2008年 02月 04日
"I hope u start work with good health"
今朝、カブールにいるスタッフに「Good morning」とスカイプのチャットメッセージを送ったら、「Good morning! I hope u start work with good health」という答えが返ってきた。I hope u start work with good healthって・・・、すごい相手に対する思いやりに溢れた年始の挨拶みたいで大袈裟だなと思ったが、これは恐らく頭の中でダリ語を英語に直訳した際に起こったのだろう。しかし、僕は、これがダリ語あるいはパシュトゥ語と英語の間に存在する根深い溝のようなものを示唆しているような気がした。

Yさんに薦められてまだ読みかけのEmma Duncan著"Breaking the Curfew"にこんな文章があった。英語・ウルドゥ語の両方の紙面を出版している新聞社の編集者が、Emma Duncanとのインタビューで言ったコメントの部分。分かりやすいのでワン・パラグラフそのまま引用させてもらおう。

"English is better than Urdu at logical argument. An editor from a newspaper group which published both Urdu and English papers told me that they had tried translating leading articles from the Urdu papers for publication in the English ones. They sounded ridiculous, he said. Urdu wins arguments not through logic but by the use of successful metaphors, often religious, that sound intuitively right. An Urdu leader may clinch its point by closing with a couplet. Conversely, the cool, plodding logic of English leaders would not convince an Urdu audience."
(P.29、強調は僕)

ウルドゥ語では、論理ではなく上手い比喩によって議論に勝つ。

僕はこれを読んで、アフガニスタンとパキスタンのナショナル・スタッフとの日々のやりとりがまざまざと思い返され、思わず膝を打って納得した。Emma Duncanはウルドゥ語の話しをしているが、これは、おそらくダリ語とパシュトゥ語にも適用できるのではないだろうか。いくら説明をしてもイマイチわかってもらえないこととか、論理的にどう考えても正しいと僕が思っていることでもよく理解してもらえないことか、何故かしらそういうことが現地スタッフと話しているとあるのである。例えば、提携団体との関係を考える時に、ナショナルスタッフは「僕らは兄弟だから」とか「兄弟だったらそういうことはしないだろう」とか、そういう比喩をよく用いる。他にも、何か新しい規則を施行しようという時に(往々にして、ナショナルスタッフに不利な規則だったりする)、「組織というのは家族みたいなもので、家族だったらそういう規則は作らないでしょう」とか、そういうなんとも論理的ではない反論の仕方をされたりした記憶がある。

そうすると、お互いの理解の齟齬の原因というのは、単なる言語の違いだけではなくて、考え方の違い・論理性の違いという部分に根付いているのではないだろうか。そうだとしたら、やっぱり僕らは分かり合えたようなフリをしながら、実は全然分かり合えてないんだなぁと思う。と同時に、分かり合おうとしてみても長い年月がかかるだろうし、ひょっとしたら、本当に深い意味で分かり合えることはないのかもしれないなぁと、漠然と思ったりする。

こんな事を思ったのは、僕が遠隔操作体制をやろうとしていて日々ぶつかる問題点の原因が、そこにあるような気がしたからかもしれない。色んなコミュニケーションツールを駆使して、意志の疎通を図ろうとしているが、なかなか上手いこといかない。それは、もちろん僕の教え方や伝え方が下手くそだということもあるし、彼らの理解力が僕がこれまで付き合って来た人たちよりも低いからかもしれない。これは、どちらにも問題のある話しである。それに加えて、根本的な部分で、論理性とか考え方の部分で僕が思っている以上に、僕達と現地スタッフの間には距離があるからかもしれない(ここまで書くと、コミュニケーションツールという言葉がやけに虚ろに響く。何故なら、話しが通じない原因は、実はツールにあるのではないのだから・・・)。確かに、国も宗教も言語も文化も違う中での遠隔操作は難しい。

しかし、そんな事を言い訳の材料にしていていいのだろうか。言い訳の材料なんて探せばいくらでもある。指示したけど現地スタッフがやってくれない、インターネットがダウンした、電気が来ない、車が渋滞していて間に合わせる事ができなかった、etc。でも、それをしてしまった時点で、自分の成長は止まってしまうような気がする。現地スタッフがやってくれないのは、突き詰めれば日本人の指導力不足だ。電気が来ないのなんて、アフガニスタン/パキスタンに1ヶ月住めば誰にでもわかる事だ。現地事務所にいるからには、それらの不確定の要素をどうにかハンドルして成果を出すのが仕事であって、求められているのは結果に過ぎない。その結果を出す為に給料をもらっているのが、僕ら現地で働く本部スタッフの仕事なのだ。

与えられた責任を果たす。成果を出す。そんな当たり前の心構えを、目の前で起こる山積みの問題に囲まれて忘れていたかもしれない。そう、言い訳をしないこと。だって、言い訳の材料なんてアフガニスタンとパキスタンにはいっぱいあるのだから。それを予想して未然に防ぎ、問題が起こってしまったときは次の策を講じて、最終的に結果を出すのがプロの仕事のはずだ。原点回帰。問題があるとすれば、現地スタッフでも環境でもなく自分の能力に問題がある。もう一度、頑張ってみようかな。

やってみせ
言って聞かせて
させてみて
褒めてやらねば
人は動かじ

-山本五十六-
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by aokikenta | 2008-02-04 23:51 | 日記(イスラマバード)


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