2005年 07月 18日
2005年7月12日(火) 「2日目 カイロ到着」
 6時30分起床。7時20分のバスに乗り込んだ。バスの中で熟睡し、気付けばちょうど1時間でミラノ空港に到着した。フライトは10時20分なので、時間はちょうどよい。問題は、Hらと会えるかである。前日に電話で話した時は、チェックインカウンターで会おう、ということになっていたのだが、よくHらのフライトスケジュールを見てみると、乗り継ぎの時間が1時間ほどしかない。これは、おそらくミラノで再チェックインする必要はないだろうと思って、そうそうにチェックインを済ましてゲートへ行こうかと思った。しかし、やっぱり出てくるかもしれないとの思いも捨てきれず、1時間前まで粘ってチェックインカウンターに居てみた。しかし、やはり来ないのでゲートへと急いだ。

 フライト出発の30分前にゲートに到着して辺りを見回しているちょうどその時に、HとMさんはやって来た。久しぶりの再会。抱き合って再会を喜んだ。なんでも、セネガル発のフライトが到着するのが少し遅れたので、ギリギリ間に合ったということのようだ。いずれにしよ、コンタクトを取れない状況で、会えないなどの手違いがなくてよかった。

 フライトは少し予定の10時20分を少し遅れて出発した。機内では、3人で旅行のプランを話し合った。有名なギザの3大ピラミッドやルクソールへ行きたいという点では3人が一致したが、それぞれに好みが分かれる部分もあった。例えば、Hがパピルスの体験学習に行きたいと言う。かと思えば、Mさんはモーゼの十戒で有名なシナイ山へ行きたいと言う。話しても埒があかないので、グレーゾーンを残したまま概ねのプランだけを決める事にした。

 午後3時15分にカイロ到着。銀行でとりあえず必要になると思われる分だけ両替し、入国審査の行列へ並んだ。すると偶然にも、これからエジプトで青年海外協力隊の仕事で赴任する3人組の女性に出会った。世の中狭いものだな、とつくづく思った。なんでも協力隊では入れ替わりの時期が1年に3回あり、この時期はその3回の内の1回らしい。これから2年間働く人間と、2年間働いた人間。端からみているものとしては妙に感慨深いものがあった。後で、Hが言うところによれば、初々しさが眩しかった、という。さて、空港の外で調整員と呼ばれる協力隊員をお世話する人が車で待っているという。挨拶だけして行こうか、ということで会って会話をしている内に、「よかったら市内まで乗っていけよ」ということになった。これは幸運だった。なにせバスの乗り方もどこへいくのかも良くわかっていなかったのだ。お言葉に甘えて、乗せてもらう事にした。 

 車内では、協力隊の話題で盛り上がっていた。よく考えたら、私だけが協力隊関係者ではないことに気がついた。エジプト人のドライバーさん、調整員の方、3人のこれからエジプトに赴任する女性、それに2年間のセネガル勤務を終えたHとMさん、私以外の全員が関係者なのだ。何だか居てはいけないような気分になり、終始黙っていた。黙っていてもすることがないので、車窓から景色を眺めていたのだが、眺めている内にすごいところへ来たな、といよいよエジプトに来たのだという実感が沸いてきた。まず、走っている車のほとんどがかなりオンボロなのである。ドアがへこんでいるくらいは当たり前で、バンパーがつぶれている車、人がやたら乗っている車など、見ているだけで飽きない。それに、道路わきのいたる所にモスクがある。どれも、観光名所なのではないか、と思われるような荘厳なモスクが、車で走っていると5分おきに現われるのだ。イギリスのパキスタンにいる身としてはモスクは見慣れている気がしたが、本場は大きさが桁違いである。むろん、桁違いに大きかったのは本当に観光名所かもしれない。

 車内から、庶民的な市場の様子を見ることもできた。溢れんばかりの人。男性の多くはワンピースのパジャマのようなの服を着ている。女性は人によって服装が違うのだが、やはりイスラム圏独特の伝統衣装を身に着けている。お店からは商品が道端にこぼれださんばかりに陳列されている。看板はもちろんアラビア語で書かれている。私は、なんだかこういった車窓からの景色を見ながら、初めて行った中国を思い出していた。

 高校2年の冬に、物心ついてから初めて海外へ行った。そこが中国の上海だった。初めて見る海外は驚きの連続だった。まずもって、言葉が違う。文字こそ似ているが、内容はよくわからないし、何より、外国語で話しかけられるという経験がそれまで皆無だったので、どう答えてよいかわからない。一番ショックを受けたのは物乞いである。今でこそ中国を発展途上国というのはためらわれるが、1995年当時の上海はまだ、開発がすすんでおらず物乞いが街にたくさんいた。まだ小学生にも入学していないような子供が、お金をくれ、というようなことを言いながらずっとついて来た事があった。どうしていいかわからず、お金をあげればどっか行くかなとも思ったのだが、一緒にいた父親が、「走(ゾウ)!」と大きな声で言うとどこかへ行ってしまった。中国語では、「走」が「歩く」とか「行く」というような意味らしく、「ゾウ」と言えば、どこかへ行け!というような命令になるらしいことは後でわかった。17歳の私はどうしていいかわからず、何が正しいのかわからず、ただ社会の不平等を目の当たりにして頭を抱えたものだった。

 今まさにエジプトにいながらその時のことを思い出していた。違う文字を使い、違う言葉を喋り、違う文化の中で生きてる、その単純な事実が僕を興奮させた。その興奮は、おそらく西洋人が現代の日本を訪れて感じる興奮よりも大きいに違いなかった。きっと、西洋人がちょんまげ侍のいる日本を訪れた時に感じる興奮に近い。何せ、エジプト人の格好は、中には洋服を着ている人もいるが、僕が見る限りでは、洋服の人は少なく、伝統的な衣装を着ている人の方が多かった。電気、ガス、水道などがなければ、そのまま500年前も1000年前も変わらないのではないか、と真面目に思うほど、僕には伝統が残っているように見受けられた。

 車は、カイロの中心地タハリール広場に到着し、僕等を降ろしてくれた。お礼を言って、地球の歩き方を見て、泊まろうと決めていた「Islamia House Hotel」にチェックインした。Mさんのシングルルーム料金と、Hと僕のツインルーム料金を足して3で割っても1泊30エジプトポンド(約584円)なので、恐ろしく安い。部屋は8階にある見渡しのいい部屋を与えられた。とても眺めが良い。カイロ考古学博物館が右手に見え、正面にはタハリール広場を見下ろす絶好の場所だ。荷物を降ろして少しゆっくりとすることにした。
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 夕食は、近くにあるエジプト料理屋に入る事にした。とても雰囲気のいいレストランで、サービスも悪くない。僕はチキンケバブを頼んでみた。Hはエジプト名物の鳩を頼んだ。少しもらったが、淡白でそんなに強い味のある肉ではなかった。なかなかおいしい。その他にもモロヘイヤのスープなどを頼んでみたが、全てそれなりにおいしい。

 宿に戻ったら、疲れのせいか、ビールを飲んだせいか、とても眠くなってきた。エジプトの喧騒と熱気と混沌に包まれながら眠る・・・。旅は始まったばかりだ。 
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by aokikenta | 2005-07-18 06:50 | (番外編)エジプト旅行記


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