2008年 05月 01日
植民地主義的会員制クラブとグローバル化時代の対話(dialogue)
ハウスメートのデンマーク人から「カナディアン・クラブに泳ぎに行こう」と誘われて、水着もゴーグルもないしどうしようかなぁと迷っていたら、「プールサイドで小説を読んでるだけでもいいじゃない?」と彼女が言うので、同僚を含めて3人で行く事にした。カナディアン・クラブというのは、Diplomatic Enclaveという外交団が居住・仕事をしているエリアにある会員制クラブで、ジムやパブやプールやレストランが整っている、外界とは切り離された場所だ。会員制クラブというくらいだけあって、本来なら会員じゃないと入れないのだが、会員は3人まで友人を招くことが出来るシステムになっている。前にも、同じデンマーク人の女性から誘われて、木曜日のハッピー・アワーに言った事があったので、今回は2回目だった。仕事が終わって、夕方5時頃にでかけることにした。

SUZUKIのアルトに鮨詰めになってカナディアン・クラブに到着すると、シリア人の女性が待っていた。僕のハウスメートは彼女と知り合いで、形としては、そのシリア人の彼女が会員なので、彼女がホストして3人の友人を連れて来たという事になるようだ。入り口にある、空港にありそうな金属探知機を潜り抜け、ボディーチェックを終えると、広々とした中庭があるパブが目の前に広がっている。入って右手には、イギリスでよく目にしたような重厚な木で作られた雰囲気のいいバーがあり、左手には15メートルくらいのプールがある。プールサイドには、パラソルが付いた椅子と机が10セットほどもあって、広々とした空間があってゆっくりとくつろげるようになっている。夕方と言えども、イスラマバードは午後7時近くまで明るいので、本を読む事は十分に出来た。まだ5月だけど、日中のイスラマバードは日差しがきつくて、日射量が多くて、眩しい事この上ない。事務所にいると目が暗さに慣れてしまうので、目が潰れそうになってしまうくらいだ。だから、夕方くらいの日差しが読書には丁度いい。

僕は余り泳ぐ気分でもなかったので、プールサイドにあるリクライニング・チェアに横になりながら、井筒俊彦の『イスラーム文化』を読み始めた。彼の文章は格好よくてすごく好きだ。『イスラーム生誕』を読んだけど、彼が若い頃に書いたという第一部の「ムハンマド伝」は、アラビア文学への一途な好奇心や、彼のイスラーム研究への愛情が伝わってくるし、イスラム教が生まれた当時の背景がよくわかる。イスラム教というのは砂漠の宗教などではなく、むしろ、砂漠のベドウィン達の精神世界と二項対立を成す宗教なのだと彼は言い切る。砂漠のベドウィンは酒と女と戦闘にあけくれる刹那的快楽主義者だ。それに対して、イスラム教はそうした生活をしていると世界の終わりに君達には救いがもたらされないのだぞ、と終末論を彼らに掲げることで、唯一神であるアッラーへの絶対的帰依を説くのである。他にも、セム系の宗教であるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の関連や比較なども面白い。日本に帰って『イスラーム生誕』と『イスラーム文化』と『意識と本質』の3冊を買ってきたので、後の2冊を読むのが楽しみだ。

日本ではジョン・パーキンスの『エコノミック・ヒットマン』(原題は"Confessions of an Economic Hit Man")も買ってきて、昨日読み終わった。ジョン・パーキンスはメイン社というコンサルティング会社で働いていたチーフ・エコノミストだった人だ。開発途上国の発展予測をして、この国に投資をすればこの国の経済はこれくらい大幅に伸張する、と分析結果を出す。そうすることで、投資の正当性を裏付けて、アメリカ企業へ土木工事やインフラ整備などの仕事を請け負わせる手伝いをするのだ。

「(エコノミックヒットマンの使命は)
第一に、巨額の国際融資の必要性を裏づけ、
大規模な土木工事や建設工事のプロジェクトを通じて
メイン社ならびに他のアメリカ企業・・・(略)・・・に資金を還流させること。

第二に、融資先の国々の経済を破綻させて(もちろん
メイン社や工事を請け負った企業に金を支払わせた上で)、
永遠に債務者のいいなりにならざるをえない状況に追い込み、
軍事基地の設置や国連での投票や、石油をはじめとする
天然資源の獲得などにおいて有利な取引を取り付けることだ。」

(ジョン・パーキンス『エコノミック・ヒットマン』東陽経済新報社、P.47)


そして、エコノミックヒットマンの仕事が上手く行かない時には、「ジャッカル」という政府から派遣される殺し屋が暗躍して、アメリカという帝国が存続するように、邪魔な存在を消してしまうという。本の中には、世界銀行とかIMFとかUSAIDとかアメリカの石油会社などが実名で出ていて、非常に信憑性が高い。しかし、いくら表現の自由がある国とは言え、こういう反政府的な本が出版出来る土壌というのは、中国やパキスタンなら監獄行きは免れないとしても、日本的感覚からしてもすごいと思う。彼がジャッカルに殺されないかどうかが心配だ。

あと心配事と言えば、筆者にエコノミックヒットマンとしての心得を説いたクローディンという名前のブロンドの美女が文中に登場するのだが、日本語版で読んだ限りでは、ジョン・パーキンスとクローディンの間に肉体関係があったのかどうかがよくわからなかった。どうしてこんな事を書くのかというと、彼が後々になってもしきりにクローディンのことを思い出して、彼女の幻影を追い求める場面が出てくるからだ。不適切な関係があったような気がするのは僕だけだろうか。第15章の「サウジアラビアでのマネーロンダリング」では、サウジアラビアでの工作が上手くいくようにブロンドの美女をプリンスに斡旋したという下りがあって、ここまでやるんだなぁ、映画みたいだなぁと妙に感心した。その後、彼の工作が上手く言ってメイン社は大規模な仕事を取ることになったのだが、事業を始める際に物資を緊急で運ばなければならなくなって、結局、飛行機を一機チャーターして物資を運ぶことになった。「いっそのことユナイテッド航空機をチャーターして、サウジアラビアを抱き込むのに重要な役割を担った例の女性の夫が操縦するなら、まさに適役だろうなどと私は思っていた」(P.165)には笑った(上のブロンド美女の夫はユナイテッド航空のパイロットなのだ)。

本を読んでる途中で、ハウスメートの彼女が赤みがかったペール・エールを持ってきてくれた。美味い。僕は、FostersやHeinekenなどのラガーと呼ばれる薄いビールと、Guinessなどのスタウトという黒いビールの中間にある、Kilkennyなどのビターとかペール・エールと言われる赤みの混じった少しネットリとしたくらいのビールが大好きだ(paleという言葉自体が、色合いが濃くなくて、どちらかと言えば淡くて光が混じっている様子を表す言葉なので好きなんだけど)。カナディアン・クラブのプールサイドで、リクライニング・チェアに横になって、ペール・エールを読みながら、本を読むのは最高の気分だった。

しかしながら、正直なところ、カナディアン・クラブの内側の世界と外側の世界との間にある隔離は、エコノミック・ヒットマンでジョン・パーキンスが指摘している世界の歪みや構造的欠陥を象徴しているような気がしていた。得る者は得たままで、失う者は失ったまま。新植民地主義という言葉があるのかどうかはわからないが、植民地主義的なもの、帝国主義的なものは、依然として世界には存在し続けている。現代の世界ではグローバル化が進んでいて、人も物もお金も情報も一世代前とは比較にならないくらい自由に国境を越えて行き来するようになっている。便利になって一部の人間にとっては好都合なのかもしれない。しかし、経済のグローバル化が進むことで、恩恵を受けられない人は増大をしており、それは開発経済学とか平和学で取り上げられる大きな問題になっている。

「テロとの戦い」という言葉が「冷戦」に取って代わられて、イスラム教世界と西欧世界が二項対立のような形で論じられることが多くなった。冷戦が50年やそこら続いたことを考えると、向こう数十年は「テロとの戦い」というシナリオは続けられるのかもしれない(ちなみに、アラブのべドウィン達が送っていた酒と女と戦闘にあけくれる快楽主義的な生活、井筒俊彦によるところの「無道時代(ジャーヒリーヤ))というのは、現代のアメリカ社会を僕に連想させる。ムハンマドはそうしたベドウィン達を救済する為に「預言者(ナビー)」或いは「使徒(ラスール)」として神の啓示を携えて現れたわけだが、ムハンマドが起こした宗教イスラームは現代世界を無道主義や刹那的快楽主義から救おうとしているのだろうか。少なくともアメリカに反対するムスリム達にはそういう意識があるのかもしれない。そう考えると、僕には、西欧社会が先進的なのかどうかということがよくわからなくなってきた。)

僕達が生きている間に、世界帝国であるアメリカに対抗する勢力についての知識を得ておくこと、そして、その勢力との間に対話(ダイアログ)をもたらすことのできる能力を身に着けておくことは非常に重要になるし、そういう能力がなければもはや生き残って行けないだろう。その勢力は、イスラム世界かもしれないし中国かもしれないしインドかもしれないしアジアかもしれないラテンアメリカかもしれないしアフリカかもしれない。地球防衛軍対宇宙人という構図かもしれない(ジャンプする為に筋肉がいるように、発想のジャンプにも筋肉がいるので普段から練習してるだけです)。誰にもわからないが、流れを読んでそちらの方向に身を委ねる事はできる。どんな小さい会社だってNGOだって、反対に大きな組織だって、時代のニーズと存続とは切っても切り離せない。50年、100年後の世界像がパッと目に浮かんだ時、僕達は未来に向けて何かとてつもなく大きなことが出来るかもしれない。

暗くなってきたのでクラブの中で晩御飯も食べることにした。僕はBLTを頼んだ。久しぶりのベーコンは美味しい(ベーコンは豚肉なのでパキスタンではなかなか食べられない)。午後9時前まで雑談をしてから、席を立った。行きに厳重なセキュリティー・チェックを受けたカナディアン・クラブの門を出て、白い軽自動車に向かう途中で、「Now, we are going back to reality(さぁ、現実に戻らなくちゃ)」とつぶやいたら、ハウスメート達は笑っていた。Going back to reality。さぁ、現実に戻らなくちゃ。





(参考文献)
井筒俊彦『イスラーム生誕』中公文庫BIBLIO
ジョン・パーキンス『エコノミック・ヒットマン』東洋経済新報社
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by aokikenta | 2008-05-01 21:41 | 日記(イスラマバード)


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