アフガニスタン/パキスタン駐在日記
2014-08-03T18:20:27+09:00
aokikenta
アフガニスタン事業運営の為に、遠隔操作を行うべく、パキスタンに住んでいた青木健太によるブログ(blog)です。
Excite Blog
新ホームページ
http://kaoki.exblog.jp/13677618/
2010-11-21T22:57:00+09:00
2014-08-03T18:17:12+09:00
2010-11-21T22:57:23+09:00
aokikenta
日記(東京2)
http://www.kenta-aoki.com
]]>
ご挨拶(ホームページ移転)
http://kaoki.exblog.jp/10585134/
2009-07-10T10:09:00+09:00
2014-08-03T18:20:27+09:00
2009-07-10T10:09:02+09:00
aokikenta
日記(東京2)
さて、突然ですが、ホームページを移転します。
新ホームページ: 青木健太ホームページ
URL: http://www.kenta-aoki.com
いつか少し書いたかもしれないのですが、「アフガニスタン/パキスタン駐在日記」という名前でブログをやっていると、自分自身の枠組みや思考の幅を自動的に決定してしまうような気がして、途中から疑問を感じていました。
特に、日本に帰ってからは、アフガニスタンやパキスタンとは関係のないことも沢山書きたかったのですが、やはり、どうしてもこのタイトルのままだとやりにくいものだということに気が付きました。また、このまま続けていると、更新が滞りがちになり、読んでくださる方々をお待たせしてしまうことになるのではないかという懸念がありました。それとは別に、将来的に、アフガニスタンやパキスタンとは関係のない事を発想する力が衰えてしまうのではないかという危惧もありました。こうした経緯から、新しいタイトルで、別の形でブログをスタートします。
新しいブログのタイトルは、「永遠ピースのために」。こちらのブログのタイトルはより大きなモチーフをベースにしているので、今後は、もっと自由奔放にキャンバスに絵を描けそうです。これから、こちらで更新していきますので、お暇な時にご覧頂けたら嬉しいです。
これまで、アフガニスタン/パキスタン駐在日記をいつも楽しみにお読みになって下さった方々には、心からの感謝とお礼の気持ちを申し上げたいです。本当にありがとうございました。
ただ、これで終わりではありませんので、これからもどうぞもよろしくお願いします。
アフガニスタン/パキスタン駐在日記管理人
注記
※このブログの更新は今後ありません。
※ホームページもありますので、よろしければご覧下さい。
タイトル: 青木健太ホームページ
URL: http://www.kenta-aoki.com/
]]>
exit strategy
http://kaoki.exblog.jp/9897012/
2009-03-23T17:51:00+09:00
2009-03-23T17:57:28+09:00
2009-03-23T17:53:04+09:00
aokikenta
日記(東京2)
"What we're looking for is a comprehensive plan [for Afghanistan]"
(我々が求めているのは、[アフガニスタンに対する]包括的な計画だ)
"There's got to be an exit strategy"
(出口戦略がなくてはならない)
と発言したというのが出ていた。
BBC news: Obama ponders Afghan 'exit plan'
いかにアメリカが超大国だとは言え、何万人もの兵隊を
半永久的に海外に駐屯させ続けることは不可能だ。
しかも、金融危機に陥ってしまって、まずアメリカ国民へ生活の保障を
しなければならない時だというのに、安全保障費や軍事費を拡大する
というのは国民にとっては理解できないだろうし、財政的に難しい選択肢だ。
そう考えると、まず、イラクを縮小して、その分をアフガニスタンに投入し、
その次に来るのは、アフガニスタンにいる兵力を縮小ということになるだろう。
しかし、その中でアメリカ政府にとって一番重要なのは、
そもそもアメリカはなんでアフガニスタンを攻撃したのかを明確に示しておくことだ。
それがなくなってしまうと、アメリカは自分たちが始めた戦争にも関わらず、
戦争を始めた理由がわからない、というパラドックスに陥ってしまう。
オバマ大統領は、
いやー、前の責任者が始めちゃったからどうしようもないんだよね、とか、
引き継ぎを受けただけなのでよくわかりません、とかは一切言わずに、はっきりと
「アメリカ本土とその国益と同盟国がテロの脅威にさらされない事が一番重要だ」
と述べている。
オバマ大統領は、譲ってはいけない事と、言わないでいい事(これが重要)を区別して、
国民を納得させるレトリックだけを選択して使っているのだと思う。
そして、未来永劫、莫大な軍事費を支払い続けられないということを
よく理解していることも、今回の発言から見て取れる。
いやー、アメリカは層が厚いですな。
]]>
30歳になりました
http://kaoki.exblog.jp/9738918/
2009-03-02T12:32:00+09:00
2009-03-02T12:34:16+09:00
2009-03-02T12:33:40+09:00
aokikenta
日記(東京2)
29歳と30歳の気分的な違いは大きいです。
孔子は、30にして立つ、と言いましたが、
自分がしっかり両足で立てているのか自問自答したりします。
ちょうど良い機会なので、もう一度気を引き締め直して、
30歳の1年間で目標を達成することが出来るようにします
(したいと思います、だと達成できないような気がするので・・・)。
普段、あんまりブログを更新してないで、
ご心配をお掛けしているかもしれませんが、
これからもどうぞ宜しくお願いします!]]>
ちょっとだけカスタマイズ
http://kaoki.exblog.jp/9554930/
2009-02-07T03:50:22+09:00
2009-02-07T03:51:25+09:00
2009-02-07T03:51:25+09:00
aokikenta
日記(東京2)
少し軽くて明るい感じに変更してみたが、どうだろうか。
テンプレートではないオリジナルのスキンにするには、
CSS(Cascading Style Sheet)というのをいじくらないといけない。
僕もよくわからないが、少し独学で勉強してみてやってみた。
一見うまくいっているように見えて、実は変なところで不具合があったりして。
何もなければいいのですが・・・。
]]>
その後の反響など
http://kaoki.exblog.jp/9426308/
2009-01-17T00:08:00+09:00
2009-01-17T00:18:59+09:00
2009-01-17T00:08:59+09:00
aokikenta
日記(東京2)
スタジオの中で議論されている事の間に距離があり過ぎて、
悔しさを通り越して諦めに近い感情を持つようになっていたけど、
昨日、番組を見たアカデミアの方から、
「極端な意見の人が多かった中で、
バランスが取れた発言をされていて印象に残りましたよ」
と声をかけられた。
素直に耳を傾けて下さる方がいらっしゃったことに対して嬉しく思ったし、
同時に、見ている人はちゃんと見ているんだなと少し報われた気がした。
その他にも、番組見ましたよと何人かの方から仰って頂いた。
おかげで、卑屈になって自分の殻に閉じこもらずに済んだ。
どうもありがとうございました。]]>
tokyo monochrome 2
http://kaoki.exblog.jp/9408142/
2009-01-14T00:47:00+09:00
2009-01-14T01:12:53+09:00
2009-01-14T00:47:59+09:00
aokikenta
日記(東京2)
観に行ってきた。原題は「Body of Lies」だそうだ。
アメリカの言う『テロとの戦い』は、根本的な部分で何かがおかしいということを
原作を書いたジャーナリストは指摘したいのだろう。根本的というとあいまいだが、
イスラム過激派もアメリカ民主主義も、どっちも原理主義の両極端だよね、
というのが映画の根底にあるメッセージのような気がする。
この2つのエクストリームの折り合いを、どうつけていけばいいのだろう。
そして、日本人は、僕は、それに対して何ができるのだろう。
ハリウッド映画でこういう題材を真剣に取り上げるというのは、
そういった問いの答えに近づく為に、何よりもすばらしい実際的な活動だと思う。
永遠に続いた帝国は、歴史上存在しない。
パクス・アメリカーナも、永遠には続かない。
それは、2009年の現時点ですら、自明なことだというものを。
↑渋谷スクランブル交差点(2009年1月12日撮影)
↑ダルラマン宮殿(2007年4月14日撮影)]]>
自己治癒、或いは、ディベートをする為の準備運動としての論考
http://kaoki.exblog.jp/9383730/
2009-01-10T14:32:00+09:00
2009-01-10T21:44:52+09:00
2009-01-10T14:32:29+09:00
aokikenta
日記(東京2)
出来る事がわかったので試してみたが、どうだろうか。
「論考001」という所をクリックすると、PDFが開く(はず)。
たまにはこういう形式も面白いかな?
ちなみにファイルが778KBあるので、通信環境が悪い方には、
ちょっとキツいかもしれないです。。。
なかなか開かない場合は、少し気長に待ってみてください。
論考001 (778KB、PDF)]]>
年始のご挨拶
http://kaoki.exblog.jp/9333516/
2009-01-03T00:31:00+09:00
2009-01-03T00:38:02+09:00
2009-01-03T00:32:57+09:00
aokikenta
日記(東京2)
謹賀新年。
皆様、あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
2009年も、引き続き、何卒宜しくお願い申し上げます。
(写真は、パキスタンでブル・レース鑑賞に行った際に撮ったものです。「牛突猛進」の勢いある2009年をイメージしつつ・・・。)]]>
確かなもの
http://kaoki.exblog.jp/9284416/
2008-12-26T07:18:00+09:00
2009-01-01T22:47:52+09:00
2008-12-26T07:19:53+09:00
aokikenta
日記(東京2)
こうした時代に国民から求められるものは、何かしらの「確かなもの」だと思う。何か安心感や心の拠り所を与えてくれる確かなもの。それは、安定した生活かもしれない。揺るぎない確信を与えてくれる精神的な何かなのかもしれない。でも、このまま金融危機が続くのであれば、そういうものを求める人は2009年には間違いなく増加するだろう。
例えば、国家主義のような兆候は、増加する傾向にあるだろう。愛国主義的な発言をする政治家や評論家がもてはやされるようになるだろうし、それをもてはやす新聞があるだろう。国家公務員に就職をする若者も増えるようになるかもしれない。内定取り消しというニュースが騒がれていたが、企業に就職しても終身雇用を保障してくれるとは限らない時代になった。派遣社員は解雇され、外国人労働者の首はどんどん切られている。そうなると親方日の丸が安心だから就職人気が高まるようになるのではないだろうか。
他にも、新興宗教や自己啓発セミナーのブームがやってくるかもしれない。不安定な生活の中でも確かだと感じられるもの。こうした状況下で、人類は歴史の中で宗教を求めてきたが、それはいつの時代も変わらないだろうと思う。圧倒的なカリスマ性。それさせあれば、言っていることや主張が正しくなくても、かまわないのだと思う。だって、多くの人はそんな難しいことを考えずに、ただ安心感や救いを得たいだけなのだから。
本当は、確かなものを与えられる役割を担うべきなのは政治家なのだと思う。しかし、今の日本ではそこまでの求心力を持っている人がいない。そして、国民の多くも事態をそこまで深刻に考えていない。なんとなく、テレビ番組に出ている有名タレントの言っていることを、思考停止状態で聞いている。仲間内で同じような言葉使いをすることで、一種の連帯感を得ようとする。
バナナダイエットが流行っているという報道でバナナが市場から消えてしまう国で、バラエティ番組やテレビドラマ以外に共同幻想や物語を体感できない国で、社会不安が全体を覆っている。本来的には、社会学とか心理学とかおよそ社会科学系の学問というものは、こういう時代にこそ活躍するべきなのだと思う。情勢を分析した上で何らかの未来予測を提示すべきなのだと思う。しかし、あまり役に立っているとは思えない。それは悲しいことだ。
未来がどうなっていくかは誰にもわからないけれど、「蒼天既に死す」と漢の没落を憂いて現れた黄布族とそれに続く三国時代のように、あるいは明治維新期に多くの才能ある若者が現れたみたいに、時代を憂いてそれぞれの手段で立ち上がる人が増えれば、緩やかに時代は変わっていくだろうと思う。そして、新しく多様な生き方というものが生まれてくるに違いない。その中の一つの選択肢として、開発援助とか社会貢献の仕事というものがあったなら、それはそれで面白いと思う。多様な生き方や考え方の人がいれば、それだけ社会は柔軟になっていくはずだろう。世界は多様性で構成されているのだから、長い目で見たらそれが正しい帰結のはずだ。]]>
hong kong monochrome
http://kaoki.exblog.jp/9237848/
2008-12-19T01:34:09+09:00
2008-12-19T01:35:05+09:00
2008-12-19T01:35:05+09:00
aokikenta
日記(東京2)
→香港的夜景(2008年12月18日撮影)
]]>
戦士たちの貌:アフガニスタン断章
http://kaoki.exblog.jp/9146380/
2008-12-06T00:12:33+09:00
2008-12-06T00:13:27+09:00
2008-12-06T00:13:27+09:00
aokikenta
日記(東京2)
彼女はいつも怒っている。
私は真剣だった。そして、貧乏旅行者たちはみんな真剣だった。誰もが多かれ少なかれ、日本に帰ることを恐れていた。旅行中の感興など、日本に帰れば意味のないことを、心の底ではよく知っていた。日本でどう生きていけばいいのか分からない連中が多かった。そもそも自分がどう生きていけばいいのか知っている人が、この日本にどれくらいいるのだろう。
(P.10、南条直子『戦士たちの貌:アフガニスタン断章』径書房、1988年)
旅先で、どうしてアフガニスタンに行きたいのか、と質問されてこう答える。
「だいたい、どうしてアフガニスタンに行きたいの。あなたに何の必然性があるの。」そう言われて、私は黙り込んだ。一人の人間の必然性が、そんなに簡単に説明つくのか。そんなに簡単に尋ねられることか。
(P.22、同上)
どうして写真を撮るのか、自問自答してみる。
私が山谷に住んだのは、ただ人々の姿が絵になるからだった。チベットのラマ僧のように彼らには深く刻まれたしわは絵になる。どんなに群衆になっていても一人一人が、一人ずつの人間に見える。カメラを持ったらカッコイイ人間の写真を撮りたいじゃないか。
(P.282、同上)
多くの人が当たり前だと感じていることに対して、何かおかしいのではないかと思うこと。とても共感するし社会が柔軟性を保つ為にはそうした多様性は非常に重要なことだと思うのだが、社会のマジョリティーはそれに気がつかない。気がつかないどころか、あの人の言っていることは変じゃないかと後ろ指を差し始める。そして、マイノリティー側にいる人はマジョリティー側にいる人との間に距離を感じ、心を閉ざしていく。それに伴って、社会も閉塞化して、均一化してつまらなくなっていく。
彼女の本をもっと読んでみたいと思った。
出版されている南条直子の活字本は、この世に一冊しかない。
]]>
白夜行/幻夜
http://kaoki.exblog.jp/9131834/
2008-12-04T01:13:00+09:00
2008-12-04T01:23:01+09:00
2008-12-04T01:14:12+09:00
aokikenta
日記(東京2)
読んだことのない人もいると思うので内容は書けないが、「白夜行」の方は最初の話からクライマックスまで19年かかる壮大なストーリーで、読み終えた後にある種の達成感と切なさが残る。一方、「幻夜」の方は、登場人物の内面を描写しないハードボイルドなスタイルで書かれている「白夜行」の視点と少し違い、登場人物の性格が伺い知れる書き方や、登場人物同士の会話を中心とした人間同士のつながりが描かれていて、前作よりも人間に焦点が置かれている。
「幻夜」を読んだ後、多くの人は女性不信になると思う。また、世の中は正直に生きても報われないんだなと思ってしまう人もいるかもしれない。しかし、エンターテイメントとしてはとても面白い。
東野圭吾は書くのが早い。過去の作品数を見てみると、まだ若いのに相当数書いている。文豪と言われる夏目漱石や森鴎外などが一生のうちに残した作品は、東野圭吾などの流行りの小説家と比べて圧倒的に少ない。
そういう意味では、東野圭吾は音楽に例えれば、ヒット作をどんどん量産するポップ音楽プロデューサーのような存在かもしれない。反対に、今でも読まれる夏目漱石は、自分の内面を深く掘り下げた歌を歌うシンガーソングライターや真実を追求するアーティストに例えられるかもしれない。片方のファンからは、もう片方の作品は受け入れられなく、また逆のパターンもvice versaだ。そこの間には大きな溝が横たわっている。
重要なのは、50年後、100年後になっても、まだ多くの人に読まれているかどうかである。夏目漱石の小説は100年以上経った今でも幅広く読まれるし、ビートルズやレッド・ツェッペリンの歌も、50年近く経った今でも若者を熱狂させる。
今、本屋に平積みされている本の多くは、100年後にどれくらい広く読まれているだろうか。そんなことを考えながら本屋に並ぶ本を見てみるのもおもしろい。]]>
希望の国のエクソダス
http://kaoki.exblog.jp/9099162/
2008-11-30T03:25:00+09:00
2008-12-01T18:17:30+09:00
2008-11-30T03:12:26+09:00
aokikenta
日記(東京2)
何事も枠にはまりたくないのだが、自分で作った枠に自分で嵌ってしまった気分だ。言葉が物事の認識に果たす役割は非常に大きい。例えば、子供が「くるま」という言葉を覚えた時には、「くるま/非くるま」という二項対立によって世界の分節を覚えているとも言える。そういう意味では、意識的にせよ無意識的にせよ、言葉にして言ったことや決めたことには、それを言った本人をも拘束したり思考の枠を作ってしまうことにもなりかねないわけだ。
そう考えたら、祈祷とか呪いとか、非科学的だと思われるようなことも、我々の住む世界でも十分に存在し得ると思う。むしろ、そういう非科学的な部分の方がわかりやすいことが占める部分よりも大きいのではないだろうか。現代世界ではイスラム教がその役割を果たしているのかもしれない。話がそれた。これからは、表現の舞台ももう少し工夫しないとなぁと思ったりしてみた。
ところで、日本に帰ってきて3か月以上経ち、気がつけば11月も終わり明日から12月だ。カブールでは毎年11月の終わりから、12月の頭くらいに雪が降っていたので、そろそろ初雪が降る頃だろうか。東京も結構寒くなってきた。
帰ってきてから読んだ本に、わかるなぁそれ、という文章があった。
関口さん、ペルーは貧しいしリマのスラムは不潔だし軍隊は威張っているし教育水準は低いし住むのは本当に大変だけど、何て言うか、あの空気なんですよ。空気。乾いていて、朝とか寒さがピンと張りつめていて、青臭いことを言うようだけど自分のからだと世界の境界線がはっきりするような気がするんです。自分がここにいて、からだの輪郭を包むようにして世界がその周囲にあるって当たり前のことですけどね、はっきりとしているんです。日本にいるととても過ごしやすいです。何となく暖かいし、自分と世界の境界が何となくぼんやりとしていて、楽です。十二歳のゲリラにライフルで撃たれることもない。でもときどき自分が本当にここにいるのかどうかってことが曖昧になってしまうことがあるんです。自分のからだと、外側の世界の境界がはっきりしない。自分の体が溶けてしまって自分のからだを確認できないような感じがするときがあるんです。外側というか、自分のからだ以外のものと自分がどこかで接しているという実感がないと、自分のことを確認できないんじゃないですかね。
(P.354-355、村上龍『希望の国のエクソダス』文芸春秋、2002年)
うんうん、なんとなくわかるって感じがしないだろうか?日本にいて感じていたことを上手く言ってくれているような気がした。こういうのは現場から日本に帰ってきた人が、よく感じる感覚なのだろうか?
ちなみに、他にも面白い言葉があった。
この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。
(P.314、ポンちゃんの言葉)
「あの国には何もない、もはや死んだ国だ」
「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある」
(P.12、ナマムギの言葉)
ナマムギというのは、本の冒頭に登場する、アフガニスタンとパキスタン国境付近の部族地域でパシュトゥン人の村人と一緒に地雷処理をしている16歳の少年だ。彼がテレビでこのような発言をし、CNN記者からの質問にも答えず「ナマムギ、ナマゴメ、ナマタマゴ」と言うや、日本の中学生たちがその姿に憧れて、彼を「ナマムギ」と呼んで英雄視するようになる。そして、日本の中学生たちが閉塞した日本でエクソダスをはじめる。
ナマムギというのはいったい誰だったのだろう?
モデルがいるようでもあり、架空の人物のようでもあり、そして、僕でもあり貴方でもあるような気がする。
]]>
tokyo monochrome
http://kaoki.exblog.jp/9078712/
2008-11-27T19:00:14+09:00
2008-11-27T19:01:05+09:00
2008-11-27T19:01:05+09:00
aokikenta
日記(東京2)
→銀座4丁目交差点(2008年11月16日撮影)]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/