2008年 07月 29日
断章2
しかし、1994年当時に一部のアフガニスタン民衆がタリバンの快進撃を迎え入れたからといって、
彼らが正義であると断言することは出来ないし、タリバンがその後に行ってきたことを考えれば
その断定は間違いであるとすら言える。
端的に言えば、シャリアを元にした国家を建設するといいながら、実際はムジャヒディンwarlordと
差して変わらない、あるいは、もっと酷い事をしたエビデンスというのはいくらでもある。

タリバンが1997年にハザラジャートにつながる全ての道路を封鎖し、
中央高地に住むハザラ人への全ての援助を妨害した事や、1998年のタリバンによる
ウズベクとハザラの虐殺など、例を挙げれば枚挙に暇がない。

それに、これはよく知られたことであるが、超原理主義であるタリバンが行った
いわゆる「人権侵害(人権という発想自体が西欧から生まれたものなので、それを
侵害したから良いとか悪いとかは判断できないが)」は特筆すべきものだ。
彼らは庭園でフラワーを眺めるくらいのエンターテイメント以外は全て禁じたし、
女性への教育や、女性が男性の同伴なしに外を歩くことすら認めなかった。
Adulteryに耽溺したものをスタジアムで数千人の群集が見守る中、見せしめの為に
石をぶつけて処刑することもあったと言われている。

しかしながら、当時の状況を考えることなしにタリバンを断罪するのは、第二次世界大戦
当時の時代情勢を考慮せずに、現代の尺度で戦争犯罪を裁く様子に似ている。
国民の英雄と担ぎ上げられているアフマド・シャー・マスードだって、1993年~1995年に
カブールでハザラ人を大量に虐殺したし、1997年にはハザラ人がタリバンへの虐殺を行った。

外部からの干渉で言えば、1998年8月にケニアとタンザニアで起こったアメリカ大使館へのテロの直後、
クリントン大統領はスーダンの化学兵器工場とアフガニスタンのテロリスト・トレーニング場と思われる施設めがけて
トマホークミサイルを撃ち込んで報復した。これだって、アメリカからすれば「正義」であるのだろうが、
スーダンとアフガニスタンの「テロリスト」という烙印を押された人々からすれば「悪」としか映らないだろう。

マスードの正義。
ハザラ人の正義。
ウズベク人の正義。
タリバンの正義。
アメリカの正義・・・etc。

ある正義を信じれば、その他の正義は悪になる。
反対に、別の正義を信じれば、その「ある正義」は悪のラベルを貼られる。
結局、正義は一つではないのだ。
外部者の物差しで何が正しいのか、そして何が間違っているのかと言ってみたところで
現地の事は現地の人達が時間をかけて解決するしかないのだ、という結論は至極もっともなものだと思う。
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by aokikenta | 2008-07-29 01:01 | 日記(イスラマバード)


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