2005年 07月 04日
2005年6月20日(月) 「3日目 深夜特急」
 10時過ぎに起床。昨日はしゃぎすぎたので、体がまだ重い。しかし、あまり寝ていてももったいないので、朝食を取りに外に出る。近くのカフェで、トースト、ベーコンエッグなどを食べる。イングリッシュブレックファーストと大して変わりなし。話した結果、今日は観光と買い物を中心にのんびりと過ごすことに決定した。席を立ち、お金を両替しに銀行へ行く。レートがいいのか悪いのかわからなかったので、レートを聞いた後、駅にある別の両替商にも聞きに行く。銀行の方が若干レートがよいことがわかり、そこで100ユーロ交換。結局、クレジットカードを多用したこともあるが、旅の終わりまでこれ以外には交換しなかった。

 僕は取り立てて欲しいものもなかったので、絵葉書だけ3枚購入。一方、フェデリコは、

「どうしても、代表のユニが欲しい」

ということで、スポーツショップへ探しに行く事になった。1件目にはなく、次に入った2件目に置いてあった。お店の人によると、大会が始まってからすごい勢いで売れているということで、ディスプレーされているユニフォームが最後の一枚だということである。少し悩んだ挙句、購入を決定。65ユーロの買い物である。65ユーロというと約8600円の買い物なので決して安くはない。しかし、一旦燃え上がった祖国への思いはなかなか簡単に冷えないらしい。フェデリコよ、そんなにサッカーが好きか。なんだか嬉しく思った。

 その後、街中を散歩してカフェで休憩。歩きつかれて喉が渇いていたこともあり、窓際で飲んだこの時のビールが最高においしかった。

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また、歩き始めると三越発見。ロンドンの三越に比べると小さい。なにしろワンフロアーしかない。中に入ると、当然だけど日本人ばかりだった。懐かしさを感じつつも、欲しいものがなかったので(もともとなかったのだが)、外に出る。もう1件、日本の本ばかり置いている本屋を発見。中に入ってみた。店員さんも日本人ということで、さしずめ、ロンドンにあるジャパセン2階にある本屋か、三越地下にある本屋というところだろうか。ここでは、コンフェデを特集しているサッカー雑誌を買いたかったのだが、最新号はまだ来ていないようだったので断念した。しかも恐ろしく値段が高かった。確か14ユーロ(約1865円)くらいだったと思う。多分、置いてあっても買わなかっただろう。

 この日は、初めてトラムに乗った。切符の買い方がわからなかったが、言語スイッチの切り替えボタンがあったのでなんとか買えた。ほんの2駅だけだったが、快適な路面の旅を満喫した。快適、快適。

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 一旦、ホテルに戻り休憩した。外を歩き回るのは結構疲れるものである。

 夜になると、夕食をとりにまた市内へでかけた。今日は、まだ食べていない伝統的ドイツ料理を食べに行く事にした。また、トラムに乗り、市内へ移動。あらかじめ調べておいたレストランに入った。メニューはドイツ語しかないが、なんとなくわかるような気がした。つづりが似てる言葉もかなりあるし、輸入された料理なんかはつづりはほぼ完全に同じである。僕は豚肉のステーキ、マッシュポテト、ザワークラフト(キャベツの漬物みたいなもの)が一皿にのったものを注文した。ボリュームはあるけど、味は期待ほどではなかった。なんというか、あまり調理された料理ではない。ステーキは焼いただけ、ポテトは茹でて潰しただけ、という感じである。朝食に続き、なんだかイギリスのご飯に似ているなと思った夕食だった。

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 ホテルに戻っても、まだ9時ごろであった。シャワーを浴びると特にすることもないので、お互いに申し合わせたように本を読む。今回の旅には、沢木耕太郎著「深夜特急」の第3巻を持ってきていた。「深夜特急」は旅に出る少し前から読み始めていたのであった。

 いつ頃からであろうか、旅、という事に興味を持ち始めるようになった。旅と言っても、パックツアーのように全てがセットアップされたたびではなく、自分が思うままに行動する旅、むしろ放浪旅行に近い形態の旅である。僕は、高校2年の時から、毎年海外には行っていた。海外といっても、いろいろな国に行っていたわけではなく、高2から大学4年まで毎年中国に行っていたのである。それも、放浪旅行とは程遠い、それぞれが、10日~2週間程度の旅行であった。父親が、僕が高校に入学した年から中国に住んでいたので、家族である僕は毎年1回ただで父に会いに行く事ができたのであった。そういう事情があったので、今日寝るところもわからないというような旅ではなかった。しかし、おかげで、北京、天津、上海、蘇州、無錫、杭州、香港、澳門、西安、広州などへ訪れる事が出来た。

 こうした経験からであろうか、社会人になってからも毎年、休みの度に海外へ行っていた。本当に旅の楽しみを知ったのは、むしろ社会人になってからだったかもしれない。社会人時代は、平日の朝9時~夕方5時45分までビルの中でパソコンを見ながら働いていた。もちろん、5時45分までというのは定時の時間であって、その時間に帰れたことはほとんどない。忙しい時には、終電で帰る日が1ヶ月程も続いた事もあった。そういうことがあったからか、休みを取って海外に行くと、俺はなんて自由なんだ、と思わず叫びたくなる瞬間があった。毎日、同じルーティーンの中で暮らしていたから、現実逃避的なものを体が欲していたのかもしれない。旅の中に快感を見出し始めていた。

 例えば、社会人2年目には会社の懇親会で当たった旅行券3万円を使い、タイへバックパック一つで旅行した。思えば、この旅は、これまでの旅と比べると質が全然違う。今までの旅が、常に安全ネットが張られた旅行だったとすれば、この旅は期間こそ、6日間と短いが、間違いなく放浪旅行だったのである。まず、泊まる宿は全く前もって決めていなかった。タイの空港についてからとりあえず、カオサン通りに行き、泊まるところを決めた。する事も決めてなかった。バスターミナルへ行って、観光客に人気のなさそうな島へ行ってみたりした。こうして僕の旅は徐々に変化してきた。

 会社を辞めてから、33日間かけて四国を一周した。バックパック旅行というと、海外を思い浮かべるので、四国というと、なんだ四国か、と思う人は多いかもしれない。しかし、僕にとっては、これが本格的な長期放浪旅行であり、人格形成の上でも大きな地位を占めている。

 イギリスで留学生活を送る間、僕の放浪旅行への憧れはどんどん膨らんできた。日本へ一時帰国した時に、思わず手に取った本、それが、バックパッカーのバイブル「深夜特急」であった。今回の旅では、持ってきた第3巻を繰り返し読んだ。第3巻は主にネパール・インドを中心に書かれている。僕はドイツにいながら、頭はネパールへトリップしていた。「深夜特急」の中で、3巻に収められている第8章「雨が私を眠らせる」は、なんとも表現のしようのない余韻を読者に残す。その原因は文体にあると思う。手紙の形式で書かれているのである。全体を通して手紙形式で書かれているのは、この章と第15章「絹と酒」のみである。この章では、いかにネパールでの生活が怠惰なものであったかが切々と綴られている。雨に降り込められて何もする事がない若者たち。自然にハシシの回し呑みがはじまる。意識が朦朧としてくる。噂では、この街にいたヒッピーの若者がまた新たに死んだと言う。原因はハシシの吸いすぎである。主人公は、このままではいけないと思いつつも、朦朧とした意識は、生へと無関心にさせていく。もうどうなってもよくなっていく。死んでしまってもかまわない・・・。簡単にまとめるとそんな内容である。僕には何故かこの部分が全体の中でも強く印象に残っている。そして、この部分を読んだのは、ドイツ滞在中のこの夜であった。ただそれだけである。それだけだが、書かずにはいられなかった。
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by aokikenta | 2005-07-04 00:00 | (番外編)ドイツ旅行記


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