2008年 12月 06日
戦士たちの貌:アフガニスタン断章
余り知られていないが、1988年にアフガニスタンのナンガルハル近くで、地雷を踏んで亡くなった南条直子(享年33歳)という写真家がいる。彼女は、日本では山谷の取材などをしていたが、インドに放浪旅行に行ってからパキスタン、アフガニスタンにのめりこんで行き、ムジャヒディンに同行してアフガニスタンの取材をして、本と写真集を出版した。

彼女はいつも怒っている。

私は真剣だった。そして、貧乏旅行者たちはみんな真剣だった。誰もが多かれ少なかれ、日本に帰ることを恐れていた。旅行中の感興など、日本に帰れば意味のないことを、心の底ではよく知っていた。日本でどう生きていけばいいのか分からない連中が多かった。そもそも自分がどう生きていけばいいのか知っている人が、この日本にどれくらいいるのだろう。
(P.10、南条直子『戦士たちの貌:アフガニスタン断章』径書房、1988年)

旅先で、どうしてアフガニスタンに行きたいのか、と質問されてこう答える。

「だいたい、どうしてアフガニスタンに行きたいの。あなたに何の必然性があるの。」そう言われて、私は黙り込んだ。一人の人間の必然性が、そんなに簡単に説明つくのか。そんなに簡単に尋ねられることか。
(P.22、同上)

どうして写真を撮るのか、自問自答してみる。

私が山谷に住んだのは、ただ人々の姿が絵になるからだった。チベットのラマ僧のように彼らには深く刻まれたしわは絵になる。どんなに群衆になっていても一人一人が、一人ずつの人間に見える。カメラを持ったらカッコイイ人間の写真を撮りたいじゃないか。
(P.282、同上)

多くの人が当たり前だと感じていることに対して、何かおかしいのではないかと思うこと。とても共感するし社会が柔軟性を保つ為にはそうした多様性は非常に重要なことだと思うのだが、社会のマジョリティーはそれに気がつかない。気がつかないどころか、あの人の言っていることは変じゃないかと後ろ指を差し始める。そして、マイノリティー側にいる人はマジョリティー側にいる人との間に距離を感じ、心を閉ざしていく。それに伴って、社会も閉塞化して、均一化してつまらなくなっていく。

彼女の本をもっと読んでみたいと思った。

出版されている南条直子の活字本は、この世に一冊しかない。
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by aokikenta | 2008-12-06 00:12 | 日記(東京2)


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