2007年 09月 04日
幻聴
2006年12月31日、ジョグジャカルタで行われた友人ディアとダニエルの結婚式の中盤で、MCから即興で何かギターで演奏してくれと頼まれた。

その結婚式には数百人の招待客と家族が来ていて、バンドの生演奏あり、インドネシア料理のご馳走あり、各国からのゲストありのとても盛大なパーティーだった。大勢の人前で歌うのは恥ずかしいけど、お祝いの席なので断る理由もなく、生演奏をしているバンドのギタリストからギターを借りて長渕剛の『乾杯』を歌うことにした。

ギターを持って舞台にあがると、ディアのお婆ちゃんが近づいてきた。笑顔が愛らしい、一見日本人みたいに見える老婦人だ。彼女は「日本の歌を知ってるから、一緒に歌いましょう」と誘ってきた。小さな声で聞かせてくれた歌は、『さくら』だった。

さくら さくら
やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざや いざや 見にゆかん

僕はそのお婆ちゃんと一緒に、ジョグジャカルタで『さくら』を大勢のお客さんの前で歌った。歌を歌い終わった後、とても複雑な気持ちがしていた。ディアのおばあちゃんが日本の歌を歌えるというのは、日本がインドネシアを侵略したからなわけで、僕は、帝国主義と個人レベルの友情の相克をどう頭で理解していいのかわからなかったのである。60年以上前の日本人が侵略して教えた歌を、今、僕は友達の結婚式という祝福の場で、その友達のお婆ちゃんと一緒に歌っているのであった。あの時、僕はどんな顔をして歌えばよかっただろうか。

歌い終わってから、足の悪いお婆ちゃんの手を握りながら、舞台を降りた。
とても柔らかくて優しい手だった。

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ベッドに横たわって眠気がやってくる前に、たまにふと考える。
自分がタリバンに拉致された時、「僕は殺されてもいいから、国際社会はアフガニスタンへの支援を継続して下さい!」と、言えるのだろうかと。

自国民が殺害されれば、政府は援助全体に関して一時停止もしくは撤退の判断を迫られるだろう。政府はこれまで莫大な資金をつぎ込み、援助関係者が身命を賭してプロジェクトを行っているのだから、一個人の命で関係者に迷惑はかけられない。それに、元々、紛争地に足を踏み入れた時点から、拉致されるかもしれないとは覚悟している。だから、僕の命はいいから全体の利益を考えてくれ、人道支援に殉死するんだ、そんな崇高な気分でいたいと思う。しかし・・・、しかし、コメカミに銃口を突きつけられながら、タリバンにビデオカメラを向けられた時に、「支援を継続してくれ」と、僕は果たして言えるだろうか。最初の言葉を言おうとした瞬間に、膝が砕け落ち、しょんべんをもらして、だらしなくへたりこんでしまうような気がする。

僕はいつまで経っても臆病者だ。

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"生まれた瞬間から ゆっくりと死んでゆく
そこからは もう逃れようがないなら
笑っていたいんだけどな・・・

通り雨 まだ降り続いてる
新聞をめくってる間に
また陽は照りつけるだろう

通り雨 この胸を濡らして
水溜り いくつも作っていく
いつしか夜になって そこに星空が映って
キラキラ輝くといいのに"

『通り雨』 Mr. Children

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つい先日、ディアからメールがあった。"rest in peace"というタイトルだった。
タイトルを見て、あの時のお婆ちゃんが他界したのだという事実を何となく悟った。

死を告げるメールを読んだ後、しばらく呆然とラップトップの画面を見つめていた。
いつかどこかで再生されるのをひっそりと待っていたかのような『さくら』の悲しげなメロディーが、頭の中でプレーバックしていた。
音叉でギターをチューニングするように丁寧に、僕はディアにお悔やみのメールを返した。

Diah, my thoughts are with you in your time of grief.
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by aokikenta | 2007-09-04 22:30 | 日記(カブール)


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