2006年 12月 09日
世の中に間違いのない事は存在するのか
 物事を考えれば考えるほど、極論というものは出にくくなる。ある問題について議論する時に、最初に得た情報だけで賛成なり反対なりを判断する事は容易である。しかし、その問題について突き詰めて考えると、そこには必ず最初に得た情報とは相反する情報があるはずである。そうなると、果たして最初の判断が正しかったのか疑問に思い始めることが多々あることだろう。

 例えば、人道的介入という問題を考えた時に、内政不干渉の原則と武力不行使の原則があるのだから、原則に従って第三者が他国の紛争に介入すべきではないという意見にはじめに触れたとする。しかし、その立場にいない学者の本を読めば、人権の著しい侵害や人道的危機があった場合には、国境に関係なく介入するべきだという意見もあるであろう。

 そういう意味では、限られた情報だけで物事を判断することには危険がつきまとう。両側からの視点を取り入れた上で総合的に判断をする努力が常に必要だ。これを常に実践しようとすると、「絶対に」とか「間違いない」という言葉はなかなか口に出せなくなる。一体、この世の中に間違いのない事は存在するのか、と思うと口にだすことが憚られてしまうのだ。だから、僕は判断を求められて即答することが出来ない(意識的にそうしていると言うと言い訳がましいかもしれない)。

 しかし、実践の現場であるNGO活動をしていると、限られた情報から「これで間違いない」と言い切らなくてはならない場面がある。じっくりと時間をかけて情報を集めて、妥当な判断を下す時間が取れない場合がある。収集できる情報が限られている場合もある。また、じっくりと考えていると部下が不安に思い、組織全体に不安感が広がるケースもある。たとえ間違っていてもよいから「これで間違いない、絶対に正しい」と(そぶりにせよ)言えるだけの、即断即決能力というものが現実の世界には確かに存在するのだ。

 社会全体に不安感がある時には、物事をはっきりと言える政治家が求められる。組織の今後が分からない時には、暗闇の中に明かりを見せてくれるリーダーが必要になる。極論だって、そんな時は必要なのかもしれない。
 
 僕が生きている実際の世界では、即断即決をする能力の方がもしかしたら求められているのかもしれない。大学で学んだもの、大学院で学んだものをどうやって生かしていったらいいだろうか。ひょっとしたら、僕が学んだことは、現場ではあまり必要ないものだったのかもしれない。そんなことを考えてしまって、自分の長所に自信を持てない自分が情けない。自分にないものを取り込みながら、自分の長所を伸ばしていけたらどんなにいいかなぁなんて最近よく思っている。
[PR]

by aokikenta | 2006-12-09 03:57 | 日記(カブール)


<< 轍(わだち)      プロジェクト立ち上げ >>