。ご迷惑をおかけした方には心からお詫び申し上げます。本来の予定通り、アフガニスタンカブール事務所での勤務になる。11月4日(金)成田発で行く予定。これは最終決定でしょう。

 最近、仕事ばかりで他の事をあんまり考えていないのであまり書く事がない。といわけで、アフガニスタン関連のお薦め本の紹介でもしていきたいなと思う。まだ行った事もないのに偉そうですいません。真偽はこの目で確かめてきます。

 右下の「ライフログ」に載せたけど、『アフガニスタン 戦乱の現代史』はお薦めである。アフガニスタンのことを全く知らない方でもとても入りやすい本だと思う。もちろん歴史の部分も内容が深く、そして簡潔にまとまっており非常に分かりやすい。

 特に序盤にあるラピズ・ラズリについての記述は面白い。このblogの背景色はこの本の影響を受けている。筆者によれば、アフガニスタン東部にあるヒンドゥー・クシュ山脈でしかとれないラピズ・ラズリは、古代から価値のある石だと認められており、交易によってかなり広範囲に広がっていた。西の方角では、紀元前3000年ごろ、エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクの目の部分に使われていた。一方、東の方角では、なんと日本にまで来ていたというのである。ラピズ・ラズリは別名「瑠璃」であり、仏教の世界観で東にいるとされる薬師如来の正式名称は「薬師瑠璃光如来」なのである。このエジプトのツタンカーメンと薬師如来の奇妙な関係を証明することで、筆者はアフガニスタンが大昔より文明の発信地であったこと、そして、日本においてアフガニスタンという国は忘れがちだが、本当はとても大きな影響をアフガニスタンから受けているのだということを力説している。

 筆者曰く「これまで仏教の伝来といえば、インド、中国、日本の関係だけが主に注目されてきた。その中にアフガンを加える人は少数である。しかし国宝であれ、「お薬師さま」であれ、薬師如来像を眺める時、私たちは瑠璃の光が放ち続けてきた「アフガンの存在」を忘れてはならないだろう」。(p.9)
 

 
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by aokikenta | 2005-10-27 00:16 | 日記(東京)
2005年 10月 26日
予防接種②
 2回目の予防接種を受けに入ってきた。両手両足に一本ずつ計4本の注射を打った。2回目ということもあり、若干寝不足だということもあり、全然緊張もしなかったし痛みも感じなかった。ビザも取得し、予防接種もしたしこれで渡航の準備はバッチリだ。

 疲れ気味なので今日はこの辺で。
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by aokikenta | 2005-10-26 02:00 | 日記(東京)
2005年 10月 25日
月曜・・・
 楽しかった週末が去ってしまった。金曜は前の会社の同期と、土曜日は地元の友達と、そして日曜日は大学の友達と盛大に飲み会をしてきたので、仕事の厳しさとのギャップたるや相当なもんだ。でも、今週しっかりと頑張ってすっきりと出発できればいいな、と思う。来週末は本当は大阪へ遊びに行く予定だったのだが、キャンセル。楽しみにしてたのにな。

 よく考えたらウルドゥー語のテキスト持ってない。ペルシア語は買ったのに。だってパキスタン行くなんて思ってなかったし。でも、いきなりどこかへ行けというのは実は俺にとっては珍しいことではない。前は物流の会社で働いていたので「ハンドキャリー」なるものをさせられた事がある。ハンドキャリーとは要するに手で貨物を持って行くこと。通常の輸出手続をしていると遅すぎて海外にある工場の生産ラインがストップしてしまう場合などにメーカーが依頼をしてくる。

 ある朝、いつも通り会社に行くと、上司に言われた事がある。

「今日、カナダ行けるか?」

 それを10時くらいに言われて慌ててパスポートを取りに帰った。家にあるパジャマやら何やらをカバンに詰め込んで13時くらいに会社に戻る。そのまま上司と東京駅に向かった。一方、メーカーの名古屋工場で出来たばかりの部品を運んで来た人がいて、東京駅で貨物の受け渡しをする。それを持って、成田エクスプレスに乗り、夕方7時くらいの飛行機でカナダへ行ったのだ。

 たしか入社2年目だった気がする。俺が選ばれたのは若くて健康だからというくらいだろう。まあ、今となっては良い経験だが、当時はルーティーンの仕事もあったしきつかった記憶がある。しかし、こういう経験があるからそんなに色んなことに驚かなくなったし、まあ良かったのかな。

 余談だが、一旦パスポートを取りに帰ったときに、家族にメッセージを残さなくてはと思って、留守番電話に、「何日かいないけど心配しないで下さい。今日カナダに行って来るだけです。余ほどの事がない限り会社には電話しないで下さい」と入れた。後から、母親が余計心配した、と言ってた(笑)。
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by aokikenta | 2005-10-25 01:45 | 日記(東京)
2005年 10月 24日
送別会
 日曜日は、大学のサッカー部の友達を呼んで送別会を開いた。仕事やらサッカーやらで忙しいところを、遠いところまで来てくれたので本当に感謝です。そして、メッセージ入りの色紙をもらい感動してしまった(ちゃんと読んだのは今朝だが・・・)。実家で親の前で記憶がなくなるまで飲み少し恥ずかしかったが、そんなことは関係なく、そこまで飲める友達がいることを嬉しく思っている。親も親で、「口開けられて飲まされていたね」と呆れ顔だったが、内心は自分と同じ気持ちだろうと勝手に推測している。今日から数日働いて離日するので、しっかりと準備をしたいと思う。

 昨日集まってくれたみんなへ、この場を借りてお礼します。ありがとう!
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by aokikenta | 2005-10-24 07:24 | 日記(東京)