2008年 01月 23日
モーシン・ハミッド著『The Reluctant Fundamentalist』
Changezは哀しい。彼という存在の根源的な部分そのものが哀しみで出来上がっているから、彼の生まれた国、彼のするあらゆる出来事、そして彼が人生で出会う大切な人さえもが哀しみの色に染まってしまう。それは、まるで夜という暗闇が、動物や人間の力を遥か上方に超えた力で持って、世界の隅々までをも真っ暗に染めてしまうのと同じことだ。inevitable。僕が、モーシン・ハミッドの『The Reluctant Fundamentalist』を読んで感じたことは、結局、そういうことだった。


ChangezとEricaの関係は、ワタナベくんと直子の関係だ
パキスタンのラホール出身のChangezという青年は、プリンストン大学卒業後のギリシャ旅行で、知り合いを通じて、アメリカ人のEricaという一人の女性に出会った。

“[W]hen I first saw Erica, I could not prevent myself from offering to carry her backpack - so stunningly regal was she. Her hair was piled up like a tiara on her head, and her navel – ah, what a navel: made firm, I would later learn, by years of tae kwon do – was visible beneath a short T-shirt bearing an image of Chairman Mao.”
(始めてエリカを見た時、僕は思わず、リュックサックを運んであげるよと彼女に声をかけた - 彼女は息が止まるくらい壮麗だった。彼女の髪の毛はお姫様のティアラみたいに頭の上で結ばれていて、彼女のおへそは、-あぁ、なんておへそだ・・・、何年もやっていたテコンドーのおかげでギュッと締まっていた[後で知ったことだが] - チェアマン・マオ[毛沢東]のイメージが入った短いTシャツの下で露[あらわ]になっていた)

Ericaに魅かれて行くChangezは、しかし、彼女へアプローチする中で、ある事実に突き当たる。それは、Ericaには死に別れたChrisという付き合っていた男性がいて、彼が常にEricaの心の中に存在しているということだった。好きで好きでどうしようもないけれども、その好きになった相手には未来永劫勝つ事ができないライバルがいた。しかし、Changezの魅力に徐々に惹かれて行くEricaは、デートを重ねていく内に次第に心を許すようになる。そして、初めて交わろうとした日---。優しく体を愛撫してから、ChangezがEricaの中に入ろうとした時、Ericaは泣きながら言う。「I just can’t get wet. I don’t know what’s wrong with me(濡れないの・・・。自分でもわからないけど濡れないの)」。今、目の前で裸になって自分の腕に抱かれている女性には、自分を受け入れる体制が整っていない。彼女は自分を受け入れてくれない。自分の存在を受け止めてくれない---。

それでも、ChangezとEricaは友達以上の特別な関係を続けていく。Underwood SamsonというValuationの企業に勤めるChangezは、仕事の関係上、海外への出張が多いが、出張先でもEricaへの思いが途絶えることは無い。ChangezのEricaへの思いは膨らみ続ける。そして、二人はようやく結ばれる。しかし、それはChangezがChrisのフリをしながら、という皮肉な形で実現される。彼がChrisのフリをした時、Ericaの体は彼の体を拒否しないのであった。男として、なんて屈辱的なことだろう。Ericaは次第に現実の世界からフェードアウトしていく。そして、彼女が本来いるべき向こう側の世界に行ってしまう。Changezは、出張先のチリから帰ってきた後、Ericaが消えてしまったことを聞くのだった。

僕はこれを読んで、ある一つの小説が頭から離れなかった。それは、村上春樹の『ノルウェーの森』だ。ChangezとEricaの関係は、ワタナベくんと直子の関係そっくりだ。どちらの女性にも死に別れた男がいる。そして、どちらの女性も消えてしまう(僕は、どちらの小説においても、二人の消失は象徴であって、本当に自殺したとか失踪したということは大して意味が無いと思う。何故なら、『The Reluctant Fundamentalist』も『ノルウェーの森』も、そういう超現実的な事が起こり得る向こう側の世界を描いた小説世界だと思うからだ)。但し、二つの小説の大きな違いは、ワタナベくんには緑(みどり)という名前のファム・ファタールが現れて現実の世界へと引き止めてくれるが、Changezにはそういう女性がいないということだ。結局、Ericaから切り離されて不安定になった彼のアイデンティティーは途方も無く浮遊して行ってしまう。そして、彼はFundamentalismという一つの物語に魅かれて行き、劇的なクライマックスへとつながる・・・のだが、読む人の為にここでは書かない。Changezは遠くの世界の誰かではない。彼は貴方自身だし僕自身だ。

やっぱり、Changezは哀しい。

(ちなみに、ChangezがNYで住んでいた世界はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』が送っていた裕福な生活とidenticalで、実際に文中にもギャツビーの名前が出てくる。『グレート・ギャツビー』は『ノルウェーの森』の中でも登場する。『The Reluctant Fundamentalist』と『ノルウェーの森』という二つの小説に共通するこうしたいくつかの符号は全くの偶然なのだろうか?それとも、モーシン・ハミッドは村上春樹の小説を読んだ事があるのだろうか?わからない。)


「生まれながらの不幸を抱えた国、パキスタン」※
彼の好きになった女性のみならず、彼が生まれた国パキスタンも、生まれながらに不幸を抱えている。1947年の独立以前、パキスタンはインドと同じイギリス領だったが、独立運動の中で、イスラム復興主義という一つの運動が盛り上がり、その昇華した形として独立を果たした。インドは、イギリス領インドの遺産のほとんどを受け継いだのに比べて、パキスタンは全くのゼロからのスタートに等しい国づくりの開始であった。

パキスタンは、独立した時点からインドとのカシミール国境紛争を抱えている。もともと、イギリス領インドにはイギリス直轄領以外にも、ヒンドゥ人がイスラム人を支配する地域と、ヒンドゥ人がイスラム人を支配する地域が存在していた。カシミールは、ヒンドゥ人がイスラム人を支配する地域であり、そういう意味では、過去の経緯を鑑みるとパキスタンに存在するべき地域だったのだが、インドが譲らず60年経つ現在まで紛争は続いている。パキスタンとインドは、その他にも核保有などを含む論争を抱えており、2002年にはカシミール紛争を契機に一触即発の状態になるなど緊張が絶えない(その緊張関係は国境付近の都市ラホールに強く影を落とし、Changezがラホールに帰った後の彼の生活に影響を与える)。

パキスタンは周囲を強大な4カ国に囲まれている地政学的に重要な国だ。北に中国、東にインド、西にイランとアフガニスタン。歴史上、世界的に注目を集めたのはやはりアフガニスタンとの関係だろう。冷戦下の1979年クリスマス・イブ、アフガニスタンへの侵攻を開始した旧ソ連の南下を食い止めるべく、アメリカを中心とした西側陣営は、アフガニスタンのムジャヒディン(自由の戦士)を支援した。他にも、サウジアラビアを初めとしたイスラム世界から、同胞の聖戦をサポートすべく支援が集まった。当時、アメリカ、パキスタン、サウジアラビア、アフガニスタンは蜜月の関係にあった(アメリカはCIAを通じてムジャヒディンへ多額の支援を行っていて、当時、サウジアラビアからこの戦いに参戦していたオサマ・ビン・ラディンはアメリカに育てられたとよく言われる)。

1989年に旧ソ連が撤退した後も、パキスタン・アフガニスタン国境付近のマドラサ(神学校)から現れたタリバンに対して、アメリカはCIA→ISI(パキスタン軍諜報機関)経由で支援を続けていた。しかし、時代は変わり、アメリカの大統領もクリントンからブッシュに変わると、これらの関係はより複雑になっていく。911の後、ブッシュは対テロ戦争を標榜して、ビン・ラディンが隠れていると言われていたアフガニスタンへの空爆を開始した。これは、アメリカ軍によるタリバン掃討作戦へと続いてく。アメリカ当局であるCIAが支援して育てたタリバンを、アメリカ自身が空爆して叩き潰そうとしている。ムシャラフ大統領も、アメリカの対テロ戦争を支援する姿勢を見せているが、過去には、パキスタン当局であるISIもタリバンの育成には暗躍していた。今まさに、自分達で育てた集団をテロ組織と呼び、叩き潰そうとしている。談合めいた微妙な関係を維持し続けているプロレスみたいなこの状況は一体何なのだろう。

生まれながらに不幸を抱えた上に、強力な周辺国に囲まれ、更に、アメリカの干渉を常に受け続けなければいけない国。理想を掲げながらも腐敗という現実を抱え込み、歴史に翻弄され、大国の利害の狭間でもがき続けているパキスタンは、やっぱりChangezが生まれた国だけあって哀しい。

※「生まれながらに不幸を抱えた国、パキスタン」という表現を始め、この節は田中宇氏の記事に大幅に拠った。


終わりに
Changezも、Ericaも、パキスタンも、そして、彼の結末も、涙を禁じえないほどに切なくて哀しい。『The Reluctant Fundamentalist』は、突撃隊も永沢さんもハツミさんもレイコさんも緑もキズキも出てこない『ノルウェーの森』だ。哀しい旋律が流れ続ける短調の世界。Wayoutが見当たらない。Changezが過ごしたEricaとの楽しかった時間も、充実した時間も、素敵な時間も、そういった全ての素晴らしい時間が、最後の最後で落ちる時の衝撃を倍増させる為の落差だったに過ぎなかったのかもしれないとさえ僕には思えた。

この小説が僕の心に残したものは、どこかに影があって自己犠牲的な愛を捧げたくなるようなか弱い女性の姿だった。どうやっても満たすことができない程の深い孤独を感じさせる横顔を持つ女性。彼女を救いたいという気持ち(それを愛と呼ぶべきなのか、それとも、同情、あるいは憐憫と呼ぶべきなのか僕にはわからない)で、彼女に接近をして付き合って素敵な時間を共有する。しかし、それは結局一時的なもので、また彼女は孤独の深淵に帰っていってしまう。誰も彼女の中に入り込むことはできない。そういう孤独は永遠に満たされることがない避けがたい孤独なのだ。どんな同情も憐憫も愛も意味をなさないような・・・。Ericaも直子もそういう女性だから、そんな事を考えたのかもしれない。

こういうセンスのある小説を書ける人がパキスタンにはいる。それは僕にとって新鮮な衝撃だった。パキスタンは案外面白い国かもしれない。
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by aokikenta | 2008-01-23 23:23 | 日記(イスラマバード)


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