2007年 04月 15日
ダルラマン通りを抜けて
カブール市街から、TVヒルを右手に見ながら南に進み、ハビビヤ高校、国会議事堂、ロシア大使館が並ぶダルラマン通りを抜けると、正面にヨーロッパの建築方式で立てられた美しい建物がある。その建物の名前は、ダルラマン宮殿。

1920年代、国王アマヌッラー・カーンによってダルラマン宮殿は建てられた。当初の計画では宮殿を国会議事堂にする予定だったのだが、一度も当初の目的の為に使われたことはない。アマヌッラーはとても先進的な考えの持ち主で、近代化という旗印の元に、ブルカの廃止、ヨーロッパの服装の着用など伝統的な習慣の変更を推し進めた。また、1923年にはアフガニスタン初の憲法を制定し、アフガニスタン政府の根本を作り上げた。しかし、こうした政策を快く思わないパシュトゥン部族の長たちから猛反発を喰らい、1929年に失脚してしまう。こうした背景から、アマヌッラーの計画が実現することはなかった。

その後、ダルラマン宮殿は、1979年~89年の旧ソ連アフガン侵攻によって著しく破壊された。加えて、1990年前半のムジャヒディン同士の内戦によっても破壊を加えられた。もはやほぼ修復不可能で、完全に廃墟と化している。

延々真っ直ぐと伸びるダルラマン通りを車で走る。しばらく行くと、遠くにダルラマン宮殿が見えはじめる。アマヌッラーが頭の中に描いていたであろう美しく整備されたカブールの道路、格調高いダルラマン宮殿、自由な活気に満ちた町並み。目を閉じると、そういった情景の一つ一つが、瞼の裏に浮かび上がってきた。

ふっと我に返って目を開けたら、そこには、でこぼこだらけの道路、破壊されたダルラマン宮殿、そして、いつも見慣れた町並みが広がっていた。
ダルラマン宮殿が、アフガニスタンの歴史を代弁しているような気がした。

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          ↑ダルラマン宮殿
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          ↑今は廃墟となっており、一部がISAFによって使用されている
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          ↑今でも弾痕が刻まれた壁が残っている
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by aokikenta | 2007-04-15 00:44 | 日記(カブール)


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