2005年 11月 12日
2種類のパーティー
 昨日blogを更新した後に、パーティーに誘われたので参加した。そのパーティーはとある国際NGOのスタッフ主催で、そのNGOのスタッフ住居で開かれた。雨の中、行って見てびっくりした。僕の団体の住居とは比べ物にならない広さ・快適さ。絨毯が敷き詰められており、心地よいソファーに衛星テレビが見られるテレビ。キッチン・ダイニングもかなりの広さできれい。我々の住居とは格段にレベルが違う。このレベルの差が、今の国際NGOと日本のNGOの力の差を如実に示しているように思った。日本のNGOはまだアマチュアレベルだと言われるが納得である。
 
 パーティーには、そのNGOのスタッフと友人が合計9人(僕を含む)来た。僕と先輩と、アメリカのNGOで働く日本人女性が1人、そして欧米の男性が6人来て、食事とお酒を楽しんだ。食事は牛肉のステーキとパスタサラダとナンが振舞われた。すべてホストが用意してくれた。洗練された味でおいしかった!その他、ビール・ワイン・スピリッツなどなどを飲み、気がつけば夜の1時を過ぎていた。うーん、飲みすぎた。途中で持っていったギターで歌を披露しました。もう一人弾ける人がいたのだが、そいつがめちゃくちゃうまかった。僕と比較にならないうまさ。恥ずかしかった。とにかく、週末の夜をおいしいごはんとお酒と音楽で締めくくれて楽しい夜だった。こういうのは留学時代のパーティーと変わらないもんだ。

 このパーティーの席上で、一人の欧米人男性がした発言が心に引っかかっている。彼が言ったのは、「ある国で働いていた時に、一人の隣国からの難民が『僕の国を何とかしてくれ』と言ってきた。腹が立って、『これ以上俺の前で話してるとぶっ飛ばすぞ』と言ってやったよ」というようなことだった。発言をした彼は軍隊の人で、紛争当事国ではない国から国連PKOミッションで平和維持軍の一員として派遣されていた。彼にしてみれば、第三国の俺がお前の国のために働いているのに、なんで母国のためにお前は働かないんだ、という憤りがあるようだった。彼は言った。自分の母国の為に戦わないでのうのうと逃げてきて、いい服を着てそれなりにいい生活をしているくらいなら、母国に帰って戦え、と。彼の憤りには理解できるところがある。いつ生命を落とすともわからない環境で働いている彼ら平和維持軍にとってみればそういう気持ちになるのは当然かもしれない。
 
 しかしながら、政治の結果によって戦争が勃発してしまった時に、その国民は母国の為に戦わなくてはならない、とは必ずしも言えないと僕は思う。誇りの為に戦って、政治的に敵対するグループを殺すのが正しいとは言えない。いかなる死も正当化できない。人を殺すくらいなら、難民になって生き延びた方がいい。何年か何十年かすれば、かならず紛争は終わるのだ。紛争の間に教育を受けて、将来の復興の為に命を捧げるという生き方だってあるはずだ。実際に、アフガニスタン難民の多くはパキスタンに逃げて、難民キャンプで比較的手厚い保護を受けた。現在、国の復興の為に働いているのはこうして他国に逃げて教育を受けたアフガン人だ。ムジャヒディンとして戦った戦士たちの多くは死んだ。生き残った戦士たちも、13歳くらいから戦わなくてはならなかったので、完全に基礎教育の機会を逸している。僕の団体のマネージメントスタッフ2名はペシャワールへ逃亡した組。彼らの指示で車を運転するドライバー達は、アフガニスタンに残って戦った組だ。

 こうして両面を見ると、どちらが正しいかとは言えない。国の為に戦って、誇りを守るのもいいだろう。逆に、何が何でも生き延びるのもいいだろう。ただ一つ言えるのは、「国」という人間が作り出した共同体にこだわるあまり死んでしまったら、残された家族にも友人たちにも平和はないのである。そんなものにこだわるよりも、武力ではない知力を身につけて将来の国の復興の為に尽力する方が守れる人の数も大きいのではないだろうか。


 さて、前にも書いたが、アフガニスタンでは金曜日と土曜日が休みなので、11日の今日は何もないはずだった。はずだったと言うのは、今日は15時から特例でお客様がいらっしゃったのだった。総勢7人が我々のオフィスにやって来て質問などを1時間ほどして行った。せっかくの休日を!という気持ちもないわけではなかったが、有意義な時間だったのでよかった。というのは平和学の世界ではとても有名な方もいらっしゃったのだ。名刺交換をさせていただいた。彼の本には感銘を受けていたので、とても緊張した。本は人格を表すもので、とても論理的な話し方をされる方だと思った。あー、カブールに持ってきておけばよかった。サインもらえたのに。

 その後、17時ごろからアフガン人スタッフであるアブドラの誕生日パーティへ出席。結構裕福な生活をしていたなぁ。団地みたいな感じのところの3階に住んでいて、テレビ・ステレオ・DVDなどなどすべて揃っていた。アブドラは僕らのオフィスではナショナルスタッフのマネージメントをしてくれている人で、今日で28歳になった。背が高くて185センチくらいあると思う。周囲からの人望が厚く、英語での意思疎通も問題はない。子供が3人いていかにも幸せそうな笑顔を浮かべていたのが印象的だ。

 このパーティーで僕は奥さんを一度も見ていない。女性は男性客と会わない伝統があるらしい。娘さんもちょっと見かけただけ。最後まで、アブドラと、息子2人、そして客の僕らだけだった。こういう伝統は確かに生きている。人道的NGOのスタッフの家でもそうなのだから。

 食事は豪勢だった。しょうがと砂糖の入ったミルク(誕生日には必須の伝統的なものらしい)、スープ、羊肉の煮込み、シシケバブ、ポテトフライ、サラダなどが人数以上に用意されていた。朝から奥さんが用意したらしい。もちろんお酒はでなかった。

 食事後はとなりの部屋に移ってダンシングタイム。いかにもアフガンな曲に合わせてみんなで踊った。踊りや歌は世界どこでも共通だ。但し、音量をものすごく大きくする。近所迷惑じゃないのかな、とこちらが心配するほどだ。これを聞いて、留学中にものすごい音でパーティーをするパキスタン人のことを思い出した。あれは文化的なものだったのかもしれない。でも近所迷惑はだめだぜ。

 オフィスに戻ってようやく一休み。もう9時前だ。あんまり休めなかったけど、2つの異なるパーティを体験できた貴重な週末だった。
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by aokikenta | 2005-11-12 01:36 | 日記(カブール)


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