2005年 12月 15日
Nexus between theory and practice?
 物を考えることは誰にでもできるけれども、それをする為の時間が充分にあるという意味あいにおいて学生ほど恵まれている職業はない。何でこんなことを書くのかというと、去年一年間留学をしていた時はもっといろいろな本を読み、考え、友達とお喋りをして考えを深めたり、他の視点を知ることができたりして、常に頭を使っていたと最近思うからだ(でも、もともと頭が良くないのでそんなにすごいことを考えていたわけではありません)。言い訳をするわけではないが、別に、今頭を使っていないというわけではない。でも、使っている頭の部分が違っている。

 学生の時は、本を読んで知らないことを知り、それによって得た事について理解しようと努め、考え、そのアイデアを他のアイデアと結びつけて膨らませたりしていた。一方で、今は本を読んで新しいことを知ることが減った。また、一つのことについて時間をとってじっくり考えることが圧倒的に減った。代わりと言ってはなんだが、情報を処理する事や問題を解決する事に頭を使っている。如何に効率的に業務をこなすか、問題が発生した時にどのような判断を下すか、どうやって周りの人を上手く使って仕事を進めていくか、ということを毎日やっている。

 どちらが良くてどちらが悪いということを言い切ろうというつもりは毛頭ない。学問をする上では効率性というのはそれほど(あくまでも、それほど)重要ではないし、逆に、仕事をする上では必要以上に一つのことに時間をとることはそれほど(これも人によって意見はあると思いますが)良いことではない。もちろん、学問と仕事が対極に位置するわけでは全くなく、問題を解決してゆく能力が学問に生きることはあるだろうし、思考能力(と表現すればいいだろうか?)が仕事に役立つことはあるだろう。

 例えば、何も難民問題について知らなくても、民間企業での経理業務経験があれば、難民支援プロジェクトの経理業務を担当することは出来るだろうし、プロジェクトのコーディネートをすることだって出来なくはないだろう。もちろん、しっかりとしたマネージャーの下について業務をこなしてプロジェクトを回していくだけでよい、という程度の意味において。しかしながら、もし専門的に勉強していたのであれば、何も勉強して来なかった人とは違うアイデアを持ち出すことができるだろう。例えば、他の国ではこうだったからこうしてはどうだろうとか、「それよりもこっちを先にやるべきだ、何故なら・・・」というような提案を理由つきで出せるかもしれない。そういう意味で学問の力は大きい。

 逆に、理論・理屈をこねくりまわすだけは、現実の世界にインパクトを与えていくことはできない。例えば、元兵士が戦闘以外の方法で生計を立てていくことができるようにする為には他の収入の獲得手段を得られるようにしなくてはならない、と主張する学者がいたとする。それは全くその通りであるが、本当にそれを実現させるには様々な問題をクリア(解決)しなくてはならない。資金を出してくれるドナーを探さなくてはならないし、人を雇って、事務所を借りて、通信・移動・電気・水などを整備して、収入獲得の手段を決めて、その専門家を雇って、期間を決めて、運営の方法を決めて、地域の長と調整をして、他団体から情報を集めて、時折起こる問題を一つ一つ解決していきながら、始めのアイデアを実現させていかなくてはならないのである。

 こう考えると、大学で理論を学ぶことも重要であるし、仕事を通じて実践していくことも非常に大事なんだと思う。「理論はしょせん理論だ!」というような、学問への批判ともとれるコメントを留学時代によく聞いたのだが、理論は疑いようもなく重要なのである。そして、それを実践することも理論と同じように重要なのである。そのどちらを自分の生涯の仕事に選択するのかというのは、各人の適正やバックグラウンドや、節目節目での出会いなどなどが決めていくのではないかと思う。まぁ、要するに、僕が言いたいのは、理論家も実務家もみんな手を取り合ってがんばっていきましょう、ということです。
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by aokikenta | 2005-12-15 02:45 | 日記(カブール)


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