2005年 07月 06日
2005年6月18日(土) 「1日目 アジア杯の興奮」
 朝起きた時、頭の奥に鈍い物を感じていた。それもそのはずである。前日は、後輩が日本へ一時帰国するということで、日本人10人ほどで飲み会をしたのだった。日本人ばかりの飲み会は久しぶりという事もあり、ビールに始まりアイリッシュ・ウイスキーへ突入、自分では気付いていなかったが、結構飲んでしまったのだった。起きてもまだ少し頭が痛い。昨日は楽しかったから、と自分に言い訳をするようにつぶやき、旅の仕度を始めた。
 
 今回、ドイツに行く目的は、ドイツで開かれているコンフェデレーションズ杯を観戦に行く事である。日本xギリシャ戦、メキシコxギリシャ戦、合計2試合を見に行くのである。コンフェデレーションズ杯とは、各大陸のチャンピオンだけが参加できる大会で、規模の大きさではワールド杯には到底及ばないものの、その質の高さからサッカーファンの間では注目を集める大会なのである。各国代表チームにとっては、来年2006年に行われるドイツ・ワールドカップの前哨戦として位置づけられており、同じ気候、環境の中で本番モードで取り組める重要な大会である。とりわけ、アジアでは圧倒的に強い部類に入る日本にとっては、世界レベルの相手と本気で勝負できる数少ない貴重な大会であり、ワールド杯でどこまでやれるのか、自分たちのサッカーがどこまで通じるのかを知る絶好の機会なのである。なにしろ、前回ワールドカップ王者ブラジル、南米王者アルゼンチン、ヨーロッパ王者ギリシャ、中央アメリカ王者メキシコ、ホスト国ドイツ、アフリカ王者チュニジア、オセアニア王者オーストラリアなど世界の最高峰が集う大会である。直前までスタジアム観戦の予定はない僕であったが、メキシコ人の友達フェデリコに誘われ、せっかくイギリスに住んでいるんだから行かなきゃ損だと思ってしまったのであった。そうである。どうしても行かなくては、と思ってしまったのだ。

 行きの移動は恐ろしく長かった。13:18ブラッドフォード発の電車に乗り、16:30頃ロンドン・キングスクロス駅に到着。スタンステッド空港に行くために、地下鉄でリバプールストリート駅へ行き、さらに別の電車に乗り換え約40分。18時過ぎにようやく空港に到着。20:10のフライトで飛び立った。
 
 機内で、僕は、日本がアジア杯で優勝して、コンフェデ杯に出場する事ができて本当によかったと今更ながらに思っていた。サッカーファンなら誰もが熱くして見たであろうあの大会。予選リーグまでは、相手が弱かった事もあり、正直言ってそれほど記憶に鮮明には残っていない。強いて言えば、緒戦の俊輔のステップからのシュート、2試合目タイ戦で決めたフリーキックくらいであろうか。しかし、準々決勝のヨルダン戦は日本のサッカー史に残るといっても過言ではないゲームだった。1-1で終えたこの試合は、延長戦でも決着がつかず、PK戦にもつれこんだ。第一キッカーは中村俊輔。彼はチームで一番キックが上手いので、誰もが決めると信じていた。しかし、枠の上へ大きく外す。試合後のインタビューによれば、信じられない事に、軸足を置いた芝生が、足から半径50センチほどが、ズルッとまるごとずれたということであった。第二キッカーは、サントス。彼もキックが上手い選手である。しかし、また枠の上へ大きくはずした。これに見かねたキャプテン宮本が審判と交渉を開始。次のキッカーからは、逆のゴールでやらしてもらえないかと提案をした。結局、この提案が受け入れられて、おそらく今まで誰も見た事がないであろう、PK戦の途中でのゴール変更が行われた。しかも、日本の第二キッカーが蹴り終えてヨルダンの第二キッカーが蹴り始める前である。はっきり言って、変更するのであれば、ヨルダンの第二キッカーが蹴り終えてから変更する方が、公平性の観点から言えば正しいであろう。しかし、この時、審判は熱くなっていてそこまでの冷静な判断ができなかったのである。サッカーの神は日本についていた。
 
 3本を終えた時点で、スコアは1-3。日本はここから、「入れられたら負け」の状況が続く。ここからの、川口のセーブがすさまじかった。4人目のキッカー中田浩二が決めた後のヨルダン選手のキック。正確に左隅を捕らえていた。並みのキーパーであれば間違いなく入ったであろう。しかし、川口が(川口から見て)右へ横っ飛び、少し高めのボールを左手でセーブしたのである。僕は感動した。あんなセーブは見た事がなかったからである。これで、スコアは2-3。5人目のキッカー鈴木はしっかりと決め、またしても「入れられたら負け」の状況が川口に訪れた。ヨルダンの5人目。ボールは枠の左へと外れた。私はラッキーと思った。後で、DVDを見るまでは。
 
 「日本代表 激闘録:AFC アジアカップ中国2004」というDVDがある。この中で、川口がインタビューに応じているところによれば、このPKで一番の出来は、なんとこの5本目のPKだったというのである。川口は言う。

「完全に読んでいた。仮に枠に飛んできても防げていた。」

実際、そう言われて見てみると川口のこの時の跳躍はとんでもない。左のポストに届いて余りあるくらい飛んでいる。この時の川口は神がかっていた。
 
 3-3でサドンデスに突入。6人目のキッカー中澤はこれを外した。川口にとっては三度目の「入れられたら負け」の状況。ヨルダンの6人目のキッカーは正確に右隅を狙っていた。またしても、並みのキーパーであったならば入っていたようなボールである。川口をこれをまたしても奇跡的なセーブで防ぐ。結局、7人目のキッカー宮本が決め、ヨルダンの7人目が外し、日本が4-3で勝った。この日の日本にはサッカーの神様がついていた。
 
 そのような事を考えていると、飛行機は、フランクフルトハーン空港へ到着。ドイツはイギリスよりも時間が1時間早いので、22:15分くらいであった。そこから、23時発のフランクフルト市内行きのバスに乗車。すぐ着くと思ったのが間違いだった。この空港は、市内に近いメインの空港とは違い、郊外にある空港だったのだ。結局、2時間ほどバスに揺られていた。深夜1時を回るころ、ようやく目的地のフランクフルト駅へ到着。ホテルのチェックインを済ませ部屋でくつろぐ事ができたのは、実にブラッドフォードを経ってから12時間以上も経った深夜2時ごろであった。この日はシャワーも浴びずに布団へもぐりこんだ。移動の疲れからか、すぐに眠たくってきた。僕は、これから起こるであろうドラマに心地よい興奮を感じながら眠りに落ちた。
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by aokikenta | 2005-07-06 00:00 | (番外編)ドイツ旅行記


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