カテゴリ:日記(イスラマバード)( 125 )

2008年 07月 28日
回顧2
その年の8月から10月にかけては、イスラマバードに新しく事務所を
設立する為に、カブールとイスラマバードの間を行ったり来たりしていた。
パキスタンに退避することはすんなりと決まったが、実務的な問題は山積みだった。
事務所の選定、銀行口座の開設、NGO登録、車両借り上げ、スタッフの雇用、
ビザの取得、通信網の整備、物資の調達・・・etc。

ソフト面の充実も大きな課題だった。
大体が、組織にも個人にも遠隔操作をした経験がない中でのスタートだった。
オペレーションからアドミニストレーションまで、これまでに蓄積してきた事をベースに
チェック・アンド・バランスの機能を付加したシステムを作る必要があった。
そんな事に没頭している内に、2007年は終わった。

年が明けてから、本格的にイスラマバードに住みはじめることになった。
カブールにいた頃に比べたら格段に暮らしはよくなった。
しかし、僕はストレスがないというストレスを感じながら、
僕は何処へ行きたいのだろうか、と自問自答し続けていた。
大局的な流れというのは、個人の力ではどうしようもないものだ。
それは、グレート・ゲームに翻弄され、ソ連に侵攻され、アメリカからミサイル攻撃をくらった国
アフガニスタンに住む無辜の市民達が感じていたであろう諦めの気持ちに似ている。

緩衝・・・
何かと何かの狭間で・・・?
・・・自分(国家)という領域への侵入・・・
干渉・・・

国家と個人という単位が違うだけで、僕には、アフガニスタンが置かれてきた歴史的状況と
自分自身の置かれている状況というのは、ほんの何かしらのミッシングリンクが見つかりさえすれば
しっかりとコネクトされる関係性を持っているように思えた。

I was stuck in the middle…、僕はカブールと東京の狭間で完全にスタックしていた、と思う。
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by aokikenta | 2008-07-28 03:09 | 日記(イスラマバード)
2008年 07月 26日
断章1
1992年にナジブラー政権が崩壊して以降、アフガニスタンは
複数の軍閥によって覇権が争われる群雄割拠の時代に突入した。

北部では、ウズベク人のドスタム将軍が6つの州を支配下に置き、パシュトゥン人の
ヘクマティヤールとともにカブールのラバニ政権を共同で攻撃することを約束していた。
中央高地のバーミヤン付近と中央地区の一部では、ハザラ人のアブドゥル・アリ・マザリが
他の民族からの侵略から自分達を守るべくハザラ人をまとめあげていた。
タジク人の英雄、アフマド・シャー・マスードはタジキスタンからの支援を得て、
パンジシール渓谷から北部を中心に、勢力を維持しようと努めていたが、勢力の衰えは否めない。
カンダハールでは、複数のパシュトゥン人軍閥が共存している状況で、
これら全てがLocal contextを全て表しているわけでは到底ない。
もはや、外部の人間では各グループの力の均衡がどうなっているのかわからないほど、
お互いの利益、権力を求めた利害が複雑に錯綜している状況だったのである。

そんな中、パキスタンのアフガニスタン国境沿いにあった難民キャンプの
マドラサで育った神学生を中心としたタリバンが、アフガニスタンの歴史に登場する。

1994年の春、カンダハルのあるコマンダーが2人の十代の少女を連れ去り、ミリタリー・ベースに
連れ込み、繰り返しレイプを行っているとの報告がムッラー・オマルにもたらされた。
ムッラー・オマルは、すぐさま16丁のライフルを持った30人の神学生を選びベースに送り込んだ。
選ばれた神学生達はそのコマンダーを攻撃し、少女を解放、少女を誘拐したコマンダーを
戦車の砲身から首吊りにした。オマルは言った。
「我々はモスリムに対抗するものに対して戦う。女性や貧しい者に対する犯罪にどうして黙っていられようか」(注1)
これは、混沌としたアフガニスタンに突如現れたタリバン、シャリアを元にして
ムハンマドが生きていた時代のメッカやメディナの社会の再現を理想に掲げた神学生集団、
という現象を神話的に語る際に頻繁に持ち出されるようになった象徴的な事件である。

そして、1994年10月のスピンバルダックでのヘクマティヤール軍との戦闘を皮切りに、
1998年までにはタリバンは、カンダハール、ヘラート、マザリシャリフ、カブール、バーミヤンを
含めたアフガニスタン全土に迫る地域を占領した。サウジアラビア、パキスタン、UAEの
3カ国しかタリバン政権を正当には認めていないものの、ムジャヒディンの横暴に嫌気が
差していた90年代前半のアフガニスタン民衆の心情を考えると、出来るべくして出来た政権であった。

(注1) Ahmed Rashid (2000), Taliban: Militant Islam, Oil and Fundamentalism in Central Asia, U.S.A.: Yale University Press, p.25
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by aokikenta | 2008-07-26 16:06 | 日記(イスラマバード)
2008年 07月 25日
回顧1
カブールから日本へ向かう途中のドバイ空港で、
今回の一時帰国では何をしようかなと心を弾ませていた。
午後3時にカブール空港を出発、午後5時30分にドバイ空港に到着したが、
乗り継ぎの関西空港行きエミレーツ/JALコードシェア便は深夜2時35分にならないと飛び立たない。
時間がたっぷりあるのでPCでメールをチェックしようと思い、空港のロビーのはじっこで
壁にあるソケットにコンセントを差し込み、地べたに座りながらドバイ空港の一角を占領した。

Outlook Expressを開くと、メールが沢山受信ボックスに入っている。

・・・一両日中に全土が退避勧告になりそうだ・・・
日本からこちらに帰任できないかもしれないから、そのつもりで本部と調整して来てください・・・
8月の予定は全て取り止めにしたいと思います・・・

矢継ぎ早に入ってくるメールを読みながら、これらの文字が僕にとって一体
何を意味しているのか、よく理解できないままでいた。
どうやら、アフガニスタン全土が渡航延期から退避勧告へ引き上げられるらしい。
しかし一体何故?このタイミングで?全ての日本人がアフガニスタンから引き上げる?
飛行機で移動している間に、何か重大な事件でも起こったのだろうか。
大きな事態が知らぬ間に進行しているその状況をよく把握できないまま、
自分の頭を整理しているところへ新しいメールが入ってきた。

「首都カブール、ジャララバード、ヘラート、マザリ・シャリフ、バーミヤンの各都市:
退避を勧告します。渡航は延期して下さい。」

画面に並んだメールの文章の中で、そこだけが周りから切り離されてくっきりと浮かび上がっていた。
あの時に、あの場所で、僕の人生の一部分は自分の意志とは関係ない形で決められていたのだ。
自分の決断ではないものにより、僕の人生はある種の方向付けをされていたのだ。

ちょうど一年前のその日―2007年7月25日―のドバイ空港での風景を思い返しながら、
過去の一年間という日々が、僕にとって何を意味していたのかということについて考えている。
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by aokikenta | 2008-07-25 23:55 | 日記(イスラマバード)
2008年 07月 24日
破綻
「破綻」という言葉は、人格的破綻とか破綻国家とか色々な文脈で使われていて、何故だか知らないが魅かれるものがある。
破綻、破綻・・・と頭の中でリピートしていたら、そういえば、ダリ語で「終わった」ということを「ハッタム・シュット」というのだということを思い出した。
ウルドゥー語でも「終わる」ことを「ハッタム」というのだろうか。「破綻」と「ハッタム」は音感的に似ていて、意味合い的にも当たらずとも遠からじだ。
人格的に終わっている、終わっている国家ねぇ。
どうでもいいけど。
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by aokikenta | 2008-07-24 04:09 | 日記(イスラマバード)
2008年 07月 23日
停電
去年、出張でカブールからイスラマバードに来ていた時には、街の電気は24時間来ていたのだが、
去年のクリスマス辺りから一日に5時間から6時間、停電が発生するようになった。
停電というと、何の前触れもなくブチッと電気が来なくなるイメージがあるが、イスラマバードの停電は、
完全なる計画停電で、毎日ほぼ決まった時間にやってくる。僕の住む地域では、

午前10時~11時
午後14時~15時
午後18時~19時
午前01時~02時
午前06時~07時

の一日5回合計5時間の停電がある。
これも、時期によって微妙に1・2時間タイミングがずれたり、回数が6回になったりするが、大体同じようなものだ。
当初、水不足によって水力発電でできる電気が減少したので停電を実施していると説明を受けたが、
モンスーンシーズンに入った今でも計画停電は続いている。何故だろう?

電気は生活に必須の基礎的インフラなので、しっかり24時間供給しないと民衆の政府に対する不満が溜まるのではないだろうか。
あるいは、民衆は長い間、自分達の期待に応えてくれずに自分の既得権益を守ろうとする政治家ばかりを目にしているので、
怒りすら忘れて自然にそれを受け容れざるを得ないメンタリティーに陥っているのかもしれない。

この前、停電で電気が切れた時に、デスクトップパソコンの電源が強制的にオフになってしまい故障してしまった。
修理に出したのが戻ってきたので、今日、ブルー・エリアへUPSを買いに行った。
数軒お店を回ってみたが、パソコン1台が3~5分間持つくらいの一番安いUPSが売り切れになっていた。
誰も考える事は同じみたいだ。
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by aokikenta | 2008-07-23 03:14 | 日記(イスラマバード)
2008年 07月 14日
キーマ・カレー
昨日久しぶりにサッカーをしたら、運動不足だったからか体の節々が痛い。
やっぱり2、3週間エクササイズをしないと体力がガクッと落ちるみたいだ。

お昼に食べたキーマ・カレーが美味しかった。
この料理は、大抵の日本人の味覚にも合うのではないだろうか?

そういえば、毎日停電が決まった時間にあるのだが、今日の午後は停電がなかった。
ルーティーン化されていると思っていたのに、たまにこういうことがある。
ある地域や区画の電気を停電にしたり元に戻したり際に、一体、発電所ではどんな作業をしているのだろう?
単純に、レバーみたいなものがあって、それをガチャンとやってオンかオフにするだけ?
だとしたら、今日停電にならなかったのは、単なる担当者のレバーの下ろし忘れだったりして。
そんな単純な仕組みじゃないかもしれないけど、そういうことがあり得るだけに怖い。

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↑牛肉のひき肉をつかったキーマ。日本のひき肉カレーに近い。

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↑主食のナン。香ばしくておいしかった。
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by aokikenta | 2008-07-14 04:54 | 日記(イスラマバード)
2008年 07月 11日
ダマネコ展望台
メラニン色素に紫外線を直に感じる一日だった。
最近は雨が降って気温が下がる日が続いていただけに、余計暑く感じた。

仕事が終わってからサイード・ブックバンクに行って、Ahmad Rashidの
最新刊"Descent into Chaos: How the war against Islamic extremism
is being lost in Pakistan, Afghanistna and Central Asia"を買った。
Ahmad Rashidは"Taliban"や"Jihad"を書いた人で、この本は面白いと
何人かから薦められたので早速買ってみた。読むのが楽しみだ。

晩御飯は、同僚とハウスメートのノルウェー人とアフガンで一緒だったKさんと
ダマネコというマルガラヒルにある展望台に行って食べた。
ダナネコ展望台はイスラマバードが一望できる、イスラマバードに来たら是非一度は訪れるべきスポットだ。
僕は、ダマネコに当て字を当てるとしたら、絶対「騙猫」だと思う。
全然意味はないが、そんな妖怪がいたらキャラクター設定が楽しそうだからだ。

ビリヤーニとチキン・ボーンレス・ハンディとヨーグルトとシシケバブを食べて、満足して帰った。
今日撮った写真ではないけど、どんな場所かわかるように昼間の写真だけ。

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↑晴れた日にはソルトレンジまで見えるらしい。ちなみに、左の人達は通りすがりの人達で面識はありません。
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by aokikenta | 2008-07-11 03:09 | 日記(イスラマバード)
2008年 07月 10日
戦略的、地政学的
アフガニスタン/パキスタンで、最近、更に治安が悪化している。イスラマバード(パキスタン)、カブール(アフガニスタン)、カラチ(パキスタン)で連続して爆弾テロが発生した。7月6日に、イスラマバードで自爆テロが発生して20人前後の警察官が死亡したと伝えられている。これは昨年7月のレッド・モスク籠城事件を記念するイベントが開かれている会場に集まった警察官を狙った攻撃だったようだ。7月7日には、カブールのインド大使館を狙った自爆テロで41人が死亡、140人以上が負傷したと伝えられた。また、同日7日には、カラチで小型爆弾が連続爆破し、30人前後が負傷、1人が死亡した。イスラマバードでは、デンマーク大使館爆破事件以来、大きな事件は発生していなかったので、一瞬、在留邦人の間で緊張感が高まった。

気になるのは、カブールのインド大使館自爆テロ事件だ。これに関してはタリバンが犯行声明を出しておらず、責任を否定しているので、公に出ている情報では誰がやったのかよくわからない。アフガニスタン人の感覚で言えば、アフガニスタンと仲の良いインドの大使館を狙う集団は、パキスタン以外にはないだろうという考えになる。実際、カルザイ大統領は、「パキスタン」とは名指しをしなかったが、「Foreigners(外国人)」がこの事件の黒幕だ、とパキスタンのことを暗に(というかほぼ明らかな形で)非難している。また、他のアフガニスタン政府高官も、ISI(パキスタンの諜報機関)が事件の背後に深く関与している、と受け取れる発言をしている。この様子は、先月、カンダハルの監獄がタリバンによって爆破された際に、「いつでもパキスタン国境を越えて軍を送る気がある」と、パキスタンのことを公然と非難した場面を彷彿とさせる。

しかし、事態はそんなに簡単なのだろうか?
確信があるわけではないが、これでパキスタンが犯人だとすると、三流ミステリー小説のトリックみたいに簡単過ぎはしないだろうか。別に、現実はミステリー小説ではないので犯人が簡単に見つからなくてもいいのだが、なんとなく釈然としないものがある。

というのも、パキスタンの側からすると、カルザイ大統領が公然とパキスタンを非難する背後には、それを言わせている「誰か」がいるに違いない、という発想になるからだ。パキスタンで「誰か」が背後にいるとほのめかす場合、それはアメリカでもイギリスでもなく、ほぼ間違いなくインドであることを意味する。だから、パキスタンにしてみると、公然とは発表しないが、インドが背後からカルザイ大統領にパキスタンを非難させている、という風に考えているのではないかと思う。

それに、タリバンが犯行声明を出していないからといって、本当にタリバンが犯人ではないと言い切れるわけではないのではないだろうか。何故なら、タリバンが事実を隠すことでパキスタンが悪い立場に陥ることになるので、それはタリバンにとっても戦略的には有効な嘘ということになる。

今回の事件の犯人は一体誰なのだろう。
インドがある種の自作自演をしている?
やってないと声明をだしているけど、本当はタリバンが行った?
それとも本当にストレートフォワードに、ISIが背後で関与している?
そのどれかが正しいかもしれないし、全然違うグループ(アルカイダ等)、或いは、他の国の仕業かもしれない。
手に入る情報が少なすぎて結論が導けないが、とにかく、何者かによって、意図的にこの地域の国際関係は悪化させられていると思う。
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by aokikenta | 2008-07-10 04:43 | 日記(イスラマバード)
2008年 06月 16日
構造主義栄養学・・・
土曜日は、昼まで寝ていた。前日歩き疲れたこともあったし、何より起きなければいけない用事というものがなかったので、とにかく寝たいだけ寝ることにしたのだ。寝たいだけ寝られるというのは、多くの状況において幸せなことである。起きてからメールをチェックしてから、近くの食堂に行って、ナンとダールを食べて、マンゴージュースを締めに飲んだ。パキスタンのフルコースメニュー。パキスタンでしか容易に味わえないことを考えると、これもなかなか幸せな組み合わせである。

最近、パキスタンの食事をしながら、「構造主義栄養学」という学問は出来ないものかと考えたりする。よく日本人や欧米人と話していると、パキスタンの料理に対する不満を耳にする。油が多い、どれも味が煮ている、なんであんなものを食べているのか理解できない、etc。確かに毎日食べていると飽きるのは事実である。しかし、それはどの国の料理を食べていても同じことではないだろうか。また、パキスタンの朝食の定番パラサ(小麦粉をこねた物を油で焼く料理)を食して、なんでこんなに油を使うんだろう、きっとパキスタン人は味がわからないに違いない、というようなことを聞く事もある。しかし、果たしてそれは事実なのだろうか?

スイス出身のソシュールという言語学者がいる。彼は、構造主義に大きな影響を与えた人だが、彼の大きな業績は「シーニュ(記号)=シニフィアン(記号を形作る音のイメージ)+シニフィエ(記号の意味内容)」という公式を打ち出したことにある。言葉には二つの側面がある。一つは、それが「mizu」という音によって出来ている側面。もう一つは、水が表す意味という側面。彼は、前者をシニフィアン、後者をシニフィエと呼んだ。また、彼は言語というのは他の物との対立でしか表せないという事も発見した。例えば、「あ」という音がどういう音か、説明することは出来ない。それは「い」でも「う」でも「え」でも「お」でもなく、その他のどの音でもないという差異でしか説明できないのである。彼の理論を引き継いで、プラーグ学派という人達は音韻論という学問を発達させた。音というのは、「音素」に分類させることができるとして、音韻論は大きく発展した。

この「音素」を「栄養素」に変換してみたら、どうなるだろう?パキスタンの朝ごはん、例えば、パラサとダール・チャンナを想定したとする。パラサは大きく分けて、炭水化物と脂質という栄養素に分解することができるだろう。また、ダール・チャンナは蛋白質とビタミン類に分類できるに違いない。もう一方で、イギリスの典型的な食事、トーストとビーンズとソーセージはどうだろう?トーストは炭水化物、ビーンズは蛋白質とビタミン類、ソーセージは蛋白質と脂質に分解できるだろう。日本の食事、白米と鮭の塩焼きと漬物はどうだろう?白米は炭水化物、鮭は蛋白質、漬物は食物繊維とビタミン類に分類できるだろう。

ひょっとして、これは直感だが、世界の食事というのはこういう風に栄養素で分解したら、ほとんど三大栄養素の炭水化物、蛋白質、脂質に分解できるのではないだろうか。そしてまた、一食の総カロリーを計算したら、大抵同じカロリー値が導き出されるのではないだろうか。おそらく、ちゃんと比較をしてみたら多少のズレはあるだろう。しかし、そのズレは、カロリー値が多すぎる場合は寒冷地あるいは熱帯という特殊な環境の為に、他の地域よりもカロリーを多く必要とするという理由があるからと説明できる。少ない地域の場合、朝食での比較では少ないが、一日の総量としてみれば、昼食と夕食のカロリー値が多くて、補完し合っているのかもしれない。

僕がなんでこんなことを書くかというと、もし構造主義栄養学なるものが出来るとすれば、パキスタンは「未開」社会だからパキスタン人はこんなものを食べているのだ、とか、アフリカは未開社会だから油のどっぷり入ったものばかり食べているんだ、というような偏見や固定観念を覆すことができるのではないだろうか、と思うからだ。自民族優位主義というのはどこの社会にもあると思うが、よく見てみると、劣っていると思われる社会にもその制度を維持する為の理由があるのではないだろうか。もし、比較方法論によって、異なる社会の食事における共通の栄養構造が抽出できれば、新たな視点が得られるのではないかと思う。

しっかり調べもしないで書いているので、僕は間違えているかもしれないけど、「郷に入れば郷に従え」という諺があるように、「全く理解できない」事柄の中にも必ず何らかの意味が横たわっているのではないだろうかという確信はある。

土曜の午後は、サッカー部の練習に参加して、そのまま中華料理屋で開かれた新入部員歓迎会に参加してきた。日曜の今日はずっと仕事をしていた。夜に食べたチキン・ニハリが美味しかった。

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↑チキン・ニハリ。辛くておいしい。左にあるのはチャパティー。奥にある生姜とパクチーとレモンと青唐辛子で、味を調節できる。
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by aokikenta | 2008-06-16 00:58 | 日記(イスラマバード)
2008年 06月 13日
updates
先週末にラワルピンディに遊びに行ってから、特に取り立てて書くことのない日常を送っていたが、アフガニスタン/パキスタンにまつわる話題がメディアで取上げられているので、少しだけupdateしておこう。

1. Paris conference
今日6月12日に、パリでアフガニスタン復興支援会合が開かれた。これで、アフガニスタンの復興の国際会議は、2002年1月の東京会合、2004年3月のベルリン会合、2006年1月のロンドン会合に続いて4回目になる。カルザイ大統領は、国際社会から500億ドルのプレッジを求めてアピールをしたようだが、アルジャジーラの報道では、150億ドルくらいになるのではないかと予想されている。アメリカは100億ドル、フランスは援助を2倍にすると約束したようだ。冷戦が終わり、しばらくの間見捨てられたアフガニスタンだが、こうして80カ国以上のドナー国を集める国際会議が開かれているところを見ると、依然としてアフガニスタンは国際社会の関心の中心にあるということだろうか。

しかし、多額の援助を受け取るアフガニスタンには沢山の問題がある。一つは援助の効率性の問題で、OxfamとACBARが発表したペーパーによれば、国際社会によってプレッジされた金額の40%が、ドナー国に還流しているという。結局、ドナー国の国際スタッフの給料やその他アドミンコストにばかりお金が使われて、アフガニスタンの末端にまでお金が届かないということだろうか。エコノミックヒットマンを思い出した。それに、アフガニスタンの援助に依存した財務体質も問題だ。BBCの報道では、2006-2007に国際社会から援助された金額は、アフガニスタンの国家収入の7倍だったらしい。腐敗の問題もあるが、これからどうやってnationalizationしていくかということが問題となるだろう(・・・ということは、僕がアフガニスタンに赴任した時から言われているが)。

ノルウェーやデンマークは、ISAF軍に自国の兵士を派遣しているが、自国民兵士の負傷者数が増加していることから「一体、僕達は何の為に戦っているの?」という声が強まり、政策を疑問視する声が強まっているという。何の為に、兵士を派遣するのか。何の為に、支援をするのか。日本を含めたドナー各国は、現実主義的なパースペクティブから人道主義的なパースペクティブから、考え直してみてもいいかもしれない。

2. Judge restoration
昨年秋に、ムシャラフ大統領によって罷免された最高裁長官らを含む裁判官が、パキスタンで大規模なパレードを行っている。ラホールからイスラマバードにデモ隊が行進をしているらしく、明日13日にはイスラマバードの大統領官邸付近に到着するのではないかと報道されている。警備を増強したり、トラックのコンテナで道を封鎖したり、緊張が高まっている。裁判官の復帰を先導しているのは、ナワズ・シャリフPML-N党首(元大統領)だ。1999年にmilitary coupで政権をムシャラフ大統領に奪われたからかどうかはしらないが、彼は、前からずっとこの問題を重視している。この問題の影響もあってか、先月、PML-Nは政権から離脱すること宣言して、PPPと決別した。この問題は、今後どう発展していくのだろうか。

3. US air strike in tribal area
昨日、アフガニスタン/パキスタンの国境付近で、アメリカが空爆を行い、11人のパキスタン兵士が死亡したと、BBCが報じている。アメリカは、タリバンが先に攻撃を仕掛けていたので、仕方のない正当防衛だったと発表しているが、パキスタン側は「アメリカがパキスタン領土に入った」ことを非難し、国家主権(sovereignity)を侵害したとアメリカを非難している。これを受けてアメリカは、珍しくビデオ映像を公表して、正当防衛であったことを主張している。

カブールのスタッフの一人がパクティア県出身で、彼が「パクティアの少し先にはパラチナル(パキスタンの都市)がある」と言っていた事を思い出した。そこに住むパシュトゥン人にとっては、アフガニスタン/パキスタンの国境なんて目に見えなくて、同じ仲間が住んでいる地域というくらいにしか考えてないのだろう。しかし、現実として国境が引かれているのだから、アメリカがパキスタン領土を侵したとしたら、パキスタンはこれを大きな問題として見るだろう。

そもそも、この問題が大きくなっているのは、パキスタンがアメリカとアフガニスタンとよく調整しないまま、タリバンと平和合意の話しを進めてしまったことにあるように思う。アフガニスタンとそれを支援するアメリカにしてみれば、タリバンがパキスタンと平和合意を結び、攻撃をしないと約束したことは、即ち、アフガニスタンの脅威が増した事を意味するのであり、その辺の関係でアメリカ/アフガニスタンとパキスタンの間で上手くいっていないのではないだろうか。元々上手くいっていなかったが、それが顕著に表面化してしまったということかもしれない。パキスタンの視点に立てば、2008年2月以降、連立政権も上手くいかないし、治安も良くならないし、内憂を抱えていたので、少しでも治安を改善しようとか国民の信頼を取り戻そうとかいう思惑があって、話を急ぎすぎたのかもしれない。それは、パキスタンの立場に立てばよくわかる話ではある。しかし、アフガニスタンにしてみれば、もうちょっと僕達も巻き込んで話しをしてくれてもいいじゃないか、という気持ちかもしれない。

アフガニスタン/パキスタン/アメリカ、もちろん、それ以外にも背後でうごめく国や集団の利害が、アフガニスタン/パキスタンを舞台として錯綜している。面白いなんて言ったら怒られるかもしれないけど、面白い。
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by aokikenta | 2008-06-13 00:23 | 日記(イスラマバード)