2008年 07月 26日
断章1
1992年にナジブラー政権が崩壊して以降、アフガニスタンは
複数の軍閥によって覇権が争われる群雄割拠の時代に突入した。

北部では、ウズベク人のドスタム将軍が6つの州を支配下に置き、パシュトゥン人の
ヘクマティヤールとともにカブールのラバニ政権を共同で攻撃することを約束していた。
中央高地のバーミヤン付近と中央地区の一部では、ハザラ人のアブドゥル・アリ・マザリが
他の民族からの侵略から自分達を守るべくハザラ人をまとめあげていた。
タジク人の英雄、アフマド・シャー・マスードはタジキスタンからの支援を得て、
パンジシール渓谷から北部を中心に、勢力を維持しようと努めていたが、勢力の衰えは否めない。
カンダハールでは、複数のパシュトゥン人軍閥が共存している状況で、
これら全てがLocal contextを全て表しているわけでは到底ない。
もはや、外部の人間では各グループの力の均衡がどうなっているのかわからないほど、
お互いの利益、権力を求めた利害が複雑に錯綜している状況だったのである。

そんな中、パキスタンのアフガニスタン国境沿いにあった難民キャンプの
マドラサで育った神学生を中心としたタリバンが、アフガニスタンの歴史に登場する。

1994年の春、カンダハルのあるコマンダーが2人の十代の少女を連れ去り、ミリタリー・ベースに
連れ込み、繰り返しレイプを行っているとの報告がムッラー・オマルにもたらされた。
ムッラー・オマルは、すぐさま16丁のライフルを持った30人の神学生を選びベースに送り込んだ。
選ばれた神学生達はそのコマンダーを攻撃し、少女を解放、少女を誘拐したコマンダーを
戦車の砲身から首吊りにした。オマルは言った。
「我々はモスリムに対抗するものに対して戦う。女性や貧しい者に対する犯罪にどうして黙っていられようか」(注1)
これは、混沌としたアフガニスタンに突如現れたタリバン、シャリアを元にして
ムハンマドが生きていた時代のメッカやメディナの社会の再現を理想に掲げた神学生集団、
という現象を神話的に語る際に頻繁に持ち出されるようになった象徴的な事件である。

そして、1994年10月のスピンバルダックでのヘクマティヤール軍との戦闘を皮切りに、
1998年までにはタリバンは、カンダハール、ヘラート、マザリシャリフ、カブール、バーミヤンを
含めたアフガニスタン全土に迫る地域を占領した。サウジアラビア、パキスタン、UAEの
3カ国しかタリバン政権を正当には認めていないものの、ムジャヒディンの横暴に嫌気が
差していた90年代前半のアフガニスタン民衆の心情を考えると、出来るべくして出来た政権であった。

(注1) Ahmed Rashid (2000), Taliban: Militant Islam, Oil and Fundamentalism in Central Asia, U.S.A.: Yale University Press, p.25
[PR]

by aokikenta | 2008-07-26 16:06 | 日記(イスラマバード)


<< 回顧2      回顧1 >>